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 パタン、とロッカーの閉まる音が、人気のない廊下に響く。


 タクミと別れた後、アカネは、ヒカルが居ると聞いていた教室には向かわなかった。


「タクミが変なこと言うんだもんな~」


 今日の練習で使ったスコアブックを、ロッカーにしまったアカネは、ひとりごちる。


 佐々木屋行くという、タクミと分かれた後、しばらく廊下を歩いていると、タクミに声をかけられた。振り向くと、そこは薄暗くなり始めていた廊下で、その為タクミの顔は伺えなかった。なにかな、と思っていたら、タクミの声だけが廊下に響いた。


「なによ、ヒカルから大事な話って」


 タクミはそう大声で伝えると、なんのことか聞こうとしてる私をそっちのけでとっとと佐々木屋へと行ってしまった。まったくなんだというのだ。


 とにかく、アカネは、そんななにか思わせぶりなタクミの台詞を聞いて、足が遠のいていた。別にわざわざ、ロッカーにしまわなくてもいい楽譜を自分の教室にまで持ってきたりしたのはそういう訳だ。


 ヒカルと顔を合わせづらい理由。タクミの意味深な言葉ももちろんなのだが、それを意味深に感じてしまうような出来事がつい先日あったのだ。


 それを思うと、アカネは自然とため息が漏れる。そして、頭も痛くなる。さらに言えば、お腹がすいている。胡麻アンパンと、チビチョココロネもお願いすればよかったなぁ、と思いながら、アカネは重い足を2-Aへと向けた。


 アカネの悩みは、先輩として、パートリーダーとして、幼馴染として、様々な一面で異なった考え方が出かねない難問だった。


「琴月先輩って、鷲尾先輩と付き合ってるんですか?」


 吹奏楽部の後輩、二年の藤倉さとみはそれはもう直球で、そう聞いてきた。練習の合間、ちょっと相談があるんですけど、と音楽室の隣に構えられた、音楽準備室にわざわざ呼び出してだ。


 アカネは、相談があると言われた時、当然、演奏のことだと思った。なぜならその時は、休憩中とは言え、部活の練習時間内であったし、アカネはトランペットのパートリーダーを務めており、みさとは同じパートのサブリーダーだったからで、さらに言えば、さとみがサブリーダーに任命されてから2ヶ月余り、一年生のパート分けが済んで、少しずつ問題が出てくるころだと、アカネが去年サブリーダーを勤めた経験から知っていたからだ。


 パートリーダーは、主に他のほかのパートや指揮者との折衝にあたり、パート内の指導はサブリーダに任されることが多い。母親が音楽の教員であることも幸いしてか、さとみは演奏は上手であったが、その小さい体に似合わないほどの強気な性格で、一年生たちの指導に難儀してるのかもしれない。

 

 だから、古い楽譜が詰められたくさん積まれたダンボールの一つに腰を落としたアカネは、なるべく笑顔でやさしく後輩に声をかけた。「相談ってなぁに? さとみちゃん」、と。


 そこにさとみのストレートだ。アカネは、バットを振ることも出来ず、見送る。何が起こったのかもわからず、思わず、キャッチャーのミットを見てしまうかのように、言葉ですらないない様な一言が漏れる。


「へっ?」


 そこにさとみはもう一球。しかも恐れを知らないど真ん中。切れのいいストレートだ。


「鷲尾先輩ですよ。琴月先輩よく一緒に帰ったりしてるじゃないですか? 付き合ってるんですか? 私、鷲尾先輩のこと好きなんですよ。だから、琴月先輩はどうなのかなって思って」


「え、えっと、ヒカ、あの、鷲尾君?」


かろうじてバットは振ってみるが、動揺は隠せない。もちろんボールは危なげもなく、ミットへ。これでカウントはノーツー。追い詰められた。


「付き合ってないんですか? え、だったら、白鳥先輩と? 白鳥先輩とも一緒にいますよね、よく」


「えっと、あのね、さとみちゃん。話が全然見えないんだけど」


 ノーツーからの一球を、なんとかバットにかすらせて粘るアカネ。


「えっと、そうですね。あの、先月の全校オリエンテーションあったじゃないですか? あの時あたし、クラスで委員に選ばれちゃって」


 そういえば、先月、さとみちゃんは委員会があると、部活を何度か休んでいた気がしたな、とボンヤリと記憶を辿る。そして、同時に思い出す。うちのクラスのオリエンテーション委員が誰であったかを。


「で、鷲尾君が居た訳ね」


「そうなんです。委員会って、A組ならA組ならで一年二年三年って、縦割りで色々話し合うんですけど、鷲尾先輩、超テキパキ仕切ったりとか、あとは、みんなが、どうしたらいいかなかなか決められなかったところとかも、スパッて意見とか出してて、もう凄くかっこよかったんですよ」


 急に饒舌になりヒカルの良さを語りだすさとみの様子に、少したじろぐも、アカネはなんとなくさとみの言う状況が目に浮かぶようだった。そして、それをそんな風に好意的に捉える人も居るのだなと、変に感心してしまっていた。


 なぜなら、さとみの言ってる姿は、アカネはもちろん、ヒカルでさえ自覚し、あまり良く思っていない、ヒカルの、いわば短所だからだ。


 想像するだに、ヒカルはかなり意見をごり押ししたのではないだろうか、と少し思う。言葉遣いは丁寧だが、それがかえって、冷たい印象を与えがちなのはヒカルの第一印象としてよく指摘されがちなところだ。


 ヒカルが委員会の仕事に乗り気でなかったことは明白だ。委員会を決める際に、他薦されながらも最後まで渋り、結局じゃんけんで負けたことによって選出されたのだから。自分の出したチョキを呪い、忌々しげに右手を見つめていたヒカルの顔が記憶の中で浮かび上がる。


 となれば、ヒカルの考えることなど、一つだろう。アカネにはわかる。委員会などとっとと終わらせて帰りたい、だ。


 聞けば、ヒカルと、もう一人のうちのクラスの委員、沢木さん以外は下級生だけだったようだし、ヒカルも遠慮せずに意見を押し通したのだろう。


「まったくあいつったら」


「え? 何ですか?」


 アカネは目に浮かぶような光景につい、ヒカルへの叱咤が口をついてしまった。さとみに問いただされ慌てて、取り繕う。


「あぇ? えっと、うん。なんでもないわ。それにしても、さとみちゃんが鷲尾君をねぇ」


「それで、どうなんですか? 琴月先輩。鷲尾先輩と付き合ってるんですか?」


「な、ないわよっ! 付き合ってるとか。ホント、ないから付き合ってるとか、別に好きでもないし、た……」


 そこまで否定して、アカネは、続く、単なる幼馴染だから、という言葉を飲み込んだ。


 さとみがじっとアカネの言動を見つめていたのもあったし、ムキになって否定することに急に恥ずかしさを覚えたからだ。


 なによ、あたしったら、これじゃまるで照れ隠しみたいじゃない。そんなことを思い語尾を濁し、さとみから視線を逸らしてしまうアカネ。


 そんな、アカネの不自然な態度にさとみは気づいていなかった。すでに心は此処にあらずだったのだ。


「ホントですか!! 良かったぁ!! 先輩と恋敵なんて気が引けちゃいますもん。色々悪いですし」


 その物言いは、振られる事など前提に無い様だった。そんなさとみの自信にアカネは呆れるどころか、感心してしまう。


「これで、心おきなく鷲尾先輩に告白できる! やった!」


 心底嬉しいのだろう。さとみは満面の笑みをたたえていた。それは部活の場では見せた事のない笑顔だった。まなじりに僅かに光った輝きにアカネは気づき、慌ててさとみから視線をはずす。目の前の恋する乙女のパワーの様なものに当てられてしまったのだ。


 想いを告げられる事が、涙を流すほど嬉しい事なのか。さとみのように、まっすぐ誰かに恋をした事のなかったアカネはその輝きに圧倒されてしまう。


 恋をするってそんなに楽しいのだろうか。


 アカネは今まで、あまりそういったことに気を揉んだ事がなかった。楽器が恋人、等と言うつもりもないが、何かあれば常に音楽と共にすごしてきたし、異性との付き合いといえば、ヒカルとタクミくらいか、同じ部活の男子くらいのものだ。


 確かに、さとみの確認は邪推でも何でもないなとアカネは思った。はたから見られたらそう思われなくもないかもしれない。それぐらいヒカルとはよく一緒に居る。今思えば、クラスの女子の間でそういった話が話題に登らない日はない。自分が少し周りからずれて居ただけの事で、皆、恋愛に関するアンテナを張り巡らせているのだろう。


 そんな中で、二人で一緒にお弁当を食べていれば、それは勘違いもされるというものだ。アカネにしてみれば、ただ単純に、ヒカルのお母さんの作る玉子焼きが目当てなだけなのだが。そもそもタクミ抜きで二人でお弁当を食べるのだって、せっかくお母さんがつくってくれたお弁当があるにもかかわらず、空のランチトートだけ持ってきて、肝心のお弁当箱を家に忘れてきて、結局佐々木屋でパンを食べるなんて事を、タクミがしょっちゅうするからだ。


 ふと、アカネは違う可能性にも気がついた。私とタクミは?

 

 タクミも、人好きのする人気者だ。分け隔てなく誰に対しても明るく、スポーツも得意なお調子者。どこかに密かにタクミを狙う女子も居るのかな。そうだとすれば、タクミとも誤解されてたりするんだろうか。


 二人とは幼馴染だ。付き合ってなど居ない。三人そろって仲良しであった幼稚園の頃から、今まで、その関係性は地続きのままだ。きっとこれからも。

 

「先輩、応援してくれますよね」


 さとみの声が、アカネを我に返らせる。


「へ?」


「やだなぁ、先輩。可愛い後輩の恋路ですよ、応援してくれなきゃ、なーんて」


「あぁ、そうね。うん。大丈夫だよ、きっと! さとみちゃん、可愛いもの!」


 とっさに口をついて出た言葉に、アカネは後悔を覚える。心に一瞬だけ苦くて重いものが広がる。


「ホントですか!? 先輩に可愛いって言ってもらえるなんて、自信出ます! 頑張りますね、私!」


 そう言うと、さとみは、早々に話を切り上げ、音楽準備室を後にして、跳ねるように駆けていった。


 その背を見送りながら、アカネは、自己嫌悪に陥っていた。


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