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「あれぇ!? タクミじゃん!!」
人気の無い夕方の校舎に響く爛漫な声。それは女子生徒のものだった。
不意に声をかけられたタクミはくしゃりと顔をしかめた。
すぐさま、笑顔を作り直し、後ろを振り向く。
「お、アカネ!」
アカネと呼ばれた女子生徒。ヒカルとタクミの幼馴染でもあり、三角関係の頂点に存在する琴月茜は、タクミが昇降口へと歩いていた廊下の反対側、音楽室などがある第二校舎とつながる渡り廊下の曲がり角でタクミに手を振っていた。
そして、そのまま小走りにタクミへと駆け寄ってくる。セミロングの艶の良い髪を振り乱し、小柄な体を跳ねさせるように駆け寄るアカネの姿を、いつもは眩しいはずのその姿を、タクミは暗澹たる気持ちで見ていた。
タクミは、心中で目論んでいた賭けに負けたのだ。勿論そんな事はおくびにも出さないが。
「どうしたのよ、タクミ? なんで日曜のこんな時間に学校に居るの?」
「アカネは? 練習?」
「そ! ほら!」
そういって肩に下げていたケースに入ったトランペットを突き出してみせるアカネ。
「で? タクミは?」
「ん? ジュース買いにいくとこ」
「あー、佐々木屋? って! 違うでしょ!」
軽口の押収はタクミとアカネのいつものコミュニケーションだ。これに「コントしてないでさっさと本題に入れ」と口を挟むのがヒカル。何年も続けてきた会話だった。
「実はな。ちょっと下手って木村に目つけられたんだよ」
昨日の晩タクミを捕まえ、今日の強制労働を言い渡した生活指導の木村義孝の名を出しながら、涙声を出しオーバーなアクションで説明するタクミ。
「キモキムに? マジで!?」
そう言いながら露骨に嫌な顔を浮かべるアカネ。
木村は男女学年関係なく嫌われている教師のトップランカーだ。会話に出てくれば、不穏な気持ちを覚えるのも当然だった。
「そ。まぁ、俺が下手打ったのもあるんだけどさ。いやぁ、ヒカルには悪い事した」
「え? じゃあ、ヒカルも居るの?」
そう驚いたアカネの声に嬌色が混じっていたように感じたのは、タクミが卑屈に考えすぎたゆえだろうか。
「あぁ。今は2-Aに居るよ。も少し残ってやんなきゃいけないことあるからさ」
「ふぅーん。何? やらなきゃいけない事って」
「笹作り」
「ササヅクリ?」
「そう、笹作り」
「なによ、ササヅクリって?」
小首を傾げながらタクミの目を覗き込んでくるアカネ。
なんでコイツは一々こう可愛いのだろうか。畜生。
「笹だよ。竹。バンブーの奴。フェイバリットオブパンダ」
「あぁ、お団子?」
「アカネ、笹と言えばイコール笹団子なの?」
「うーん、そういわけじゃないんだけど、」
そう言うアカネの言葉を遮って、ある音が響いた。
「ぐぅ~きゅるるるぐぅ~」
まるで瞬間湯沸かし器のように紅潮するアカネの頬。信じられないと言う表情で、音の出所、自分のお腹を睨み、続けて、タクミを睨む。
「聞いた!?」
「そりゃ聞こえるだろう」
苦笑いする事しかできない。男のタクミからすれば微笑ましいアクシデントでしかなく、反応も含めアカネの魅力が溢れた一端なのだが、乙女にとってはそうも言ってられないのだろう。なんとなく理解は出来る。共感は出来ないが。
「もぉ~~!!」
何処にぶつけてもいいかわからない怒りを抱えて赤面するアカネ。
「そっか、練習明けだもんな」
午後の早くから、作業のBGMになっていた吹奏楽の練習を思い出す。以前アカネから聞いた話だが、半日もトランペットを吹くというのは結構な重労働だそうだ。そりゃあカロリーも消費するだろうし、お腹も鳴るのだろう。
「そうよ、練習明けなの! お腹も空くの! 笹団子を思い浮かべちゃうの!」
「あぁ、わかったわかった。そんなに必死に弁解しなくても分かってるって」
アカネをなだめて、話題を逸らす。
「で、何飲む? 買ってってやるから教室で待ってろよ」
「え? いいよ、佐々木屋でしょ、あたしも行く。なんか食べたいもん」
タクミは少しだけ、語気を強めた。そうはいかないからだ。
「あ~、いいっていいって、どうせ胡麻アンパンだろ? 一緒に買ってくから」
「え? なんで? タクミ今日なんか気前いいじゃん?」
アカネが、全部買ってくるというタクミの言葉をいぶかしむ。
その疑問は当然だった。この時タクミには思惑が一つあったのだが、それはアカネの知る由ではない。
「あったりまえじゃん、労働を頼むんだから」
タクミはわざと憎たらしい笑みを浮かべてやる。
一瞬、きょとんとした表情を浮かべたアカネだったが、一拍置いて、肩を落としながら深く息を吐く。
タクミは、アカネに、笹作りとしか言っていない。だが、改めて細かい説明が必要な仲ではなかった。木村に捕まり、厄介ごとに巻き込まれている。それだけで充分だった。
アンパンとジュースを駄賃に、タクミがあたしを厄介ごとに巻き込もうとしている。しょうがない、この優しいアカネさんが助け舟を出してやろう。きっとアカネはそう思っているに違いない、とタクミは踏んだ。
「しょうがないわね。このアカネさんが助太刀いたそうか」
トランペットのバッグを肩に担ぎなおし、小さい体で胸を張り尊大に振舞ってみせるアカネ。
「あぁ、頼むよ」
ほらな、とタクミは思いながら、しかし、暗い気持ちが心中をよぎる。踵を返し、オレンジ色の廊下に消えていくアカネの背を見守りながら。