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「なぁ、ちょっと休憩入れね? まだちょっとかかるだろ」


 淡々と作業を続ける二人の間。タクミが、わりと真剣な口調でつぶやいた。


「ま、いいか。ここまできたら少しくらい遅くなっても一緒だな」


 紙切りを押すだけのヒカルはそこまで疲れていなかったのだが、少し考え、タクミの提案を受けた。


「よっしゃ! 休憩!」


 背骨を鳴らしながら伸びをするタクミ。大きく欠伸をするヒカル。一時間ぶりの休憩だ。

 

 タクミはストレッチをしながら長時間の同じ姿勢で固まった体を解しながら、教室の後ろへ。


「いやー、しかし、あれだな。自分達の事ながら、これはよくやったな、おい」


 目線の先には後ろのロッカーに立てかけられた十八本の竹。その内大半の、柳のようにしなだれる笹には、きらびやかな装飾が施されていた。


 ちなみに休みの日という事もあって一般教室でもある二人の作業場はエアコンが利いていなかった。文字通り、二人の半日の汗の結晶である。


「なぁ」


 壮観な光景を前にしたタクミが不意に口を開いた。


「短冊、書かね?」


「ん? 短冊?」


「そう、短冊だよ。明日七夕じゃん。それに先駆けてさ。短冊一番乗り。御利益ありそうだべ!」


「そうだな。それぐらいの役得があってもいいかもな。よしちょっと待ってろ」

 

 そう言うとヒカルはすぐに、筆箱を取り出した。


「ほら、ペン」


 ヒカルは黒の油性マジックをタクミに放り投げた。


「短冊はその辺にいくらでもある、好きなの使え」


 そう言いながら、自らもペンと短冊を手に取った。しかしいざ、書こうか、というところでヒカルのペンが止まる。


 どうしたものか。ヒカルの思考は固まった。タクミの手前心の底の望みを書くことははばかられたのだ。


 しかし、嘘というか、自分の本音を誤魔化した願い事を短冊に書いて何の意味があるのだろうか、ともヒカルは思った。


 別に、七夕の短冊に願いを書いたところで、望みが実現するとは露ほども信じてはいない。だから問題はそこじゃなかった。本音を隠せば、それで自分の願い事に対する姿勢、真剣さが疑われるような気がしたのだ。


「ん? どうしたヒカル。俺はもう書けたぞ。まだ書けないのかよ」


 そう言うとタクミはヒカルの短冊をのぞき込む。


「おまっ! おいっ! 何だよ見んなよ!」


「見るなもなにも、短冊ってのは飾るもんだぞ?」


「でも、あれだろ、なんか。おまえ、書いてる途中とかはだめだろ!」


 ヒカルは願い事の書き出しの三文字だけが書かれた短冊をタクミから遠ざけた。


 そうしてから、それが愚行だとヒカルは気づく。これではタクミを煽ってるだけにしかならないからだ。


 餌を目の前にぶら下げられた獣の様に、短冊に食いつくかと思われたタクミは、しかし、短冊を追わない。代わりに、新たな短冊とペンを手にし、ニヤニヤとヒカルを見つめていた。


「書いてやるよ。俺が。お前の短冊。

 任せろ、幾度となく写してきたお前のノート。筆跡偽造も完璧だ!」


「は? なに言ってんのお前、やめろって!!」


 ヒカルが詰め寄りタクミを制止しようとしたところで、すでにタクミは素早く短冊を書き終えていた。早業である。

 

 つかみかかるヒカルに、タクミは短冊を突き出す。

 

 ヒカルは突如眼前に突きつけられた文字列を一瞬では理解できなかった。あわててピントを合わせ、読んだところで、頭を置き去りにして感情の命ずるがままに体が動いた。


「どぅあらぁぁ!!!」


 拳一閃。右足を勢い良く踏み込み、体の軸の回転に、握力、腕力、背筋力の精一杯を乗算した破壊力が込められたフックボディーブローをタクミのわき腹に叩き込む。


「おふぅぐ!!!」


 肝臓を打ち抜かれたタクミは、言葉に成らないうめき声をこぼし、体を折り畳む。にやけ顔に刻まれた苦悶の表情に反し、右手に掴んだ短冊を、それでもタクミは手放さない。「琴月茜とつき合えますように。鷲尾輝」と書かれた短冊を。


「ぶえっっっほ! な、にすんだ、よ」


 咽び、息も絶え絶えにヒカルを睨み上げるタクミ。しかしその視線を迎えたのは最低でもマイナス三百℃を上回らないであろう、絶対零度の向こう側の眼光。


「ヒカル君? チ、チタン合金は?」


「木っ端微塵だな」


 間を置かず、にこりともしないままにヒカルは繰り返す。


「ああ、木っ端微塵だ」


 タクミはヒカルと目を合わさないように明後日を向きながら、せわしなく視線を泳がせる。


「えーっと、その、だな、ヒカル?」


「竹を割れるんだから、頭蓋骨も難しくないだろう」


 そう言いながら、ヒカルの視線の先にタクミは居ない。あるのは鉈と金槌。


 それを持ち、タクミに向き直ると、そこに待っていたのはヒカルの怒りをさらに煽る光景。笹に「鷲尾輝の恋の願い」を結びつけているタクミの姿だった。


「お前、本当に死にたいのか」


 少し声が震える。それほどまでにヒカルは怒っていた。


 それと同時に、沸騰しそうなヒカルの脳裏はしかし、理解してない訳ではなかった。つまり、この怒りが、あの短冊の中身が図星であることに対する照れ隠しからきているのだと言うことを。


 そして同時にもう一つ。実のところヒカルよりよっぽど聡く、つきあいも長いタクミがヒカルの胸の内に秘めた懸想に、そして怒りの正体に気づいてないはずがない。


 そう思うと、次第に照れ隠しの怒りは引き、純粋な疑問が沸き上がる。


「なんで、だよ?」


 ヒカルの口からその一言だけが漏れた。しかし「なんでそんな短冊書くんだよ、お前だって」と、ヒカルによぎった思いは声にならず宙に霧散する。

 

 ヒカルは、タクミにアカネへの思いを打ち明けたことはなかった。それは三人が幼なじみで、なによりタクミの中にあるアカネへの想いにヒカルは気づいていたからだ。


 お互い様なのだ。互いに、互いの胸の内に気づいていた。だから互いに沈黙を守った。それが暗黙の了解だった。はずだ。


 それをタクミは破った。


 ヒカルの手から鉈と金槌がこぼれた。


 カランカランと鳴る音が、黄昏時の教室に響く。


「タクミ! お前だって!!」


 照れ隠しの怒りなどとうにどこかへ言ったヒカルの叫びが沈黙を裂く。いや、いまや、違う怒りがヒカルの中に沸々とその姿を大きくしていた。

 

「オッケー! ストップだ。一端タンマな、ヒカル!」


 決してお茶らけた口調ではなく、タクミは応える。ヒカルの目をしっかりと見据えたまま。


「ジュース。飲み物買ってくるから。話はそれからだ。な?」


 そう言って半ば呆然と立ち尽くすヒカルの背を向けたタクミは、早足で教室を後にした。


 ヒカルは、感情のぶつける先を失ったまま、夕暮れの教室に一人取り残された。

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