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 日曜日。夕方の教室。


 教室の机や椅子が橙に染まる時間。遠くに聞こえていた吹奏楽部の練習は先ほど止んだ。あと、残るのは野球部の練習の音と、教室を飛び交う二人の男子の愚痴のみ。


「おい、ついに吹奏楽部のBGMもなくなったぞ」


「そうだな」


「いま何時だろうな」


「そこに時計があるんだから、見ればいいだろう?」


 時間を訪ねられた男子は作業の手を止め、ナイフを持った右手で黒板の上の時計を差した。


「怖くて見れないんだよ、鷲尾君。どうしよう、今が六時とかだったら。日曜日の朝から呼び出され、作業に明け暮れ一日。気がつけば六時だったなんて事実を知ってしまったら僕は一体どうすればいいんだい?」


 鷲尾と呼ばれた男子はすっくと立ち上がった。彼は鷲尾輝ワシオヒカル。年の頃は十四、五か。立ち上がる勢いでさらりと揺れる前髪は艶の良い黒。細身の面立ちに、湛えた表情は怒り。アンダーリムの銀縁メガネの奥の瞳は怒りに燃えていた。


 ヒカルは怒りを精一杯押し殺した。怒りに身を任せれば、手にしたナイフを力一杯投擲してたところだ。


「タクミ。ナイフをお前の眉間に投げなかった俺の堪忍袋の緒のチタン合金並の頑丈さに感謝して、泣きながら手を動かせ。

 今から急げば、俺たちの日曜日は五時間は残る」


「ヒカル。お前の忍耐力には感謝するが、その発言によって頭の良い俺は、現時点で早くともすでに六時は回ってることを悟ってしまった。やる気がマイナス十万飛んで四千二百ぐらいだ。どうしてくれる?」


「いや、飛んでねぇよ、それ、」律儀に突っ込みながら、ヒカルは続けた。


「それに知らないのか? 人間のやる気はプラスマイナスの限界値が三万五千なんだぞ。下限値を越えると、余った分は上昇に転じる。つまりお前のやる気は今三万四千二百。おそらくお前の人生でベストの数値だよ。

 すごいな。流石だよタクミ。カッコいい! 惚れちゃう!」


「ちなみにチタン合金の強度限界は?」


「そろそろ限界だな」


「そうか、そいつは困った。チタン合金を長持ちさせる秘訣はなんかないか?」


「黙れ。そして手を動かせ。それだけだ」

 

 軽口でヒカルを怒らせていた、もう一人の男子、白鳥巧シラトリタクミはその発言でさすがに口をつぐんだ。


 冷たくとがった印象を放つヒカルと対照的に、タクミは人好きのする顔をこね上げて、釉薬に爛漫さを塗って焼き上げたような造作の顔の青年だ。


 決して太っているわけではないのだが、丸い、という印象がタクミにはつきまとう。それは目も口元も常に笑っているからだ。黒髪に所々混じった茶髪も、その明るさを演出するのに一役も二役も買っていた。


 冗談の応酬が終わり、二人は再び手を動かす。


 ヒカルとタクミが休みを返上してまで励んでいる労働。それは七夕用の笹の飾り付けと短冊の用意だった。一学年六クラス。その三学年分すべての。


 事の始まりは昨晩に遡る。来る七夕に向け天体観測に興じようと、突如思い立ったタクミの暴挙に端を発していた。


 土曜日の夜。静まり返った校舎に、タクミは単身忍び込んだ。夕方のうちに見回りの教師の隙を縫って、一度は戸締まりの確認された天文部の部室の鍵と一階のトイレの鍵を開けておいたのだ。そうして、タクミは盗みを成功させた。


 その後調子に乗り、とりあえず勝利の余韻を自慢しようと、強引にヒカルを夜の学校に呼び出した。


 夜間の突然の電話に憤りを覚えたヒカルはしかし、しぶしぶ自転車に跨る。無視したほうが、後で面倒になると知っていたからだ。


 夏の夜、小汗を流し学校に着いたヒカルを待っていたのは、警報装置をならしてしまい御用になったタクミと、ヒカルを共犯扱いする、生活指導で当直の番を担っていた体育教師だった。


 一時間ほどの正座による足の痺れと、精神的疲労感たっぷりのお説教を頂き、ようやく帰ろうとした二人に言い渡されたのはさらなる苦行だった。


 こうして、今行ってる休日出勤を余儀なくされた。


 用意された子供の胴ほどもある竹を、鉈と金槌で割る。細くなった竹の形をナイフで整え、余分な枝を落とす。それを十八回繰り返した時点で九時から始めた作業は昼休みと幾度の小休憩を挟んで二時を迎えていた。


 今は、紙飾りを作る作業と、七百枚強の短冊を作る作業を分かれて行っていた。


「なぁ、ヒカル?」


 タクミが黙って、作業に専念していたのは、結果五分程度だった。


「もう分かった。お前に、黙れ、は無理なんだな。喋りながらでも良いから、手だけは止めるな。」


 ヒカルはそう言いながら、本心ではよく五分も保ったと思っていた。幼稚園から十年のつきあいになるタクミの事をヒカルはよく知っていたからだ。

 

 ついでに言えば、飽きっぽく不真面目なタクミが今日は休憩の時を除いて一度も手を止めていないことも。ヒカルの「手を休めるな」の発言に、いつもなら「なんだと~、このタクミ様の頑張りが~」と言い出すはずのタクミがなにも言わないことも知っていた。


 それが、口が軽いがゆえに、自分の言葉も軽くなってしまう事を知っているタクミの、不器用な謝り方だということも。


 やれやれと、ヒカルはタクミの雑談に応じながら作業を進めた。

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