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天使を見た

彼の左の鎖骨、そのすぐ下の辺り。

配色は黒と、ビビットな赤。

顔は浅黒い地肌のまま、目も鼻も口も無い。

そいつは弓を構えた天使。


腕の中の私は、無いはずの目に睨まれる。

―この天使はなに?―言葉が口から先に出ていかない。

私は彼に何も訊けない。


早朝、音を殺してベッドから逃げ出す。

その時、脱ぎっぱなしのブラウスがパサリと落ちた。

拾う私が視線を上げると、寝返りを打った彼の二の腕に、目を奪われた。

そのまま、肩へ続く曲線、項、肩甲骨をなぞる。


両足がずっしりと、その場に私を引き止める。

それでも理性を裏切れず、私は洗面所に向かった。


アメニティを使った後悔は私に知恵を与えた。

こういうことが多いというわけではないが、クレンジングと洗顔フォームはちゃんとした物を選んだ。


すぐに潤いを失うのは心と同じだね。


…昨晩の飲み慣れないワインのせい?

いつになくポエミーじゃん…きも…


ホテルを出た私を日光が突き刺さる。

ベースメイクはUVカットとはいえ、日傘が手離せない。


駅への徒歩4分、全身の疲労感が私の思考をシンプルにした。

不思議と仕事への意欲が湧いてくる。


なんだ結構真面目じゃん。

良いよ、頑張ってるじゃん、私。


ピンポーン


改札がSuicaの残高不足を教えてくれた。



二ヶ月後、私は再びあの天使に出会った。


夏の日差しという暴力に晒されて、その日私は医務室に運ばれた。

介抱したのは、眼鏡の男。

彼の、笑い皺が深い目尻、左えくぼのシミ、まっすぐな鼻筋と口を囲う髭。

肌は白く、普段の生活がインドアに片寄っていることを想像させた。

低く落ち着いた声でゆったりと、彼が言葉をくれた。


「頑張りすぎですよ

最近寝てないでしょう、隈ができてますよ」


彼が覆い被さるように屈んで、私の頬に触れる。


「少しむくんでますね

熱を測りましょう」


その時、ワイシャツの隙間からチラリと覗いた鎖骨。

吸いつけられる私の視線。

しかし、目に入った赤い羽根は、あの日の光景を鮮明に甦らせた。


それは警告色の誘蛾灯。

あの時魅入られた私は、既に逃げる術を失っていた。



そして、その数日後。


まどろむベッドの上で、赤い羽根を指でなぞりながら、私は決心を固める。

張り付いたような唇の上下。

二ヶ月前の、朝の臭いが後頭部に漂う。


「この天使はなに?」


すると彼は、眼鏡の奥の優しい目はそのままに、財布からプラスチックのカードを取り出した。

そこにも当然のように、例の天使が飛んでいる。


カードに書かれた文字を、私は心で読み上げる。


『SMクラブ ダーティーエンジェル』

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