父と母と光と影
ピエトロ・ディ・ベルナルドーネは、絹と染料を扱う大商人であった。フランスとの交易で莫大な富を築き、アッシジでも屈指の成功者と数えられていた。街の通りを歩けば、人々は「ベルナルドーネ殿」と声をかけ、子のフランチェスコにも「きっと父の跡を継いで立派な商人になるだろう」と囁いた。
ピエトロは息子に豪奢な衣を着せ、宴に必要な金も惜しみなく与えた。息子の陽気な人気ぶりを誇りに思い、金を惜しみなく使う姿にむしろ満足すらしていた。「商人には度胸と華やかさが要る。あの子はきっと大物になる」と、彼は信じて疑わなかった。
一方で、母ピカの目には不安が映っていた。南仏から嫁いできた彼女は、静かに祈ることを日課とし、贅沢よりも慈しみを尊んだ。彼女はフランチェスコの笑顔を愛しながらも、酒場に通い、夜遅くまで仲間と騒ぐ息子を案じていた。
「この子の心は光に向かっている。でも今は、影がそれを覆っている」
母はそう感じながら、マリア像の前で祈り続けた。
父は富と世の誉れを求め、母は信仰と慎みを望む。二つの道は、まだ幼いフランチェスコの胸の奥で揺れ動き、やがて彼の運命を決める根となっていった。
夕暮れ、石造りの家の広間で、父ピエトロは上機嫌にワインを傾けていた。テーブルには商人仲間から贈られた珍しい葡萄酒が並び、息子フランチェスコが笑顔でそれを注いでいる。
「フランチェスコ、今日の市場での評判を聞いたぞ。お前の歌に皆が耳を傾けたそうだな。いいぞ、商人には華やかさが必要だ。人に好かれれば、金も名誉も自然と集まる」
「父上、僕は人に囲まれるのが好きなんです。歌っていると、まるで騎士になったように心が高鳴ります」
「騎士? ははは、愚かな夢だ。剣ではなく金貨が人を動かすのだ。お前が継ぐのはこの商売だぞ」
父は豪快に笑ったが、フランチェスコの目はきらきらと輝き、耳を貸そうとしなかった。
そのとき、母ピカが静かに食卓へ現れた。
「ピエトロ、この子の心を夢ごと笑わないで。神はそれぞれに与えられた道をお持ちです」
「神? 道? 冗談を言うな。私はこの手で財を築いた。フランチェスコも同じ道を歩むのが当然だ!」
母は息子の肩に手を置き、優しく囁いた。
「フランチェスコ、どの道を選んでも、心を失わないで。光を見失わないことが一番大事なのです」
父の野心と母の祈り、その両方が少年の胸に重く響き、フランチェスコは答えを出せぬまま、ただ静かにうなずいた。