フローの体験談
時間感覚が失われて何もかもが上手くいく感覚、無我の境地。
スポーツではゾーンとも呼ばれ、他の分野では別の呼び方もある、奇妙な精神状態。
Eスポーツ選手だった俺も当然経験したことがある。
俺の体験から感じたことだが、フローというものは活動の形に応じて、状態、持続時間、効果などが変化するように思える。
前にも書いたように、俺が参加した種目は移動や照準、装填などに時間がかかるスローテンポなゲームだった。
だから俺が経験したフローの殆どは短い一瞬だけで、すぐに次の判断や行動に中断される。
その短いフローの中で、俺が感じたものも当時の状況によって変わる。
ある時はランダム戦で敵の動きを2、3秒観察したら、突如フロー状態に入って、感覚で敵の反応を予想出来て、それを頼りに一発のダメージを稼げた瞬間にその感覚はもうどこにもなかった。
ある時は味方が有り得ないところで撃たれた瞬間フロー状態に入り、普段気にも留めない、誰も使わない茂みを怪しく思い、そこに撃ったら敵の偵察車両が俺が撃った弾を喰らって逃げて行った。
ある時は練習試合中に、敵味方の発見情報のやり取りの中で突如として、味方の声以外の情報が殆ど頭の中から遮断され、味方のやり取りだけで情報のピースを組み上げて、向こうの次の一手が浮かび上がり、その話をした次の瞬間に向こうのチームがそこから攻めてきた。
ある時はただの照準中に突然フロー状態に入った感覚がして、「乱数が上振れしそう」という考えが頭によぎって、撃ったら平均値だと撃破出来なかった敵を、上振れした乱数のダメージで撃破した。
いや乱数の予測って何ぞ?
実際に起きたことだからどうしようもないけど、我ながら訳が分からないと今でも思う。
確かにゲームの乱数は大体疑似乱数で、人間は本当のランダムよりもバランス良く振られた数の方がランダムぽく感じるから、乱数に調整を入れるのはよくあることなんだけど、それでも乱数予測とか意味不明すぎる。
まぁ、どんなものであれ、フロー状態の体験は経験を積んで、上達していくとその頻度も上がっていったから、経験から来るものだろうとは思うが、それを引き起こす仕組みがまるで分らん。
ともかく俺のフロー状態の体験は基本このような、いつ入るかも、入る条件も、その効果も入るまでは予測不可能で、大体は次の移動や思考、判断で中断され、たまには訳の分からないものが混じるものだった。
だが一度だけ、本当に一度だけの、長いフロー体験があった。
それは韓国で出場した大会の時だ。
韓国チームとの対戦で、チームのスコアは劣勢、そして奇しくも両チームとも自走砲一枚を編成に入れた。
かなり奇妙なことだった。
Eスポーツではそもそもあんまり使われない、十回の対戦で一回入れるかどうかの自走砲。チームが攻守に分けられ、大体攻撃側しか使わない自走砲。
そんなものが両チームの編成に同時に入ってたんだ、キャスターも、観戦していた選手たちも両方の戦術と試合の展開を観てみたかっただろう。
そんこと、俺の知ったことではなかった。
試合最初の小手調べですぐに分かった、膠着状態になるだろうと。
膠着状態に入り、攻撃側だった俺たちは自由に偵察も出来ずに、時間が過ぎていく。
時間切れになれば防衛側の勝利だ、芳しくない。
俺はまず確認に偵察車両が居そうな茂みに撃って、どれもハズレだった。
突如、味方が敵自走砲に撃たれて、その大まかな場所を特定出来た。
俺は試しにそのエリアに一発撃って、外した。
その瞬間だった。
砲撃を外した瞬間、味方の声が頭から遮断される。
聞えていたが、耳には入ってこない。
俺はフロー状態に入った。
視界の中では見えない敵自走砲、だがその「動き」は手に取るように、はっきりと「分かる」
相手がどこに隠れようと、確実に狙える瞬間がある。
俺が装填時間に入り、隠れて、敵の発砲を確認した瞬間、数える。
彼我の発砲時間の差、装填時間、両方の移動時間、砲弾の飛行時間、相手がわざと時間をずらす可能性、それらが全て頭によぎって、結論に達した。
6秒、俺の装填が終わって、6秒待ってから撃てば、狙える。
敵の砲撃が俺の近くに落ちた。
俺が全てを計算し、考えをまとめてから、砲撃が俺の近くに落ちた。
敵も同じ考えだ、膠着状態ならまずは敵の自走砲を取り除く。
だがフロー状態に入ったままの俺は動じることなく、味方の声も気にせず、ただ数える。
同じ考え、同じ戦法でも、俺には絶対の自信がある「この一撃だけ、分はこっちにある」と。
装填終了、俺はひたすらに数える。
0......、1......、2......、3......、4......、5......、6!
その瞬間、俺は撃った!
計算を尽くした、俺の選手生命の最高の一撃!
見えない筈の敵、だがその動きのビジョンは俺の目に浮かび上がる。
俺が撃った砲弾は放物線を描き、予想した敵の動きと重なる。
二十秒以上続いたフロー状態の果てに、俺が見えたビジョン通りの敵の残骸が出来上がった。
「カウンターできたぞ!」
フロー状態を脱して、第一声がそれだった。
膠着状態はこれで終わりだ。
俺は、ランダム戦で大嫌いな、極めて非効率的な自走砲カウンターを決めた。
Eスポーツで両チームが同時に自走砲を出し、戦局が膠着状態に陥り、俺がフロー状態に入った、これら全ての偶然が重ね合わせて、生まれた一撃だった。
試合の中身に関心ある者は誰もが両チームの戦術、思考、アドリブを注目する中、俺は一撃でその全てをぶっ壊した。
だがその試合は、そんなものでどうにか出来るものではなかった。
自走砲を失った敵チームは、これ以上削られまいと、自走砲を持つ優位を生かせまいと、速攻で押し上げて来た。
予測は出来た、布陣を調整する時間はあった、優勢は確実にあった。
だが負けた。
自走砲一枚の優位なんて、チーム全体の実力差を埋められるものではなかった。
正面で戦えない、支援しかできない自走砲の俺は、味方が倒れていくところを、見届けるしかなかった。
そして味わった、たかがスーパープレー一つだけでは、勝敗をどうすることも出来ないその苦さを。
ああ、そんなものなんだよ、フロー状態は。
目の前のことを最高のパフォーマンスで出来る、普段の自分では想像もできないことをやってのける。
だがそれだけでは覆られない溝もまた存在する。
普段以上のパフォーマンスは出来ても、万能でもない、狙って頼れるものとも思えない。
俺が経験したフロー状態は、たったそれだけのものなんだ。