愚妹の皮を被った女を始末します
俺の愚かな妹は、ある日突然殺されてしまった。
そして、妹の皮を被った、あいつよりよほど優秀で、人格者で、愛嬌のある見知らぬ他人が、我が物顔で俺たちの家を闊歩して、あいつが自慢げに見せびらかしていた悪趣味な服や家具を次々に売り払っていくので。
俺はこいつを始末しようと心に決めた。
頭が悪くてヒステリックで性根もひん曲がっていて、取り柄と言えば顔と家柄だけだった俺の馬鹿な妹。大嫌いで、煩わしくて、どうしたものかといつも頭を抱えていた。
侯爵家の面汚し。金食い虫。いつかどこぞへ嫁いでこの家を出て行かなければならないのだからと、両親が甘やかしに甘やかした果ての躾のなっていないケダモノ。
対して嫡男なのだからと厳しく育てられた俺は、妹の存在が昔から厭わしくてならなかった。
どうしてあいつばかりと、音程の外れた鼻歌を歌いながら庭で遊ぶ姿を後継者教育を受けながら窓越しにいつだって睨み付けていた。
王立学園に入学してからも、問題ばかり起こす妹の後始末をするのはいつだって俺だった。
家格が良いばかりに一丁前に派閥なんぞを作って、そのくせ教養も何もかもがよその令嬢に劣っているものだから喧嘩を売っては返り討ちにあい恥をかいて地団駄を踏んでばかりいる。それをあいつではなく我が家にすり寄りたいがために取り巻きとなった令嬢たちになだめすかされて。
恥を知れ、家の名に泥を塗るな、俺の手を煩わせるな、俺の血縁を名乗るな。
顔を合わせる度にそう罵っていれば、昔から拗れていた俺たちの関係は決定的に断絶した。
あちらの令嬢に茶を引っ掛けただとか、そちらの令嬢の頬を叩いただとか、こちらの令嬢の私物を壊しただとか。何が気に食わないのか、妹は暴虐の限りを尽くした。
おおかた、家では世界一のお姫様かのような扱いをされていたのに、ここではそうではないから癇癪を起こしているのだろう。ここには本物のお姫様、王女殿下までいらっしゃるのだ。
学園内では「平等」が掲げられているのと、そうは言っても侯爵家には流石にへつらわねばという打算とで、妹の数々の悪行は大問題までには発展することなくここまで来ていた。
せいぜいが「生徒同士の小競り合い」で済んでいたし、そうなるよう俺も奔走した。
恐れ多くも王太子殿下のご指名で所属することになった生徒会の仕事でも忙しいのに、本当に頭にくる存在だった。
殿下にも「そなたも苦労するな」と微苦笑をいただいてしまった。
あの脳内お花畑は、何を勘違いしているのか殿下に分かりやすい秋波を送っていた。本当に勘弁してほしい。誰が毎度謝罪をしていると思っているのか。
殿下と少し親しく会話した令嬢に片っ端から因縁をつけている姿に、お前はどこから物を言っているのかと何度殴ってやりたくなったか。殿下に現在ご婚約者はいらっしゃらないので侯爵家の自分こそが相応しいと本気で思っているらしい。頭が痛い。
そんな、心休まることのない日々を過ごしていたある日。
「わ、わたし、じゃない、わたくし、心を入れ替えることにしましたの、お兄様」
妹は別人となった。
謙虚で、聡明で、愛らしい。
その日から、妹の評価は掌を返すように大きく変わっていった。
殿下を追い回し令嬢たちに嫌がらせをするのに使っていた時間を自己研鑽へと回すようになり、それまでつるんでいた取り巻きの令嬢たちからも距離を取るようになり、果ては図書室へ足繫く通っていたことから王女殿下と親しく会話をするようになった。
彼女も何か思うところがあったのかもしれないね。
妹の変化を、王太子殿下を始め、周囲はそんな風に好意的に受け止めていた。
けれど、でも、そう。
俺は、赤の他人に妹面をされて平気でいられるほど呆けてはいなかった。
あれはあいつではない。
あの日から失われた、あいつが不安を感じると厚かましくも俺を探す癖や、考え事をすると下唇を撫でる癖。他にも、いくらだって、あれがあいつではない証左は集めることができた。
あいつがあれほど鼻高々と見せびらかしに来た数々の趣味の悪いドレスや装飾品を金子に換えて、あれは事業を始めるのだと恥ずかしげに打ち明けてきた。
あいつの不出来な頭からは決して生まれることのない斬新な発想は、王太子殿下たちの目にも止まった。
あれほどに恋焦がれた殿下に、今となっては熱のない冷静な目で対応し、それに逆に好感を抱かれる。けれどそれには気付かない。陳腐な大衆演劇でも見ているような気分だった。
(よくも、――よくも)
あいつの顔も、体も、家族も、人生も。
何もかも、あいつのものであるべきで。
あいつが為した悪行すべての責任は、あいつが自分で取らなければならなかった。
それを、不当に奪い、踏み躙り、笑っているあれを、女を。許せるわけがなかった。
繰り返すようだが、仲は良くなかった。むしろ最低最悪だったと言える。
それでも、あいつは俺の妹だった。
だから、そう。
誰にも知られず殺されて、人生丸ごと奪い去られ、自分よりよっぽど上手に立ち回られてしまっている、あいつがあまりに哀れだから。
いいや、死者を言い訳にするのは見苦しい。
俺が、それを許せないから。
「だから俺は、お前を絶対に生かしてはおかないと。お前と初めて会ったあの日から。あいつが消えたあの日から。誓っていたんだよ。命を懸けて。だから、なぁ。厚かましくも人の妹の尊厳を踏み躙り続けてきたんだから。こうなる覚悟くらい、していただろう?」
別に実は可愛いと思っていたとか。そんなことは絶対にない。
というか、俺が侯爵家を継いだ暁には絶対に勘当してやるくらいは思っていた。
けど、それはそれ、これはこれ。
あいつの人生はあいつのものだった。
絶縁されて路頭に迷うのも、あいつが引き受けるべき選択肢のひとつだった。
それを、なぁ、お前。
いくら賢かろうと。いくら人格者だろうと。いくら人に愛されやすかろうと。いくらお前の方が妹の人生を上手に生きられようと。
それはお前のものじゃなかったんだ。
それをよくもまぁ、本当に。
厚かましいんだな、恥を知らないのか? そこだけはあいつといい勝負だな。
あいつは死んだ。お前が殺した。
ならば肉体も朽ち果てなければおかしいだろうよ。
屍肉でままごとなんざ、神経を疑う。
だから、さぁ、ほら。悪足掻きなんぞしてないで。
あいつの終わったはずの人生を無為に引き延ばさないでやってくれよ。
なぁ、人殺しさん?
そう囁いて、俺は嵐で氾濫した川へ突き落とそうとした女が必死の形相で橋のへりにしがみ付いている手を容赦なく蹴り飛ばし、彼女が汚い悲鳴を上げながら川へ呑み込まれていくのをじっと見守った。
愚かで無作法で可愛くもなかった俺の妹。
神様が温情を掛けてくださるのであれば、きっとお前はぎりぎり天国に滑り込めるかもしれない。悪行を積み重ねてはいたけれど、最後の一線をお前は越えることはなかったから。
だけどお前が天国行きで、俺が地獄行きなのはどうにも納得がいかないので。
どうか地獄で待っててくれよと。
この件を必ずや揉み消して、国の中枢で華々しく活躍して、大往生してから会いに行ってやるからと。
そんなことを考えながら、しっかりと証拠を隠滅してから帰路についた。
――愛していなかったけど、愛していた兄の話。