7.デブ、本割
ここ最近、葦乃浜は教室内に妙な雰囲気が漂っていることに気付いた。
一部のクラスメイトの表情が、やけに暗いのである。
(はて……あの辺、確かカップルと違たっけな?)
祥太郎としての記憶を手繰り寄せてみたところ、二年A組内には少なくとも五つのカップルが居た筈だ。ところがその五組の男女はいずれも、教室内で妙によそよそしく、顔も合わせようともしない。
男女間の話だからたまには喧嘩することもあるだろうし、場合によっては恋人としての関係を解消することもあり得るだろう。
しかし五組のカップルが一斉に、それも同じ様なタイミングでふたりの間柄に亀裂が入るという様なことが起こり得るのか。
どことなく作為的なものを感じた葦乃浜だったが、しかし自分には直接関係のないことでもあったから、違和感を覚えつつも静観することにしていた。
ところが、そんなことを思い始めてから二日程が経った或る日、思わぬ人物から相談を持ち掛けられた。
デッドカミングアウトの主人公である、英輔からだった。
「あの……駒崎クンさ、その……ちょっと、時間、あるかな……?」
昼休み、屋上で握り飯を平らげたところに英輔が随分と憔悴し切った様子で声をかけてきた。
自分の様な敵側三下モブに、まさか彼の方から声をかけてこようとは流石に思っても見なかった葦乃浜。
だが英輔の様子がどうにも気になった為、葦乃浜は隣に座れと目線で頷いた。
「あ、ありがと……」
尚も落ち込んだ様子で、英輔は祥太郎の規格外の巨体の傍らにそっと腰を下ろした。
ゲームの中であれば、まずあり得ない組み合わせだった。主人公の青年が敵のやられ役と並んで座る様なシーンなど、普通なら絶対に見られない光景だろう。
しかしここは、どうやら純粋なゲーム世界そのものではなさそうだ。
でなければ、祥太郎という存在が今のこの時点で、未だに生きて行動していることも無かったであろう。
「さて……えっと、暮坂くん。何であんたが、わしに声かけようなんて思うたんかな。多分、それなりの理由があってのことやろうけど」
なるべく相手を委縮させない様にと気を遣いながら、言葉を選んだ葦乃浜。
すると英輔は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべて祥太郎のデカい顔を覗き込んできた。
「駒崎クンは……前は、京極って奴のグループに、居たんだよね……でも今は違うって聞いたんだけど、本当にそうなのかな?」
葦乃浜は思わず眉間に皺を寄せた。
ここで英輔の口から蓮十郎の名が出てきたことで、一気にきな臭い方向に事態が転がり始めたことを悟ったのである。
もしかすると、ストーリーが大きく動き始めるのかも知れない。
それまでの呑気な顔つきから一転して表情を引き締めつつ、葦乃浜は静かに頷き返した。
「あいつらとは、もう手ぇ切ったよ。やることがいちいち、気に入らんかったからな」
「やっぱり、そうなんだ……瑠兎を助けてくれた時から、きっとそうなんじゃないかって思ってた」
一瞬だけ英輔は、安堵の色を浮かべた。が、その面はすぐに暗い感情に染まった。どうやらここからが本題の様だ。
「じゃあさ……京極が校内の女子を脅して、自分のハーレムに次々と引っ張り込んでるって話は、もしかして何も聞いてないかな」
「何? ハーレム?」
遂に来たか――葦乃浜は我知らず、奥歯をぐっと噛み締めた。
実はデッドカミングアウトのゲーム内でも、蓮十郎は同様の手段でハーレムを築き上げようとしていた。
例えばカレシが居る女子ならば、その最愛の恋人を傷つけて欲しくなければオレのオンナになれ、などといって脅す訳である。そしてもし仮に脅された女子が拒絶すれば、その恋人である男子をリンチして病院送りにしてしまうのだ。
普通に考えれば、こんなのは脅迫罪に加えて傷害罪が適用される話なのだが、ここはゲーム世界であり、警察の力や司法の捜査力が極端に弱い。
その為、蓮十郎の如き無法な振る舞いが当たり前の様に通用してしまうのである。
脅された女子生徒らが泣き寝入りしなければならないのは、その様な理由があったからだ。
そして英輔は語る。
その蓮十郎の魔の手が、瑠兎にも及んでいるのだと。
「瑠兎は、幼馴染みのボクを脅迫材料に使われてしまったらしいんだ。だから、あいつはボクを守る為に京極のハーレムに……」
「あい分かった。皆までいうな」
悔しげに目尻を光らせている英輔の言葉を、葦乃浜は途中で遮った。
もうこれ以上の説明は必要無い。
恐らく英輔は、出来れば自力で瑠兎を助け出したいと思っているのだろう。しかし今の彼は余りに非力だ。
そこで彼は、かつては蓮十郎の一味であり、しかも戦闘力では校内でもずば抜けている駒崎祥太郎に救いを求めることにしたのだろう。
そして英輔に頼られた葦乃浜としても、これは捨て置けぬと即座に判断した。
(これを見捨てたら、力士の品格に関わる)
力士の品格とはいわば模範になるべき態度と意識を指すが、特に横綱に求められる品格としては『相撲に精進する気迫』『地位に対する責任感』『社会に対する責任感』『常識ある生活態度』が求められる。
葦乃浜も横綱を目指す以上、これらの意識を強く持たなければならない。
そして蓮十郎の常軌を逸した犯罪行為を厳しく戒めるのは、社会に対する責任感と常識ある生活態度を正しく示すことに他ならないだろう。
(あのガキ共……ちょっとキツめにかわいがってやらんといかんな)
相撲の世界でいうかわいがりとは、部屋の稽古で兄弟子が弟弟子の心身鍛錬の為に胸を貸し、通常よりも厳しいぶつかり稽古を行うことを指す。
蓮十郎とその一味に対しては、その性根を叩き直す為にも、少しばかりキツめのかわいがりが必要だと判断した葦乃浜。
彼は拳を握り締めて、ゆっくり立ち上がった。
「暮坂くん。今日中に初日、出そか」
初日とは、或る場所で力士が二日目以降に初めて勝利した日のことをいう。
既に蓮十郎が瑠兎を脅して自らのハーレムに引き込んだというのであれば、最初の勝利はまず向こう側だ。
「あっちが横綱のつもりで居るんなら、ちょっと金星狙ってやらんとな」
葦乃浜は右掌で自身の腹をバシっと叩いた。
土俵に塩を撒いた直後の気分だった。