6 ◇ ウィリアムの準々決勝
全7話執筆済。基本毎日投稿予定です。
「ッ、……ハアッ……ハッ……ハッ……うっ、げほっ!かはっ……」
目の前には、へたり込んだまま苦しそうに肩で息をするラスティーナ嬢。
俺はその姿を呆然と見下ろしていた。
…………手加減が、できなかった。
武闘家として彼女を軽んじる気はなく、もとから全力で戦うつもりでいた。
ただ、俺は自惚れていたのだ。「今の俺の実力ならば、勝利を手にした上で、彼女に負わせる傷も最小限に留められるだろう」と。
しかし結果はこの様だ。
一戦目の開始直後は、珍しく彼女が集中しきれておらず何かに動揺していたため、隙をついて速攻で勝ちを得ることができた。
だが二戦目はそうはいかなかった。しっかりと切り替えて意識を集中させてきた彼女は……強かった。とにかく気迫が凄まじく、彼女の「絶対に負けられない」という覚悟を感じた。
さらに厄介なことに、俺の技や癖の分析と対応力が今回は異常なほど正確だった。
初めて彼女と手合わせしたときから度々感じていることだが、彼女は俺が相手のときが一番強い。
ガイルとの手合わせの際には、意表を突かれたり読み合いが噛み合わなかったりして彼女がペースを崩してしまう様子もしばしば見られるのだが、俺に対しては何故かそういった隙を見せない。俺の動きを毎回完全に予測し読み切っているのが視線で分かる。ただ読み切ったところで彼女の肉体が俺の速さと力に追いついていないため、俺が毎回勝てるというだけだ。彼女がもし俺と同じ身体能力を持っていたら、負けるのは100%俺の方だろう。そのくらい、彼女は俺の思考を理解している。
だからこそ俺は今大会で「対策」をしていた。
彼女にもセヴ殿にも知られないよう秘密裏にいくつかの新技を完成させておき、それを準々決勝まで一度も使わずにずっと切り札として隠し持っていたのだ。
彼女にとって俺は相性有利な相手なのだろう。だが、さすがに初見の技には対応しきれないはずだ。──そう考えていた。対策は万全だったはずだ。
……それなのに。
彼女は俺の切り札にも即座に対応してきた。
まるで、俺の技をすべて知っているかのように。
技の特徴も、威力も、弱点も、すべて正確に把握していた。
そしてその対処法も、完璧だった。
だからこそ俺は焦ってしまった。
動揺しつつも、絶対に負けるわけにはいかないと自分に言い聞かせ、力で押し切って勝ちにいった。
………………そう。そうだ。
なりふり構わず、戦ってしまった。
骨を何本か折った感触があった。
剣で深々と切りつけた手応えがあった。
返り血を浴びて視界が悪くなり思わず舌打ちをした。
あれは、すべて……すべて、ラスティーナ嬢の──
試合が終わり冷静になり、目の前の事実を脳が理解した瞬間、俺は発狂しそうになった。
叫びたい衝動にかられ無意識に口を開こうとしたが、喉が締まり息が詰まった。手が痺れて動かない。顔が青ざめているのが自分でも分かる。
側から見れば滑稽に口を開いて無言で彼女を見下ろす間抜け面にしか見えないのだろうが、俺はこの瞬間、ただただ息ができず苦しみながら混乱していた。
「……うぅっ……うっ、うわあぁぁああーーん!!」
「……っ!」
いよいよ酸素が足りず飛びそうになった俺の意識を引き戻したのは、俺より先に壊れたように泣き出した彼女の声だった。
「うぁああーーーーん!!勝たなきゃ、勝たなきゃいけなかったのに!!わたくしが勝たなきゃ……ひっ、げほっ、ゔうわぁぁーーーん!!」
ラスティーナ嬢は普段の美しい貴族令嬢としての立ち居振る舞いなど忘れてしまったかのように、人目も憚らず、大声で幼い子どものように泣きじゃくっている。
「ゔっ、かっ……ごふっ、ひっぐ……ううっ、うわぁぁん!!ウィル様が死んじゃう!わたくしのせいで……うっ、うわぁーーん!!がはっ、うっゔぅーーーっ!!」
泣き叫びながら時折り血を吐き、咽せ込むラスティーナ嬢。彼女も彼女で興奮状態で錯乱気味なのだろう、痛みを感じていないかのようにボロボロと大粒の涙を流し続けている。
彼女の姿は痛々しく、胸が締め付けられる。何より、これ以上泣いてその身体に深刻なダメージを負わせるわけにはいかない。
何とか我に返った俺は、自分が彼女を傷つけた張本人だということも、王子という立場も忘れて、ただ「彼女を早く泣き止ませて落ち着かせなければ」という一心で彼女に駆け寄り跪いた。
そして彼女の肩に左手を置き、右手で彼女の手をそっと抑えて膝へと下ろした。溢れる涙を両手でぐしぐしと拭っていた彼女は、俺の手の感触に気付いてハッと驚き、こちらを向いて固まった。
丸く見開いた藍色の瞳が潤んでいる。涙のせいで化粧が落ちたせいか、普段よりそばかすがはっきりと見える。驚きのあまり泣くのを忘れてポカンとしている彼女の顔を見つめながら、俺は何も考えずに、ただ口が勝手に動くままに言葉を発した。
「泣かないでくれ、ラスティーナ嬢。俺は死なない。必ず優勝して国に帰ると約束する。」
俺は手に力を込めて続けた。彼女に俺の言葉が届くように。必死だった。
「帰ったら貴女に話したいことがある。どうか信じて待っていてくれないか。」
「ウィル様……」
震える声で小さく呟く彼女を見て、落ち着いてくれたかとほっと気を緩めたのも束の間、彼女はこの世の終わりのような絶望の表情で言った。
「どうして……どうしてそんな『死亡フラグ』を立てちゃうの……?」
──死亡フラグ?
「う、嘘よ……嘘でしょ?嫌、いやよ、いや……死んじゃいや……!うっ、うわぁああーーーん!!!」
「ラスティーナ嬢?」
「うわぁぁーーん!!爺や、爺やーーーっ!!ウィル様が、ヴィルざまがあぁぁーー!!うっ、ゔぅげほっ、かはっ、うぅーーーっ!」
戸惑い硬直する俺の目の前でまた泣き出した彼女は、俺の手を振り解くようにして立ち上がり、後方に控えていたセヴ殿に抱きついた。
……それからのことは、本当に記憶に無い。
気付いたら彼女もセヴ殿もいなくなっていて、ただその場に膝をついたままの俺だけがいた。
「…………ウィル。」
背後から気まずそうなガイルの声がした。
放心していた間、ずっと俺のことを心配しながら黙って側に居たのだろう。どのくらい待たせてしまっていたのだろうか。
彼の声に今度こそ正気に戻された俺は、静かに目閉じて溜め息をひとつつき、立ち上がった。
「すまない、ガイル。……………行くか。」
俺の声を聞いたガイルから、ほっとしたような声音の返事が返ってきた。
「ああ。ここまできたら優勝して帰ろうな、ウィル。」