4 ◇ セヴ・ドットー
前話から少し進んで、ゲーム「ロード・オブ・ファイター2」の後。ウィリアムの大会初出場後のお話になります。
ラスティーナ、ウィリアム、ガイルが15歳のときです。
全7話執筆済。基本毎日投稿予定です。
「そう畏まる必要はない。人払いも済ませてある。
どうか顔を上げて楽にしてくれ。」
「それでは、お言葉に甘えまして。失礼いたします。
……して、ラスティーナ様ではなく私めをお呼びになられた理由をお伺いしても?」
ハイツェンベルン家の執事【セヴ・ドットー】として勤めて早10年。お嬢様にお供させていただき登城することはあれど、一人で王宮に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。
老いぼれの自分を招いた目の前の第一王子【ウィリアム・アルガイズ】様は、晴れ渡った空のように澄んだ色の瞳をしっかりとこちらに向けたまま口を開いた。
「単刀直入に言おう。
セヴ殿。どうか私にも武術を指南していただきたい。」
予想通りではないが、予想外という程でもない。
その強き瞳を見たときから、王子の意思は察していた。
分かりきったことではあるが、建前で問いかける。
「私めは一介の執事にございます。
多少の武芸の心得はございますが、我が国随一の剣豪であられるウィリアム様の師というのは、我が身には分不相応であるかと。」
ウィリアム王子も自分の返答を当然予測していただろう。微塵も表情を変えないまま頷いた。
「大変申し訳ないが、貴殿のことを調べさせてもらった。
貴殿がラスティーナ嬢付きの執事となったのは、彼女が5歳のとき。今から10年前だ。そして彼女が6歳になった頃から、彼女の武術の師も務めるようになった。」
「左様にございます。」
「ハイツェンベルン家に仕える前は、Zxの武力部隊に所属していたのだろう?総隊長【アックス=070A=ルストル】とは貴殿のことではないか?
……ああ、先に言っておくがハイツェンベルン家一級執事『セヴ・ドットー』殿には何の問題もない。」
以前から薄々感じてはいたが、なかなか肝が座った御仁だ。
「問題ない」というのは、つまり「組織Zxの構成員であった事実、戸籍偽装、不法滞在。これらを黙認にする代わりに要求を飲め。」ということだ。
この部屋には自分とウィリアム王子、その横に控える少年護衛騎士ガイル殿の三人しかいない。扉の向こうにも人の気配は感じないので、徹底的に人払いをしてあると思われる。
王子の狙いは恐らく「三人の秘密の共有」による取引の成立だ。
誰かが口外すれば皆無事では済まない。
自分は罪人なので投獄もしくは処刑が確定。それだけならまだマシなもので、最悪なのは自分の正体を知るハイツェンベルン侯爵や、その妻子である奥様とお嬢様までもが罪に問われてしまうことだ。
ウィリアム王子とガイル殿も然り。罪人を意図的に放置する行為は立場上決して許されない。第一王子を蹴落とそうとしている国内の敵対勢力に付け入る隙を与えてしまうことになり、一気に失脚まで持っていかれるだろう。
そこまでして自分にこの話を持ちかける理由、それは──
「『ロード・オブ・ファイター』でございますか。」
ウィリアム王子はつい先週、あの悪魔の大会「ロード・オブ・ファイター」から生還した。
驚くべきことだ。弱冠15歳で招待状を手にしたことも、そこで死ななかったことも。その上、ただ生き延びるだけではなく「私の正体」という収穫まで得るとは。
たしかにあの場では、あらゆる人間が持つ様々な情報や噂が飛び交うが、それらを集めれば集めるほど敵も増え、命も狙われやすくなる。
よくもまあ、若いのにそんな危険を冒してきたものだ。
「そうだ。話が早いな。
セヴ殿、貴殿は12年前『ロード・オブ・ファイター』にアックス=070A=ルストルの名で出場し……決勝戦を棄権し失踪したそうではないか。
私は先日、準決勝で無様に負けたからな。貴殿には未だ遠く及ばない。」
「その御年で準決勝まで勝ち上がられた御方など、過去一人たりともおられませんでした。ウィリアム様の天賦の才には私めなど到底敵いませぬ。」
「そうか。では貴殿の指導を受ければ、次大会での私の優勝は盤石だな。」
本気なのか冗談なのか、反応に困ることを真顔で言い放つウィリアム王子の横でガイル殿が笑うのを誤魔化すように小さく咳払いをした。
本人の言う通り、ウィリアム王子ならば確実にロード・オブ・ファイターの称号に手が届くだろう。お嬢様との初試合の日の衝撃を思い出す。底知れない若き「真の天才」の圧倒的センスに、柄にもなく一人の武闘家として身震いしたのを覚えている。
……さて。
どちらにしろ自分には王子の依頼を引き受ける以外の選択肢などない。
ないのだが、不敬を承知で、興味本位でひとつ訊いてみることにした。
話の内容からも本人と護衛の気配からも、こちらへの敵意は感じられない。となれば、多少は爺の雑談にも付き合ってくれるだろう。
「私めの力など無くとも、ウィリアム様ほどの御方であれば、4年後には頂点に達するでしょう。
自ら申し上げるのもおかしな事ではありますが……私めのような怪しい者との接点を増やすのはウィリアム様にとって不利益の方が大きいのではございませんか?」
「……それは、」
すると、先ほどまで一切の澱みなく話していた王子が、僅かに瞳を揺らして言葉を詰まらせた。
瞬間、ガイル殿がニヤリと口角を上げる。この護衛騎士も、なかなかに不敬である。
王子はガイル殿を嗜めるように一瞥すると、軽くため息をついてまたこちらに瞳を向けた。
その瞳はもう揺らいではいなかった。
そして、まるで夜明けのように暗さと眩しさが混ざった空の色をしていた。
──空色の瞳は『主の心』を映すんだったな。
そして王子は、はっきりと言い切った。
「ただ優勝するだけでは足りないのだ。私は、ラスティーナ嬢の命も守り抜きたい。」
やはり、そういうことか。
「……ご存知でしたか。お嬢様のご意志を。」
お嬢様はご自身の夢を周囲に隠していた訳ではない。
ガイル殿にも直接お話されていたのだから、王子の耳に入っているのは至極当然のことと言えよう。
「ああ。以前ガイルから伝え聞いた。
『ラスティーナ嬢はロード・オブ・ファイターに出場しようとしている』と。
そしてそれが何を意味するか、先日この身をもって体験した。」
「……ウィリアム様。」
彼の結論を察しながらも、ただ大人しく彼の言葉の続きを待つ。
「凡人から見れば、彼女は間違いなく『天才』だろう。
だが、貴殿や私から見れば、彼女は『凡才』だ。
加えて……これを口にするのは心が痛むが……性差の問題もある。彼女は現在15歳。今後さらに女性としての身体的成長を遂げるだろう。私のような男性に比べ、その変化は武術の妨げになる場合も多い。
これからも修行に励むであろう彼女は、4年後、確実に今以上には強くなる。ロード・オブ・ファイターへの出場にも手が届くだろう。しかし、端に届くだけだ。……決して優勝には届かない。」
「…………。」
「私は彼女の弛まぬ研鑽に日々刺激を受けてきた。一人の武人として、心から尊敬している。
……だからこそ、恐ろしくなった。
彼女の死が。」
知識として頭にあることと、実体験として肌で感じること。それらはモノによっては天と地ほどの差がある。
王子は先の大会で、それを実際に理解したのだろう。
参戦した本人にしか分からない、あの大会の「死の近さ」を。
「彼女が大会に参加した場合、試合の中で狂人の手にかかってしまう可能性ももちろんある。
だが、どちらかというと私や貴殿の問題に巻き込まれる可能性の方が高いだろうな。
同国の有力貴族の娘で婚約者候補の筆頭。本人の言動も踏まえれば、私と彼女の繋がりは明白だ。
そしてセヴ殿の因縁の相手。そちらも当然彼女の存在には辿り着いているはずだ。」
王子はそこまで言った直後に、はたと自分の失言に気付き目を伏せて首を振った。
「ああ、すまない。要らぬことまで言ってしまったな。」
「滅相もございません。すべて事実ですから。」
──恐ろしいことだ。この王子はそこまで知っていたのか。
「……そうだな。ここまで貴殿や彼女への非礼を重ねておいて、今更濁すこともないか。
そうだ。貴殿が察する通り、私は半ば確信している。
『ラスティーナ嬢は4年後の大会で確実に命を落とす』と。
だからこそ、貴殿の力が必要なのだ。」
──あの日の痛みが蘇る。
「私一人では決して成し得ない。」
──自分は、できなかった。
「すべての闇から彼女を守り抜き、ロード・オブ・ファイターとなる。その強さが私には必要だ。」
──自分は、『彼』を守れなかった。
「私でなくてよい。国でなくともよい。貴殿の心の内にある『彼女への忠誠』を、どうか私に賭けてくれないか。」
そう言って、あろうことか王子は自分に向けて頭を深々と下げた。
音ひとつない静寂に包まれた空間。
頭を下げたまま微動だにしない、目の前の若者の姿に目頭が熱くなる。
「かしこまりました。謹んでお受けいたしましょう。」
「……感謝する。」
「感謝するのは私めの方でございます。お嬢様をお守りするのに、老いぼれ一人の命では足りませんから。
ですからウィリアム様、どうかお顔をお上げくださいませ。」
自分の言葉を受けたウィリアム王子は緊張を解いたのか、ふっと纏う気を緩めた。
瞬間。その瞳は、まるで温かな春の昼下がりのように穏やかな空色になった。
──ウィリアム王子。貴方と彼は容姿が違えど、その強く温かい瞳の色だけはまったく同じだ。懐かしい。
「…………………本来ならば『ラスティーナ嬢がロード・オブ・ファイターを諦める』のが一番簡単なはずなのだが。」
ボソリと不満を呟く第一王子の姿に、今度こそ耐えきれなかったのか、隣の護衛騎士が「ブフッ」と吹き出す声がした。
そして、気付けば自分も笑っていた。
「ほっほっほ。ええ、おっしゃる通りで。」
そう結局は、至極単純。
たった一人の恋する少女のひたむきな暴走を止めることができずに、ただ我々は頭を抱えているだけなのだ。
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◇◇◇◇◇◇
「アックス。どうせ僕を監視している間は暇なんだろう?話し相手になってくれよ。ただでさえ気が滅入りそうなんだ。人間らしい会話すら忘れてしまったら発狂してしまうよ。」
「アックス。お前はここの食事をどう思う?意外と味は悪くないが、こう、風情がないよな。完全栄養食って感じでさ。特にこの缶詰とか。中身は何なんだ?やばい肉じゃないよな?──おーい、聞いてる?」
「アックスは意地でも喋らないんだな。いいよもう。僕だけ勝手に喋るから。壁に話すよりマネキンに話してる方がまだ会話してる気になれるし。」
「──でさぁ、その屋台で食べる豚巻き林檎が世界で一番美味しい食べ物だと思うんだ。あ、嘘だと思っただろ?今眉毛が動いたの見たからな。もし任務で僕の故郷に行くことがあったら騙されたと思って食べてみてくれ。世界が変わるから。」
「あ、なあ!昨日お前が呼び出されたとき部下から『隊長』って呼ばれてなかったか?ただの警備のオジサンじゃなかったんだな。もしかしてアックスってけっこう偉い奴?もしかして僕って、Zxにとってかなり重要な捕虜だったりする?いや、被検体?人質か?ははっ!……はぁ〜ぁ。」
「………………あ……ああ、アックスか。お前の顔見て気が抜けるなんてな。だいぶ僕も狂ってきちゃったな。……っ、違う!狂ってるのはお前らだ!僕を家に帰らせてくれ!!お前らが望んでるものは僕は持ってない!!ふざけるなよ!!なんなんだよ!どいつもこいつも!!」
「……へ?アックス、お前……今、喋った?もしかして昨日僕が取り乱してたから?同情?……何だよそれ。腹立つ。」
「──って思ったけどさ、やっぱり一晩経って考え直したんだ。なあアックス。どうせならこれからも僕の話し相手になってくれよ。もうこれ以上、気を滅入らせたくないんだ。いいだろ?」
「なあなあ、アックスの趣味は?……無いのか。じゃあ休日何してるんだ?……無いのか。……は?!無いって休日が?!1日も?!おいおい、休日くらい申請しろよ!」
「なあなあ、アックスは何が好きなんだ?……特に無いのか。僕はアレだよ。……そうそれ!よく覚えてたな!……いやだから本当だって!豚肉と林檎の組み合わせが不味いわけないじゃん!」
「なぁ〜、アックスが無趣味無関心な仕事人間なのは分かったからさ、うーん、何でもいいや。読んだ本の内容とか話してくんない?」
「なぁ〜、アックスが意外と博識なのは分かったからさ、うーん、何がいいかな。今度は面白そうな小説読んでくんない?恋愛小説とか。……嫌?なら推理小説とか。」
「おい!推理小説の要約すんなよ!被害者と犯人からいきなり説明すんな!」
「……アックスってさ、家族いる?」
「…………そっか。うん、ごめん。無神経だった。辛いこときいちゃったな。……は?『それが普通』だなんて言うなよ!この組織は狂ってるんだ。ここで生まれ育ったアックスはまだ『幸せ』を知らないだけだ!」
「……アックス。ここだけの話なんだけどさ、僕には実は双子の妹がいるんだ。顔も似てないし、孤児院からは違う時期に別々の家に引き取られて出たから、今となっては僕と妹しかそのことは知らないかもしれないな。【アン】っていうんだけどさ。元気にしてるかな、あいつ。」
「なんとなく分かってるよ。僕の血筋に、何か『鍵』があるんだろ。Zxが欲しがるほどの何かが。総隊長のアックスを付けてまで徹底的に逃さず生かそうとする理由が。ま、拷問されたって僕も何だか分かんないから何も答えられないんだけどさ。……見つかって捕まったのが、アンじゃなくてよかった。」
「うん?『自分にアンの話をしてもいいのか』って?そりゃ今更だろ?ははっ。僕ってさ、人を見る目はある方だと思うんだよ。アックス。お前は『友達』の秘密を漏らすようなやつじゃない。」
「……え?僕はアックスと『友達』になれて良かったと思ってるよ。そうじゃないって?……そっか。じゃあ、アックスの『友達』第一号は僕だな!」
「…………なんだって?アックス。もう一度言ってくれないか?
僕の国の新国王妃の名前を。」
「ここから逃げなきゃ!アンが危ない!……くそっ!僕がここにいればアンは無事でいられると思っていたのに!」
「っ!ここを開けてくれ!アックス!僕は行かなきゃいけないんだ!」
「この部屋から出られたとしても5秒で捕まって手足を切り落とされるって?!うるさい!そんなことは分かってる!それでも何もしないわけにはいかないんだ!このままだと……アンまで……っ!!」
「そこをどけ、アックス。僕はお前を倒してでも行くぞ!
…………は?今、お前なんて──……」
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「爺や!爺や!!勝ったわ、勝ったわよ!!」
お嬢様が息を切らせながら振り向いた。
嬉しそうなお姿に、自然とこちらの頬が緩む。
「ええ、ええ。お嬢様。見ておりましたとも。お見事でございました。爺めは感激にございます。」
「お世辞なんて言わないで。全然いい試合じゃなかったのは分かってるわ。
正攻法じゃ絶対敵わないって分かってたから、しゃがみ小キックを隙を見て打ち込んであとは逃げ回って時間切れさせただけだし。周りからのブーイングもすごかったし。」
「ほっほっ。充分でございますよ。
お嬢様は正しく相手を見極め、戦略を立て、勝利を納めたのですから。誇るべきことです。」
「爺やったら。褒めても何も出ないわよ。
でも……そうね、ようやくここまできたわ。次はいよいよ準々決勝。わたくしの対戦相手はウィル様で間違いないわ!」
──これは奇縁か、因縁か。
ロード・オブ・ファイター。
16年前、ここで自分は何もかも失った。
組織Zxから与えられた常識も、価値観も、地位も、忠誠も、名前すらも。そして、それらすべてを捨ててでも守ろうとした、たった一人の「友」も。
自分はあのとき、友を連れて組織から逃亡しようとした。成功する可能性はほぼ無かったが、それでも命を懸けて彼と共に行くことを決めた。
どうせ失敗するなら、二人とも命を落とした方が、まだ幸せだったのかもしれない。
だが結果はこれだ。生き延びるべきだった彼が死に、空っぽで何もない自分だけが生き残ってしまった。
みっともなく死に損なった自分は、せめて彼の遺志だけは継ごうと、組織の追っ手を振り切り、彼の祖国へと向かい……1年かけて辿り着いた。
だがそこにはもう、彼が守ろうとしていた妹……アンもいなかった。
──【アンヴェリテ王妃】急死。
国中にばら撒かれていた号外のビラが、無情で残酷な現実を突きつけてきた。
生きる理由すらも失った瞬間だった。
それからしばらくのこと。死に場所を求めて彷徨う名もなき浮浪者だった自分を拾い上げ、執事【セヴ・ドットー】という新たな人生を与えてくださったのが、ハイツェンベルン侯爵……今のご主人様だ。
物好きでお優しいご主人様には、目に入れても痛くないほどに溺愛されているお嬢様がいらっしゃった。
それが、ラスティーナ様。
自分はその戦闘の腕を買われ、お嬢様をお守りするための専属執事となった。
いち侯爵家の執事として、これから平凡に平穏を過ごして人生を終えていくのだろうと思っていた。
組織にはこちらから関わろうとしない限り、もう存在を知られてしまうこともない──はずだった。
お嬢様が、ウィリアム様に一目惚れをするまでは。
……ウィリアム・アルガイズ第一王子。
亡き友の妹、アンヴェリテ王妃の忘形見。
空色の瞳を継承する世界でたった一人の人物。
──これはきっと、運命だ。
「ウィル様にも……わたくしは負けない。……勝ってみせるわ!見ていてちょうだい、爺や!」
「ええ、もちろんです。」
力強く拳を握るお嬢様を見つめながら、自分も静かに決意する。
そして16年前のあの日に守れなかった約束を、もう一度口にした。
「どうかそのまま、心のままに、立ち止まらずに、前へ進んでください。
何があろうと、あなたの背中はこの自分が、命に替えてもお守りします。」