1 ◇ ラスティーナ・ハイツェンベルン
「小説家になろうといえば異世界転生かな」と思い、勢いだけで書いたものです。
二番煎じかと思いますが、自分なりに楽しみながら書きました。温かい目で見ていただけたら嬉しいです。
全7話執筆済。基本毎日投稿予定です。
転生したら、なんと乙女ゲームの世界のキャラに生まれ変わっていた!!
……という設定の小説が流行っていることは知っていた。
小説を読んだことはないけど、漫画化されていたものを表紙買いしてみたり、アニメ化されていたものを視聴してみたこともある。
でも正直なところ、私は乙女ゲームをやったことがなかったから界隈のセオリーや鉄板ネタにほとんど反応できず、結果として転生恋愛モノのストーリーにはあまりのめり込むことができなかった。
だから私は、しがない女子高生の自分が異世界転生したと気づいたとき、二重に衝撃を受けた。
「ウッ……まさか私が異世界転生するなんて……!
こんなことなら乙女ゲームの一本でもクリアしておくべきだった──
──……って、え、ちょっと待って?!
これ、私がやり込んでたゴリッゴリの『格闘ゲーム』のキャラなんですけど?!?!?!」
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
まるで地球……っぽいけど、絶妙に地球じゃない、似たような文明でちょっと違う、でもほぼ地球みたいな世界。
そんな世界の、君主制の国の一つ。
その国の侯爵令嬢【ラスティーナ・ハイツェンベルン】6歳。
これが今の私。
そして、転生先だと気付いた格闘ゲームの名前は「ロード・オブ・ファイター」シリーズ。
〈ロード・オブ・ファイター。
謎の組織 Zxによって4年ごとに開催される大会の名であり、優勝者に贈られる称号の名でもある。
この最強の証を手に入れた者は、一国家に匹敵するほどの巨万の富を得るだけでなく、世界に名声を轟かせ強大な権威を示すことができる。
己の力を試す者、
金で人生逆転を狙う者、
組織の闇を暴かんとする者、
因縁の人物を追って参加する者、
譲れない想い、叶えたい夢をもつ者……
それぞれの思惑と欲望が渦巻く大舞台。
ロード・オブ・ファイターが、ここに開幕……!!〉
ゲームの設定はこんな感じだった。よくある格ゲーの世界。
世界中から猛者が招待され(稀に乱入もあり)、己の拳で、武器で、一対一で闘う。
格闘家、警官、王子、暗殺者、社長、不良、芸能人、科学者、ロボット、熊……古今東西老若男女たまに人外とにかくいろんなキャラが出てくるけど、その中で私【ラスティーナ】は、シリーズ第3作に登場する所謂「ご令嬢キャラ」だ。
ド金髪の縦ロールに大きな青いリボン。
水色の膝丈ドレスにヒールの高い白ブーツ。
専用武器はサファイアをふんだんにあしらった特別製の鞭。
勝利時は腰に手を当て、髪をバサっと払いながら高笑う。勝利ボイスは「オーッホッホッホ!わたくしに勝とうなんて、なぁ〜んて身の程知らずなのかしら!」
敗北時は白いレースのハンカチを握りしめ、相手を涙目で睨みつける。敗北ボイスは「キィーッ!このわたくしが負けるなんて………覚えていらっしゃい!爺や、行くわよ!車を出して頂戴!!」
中身も見た目の通りそのまんま。
主要キャラではないから、特に深い設定はない。
出身国の第一王子【ウィリアム・アルガイズ】……通称【ウィル様】に惚れていて、彼と結婚するべく日々奮闘している。
「ロード・オブ・ファイターの称号を手に入れれば望みがなんでも叶うのよ!優勝して世界一になって、ウィル様と結婚するの!」
というなんともお気楽かつメルヘンな動機で大会に参加するのだ。
軽い。軽すぎる。
ちなみにそのウィル様は、ゲームのパッケージにも堂々と描かれていた主要キャラの一人で、シリーズ第2作から連続で登場している。
格好いい銀髪に、神秘的な空色の瞳。
格ゲーのキャラにしては細身だけど筋肉質な身体。濃紺の騎士服に臙脂のアシンメトリーのマントがよく映える。とにかくクールでロイヤルなオーラが全身から放たれているウィル様。
そして何を隠そう私は、前世ではウィル様ガチ恋ガチ推しの「ウィル様使い」のプレイヤーだった。
発売前のPV映像をたまたま見かけて、ウィル様に一目惚れ。そこから私は格闘ゲームに目覚めた。
絵や小説で二次創作するセンスはなかったから、ひたすらゲームをやり込んでウィル様の格好良さを堪能するしかなかった。ウィル様の技も台詞も限定ダウンロード衣装も、今でも全部鮮明に思い出すことができる。
ウィル様を名実ともに世界一のキャラにしたい一心で、オンライン対戦や公式大会にも手を出して、寝る間も惜しんで戦いまくっていた。……女子高生だった私は界隈で確実に浮いていた。
そんなウィル様の大会の参加動機は以下の2つ。
──国家転覆を目論む裏切り者を探し出すため。
──ウィル様のお母様【アンヴェリテ王妃】の死の真相を暴き、黒幕に復讐するため。
重い。重すぎる。
ラスティーナとウィル様の動機、足して2で割るくらいがちょうど良い気がする。
………さて。
簡単にゲームの設定を振り返ったところで、いま目の前にある問題を考えなければ。
問題は2つある。
まず1つ目。
私ラスティーナが初登場する格ゲー「ロード・オブ・ファイター3」は、今から13年後……つまり私が19歳のときに開催される。
その登場人物たちの中でも、私はキャラランク最下位と言っていいほどに「弱い」。とにかく貧弱なのだ。
攻撃力が低く一撃が軽い。
耐久力も低くただの殴りでも大ダメージを喰らう。
登場キャラの中では小柄な方で、殴りや蹴りといった小攻撃のリーチも短い。(それでも19歳のラスティーナは身長171cmという設定だったはず。周りが皆、大き過ぎる。さすが格ゲー。)
鞭による攻撃動作はいちいち派手で隙ができやすい。
格ゲーマー達からは完全にネタキャラ扱いされていて、オンライン対戦での使用率はほぼ最下位だった。
申し訳ないけど、私もラスティーナはストーリーモードでしか使ったことがない。
このままでは、13年後にもし大会に参加したとしてもボッコボコにされるだろう。
……いや、ボッコボコになるくらいならまだいい。
困ったことにこのゲーム、ストーリーモードの敗北ムービーでは普通に失脚したり殺されたりすることもあるのだ。
分かりやすく例を挙げてみると……
もしラスティーナが大会で「ウィル様と対戦した」場合。
この場合は、勝ち負けどちらであっても両者生存。特殊会話が発生して終わり。
しかし「とある暗殺者キャラと対戦して敗北した」場合。
──ラスティーナは死ぬ。
この暗殺者キャラは、面識のないキャラはただ殺していくのだ。因縁がある相手以外はゴミのように扱う。
……こんな感じ。
他にも、そもそも「世界征服」だの「戦争」だの、恐ろしいことを企んでいるキャラもいる。危険で過激な人物は格ゲー内では珍しくないけど、いざ現実で遭遇するとなると洒落にならない。怖い。
大会に出なければ生き延びることはできる。でも優勝者によっては世界全体の破滅が待っているかもしれないから、「大会に関わらずにひっそり生きよう」という決断もそれはそれで少々危険ではある。
そして問題、2つ目。
私の命の危険がどうこうといった1つ目よりも、ある意味では重大なことかもしれない。
6歳の今日……今から約3時間前に、私は前世を思い出した。
きっかけは単純。
ラスティーナとしては初めての、私としては二度目の「一目惚れ」が引き金だった。
王都の祭典に来ていた私は、今世でウィル様を初めて目にした。ラスティーナと同い年の、まだ幼い王子のウィル様を。
その瞬間、衝撃が走った。
雷に打たれたような、
目の前で光が弾けたような、
世界に鮮やかな色がついたような、
嬉しさと苦しさに涙が出てくるような。
──運命の人に出会えたと思った。
そして私は、咄嗟に、無意識に、衝動的に、ラスティーナのストーリーモードのプロローグにあったあの台詞を叫んでいた。
「──見つけた!
わたくしの運命の人!!
ぜったいにあなたと結婚するわ!!」
一目惚れさえしていなければ「大会に関わらずに大人しく世界平和を祈る」という選択肢もあったかもしれない。でもウィル様がこれから先に足を踏み入れる世界を知っていながら、見て見ぬ振りなんてできない。
何故なら、惚れてしまったから。
ただの令嬢であるラスティーナがウィル様を確実に救う方法はロード・オブ・ファイターの優勝ただ一つ。
格ゲー世界の異世界転生。真っ向から攻略するしか、道はない。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「……ねえ、爺や。」
カチャリ。
令嬢にあるまじき音を立てながらラスティーナはティーカップを置いた。
「なんでございましょう。お嬢様。」
側に控える老獪な執事は、眉ひとつ動かさない。
そんな彼に向かって、言葉を続ける。
「わたくしに何か、渡すものがあるのではなくて?」
「……何のことでございましょう。」
「とぼけても無駄よ。
来ているのでしょう?わたくし宛に。
『ロード・オブ・ファイター』の招待状が。」
「……っ!」
記憶を取り戻してから13年間。
……長かったわ。
そして、辛く、苦しかった。
あの日から私……いえ、わたくしは、修行を始めた。
すべてはラスティーナとして、生涯をかけた恋に生きるため。
そして、わたくしは気付いた。
たったひとつの簡単なことに。
──「強くなる」のは苦しくて、辛くて、難しい。
記憶を取り戻した直後、わたくしは【ゲーム内で最弱のラスティーナ】に対し「弱過ぎるネタキャラ」だの「動機が軽い」だの、散々なことを思っていた。
だから「前世の記憶と知識を生かして、今世は自分が最強キャラになってしまえばいいじゃない」だなんて、簡単に考えていた。
でも、違った。
わたくしは甘かった。
朝から晩まで必死に汗を流しても、毎食栄養バランスを考えた食事を摂っても、ありとあらゆる分野の勉学に勤しみ身体の動かし方を研究しても、すぐに強くなんてなれなかった。
筋肉はなかなか思うようにつかないし、打ち込んだ拳に血が滲めば当然痛くて涙が出る。
頭で思い描いた理想の動きを再現したつもりでも、鏡に映った自分の型はひどく滑稽で、その度にショックを受けた。
それなのに、ひとたび骨折してしまったら修行もお預け。あっという間に退化してしまう。
……ラスティーナ。
ゲームの中のあなたも、こんなにも辛い修行を「ウィル様への愛」一本で乗り越えてきたのね。
その覚悟は、並大抵のものではなかったはず。
ロード・オブ・ファイターの出場を目標に掲げてきた今のラスティーナには分かるわ。
実際、わたくしは前世の記憶を駆使して、15歳のときに開催される大会にも出場しようとした。
ウィル様が初登場するゲームシリーズ第2作にあたるこの大会に、わたくしも出てしまえば……そう思った。
しかし、それは間に合わなかった。
わたくしのもとに、招待状は届かなかった。
……そう。
たとえゲーム内最弱であろうと、大会に招待されている時点で、あのラスティーナは世界中のたいていの猛者よりも「強者」なのだ。
15歳のわたくしはまだ弱く、その強者の域には届かなかった。
もっと、もっと強くならないと。
わたくしは大会に参加するウィル様の無事を祈りながら、より一層の修行に明け暮れた。
そして今、わたくしは19歳。
ついにゲーム「ロード・オブ・ファイター3」の年になった。
今回は絶対にラスティーナにも来ているはず。
ゲームのオープニングムービーで何度も見た、お馴染みの真っ黒い封筒……大会への招待状が。
……ただ、爺やがわたくしにそれを隠している理由も察しがつく。
前世、ゲームをやり込んだわたくしには分かる。
──わたくしはまだ「最強」なんかじゃない。
頑張った。
前世のゲームの知識というチートも使った。
でも、わたくしは今、恐らく今度のロード・オブ・ファイター参加者の中では最弱ではないもののせいぜい「中の下」といったところだろう。
わたくしは、このままでは……
「……ねえ、爺や。正直に答えて頂戴。
あなたも、お父様もお母様も、わたくしが大会に出て『死ぬ』かもしれないと思っているのでしょう?」
「お、お嬢様……」
「分かっているわ。わたくしが一番、わたくしの実力を分かっている。」
私は──わたくしは、【ラスティーナ・ハイツェンベルン】。
決して「お気楽」でも「軽い動機」でもない、命を懸けた「夢」を叶えるために大会へ参加する。
想いの強さなら、負けない。
「爺や。あなたは知っているはずよ。
わたくしは6歳のあの日からずっと、覚悟を決めているの。
ロード・オブ・ファイターの称号を手に入れれば、その力でウィル様の苦しみも憂いも、すべて解決できるはず。
そうしたら、わたくしはもう一度、ウィル様にわたくしの想いをお伝えするの。」
「…………。」
「さあ、わたくしに届いている招待状をはやく寄越しなさい。
返答はもちろん『参加』一択よ。」
◇◇◇◇◇◇
ウオオオオオーッ……!!
ワアアァァッ……!!
凄まじい熱気と異様な緊張感。
ロード・オブ・ファイターの会場となるコロシアムでは、観客席の人々の歓声や怒声が渦巻き、荒波のように押し寄せてくる。
今、わたくし達の目の前では、大会の初戦が始まろうとしていた。
拳も武器も暗器も毒も、一対一ならばなんでもアリ。毎回死者も出るような恐ろしい大会なのに、コロシアムの観客席は人で埋め尽くされている。軽く1万人は超えているだろう。
そして観客席の中には、敵情視察をしていると思われるわたくしのような大会出場者もチラホラいる。
「……そろそろ時間ね。」
わたくしが懐中時計を見ながら独り言を呟いた、次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ……と地響きのような音が鳴り、両サイドの重々しい入場門がゆっくりと開き始めた。
コロシアムが一気に湧き立つ。
そして開いた門の向こう側には、ウィル様がいた。
王子然とした優雅で威風堂々とした立ち姿。
真っ直ぐに前を見つめる真剣な表情。
ああ、ゲーム通り……
…………
……………っか、
格好良すぎる!!!!!
存在がすでにパーフェクト!!!!!
「キャーッ!!!ウィル様ーッ!!!
爺や、見て!!ウィル様よ!!!
はぁ……!いつも世界一お美しいけれど、この大舞台に立つウィル様は勇ましさが10倍……100倍……いえ、1億倍増しだわ!ねえ、そうは思わない?!」
対するは、出場者屈指の体格を誇る男性格闘家で、総合格闘技の世界チャンピオン。
歓声の中で闘うのに慣れているのだろう。観客達に笑顔で手を張り、そのまま仁王立ちをして拳を突き上げた。余裕のパフォーマンスだ。
この対戦カードであれば、ウィル様の命の危険はない。まずは一安心だ。
「ああ、ウィル様も手を振ってくださったりしないかしら?!しないわよね!!
でもいいのよ。わたくしはそんな硬派なウィル様が好きなんだもの!
ふふっ、なんだか楽しくなってきたわ!!
ねえ、爺や!あなたの予想では、この勝負どうなると思う?」
「お嬢様……はしゃいでおりますな。」
爺やは半ば呆れたような目でわたくしを見る。
わたくしの意志の強さに折れて、一緒に大会まで来てくれた爺や。ゲームでも常にクリスティーナの横に控えていた彼は、誰よりも信頼できる執事であり、実はわたくしの武術の師匠でもある。
爺やの過去の経歴は知らないけれど、恐らく波瀾万丈な人生を送ってきたのだろう。ただの執事でないことは確かだ。
「わたくしの見解では、ウィル様が圧倒的に有利ね。
もちろんウィル様は誰が相手でも負けるはずなどないと信じているけれど……あっ、もちろんいずれはわたくしが勝って告白するのよ?わたくし以外に負けるはずがないってことよ?
その大前提を抜きにしても、ウィル様が勝つと思うの。
対戦相手の彼、一度敵を捕まえたら連続で投げ技を仕掛けてくるでしょう?あの体躯から繰り出される大技の数々……たしかに脅威だわ。でもウィル様は気付いているはず。彼、遠距離攻撃と下段攻撃にめっぽう弱いのよ。ウィル様の剣の方がリーチが長いし、もし近付かれても腰を落とせば投げ技を透かしつつカウンターをお見舞いできるわよ!」
前世ゲームでウィル様使いだったわたくしは、当然、対戦者ごとの相性や有効な立ち回りくらい分かっている。
ちなみにゲームの腕前はウィル様一筋でレート2,000に乗るくらいだった。キャラとしてのウィル様は、弱くはないが王道な設定に反して意外と尖った性能をしていたので、ガチ勢の使い手はあまり多くなかった。レート1,700くらいまではゴロゴロ見かけるが、それ以上になるとほとんど見かけなくなるタイプのキャラ。
そんなウィル様使いとしては、わたくしはかなりの上位プレイヤーだったと自負している。
……まあ、この程度のことなら、前世の知識などなくとも、今世の格闘家ラスティーナの眼があれば余裕で分かるけれど。
不謹慎ながら、会場に来てその熱気を肌で感じて、前世のゲーマー魂と今世のファイター魂が同時に疼いて、どうしてもテンションが上がってしまう。
己の命がかかっているというのにおかしな話だ。
やはり、ロード・オブ・ファイターの参加者はわたくしも含め、皆どこか狂っているのだろう。
そんな興奮しきったわたくしを見て、爺やはもともと細い目をさらに細めながら、おっとりと頷いた。
「ウィリアム様のお相手を一目見ただけでそこまで分析なされるとは。お嬢様……お強くなられましたな。爺めは感激にございます。」
「あら、褒めすぎよ。このくらいのこと、格闘技観戦が趣味の素人でも分かるじゃない。」
わたくしが少し照れながらそう返すと、爺やはスッと視線をウィル様の方へ向けた。
そして……
「しかしながら、その読みは些か『甘い』と言わざるを得ませんな。」
「えっ?」
予想に反し、不穏な言葉を放った。
「……どういうこと?爺や?」
つい数秒前まではしゃいでいたはずなのに、爺やの一言で、いきなり水を頭からかけられたかのように身体中の熱が冷めていく心地がした。
わたくしのゲームの知識と格闘家としての力量、どちらの視点からみても、先ほどの分析におかしなところなどないはず。
順当に行けばウィル様の勝利。
そして、この一戦で死者が出ることはない。
……そうでしょう?
でも、もし、わたくしが今「重大な何か」を見落としていたら?
じわじわと内側から不安が広がっていく。
心臓が、興奮とは違う緊張でバクバクと鳴り始めている気がする。
わたくしは平静さを取り戻そうと深く息をし、そしてウィル様とその対戦相手をもう一度観察しようとした。
すると、
──パチッ。
「えっ?」
勘違いでなければ、今わたくし、ウィル様と、
「目が……合った?」
まさかね。そんなはずないわ。
このコロシアムの観客の数。
わたくしの席は特に目立つ場所にある訳でもない。偶然そう見えただけ。
なんなら、わたくしの都合のいい幻覚──……
そう思って固まっていたら、ウィル様はこちらを向いたまま、いつもの恐ろしいほどに整った無表情から……ふとその美しい顔を歪めた。
口を少し曲げて綺麗な眉をひそめているのが遠目でも分かった。
その表情は、ゲームでも、これまでのラスティーナの人生でも、どちらでも一度も見たことのないものだった。
「……ウィル様?」
勘違いじゃない。
確実にウィル様はわたくしを見ていた。
つい先ほどの爺やの言葉が、混乱する頭の中で渦巻く。
「……ね、ねえ、爺や。
やっぱりあなたの言う通り、何か変よ。ウィル様の様子がおかしいわ。」
「………。」
「もしかして、どこか苦しいのかしら?
困ったようなお顔をされて……ま、まさか、体調不良?!それともどこかお怪我をなさっているの?!……ねえ!!」
「……………。」
「爺や!あなた、何を知っているの?!」
わたくしの顔に焦燥が滲む。
そんなわたくしとは対照的に、爺やはいつも通り穏やかに口を開いた。
「ほっほっ。爺めの口から申し上げられることは一つだけで御座います。
……お嬢様。ウィリアム様は、お嬢様が思われているよりも──」
しかし、その続く言葉を聞くことはできなかった。
爺やの声を掻き消すように、ゲームで何千万回と聞いたあの声とゴングがコロシアムに響いた。
『Round 1 !! 3, 2, 1, Fight !!』
カアァーーーン!!!!
試合開始の合図とともに、観客達も一斉に叫び声を上げる。
「「オオオオオーーー!!!」」
「「「行けぇーーーっ!!!!」」」
駄目だ。始まってしまった。
今さら何を考えても、もう遅い。
わたくしは混乱したまま、なりふり構わずウィル様に向かって必死に叫んだ。
「っ!ウィル様!!……勝って!!死なないで!!!」
そして、そのわずか5秒後。
わたくしの口は、またもや叫び声をあげることとなる。
「なっ何よこれ!!もう終わったの?!!おかしい、こんなの絶対におかしいわ!!
ウィル様…………
なんで、こんなっ…………
なんでこんなチートレベルに強いのよ?!!!!」