神の声(弾幕)が見えるようになった悪役令嬢は、煽られながらも破滅を回避する
その不思議な現象が起こったのは、突然だった。
公爵令嬢アンナリーザの視界に、それは映りこんだ。
『うぽつ』
始めはその一言だ。
空中に文字が浮かぶ。
視界の右から左へと流れていき、そして、消えていった。
(何かしら……今のは?)
アンナリーザは首を傾げる。
しかし、彼女はすぐに我に返った。目の前には憎き女――フローラの姿がある。
アンナリーザは放課後、フローラを校舎裏へと呼び出していた。
今日のこの場で、アンナリーザは彼女に『忠告』をするつもりだった。
「フローラさん。あなたは先日、実技の授業で殿下とペアになったそうじゃありませんの」
「あ、あの……でも、それは先生からの指示で……」
フローラはすっかり委縮した様子で、アンナリーザの顔色を窺っている。それもそうだろう。フローラは平民で、対するアンナリーザは公爵令嬢だ。
身分がちがいすぎる。
その上、アンナリーザは面立ちが「きつめの美人」だとよく言われる。癖の強い金髪に、気の強そうな碧眼。背丈は高めだ。扇子で口元を隠した姿には威圧感があった。
「お黙りなさい」
アンナリーザは閉じた扇で、フローラを指した。
「あなたは、殿下がわたくしの婚約者と知っていながら……」
言葉を続けようとした時だった。
それはまた起こった。
『こっわwww』
視界に文字が現れた。
その文字は右から左へと流れて、消えていく。
アンナリーザは呆気にとられた。
そして――内心で動揺する。
(え? え? 何ですの、今の……。『こわっ』って……怖いって……わたくしのこと!?)
それは彼女にとって、心外な指摘であった。
アンナリーザは動揺を隠すために扇を広げ、口元を隠した。
(今のはきっと目の錯覚ですわ。落ち着くのよ、アンナリーザ。それよりも、今はこの方にわかっていただかなくては)
すーはー。
深呼吸。
彼女は気持ちを落ち着けてから、カッと目を開いた。気合を入れすぎたので鋭い目付きになっていた。フローラが、ひっ……と怯えた様子を見せたことにも気付かす、アンナリーザは口を開く。
「いいこと? 殿下はお優しい方だから、平民のあなたのことも無下にはしないだけですのよ」
話しているうちに、アンナリーザは気持ちが高ぶっていく。
同時に切なさを覚えて、胸を熱くした。
(殿下とペアになるなんて……なんて羨ましいの。わたくしだって、殿下と同じ学年であれば……)
考えれば考えるほど、悔しくなってくる。
婚約者のレイモンドとフローラは、アンナリーザより1学年上だ。だから、アンナリーザはレイモンドと授業が一緒になることはない。
自分が決して実現できない望みを、フローラはあっさりと叶えたのだ。胸底がじりじりと焦げついていくような感覚が起こる。
もしこの女がそのことで調子づいて、レイモンドと親密になってしまったら。
想像するだけで、アンナリーザの心臓は、ばーんとひっくり返りそうだった。
――そうならないためには、しっかり釘を差しておかなければ!
思考が熱くなる。それに伴って、アンナリーザは饒舌になっていた。
「それとも、勘違いなさっていらしたのかしら? 殿下があなたを気にかけていることを、卑しくも自分に好意があるなどと思い上がって。平民のあなたと殿下では、天と地ほどに身分がかけ離れていることをきちんと理解してくださいな。あなたの身分では殿下と結ばれることは絶対に叶わないのですわよ。オーホッホッホ!」
話しているうちに、何だか気分が高揚してきた。アンナリーザは扇を広げ、高笑いをする。
その瞬間、
『高笑い、キタコレw』
『これぞ悪役令嬢の様式美w』
またもや文字が流れていく。
アンナリーザは『高笑い』姿勢のまま固まった。
唖然としていると、更に信じられないことが起こった。
アンナリーザの視界は白く塗りつぶされていた。
「な、何!?」と動揺するアンナリーザ。しかし、よく見ればそれは無数の文字群であった。それも全部、同じ言葉が書かれている。
アンナリーザの視界は、大量の『オーホッホッホ!』に埋めつくされていた。
(なっ……何ですのよ、これは……!?)
気味が悪い。
というか、怖い。
アンナリーザのテンションは一瞬で、すん……と落ちこんでいた。
――もう、『オーホッホッホ!』って笑うのはやめましょう。
彼女は固く誓っていた。
アンナリーザは平静をとり戻すと、話を続けた。
「とにかく、今後一切、あなたは殿下に近付かないでくださいまし。よろしいこと?」
「あの……でも」
フローラはびくびくと怯えながら、何かを告げようとする。アンナリーザは彼女を鋭く見据え、
「……何かしら?」
と、問いただした。
アンナリーザはつり目がちなため、目力がすごい。フローラはびくんと怯えて後ずさる。力なく首を振った。
その瞬間。
『いじめ、いくない』
『いじめんなよ』
またもや空中を飛んできた文字に、アンナリーザは目を剥いた。
「い……いじめていませんわよ!!」
その言葉はあまりにも心外だったので、彼女は必死に否定する。
すると不思議なことに、文字はアンナリーザの言葉に応えたのだった。次に飛んできた文字は、
『ちゃんとフローラちゃんの意見も聞いてやれよ』
『さっき先生の指示でって言ってただろうが』
アンナリーザは混乱して、目を瞬かせる。
――まさかの会話が可能だった。
――この文字を発しているのは、いったい誰なのか。
いや、それよりも、
(え……? そうでしたの……?)
フローラがさっきそんなことを言っていたとは、知らなかった。頭に血が上りすぎて、彼女の話を聞いていなかったのだ。
アンナリーザは改めてフローラと向き直る。そこで初めて彼女の顔が青くなっていることに気付いた。
――いじめているつもりなんてなかった。
でも、この状況ではそう見られても仕方ない。
謎の文字からの指摘により、アンナリーザは初めて自分を客観視することができたのだった。
気まずさに視線を漂わせる。
こほん、と咳払いしてから、アンナリーザは先ほどよりも落ち着いたトーンで話し始めた。
「殿下とのペアは、先生からの指示ですって?」
フローラはまだ怯えているようで、こくこくと何度も頷く。
「あ、あの……はい。先生からそうするようにと言われて……でも、アンナリーザ様が不満に思う気持ちももっともです。申し訳ありませんでした、アンナリーザ様」
真摯な言葉にアンナリーザは胸を撃たれた。
落ち着いて見れば、フローラはしおらしく健気そうな娘だった。先ほどまでは婚約者を自分から奪おうとする泥棒猫のように見えていたのに。
「……そうだったの」
その途端、アンナリーザの怒りは沈静化した。テンションを下げて、ぽつりと呟く。
すると、『は?』が連続して重なり、彼女の視界を覆った。
『それだけ?』
『他にも言うことがあるだろ』
大勢につっこまれたような気持ちになり、アンナリーザは唇をぐっと噛みしめる。
「……少し、思い違いをしていたようですわ」
渋々とそう告げれば、
『もっとちゃんと謝れよ』
『高飛車女はこれだから……』
失礼すぎる発言に、アンナリーザは憤った。
(誰が高飛車ですって……!?)
すると、アンナリーザを挑発するような言葉が、だーっと流れていく。
『cvくぎゅうでも許せん』
『キャラデザは優秀』
『ざまぁはまだですか?』
と、わけのわからない言葉が大半である。
何を言われているのか、アンナリーザにはさっぱりわからない。
それでも、自分が馬鹿にされているような空気は感じとれていた。
(何ですのよ、これは……。わたくしは公爵令嬢なのよ。それなのに、こんな失礼なことばかり……というか、さっきからこの方たちは誰ですの!?)
アンナリーザは彼らの発言は無視しようと決めた。
しかし、その直後、1つの言葉がアンナリーザの目に留まった。煽るような言葉に溢れている中で――その文字だけはどこか冷静で、自分の胸を突き刺してきた。
『フローラちゃんを見ろ。怯えてるだろ』
アンナリーザは目を見開く。
改めて、フローラを見ると彼女は怯えている様子だった。
冷静になって考えてみれば、その通りだった。
――人のいない場所に呼び出して、身分の高い貴族と二人きりで、詰め寄られるなんて。
確かに彼女からすると、怖かっただろう。
先ほどまでアンナリーザは血が上っていて、状況を俯瞰できていなかった。しかし、文字による指摘で、彼女は冷静に事実を把握できた。
「わたくしは誤解していたようですわね。申し訳ありませんでしたわ……」
しおらしく頭を下げる。
すると、流れてくる発言の雰囲気が変わった。
『あ。ちゃんと謝るんだ』
『偉い』
『偉いぞ、アンナリーザたん!』
先ほどまで自分を馬鹿にしていた連中に褒められて、アンナリーザは困惑する。
(うるさいわよ! というか、さっきから何なんですの、あなたたちは!? 失礼ですわよ! あと、わたくしのことを名前を呼んでいいのは、家族と殿下だけですわ)
心の中だけで叫んだのに、なぜか彼らには伝わったようだった。
『殿下はいいんだw』
『殿下のこと、好きなんだな』
その言葉にアンナリーザは目を見開く。
(す……すっ……!!?)
――好き。
――自分が、殿下を?
アンナリーザとレイモンドの婚約は幼い頃より決められていた。いわば政略結婚だ。
アンナリーザは公爵令嬢として恥じないよう、今までずっと自分を律してきた。第一王子の婚約者としての相応しい振る舞いを目指した。
常に凛として、発言はハキハキと。
レイモンドに近づく女性の影があれば、婚約者の立場として物申した。
その態度のせいで、周りからは「怖い……」と言われてしまうことも多かったが。
そうすることが、レイモンドの尊厳を守るのだと信じてきたのだ。
だけど、自分の立場を考えずに、『アンナリーザ』自身の意志を尊重すれば。
婚約者のレイモンドのことを、本当はどう思っているのかなんて――。
「ふああ!? しゅ、しゅき!? 私が、で、殿下のことを……っ」
アンナリーザは思わず扇子をとり落とす。顔を真っ赤に染めて、震える唇で喚いた。
『ふああ、って言ったww』
『何か可愛くなってきたな』
『しゅき、だってお』
(か……可愛いって言わないでくださいまし!!)
『唐突なデレキタコレ』
『え……アンナたん。めっちゃ可愛いじゃん。推すわ』
『デーレ! デーレ!』
またもや、視界はものすごい文字軍に埋めつくされる。
(いったい何なんですのよ、これは……!?)
視線を漂わせると、フローラと目が合った。彼女は驚いたように口元に手をやっている。
そして、
「え? アンナリーザ様、可愛い……」
「あなたまで、そんなことを言うんですの!?」
羞恥心が限界を突破して、アンナリーザが叫んだ、その時だった。
「アンナリーザ」
低く落ち着いた声が、背後から。
その声でアンナリーザは全身を硬直させた。
「君が、他の女性を人気のないところに呼び出して、いじめをしているという噂が……おや?」
ぎこちない動きで振り返る。
するとそこには、婚約者レイモンドの姿があった。
美しい金色の髪に、輝きが宿ったような碧眼。凛々しくも美しい青年の姿――アンナリーザがいつも、こっそりと見つめている相手。
レイモンドはこの状況に戸惑ったように、アンナリーザとフローラを交互に見る。
すると、フローラが声を上げた。
「違います。いじめられてなんていません……! 私、アンナリーザ様とお話をしていただけです」
「うん……どうやら、そのようだね」
レイモンドは拍子抜けしたように、柔らかな面差しに変わる。
アンナリーザはその顔に見とれたり、「なぜここに殿下が?」と、混乱するのに忙しい。
そして、忙しないのは彼女の視界も同じで、
『殿下、キター!』
という文字で、埋めつくされていた。
(だから、怖いですわよ!! 何なんですの、この大量の文字は……!?)
その文字に呆気にとられて、アンナリーザはいつもの澄ました態度をとりつくろうことも忘れていた。
顔を真っ赤にしたまま、あわあわとうろたえる。
『ここで殿下登場するってことは、フローラちゃんをいじめてるって誤解される展開もありえたわけだ』
『よかったな。さっきちゃんと謝っておいて』
『破滅回避したんじゃね、これ』
レイモンドはアンナリーザの顔を見ると、目を丸くした。
「アンナリーザ。君がそんなに顔を赤くしているところを初めて見た。大丈夫かい? 具合でも悪いのでは……」
彼が近寄ってきたものだから、アンナリーザは更に慌てた。
体温が上昇して、頭から、ぷしゅう……と、煙を吐きそうなほどに赤面する。
「ふ……ふああ!?」
『マジの萌えキャラじゃん。アンナリーザたん……』
『これは可愛い』
『やっぱり好きなんじゃん』
アンナリーザは混乱する。
レイモンドが額に触ろうと伸ばしてきた手を、思い切り叩き落した。
「ちがいますわ! しゅ……しゅき、好きではありません!!」
レイモンドはショックを受けたような顔をする。
「……そうなのかい?」
「もちろんですわ! わたくしは……あなたの婚約者として」
『好きじゃない?』
『好きじゃない?』
『好きじゃない……?』
またもや、埋めつくされる視界。
――その鬱陶しいこと、うるさいこと!
「ですから、わたくしは……!」
『好きです!』
『好きなんだろ』
その途端、アンナリーザの怒りは沸点を突破した。
彼女は自棄になって叫んだ。
「好きに決まっているじゃない! 子供の頃から、ずっと、わたくしは殿下のことが好きで……! 好き好き好き……! 好きですわよ!」
言い切って、ふーと息を吐いた。
――さあ、これで満足かしら?
――謎の文字さんたち。
勝ち誇った顔で辺りを見渡す。
そして、気付いた。
フローラは口元に手を当てたまま、「きゃー!」という顔をしている。
レイモンドは顔を赤くして、アンナリーザを見つめていた。何かを耐えるような顔をして――やっぱり、耐えきれなかったらしく、
「――嬉しいよ、アンナリーザ」
次の瞬間、何が起こったのかわからず、アンナリーザは目を点にした。
――抱きしめられている。
――レイモンドに。
そのあまりの状況にアンナリーザの頭はパンクした。
彼女はすっかり目を回して、
「ふ……ふぇ!?」
「君がそう言ってくれるのは、これが初めてだね。私も君のことが好きだよ。アンナリーザ」
「ふぁ、……ふぇぇ!?」
その間、視界に踊る文字の勢いは最高潮となっていた。
『キター!』
『爆発しろ』
『いきなりのラブラブ展開w』
(ちがうちがう! あなたたち!! もう黙ってくれませんこと!?)
アンナリーザはすっかり混乱する。
その文字から逃れたくて、目をつむった。
(あ……目をつぶると見えなくなるのですわね。好都合ですわ)
――彼女は気付かなかった。
婚約者に抱きしめられ、至近距離で顔を合わせている時に『目をつぶる』という行為が、どういう意味を持つのかということを。
唇に柔らかなものが降ってきて、彼女が目を回してぶっ倒れる羽目になるまで。
――あと数秒。
一発ネタの短編でした。
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