第4話 十条銀座
俺は新宿のオフィスでの調査を終えた後、社長夫人に会いに行った。楓の件は話さなかったのだ。
そもそも早紀の証言が、どこまで事実かわからない。
楓が社長と親しげに話してたからと言って、肉体関係があったかまではわからない。
俺は早紀と別れ際楓の画像も早紀のスマホで見せてもらい、その画像を俺のスマホで撮影した。
早紀が話したように、楓は美人の部類に入る女性だ。
無論どんな女を美しいと感じるかは人それぞれだが、少なくとも俺には、愛らしい女に見えた。
綺麗な顔立ちをしているが、その目には憂いの翳りを帯びている。
別れた女房の引き取った俺の娘がこんな上玉じゃなかったけど、同じぐらいの年齢だ。
早紀の話通り実の父が暴力を振るっていたのが事実なら、許せない。
怒りのために俺の顔がマグマのように熱くなり、歯を力強く食いしばる。
俺は牟田口商事のオフィスを立ち去ると、JR新宿駅から埼京線の赤羽行きに乗った。十条駅は3駅目だ。
十条駅の北口で降りた俺は、有名な商店街の十条銀座へ先に寄る事にした。
色々個性的な店があるので、観てるだけでも楽しめる。
俺はたまたま見つけた「十条珈琲」というカフェに入るとアイスコーヒーを頼んで飲んだが美味しかった。
店内には、有名なアメリカ映画のレーザーディスクのジャケットが飾ってある。
俺の好きな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3部作や「レナードの朝」のジャケットもある。
俺は気分が良くなったが、残念ながら仕事もしなければならない。
会計を済ませ店を出ると、十条銀座を離れ、楓の住んでいたアパートに向かった。
スマホに入った地図アプリに住所を入力し、表示された場所を目指す。世の中便利になったもんだ。
やがて前方に古いアパートが見えてきた。どうやらここが阿南楓が父親と住んでいた住居らしい。
俺は、呼び鈴のボタンを押した。まだ午後の3時だったが、早紀から楓の父親は仕事をせず家にばかりいると聞いていたので、もしかしたらいるんじゃないかと予測したのだ。
が、呼び鈴を何度か押しても反応はない。居留守を使っているのかとも推測したが、そんな気配もなかったのである。と、思いきや、唐突に玄関のドアが開いた。
「あんた、誰だよ」
傲岸不遜を絵に描いたような男の姿が現れた。睨むように俺を見ている。
「こちら、阿南楓さんのお宅でしょうか。私、こういう者ですが」
俺は相手に探偵事務所の名刺を見せた。
「楓は俺の娘だけどよ。探偵風情が一体何の用なんだよ」
阿南が俺に食ってかかる。
「阿南様もテレビ報道でご存じでしょうが、牟田口商事の社長が失踪してましてね。現在私、会社からの依頼を受けて、調査している次第なんですが、阿南様の娘さんが牟田口商事で働いていたとお聞きしまして、何か失踪につながる情報をご存じないかと伺った次第です」
「なるほどね。でもよ。娘の奴、社長が失踪する前に家出しちまってよ。忘れもしねえ。3月31日の金曜日よ。いつまで経っても仕事から帰らないから派遣会社に問い合わせたら、定時の午後5時には新宿のオフィスを出たそうじゃねえか。すぐ警察に届けたけど、未だに行方がわからねえ」
不機嫌そうに、阿南が話した。吐く息が酒臭い。彼の背後に倒れたビールの空き缶が数本床の上に転がっているのが視界に入る。
「それは、ご心配ですね」
俺は顔に同情が浮かぶように注意しながら口を開く。
「派遣会社の担当者に聞いたら、楓は3月いっぱいで契約を更新しなかったそうなんだよ。慌てて娘の部屋を調べたら大事にしてたぬいぐるみだの、部屋にあった身の回りの物は、いつのまにか持ち出されてたのよ。つまり楓は計画的に家出したのよ」
阿南は次第に興奮した口調になった。よくよく観察すると彼は娘に似てどちらかと言えば整った顔をしているが、粗暴で下品な性格が、そんな美質を木っ端微塵に打ち消している。
「女房が新しい男を作って逃げた後男手1つで育ててやったのに、親不孝だよ。母親が母親だから、無理もねえかな」
阿南は自分を棚に上げて、そうつぶやいた。
その後一旦俺は探偵事務所に戻る。ちょうどその時スマホが鳴った。相手は早紀だ。
「聞いて聞いて。楓からメールがあったの」
こっちが声を出す前に、一方的にしゃべりはじめる。
「元気でやってるって。でも今どこにいるかは言えないって。楓の画像も添付されてたから一緒に送るね」
スマホには、若い女性の笑顔があった。屈託のないスマイルだ。その目に何か映っている。