決着
リネガの斧が唸りを上げる。
横殴りに飛んできたはずの斧は、途中で滑らかに縦軌道へと変わる。
「くっ」
常人では、描けない軌道。
アルマークは長剣を抱えるようにしてそれを受け流した。
金属と金属のこすれ合う、甲高い不愉快な音が響く。
「よくかわすな」
リネガは余裕を崩さない。
「ほら、次が行くぞ」
そう言ってこれ見よがしに振りかぶった一撃を、アルマークは身を反らしてぎりぎりでかわした。
シャツが切り裂かれ、鮮血が舞う。
だが、斧を振り抜いて伸びきったリネガの腕は、アルマークにとっては格好の獲物だった。
長剣を振り下ろそうとしたアルマークに、同じ速度の斧が逆方向から飛んできた。
ありえない角度で曲がった肘から繰り出された斬撃が、受け止めた剣ごとアルマークを吹き飛ばした。
「アルマーク!」
パウラが悲痛な叫びをあげる。
地面に転がったアルマークに、リネガの手下たちが駆け寄った。
「死ねっ」
叫びざま、剣を突き出す。
「ぐうっ」
だが苦痛の呻き声をあげたのは、手下たちの方だった。
手傷を負った手下たちを蹴散らすように、長剣をぐるりと振り回して飛び起きたアルマークを見て、リネガが笑う。
「生きがいいな。魚みたいに跳ねるじゃねえか」
アルマークはもう一度剣を回すと、地面に唾を吐いて呟いた。
「これで分かった」
リネガは片眉を上げる。
「何がだ」
口元に笑みを浮かべながら、リネガはアルマークに歩み寄った。右腕の先で、手斧がまた別の生き物のように揺れる。
「何が分かった」
「あんたが、“双剣”のアーウィンには遠く及ばないってことがだ」
アルマークは答えた。
「あんたがアーウィンだったら、僕はさっきの一撃で死んでる」
「知ったようなことを」
リネガは鼻で笑った。
「お前がアーウィンの何を知っている」
「少なくとも、戦ったことのないあんたよりは知っているさ」
アルマークは臆する様子もなく、剣を構えた。
「アーウィンに斬られた背中の傷は、まだ塞がっていない」
その言葉通り、アルマークのシャツの背には血が滲んでいた。
「それはハンデにしてやる。それでもお前には勝てるから」
「小僧、お前はいろいろと俺の悪口を言ってくれたが」
リネガの笑顔に、戦場で見せる類の狂気が混じる。
「今の嘘が一番俺を苛つかせたぜ」
「嘘じゃないからだ」
アルマークは答えた。
「お前が苛ついてるのはそのせいだ」
それにリネガは答えなかった。
靴が中庭の地面にめり込むほどの踏み込み。
先ほどまでとは一変した激しさで、リネガはアルマークに斧を叩きつけた。
足を踏ん張ったアルマークが、それを受け止める。リネガの斧はそこからさらに複雑な軌道を描いて、四方八方からアルマークを襲った。
たちまち血塗れになるアルマーク。だが、攻撃を続けるリネガの顔から余裕の笑みが消えた。
斧の不安定な軌道に翻弄されているはずのアルマークが、何度攻撃されても決して致命傷を許さないからだ。
徐々に、リネガの斧をアルマークの長剣がしっかりと受け止める場面が目立つようになり始めた。
「てめえ、俺の軌道に慣れてきたのか」
思わずそう漏らしたリネガに、アルマークは冷静な声で応じる。
「見せすぎだ、自分の武器を」
長剣が、不意に跳ねた。
リネガの首に、鋭い一刀が伸びる。だが自在に動く関節は、防御でも力を発揮した。
リネガの斧はあり得ない動きで剣に追いつき、難なく受け止める。
だが、そこから勝負の潮目が変わった。
アルマークの剣が勢いを増し、リネガが守勢に回り始める。
「おい、てめえら」
アルマークの長剣を受け止めながら、リネガが喚いた。
「何をぼうっとしてやがる。後ろの小娘を狙え」
半ば呆然と二人の斬り合いを見ていた手下たちが、はっと我に返る。
激しい戦いで、いつの間にかアルマークとパウラとの距離が開いていた。
「お、おう」
慌てて返事をした傭兵たちが剣や斧を振りかざし、パウラに殺到する。
血走った目の男たちが眼前に迫るのを見たパウラは、けれど悲鳴を上げなかった。
今叫んでしまえば、アルマークの気が逸れてしまう。あの少年はきっと助けに来てしまう。
そうすれば、多分もうリネガには勝てない。
どうせ殺されるなら、あいつらだって道連れにしてやる。だからあの子の足だけは引っ張らない。
死を覚悟したパウラは、男たちをきっと睨みつけた。
その鋭い眼光に、傭兵たちが一瞬気圧されたように躊躇する。その一瞬が、生死の分かれ目だった。
次の瞬間、彼らの頭上に黒い影が躍った。
「なっ」
リネガまでが呆気にとられたように上を見上げる。
まるで野生の狼のように、剣を振りかざしたアルマークが大きく跳躍していた。
パウラに迫っていた傭兵の頭が、上からの強烈な一撃に叩き潰される。
「ひっ」
隣の仲間が一瞬で骸と化したことに、他の傭兵が悲鳴を上げた。草食動物の群れに飛び込んだ獰猛な獣のように、アルマークが躍動した。
腰の引けた傭兵たちなど相手にならなかった。
「どけっ」
ばたばたと倒れる手下を踏み越えるようにして、リネガがアルマークに突っ込む。
「死ね、小僧」
低い体勢から足を狙ったかに見えた斧が、急激に伸びあがった。そのまま斧はアルマークの脇腹に叩き込まれる。
だが、アルマークはそれを眉一つ動かすことなく受け止めた。
それと同時に、長剣が斧の刃の上を滑った。
金切声のような摩擦音。刃とともに、アルマークが身体ごとリネガの懐に飛び込んでくる。
少年の全体重を乗せた一撃は、リネガの肩口を深く切り裂いていた。
血飛沫を上げて崩れ落ちるリネガに、生き残った手下たちは耐えきれなくなったように恐怖の叫びをあげた。
「リネガがやられた」
「このガキ、化け物だ」
「もうだめだ、逃げろ」
転がるようにして逃げ出していく傭兵たち。アルマークはそれを追おうとしたが、地面に倒れたリネガが身じろぎしたのを見て足を止めた。
「くそ、俺としたことがこんなつまらねえ場所で」
リネガは地面を這うようにして顔を上げ、アルマークを睨む。
「てめえ、何者だ。どこの傭兵団にいた」
「黒狼騎兵団」
アルマークは答えた。
「“影の牙”レイズの息子、アルマークだ」
「“影の牙”の息子だと」
リネガは目を見開く。
「そんなやつが、どうしてこんなところに一人で」
アルマークはそれに答えず、パウラを振り返った。
「どうする、パウラ」
訊かれている意味が分からず、パウラはアルマークを見返した。
「え?」
「君がやるか」
アルマークは剣を差し出しながら、言う。
「それとも、僕が」
そこまで言われてようやくパウラも、リネガのとどめをどちらが刺すか訊かれているのだということに気付いた。
パウラは、苦しげに呼吸をしながら脂汗を滲ませているリネガの顔を見た。
リネガは憎悪のこもった眼でパウラを見返したが、低く呻くばかりで何も言わなかった。
命乞いをしないのが、この傭兵の最後の意地のようだった。
「私はいいわ」
リネガから目を離すことなく、パウラは言った。
「こいつを殺したところで、おじいさまが元気になるわけじゃないもの」
「分かった」
アルマークは頷いて、無造作に剣を振り上げた。
「くそが。小僧」
地面に這いつくばったまま、リネガが叫ぶ。
「次にこうなるのはお前だぞ。いつまでも、のうのうと生きられると思うな」
リネガを見つめるアルマークの目には、何の感情も浮かばなかった。
そのまま、剣が振り下ろされ、“自在斧”リネガの名は北の戦場から永久に消えた。