自在斧
駈け寄ってきたパウラを庇うように、アルマークが滑らかな足取りで後方に下がっていく。
背後を取られない、中庭の隅に。
移動の隙を狙って切りかかっていった二人の傭兵は、たちまち血煙を上げて倒れた。
「このガキ」
叫びながら、どやどやと男たちが中庭に飛び込んでくる。
裏口から侵入してきた傭兵たちだ。
合わせた人数は、十人近い。
パウラは、アルマークの背後で息をひそめた。
だが、刃物を持つ殺気立った男たちに囲まれているのに、アルマークは微塵も恐れた様子を見せなかった。
「お前らの頭はどうした」
挑発するように、アルマークは言った。
「お前らよりも一足先に逃げたのなら、さすがは賢いと褒めてやる」
「ガキが、知った風な口を」
アルマークを囲む傭兵の一人が唾を吐いた。
「どこで習った、どこの傭兵団にいた」
だがそれにアルマークは答えなかった。
薄笑いとともに、手に持つ長剣の先を軽く振る。
「いいから来いよ」
凶暴な表情をさらに歪めて、髭面の男たちがじわりと間合いを詰めた時だった。
「あーあ。こんなに殺しちまいやがって」
男たちの背後から、冷たい声がした。
声と同様に冷たい目をした長身の男が、手下たちをかき分けるようにしてアルマークの前まで出てきた。
「十五人で行くって言ってあるのに、これじゃ人数が足りねえじゃねえかよ。どうすんだ、契約金が値切られちまう」
そう言いながら、地面に転がる骸と化した手下の頭に自分の右足を乗せた。
「まあいいや。おい、小僧。お前、俺たちと一緒に来いよ」
その男こそが、“自在斧”のリネガであることは、アルマークにも分かった。
歴戦の傭兵らしい鋭い眼光で、リネガは答えないアルマークに向かって顎をしゃくる。
「お前も傭兵なんだろ。その腕なら、まあ殺した人数分くらいの働きはしてくれるんだろ。それで帳尻を合わせてやろうじゃねえか」
そう言って、きしむような笑顔を浮かべる。
「な」
「断る」
アルマークの答えは明快だった。
「もう戦場に用はない」
「おいおい。その歳で、もう傭兵をやっていて」
リネガは嗤った。
「戦場に用はねえだと。じゃあどうやって生きるんだ。お前、人殺し以外に何ができるんだ」
その言葉にアルマークの背中が微かに揺れるのが、パウラには分かった。
「お前には関係ない」
アルマークの答えに、リネガは鼻を鳴らす。
「この村で畑でも耕すか? ん?」
ばかにしたような物言い。
「俺たちみたいな傭兵に奪われるための食い物を、一生懸命に作り続けるか?」
その言葉に、パウラは自分の頭にかっと血が昇るのが分かった。
まるで虫けらか何かのように斬り倒された祖父やエブロの姿が脳裏をよぎると、激情があふれ出た。
「あなたたちなんかに奪われるためじゃない!」
背後からの突然の叫びに、アルマークは思わずパウラを振り返った。
いけない、と思いながらもパウラは叫ぶことをやめられなかった。
「ここは、あなたたちの村じゃない!」
その隙を逃す傭兵たちではなかった。二人が左右から踏み込んで、アルマーク目がけて剣を振り下ろす。アルマークはとっさに一本を剣で受け、もう一本をかわそうとしたがかわしきれず、腕を浅く斬られた。
好機と見て追撃の剣を振るおうとした傭兵の胸を、アルマークの剣が貫いた。
アルマークの顔は、冷静そのものだった。
もう一人の傭兵もほとんど同時に肩を切り裂かれて倒れる。
「ほう」
リネガは薄く笑う。
「押し込め!」
激高したリネガの手下が叫んだ。
小柄な少年を、大人の体格差で圧し潰してしまおうというのだ。その声とともにアルマークに傭兵たちが殺到する。
だがアルマークは慌てる素振りもなく、自分が胸を貫いた男の身体を思い切り蹴り飛ばした。それに邪魔されて間合いを詰められないうちに、さらに二人が血煙を上げて倒れた。
「パウラ」
振り返りもせずに、アルマークは囁いた。
「続けるんだ」
「え?」
「叫んで。さっきみたいに」
困惑した顔のパウラに、アルマークは続ける。
「言ってやりたいことは、相手が生きてるうちに伝えた方がいい。死んだあとに何を言っても意味がない」
それは、毎日が死と隣り合わせの傭兵たちの考え方だった。
後で伝えよう。明日言おう。それでは遅いのだ。次の瞬間には、もうその人はもの言わぬ骸になっているかもしれない。
だから、伝えるべきと思ったことは率直に、言葉を選ばずに伝える。
「あいつらに聞かせてやれ。君の怒りを」
「うん」
パウラは頷いた。
祖父や使用人たちを斬られた怒り。村の暮らしを踏みにじられた怒り。
理不尽に奪い去っていくだけの男たちに、パウラは溢れる感情のままに叫んだ。
「この村に、あんたたちにあげるものなんてユキカブリの実一粒だってない」
パウラの声は、まるで村中に届くかのように響き渡った。
「壊すことなんて誰だってできるのよ、あんたたちみたいな屑にだって。何かを作ることがどれだけ大変か、あんたたちにはきっと死んだって分からない」
「いいぞ、パウラ」
にこりともせず、アルマークは言った。
その言葉は、きっと自分にも当てはまるはずだった。だが、アルマークは声を励ました。
「その調子だ」
「このガキ」
奪う対象でしかなかったはずの少女に罵倒されて、明らかに男たちの顔色が変わった。
戦場での傭兵同士の挑発には慣れていても、こんなに真っ直ぐな怒りをぶつけられた経験は、彼らにはなかった。
「てめえ」
鬼のような形相で飛びかかってきた男を、アルマークの振るう冷たい刃が迎え撃った。
一合も打ち合わせることができずに、男は地を這う。
「おう。お前ら下がれ」
獣のような表情でじりじりと間合いを詰める傭兵たちを制するように、リネガの冷たい声が響いた。
「リネガ」
「どうせお前らじゃ相手にならねえ。これ以上頭数が減るのはやべえだろ」
リネガはそう言いながら、手下たちの前に出た。
「俺がやる。どいてろ」
その右手に提げた斧がぶらぶらと奇妙な揺れ方をすると、男たちは顔を強ばらせた。恐れをなしたように後ろに下がる。
「小僧。俺たちは知り合いだったかな」
リネガはくだけた口調で尋ねた。アルマークが首を振ると、口元を歪めて笑う。
「そうだよな。それにしちゃさっきはこの“自在斧”のリネガさまの名を、ずいぶんと気安く呼んでくれたな」
「この前の戦場では聞かなかったな、あんたの名前」
アルマークは言った。
「“双剣”のアーウィンにびびって逃げたのか」
「アーウィンだと?」
リネガは鼻で笑う。
「違うな。俺との戦いを避けたのは、あいつの方だ」
「へえ。あのアーウィンがかい」
目を見張るアルマークの目の前で、リネガが手斧を構えた。
「あいつにゃ見切れねえよ。俺のこの斧は」
次の瞬間、横殴りの斧が飛んできた。アルマークはそれを剣で受ける。速いが、受けきれないほどではなかった。
間髪入れず、リネガが斧を振るう。
これをかわして、斬る。
アルマークがそう思った瞬間、斧の軌道がぐにゃりと曲がった。胴を狙っていたはずが、頭に。
とっさに身をのけぞらせてかわしたが、そうでなければ頭を割られていた。
「ほう」
リネガは目を細める。
「よくかわしたな」
アルマークは無言でわずかに後ろに下がった。
背中に、パウラの緊張して押し殺した息遣いを感じる。じわり、とまた背中の血が滲んでくるのが分かった。
「いくぜ」
わざわざそう宣言して、リネガが斧を振るった。
無造作とも言える、横殴りの一撃。それを受けようとした時、再び斧があり得ない軌道を描いた。
かわしきれず、アルマークの肩から鮮血が舞う。
「どうした」
リネガはそのまま再び斧を振るった。
それをどうにか受け止めた時、アルマークにもこの男の二つ名の由来が分かった。
リネガの振るう斧の、異常な軌道。それを生み出しているのは、この男の右腕の肘関節だった。
「お前、関節が」
アルマークは言った。
「逆にも曲がるのか」
常人ではあり得ない関節の動き。それが、あり得ない斧の軌道を生み出していた。
「そういうことだ」
リネガはにやりと笑う。
「俺のこの自在斧は、アーウィンにだって見切れねえよ」