長剣
「おじい様!」
祖父エリオンが血を流しながら倒れ込むのを目の当たりにして、パウラは叫んだ。
背後で見守っていた使用人たちからも悲鳴が上がる。
「全員殺せ」
リネガの号令。それと同時に、扉が蹴破られた。
手に手に、剣や斧を持った男たちが入ってくる。
皆、抑えきれない凶暴な笑みを浮かべていた。
倒れたエリオンはもう、一顧だにされなかった。
「みんな、逃げろ」
叫んだエブロが、真っ先に切り倒された。
たちまち、家の中は阿鼻叫喚の地獄と化した。
逃げ惑う使用人たちを、薄笑いを浮かべながら追い詰めていく傭兵たち。
誰かが捕まるたび、悲痛な断末魔の悲鳴が上がった。
パウラも祖父の生死すら確認できないまま、家の奥へと逃げた。
父母が朝から外に出ていて不在だったのは、不幸中の幸いだった。
とにかく今は、なんとしても生き延びなければ。
奥の部屋は、裏口に通じている。そこから、外へ逃げるしかない。
「リネガ、女も殺すのか」
背後からパウラを追いかけてくる傭兵の誰かが言った。
「すぐに殺す必要はねえだろ、なあ。楽しんでからでもいいだろ」
「好きにしな」
と答えるリネガの声は、どこまでも冷たかった。
どうして。
パウラは部屋に駆け込みながら、思った。
どうして、こんなことになるの。
とにかく、外へ出なきゃ。
山の中かどこか、あの男たちの手の届かないところへ逃げなきゃ。
すぐそこのはずなのに、裏口の戸は遥か遠くにあるように感じた。ようやくたどり着いたその戸を開けると、下品な歓声に出迎えられた。
思わず立ち竦む。
そこには武装した三人の男が待ち構えていたのだ。
「本当に出て来たぜ」
傭兵の一人が下卑た笑顔で叫んだ。
「リネガの言ったとおりだ」
そんな。こっちも押さえられていた。
絶望的な気持ちで、パウラはとっさにまた戸を閉めた。
「おい、待てよ」
すぐに戸は外から蹴破られた。傭兵たちがなだれ込んでくる。
パウラは走った。
ああ。どうして。
膝が震えて、うまく走れない。
何で、私たちが殺されなきゃいけないの。あんな何も生みださない、奪って壊すだけの人たちに。
前からも後ろからも傭兵が迫ってきている。
それでも、裏口から殺到してきた傭兵たちから逃れるために、パウラは家の中を走った。
どこかで誰かが何か叫んでいる。
玄関から追いかけてきていたはずの傭兵たちは、なぜか姿を消していた。
中庭が見える廊下まで戻ったところで、パウラはなぜ傭兵たちがいなくなったのか、その理由を理解した。
中庭の真ん中に、あの少年が立っていた。
戦士。
彼を見た瞬間、パウラの頭に浮かんだのは、その言葉だった。
リネガやその配下を見た時には決して浮かばなかった言葉。
子どもには不釣り合いな長さの長剣が、太陽の光を反射して鈍く輝いていた。
本当にあなたが使うの、とパウラが尋ねたその剣が、今はまるで少年の身体の一部のように見えた。
冷たい目。リネガとは、また違う種類の。
その足元には、すでに三人の傭兵が倒れている。
「アルマーク!」
パウラが叫ぶと、アルマークは彼女をちらりと見た。
「パウラ、僕の後ろに来い」
アルマークは言った。
「そこじゃお前を守れない」
皆が中庭でカードに興じていた、穏やかな昼下がり。
だが、乱暴に扉が叩かれた瞬間、アルマークは身に迫る危険を感じ取った。
それは旅の間に磨き抜かれた、磨かれざるを得なかった感覚だった。
静かにカードをテーブルに置くと、アルマークは音もなく風のように走った。
その場にいた誰も、彼が走り去ることに気付かなかった。
それほどに静かで迅速な行動だった。
物置部屋で、アルマークは長剣を手に取った。
彼の父、“影の牙”レイズがくれた、旅の相棒。
誰がアルマークを裏切ろうとも、この長剣だけは決して彼を裏切らなかった。
駆け戻った彼は、家の中に殺到してくるリネガ配下の傭兵たちの姿を見た。
やはり、豹変した。
アルマークは全てを悟る。
戦場を駆ける北の傭兵の、陰の側面。
彼の目の前で、逃げてきた使用人の一人が背中から斬りつけられた。
悲鳴を上げて倒れたのは、アルマークの雑炊の量をいつも減らそうとしていた意地の悪い中年の女だった。
好きではなかったが、敵でもなかった。
敵は、あいつだ。
アルマークは剣を構えたまま、その傭兵に駆け寄った。
「なんだ、てめえ」
男は、剣を持つ少年の出現に目を剥いた。
「ガキが生意気に、そんな剣を」
皆までは言えなかった。アルマークが止まらなかったからだ。
廊下は狭い。長剣を振り回すには向いていない。
小さく、軽く。
アルマークは最小限の動作で、男を斬った。
ぐえ、と声を上げて、男は自分が斬ったばかりの女の上に倒れ込んだ。
アルマークはその上を飛び越え、さらに走った。
中庭だ。あそこで、敵を引き付ける。
瞬時にそう判断した。
「おい、リネガ。弱虫の変態野郎」
アルマークは大声で叫びながら、中庭に飛び出した。そこにいた敵の傭兵は、一人。
「女と子供を斬るしか能のない、傭兵の面汚し」
戦場で覚えた挑発の言葉を、アルマークはそのままなぞった。
「隠れていないで、ここまで出てこい。それとも生まれたての子馬みたいに足が震えちまって、歩けもしないか」
「生意気なガキがいるぞ」
そう叫んで躍りかかってきた傭兵の斧を、首を捻ってかわし、脇腹に思い切り刃を叩き込む。
男は声も上げずに倒れた。
「この野郎」
挑発に乗るように中庭に出てきた男たちの人数を、アルマークは目だけで数える。
四人。
まだ足りない。
「リネガ、この臆病な卑怯者が」
男たちに構わず、アルマークはなおも叫んだ。
「お前が漏らした小便は、あとでこっそり始末してやる。だから恥ずかしがらずに出てこい」
「黙れ、ガキ」
怒りで顔を赤くした傭兵の振り回した斧が、アルマークの鼻先をかすめる。
しかしそれを振り終わらないうちに、男の右腕は斧を握ったまま鮮血とともに宙を舞っていた。
「げえっ」
絶望に目を見開いた男の脇から突き出された、次の傭兵の剣を、アルマークは身体の重心を移動させるだけでよけた。
下から上へと凄まじい速度で弧を描いた長剣が、その男の顎から額までを真っ直ぐに切り裂いた。アルマークの返す刀で、右腕を飛ばされた男の首が飛ぶ。
「お、おい」
その鬼神のような働きに、傭兵の一人が叫んだ。
「とんでもねえガキがいる。みんなこっちに来てくれ」
いいぞ。
アルマークは思った。
もっと集めろ。
アルマークは、目立つように中庭の中央に立つ。
この程度の連中なら、囲まれても構わない。
「アルマーク!」
その声に、アルマークはそちらを一瞬だけ見て、安堵した。
戦いで命を散らすのはやむを得ないことと心得てはいたが、それでも生きていてほしかった。
「パウラ、僕の後ろに来い」
アルマークは言った。
「そこじゃ、お前を守れない」