リネガ
結局、アルマークはその日もパウラの家に泊まることになった。
薪割りを命じたエブロが、アルマークの仕事の速さに驚愕したからだ。
試しに他の仕事をやらせてみると、何をさせても覚えも早いし手際もよかった。
「お嬢様、あの小僧は掘り出し物かもしれませんぞ」
エブロは真面目な顔でパウラに言ったものだ。
「使用人として残すという手もあるかもしれません」
「そうね」
パウラは笑って頷いたが、それはできないだろうということは分かっていた。
アルマークと話したときに、気付いていたからだ。
アルマークの目は、目的を持つ人のそれだった。南へ、と言葉少なに語ったその瞳には、強い意志が秘められていた。
あれだけの傷を負いながら、それでもそこへ向かうことを諦めないだけの何かが、南のどこかで彼を待っているのだ。
とはいえ、背中の傷が治るまでの間、アルマークが残ってくれるのであれば、それはパウラにとっても大歓迎だった。
パウラやエブロの話を聞き、家の主人であるパウラの祖父エリオンも、アルマークの滞在を認めてくれた。
その日から、アルマークはパウラの家で働き始めた。
エブロは彼のことを「物置の小僧」と呼んでこき使ったが、アルマークは嫌な顔一つ見せなかった。命じられた仕事を黙々とこなし、その速さにはエブロも毎回舌を巻いた。
アルマークはその代わり、人に愛想よくするということもなかった。
誰かに何か冗談を言われてもにこりともしなかったし、エリオンやパウラの父に対して諂うこともしなかった。
パウラには、そんなアルマークの姿は好ましいものとして映った。
朝の仕事の後でアルマークの背中に薬を塗ってやるのは、パウラの日課になった。
他に兄弟のいないパウラにとっては、弟ができたような感覚だった。
丁寧に塗られた薬の効果なのか、それとも毎日の雑炊の栄養のおかげなのか、それは分からなかったが、アルマークの背中の傷は日を追うごとに順調に回復していた。
アルマークが旅立つ日も、そう遠くはない。
そう思うと、パウラは胸が締め付けられるような寂しさを感じるのだった。
そんなある日のことだった。
北の冬にしてはよく晴れた暖かい日で、昼過ぎ、珍しく人々の賑やかな笑い声が家の中に響いていた。
この家で働く数人の使用人が、日当たりのいい中庭にテーブルを出して、誰かが持ち出してきたカードで遊んでいるのだ。
貧しい彼らには賭けるものとてなかったが、娯楽の少ない中でカード遊びは貴重な楽しみの一つだった。純粋にゲームをして勝ち負けを争うだけでも面白かった。
最初はその様子を遠巻きに見ていたパウラも、彼らの楽し気な笑い声に我慢できなくなり、輪の中に加わった。
アルマークも使用人たちに引っ張ってこられて、参加していた。
アルマークに対するエブロの態度はいまだにきつかったが、使用人の中には黙々と働くこの少年を好意的に見る者もいたのだ。
「小僧、また5を出しやがったな」
エブロが真っ赤な顔で怒鳴り、周囲の者が笑う。
アルマークは不愛想な顔のままでにこりともしなかったが、ゲームには強かった。
他の者とは、カードの出し方が違う。
貧しい集落で育ってきたパウラは、学はなかったが聡明だった。
だから、目の前のことだけを見て勢いのままにカードを出す使用人たちの中で、アルマークのカードの出し方にだけはきちんと戦術のようなものがあることが、彼女には感覚的に分かった。
アルマークは勝ちすぎることもなかった。
簡単に勝ったかと思うと、エブロがかっかし始める頃にはころりと負ける。
まるで、それも計算しているかのようだった。
「ねえ、アルマーク」
パウラがそう声を掛けようとした時だった。
玄関の扉が乱暴に叩かれた。
まるで叩き壊さんばかりの激しさに、笑い声の響いていた中庭は一瞬で静まり返った。
「リネガの手下か」
カードをテーブルの上に放りだして、エブロが呟く。
「おかしいな、今日は連中が来る日じゃねえはずだ」
パウラもその音に、何か名状しがたい不吉さを感じていた。
「気を付けて、エブロ」
パウラは言った。
「何か嫌な予感がするわ」
「まさかいきなり大暴れはしねえでしょうが」
エブロはひきつったように笑う。
「気を付けましょう」
使用人たちもカードをテーブルに置いて、それぞれに立ち上がる。
アルマークの姿はいつの間にか、中庭から消えていた。
皆が見守る中でエブロは歩いていくと、玄関の扉をわずかに開けた。
「どちら様で」
そう言いかけて、絶句する。
「あ、あなた様は」
「俺が直接出向いてるんだ」
扉の向こうから聞こえる冷たい声。
「さっさと主人を呼びな」
その声を、パウラは覚えていた。
隣の廃村から彼らが初めてやってきたとき。
この声の主がパウラの家に来たのはその日だけだった。
あとはいつも、彼の手下だけが来ていた。
北の傭兵、“自在斧”のリネガ。
男はそう名乗ったはずだ。
「へ、へい。少々お待ちを」
エブロが慌てて扉を閉め、主人を呼びに走る。
「大旦那様!」
パウラたちは声も出さずにその背中を見送った。
「……リネガが手下を連れて来ただと」
やがて、険しい顔をしたエリオンが、エブロとともに戻ってきた。
「食料は約束通りに渡していたはずだろう」
「はい、もちろんです」
エブロが頷く。
「少し多めにやったこともあるくらいです」
「では、何の用だ」
そう言いながらも、エリオンはさすがだった。
扉を開けるときには、険しい表情はたちまち柔和な笑顔の奥に隠れてしまった。
「お待たせいたしました」
エリオンが言った。
その向こうに冷たい目をした長身の男が立っているのが、パウラにも見えた。
「本日は、リネガ様が直々に、いったいどうなされましたか」
「おう、長」
リネガは薄く笑った。
「今日は、残念な知らせを持ってきた」
「残念な知らせ、でございますか」
エリオンは目を見張る。
「それは、いったい」
「もうこれ以上、この村を守ることができなくなってしまったのだ」
薄笑いを浮かべたままでリネガは言った。
「新たな雇い主が見付かってな。明日には発たねばならなくなった」
「それは」
エリオンは深々と頭を下げる。
「この村にとっては残念でございますが、リネガ様にとってはめでたきことと存じます。おめでとうございます」
「おう。長、こちらこそ、世話になったな」
リネガはエリオンを冷たい眼で見下ろした。
「ただ、我らの目的地は少々遠くてな。そこまでの糧食が要るのだ」
「ああ、そういうことでございますな」
エリオンは顔を上げる。
「いかほど」
「全部だ」
「は?」
「この村にある食い物を、全部持っていく」
「そ、それは」
エリオンは困惑した声を出した。
「さすがにそれでは、我々も冬が越せませぬ」
「そうだろうな」
リネガは頷く。
「村の者も食わねばならん。それは我らとて、理解しているぞ」
「それでは」
「察しが悪いな、長」
リネガは笑った。
「食い物など要らん身にしてやろうということだ」
リネガの声に凶気が宿ったことに、パウラが真っ先に気付いた。
「おじい様!」
だがパウラが叫んだ時には、エリオンは鮮血とともに崩れ落ちていた。
「全員殺せ」
斧を下ろしたリネガは部下を振り返り、氷のような声で言った。
「食い物を探すのは、その後でいい」