パウラ
足を踏み入れた家の中はやはり質素なものだったが、この集落では一番の権力者の家なのだろうということは、アルマークにも分かった。
そういう家には、生活に必要ではない物があるのだ。
装飾品であったり、調度品であったり。
そういった品が間接的にその家の主の権力を示すのだということは、アルマークも知っていた。
そしてそれは、この貧しい集落でも同じだった。
あまり実用的ではない壺や甕を横目に、アルマークは使用人のエブロに続いて歩いた。
エブロの不機嫌な態度から、アルマークは馬小屋か土間にでも連れていかれることを覚悟していたのだが、意外にも物置のような小部屋に通された。
「用便の時以外は、ここから出るな」
戸口に立って、エブロは言った。
「飯は冬団子の雑炊しかねえぞ。文句は言わせねえ」
「ご馳走だ」
アルマークが答えると、エブロは、ふん、と鼻を鳴らした。
「そこに積んである毛布を使え。火は焚くんじゃねえぞ」
「分かった」
「金は要らねえってよ」
エブロは面白くなさそうに舌打ちした。
「一人旅の小僧からなけなしの金を取るほど、この家は落ちぶれちゃいねえとよ」
「助かる」
アルマークは言った。
「家の仕事で手伝えることがあったら、何でも言ってくれ」
「雪を漕いできたんだろ」
エブロはアルマークの濡れた足元を顎でしゃくる。
「靴を脱いで乾かしておけ」
意外にも親切な言葉にアルマークが眉を上げると、エブロは噛み付くように言った。
「お嬢様の言いつけだから、仕方なく言ってるんだ。もし明日も泊まるなんて言い出した時は、足腰が立たなくなるまでこき使ってやる」
「分かった」
頷いたアルマークは、エブロが足音荒く出ていった後、靴を脱いで毛布とも呼べぬようなぼろきれにくるまった。
剣を胸に抱き、その鞘の先に赤いペンダントがきちんと入っていることを手さぐりで確かめると、アルマークはすぐに眠りに落ちた。
どれくらいの時間が経っただろう。
誰かの足音に、アルマークは目を開けて身体を起こした。
もともと薄暗い部屋だったが、すでに夜の闇に包まれていた。
扉が開き、湯気の立つ雑炊を持って入ってきたのは、先ほどの少女だった。
「暗いわね」
少女は持ってきた燭台を床に置くと、アルマークに雑炊の椀を差し出す。
「これ、食べて」
「ああ」
明るくなった部屋で眩しそうに目を瞬かせて、アルマークは椀を受け取った。
「すまない」
それだけ言うと、熱い冬団子の雑炊を無言で口に運ぶ。
厳しい冬に、雪の下で実を付ける生命力旺盛なユキカブリという植物の実をすり潰して団子状にしたものが、北で一般に冬団子と呼ばれている食べ物だった。
かつては山奥でひっそりと自生していたユキカブリの普及は、北の冬の食糧事情を改善し、餓死者を大きく減らしたが、それは冬が休戦期ではなくなることも意味していた。
栄養価は高いがどう調理してもまずいユキカブリの実は、傭兵たちの貴重な糧食で、それはアルマークのいた黒狼騎兵団でも例外ではなかった。
元気な人間なら、まずいまずい、と文句を言いながら食べるような代物だが、少女から渡された冬団子の雑炊にアルマークは何の不満もなかった。
旅の途中で加わった傭兵団を離れてからこちら、まともな食事をしてこなかった。温かい物が食べられるというだけでありがたかった。
アルマークが喉を鳴らして雑炊を掻き込むのを、少女は笑顔で見守った。
「ねえ」
あっという間に食べ終えてしまい、椀から顔を上げたアルマークに、少女は言った。
「あなた、名前は?」
「アルマーク」
「いい名前ね」
少女は微笑む。
「私はパウラ」
「パウラ」
アルマークは不愛想にその名を繰り返した。
「そう。パウラ」
アルマークの反応を面白がるように、パウラは頷いた。
「ねえ、アルマークはどこから旅をしてきたの」
「もっと北から」
「もっと北って、ノルンとか?」
「そこまではいかない」
「ラシックとか?」
「まあ、その辺り」
「どこまで行くところなの?」
「南」
「南って、エルレーゴくらい?」
「もっと南だ」
「メノーバー海峡を越えるの?」
「南は、南だ」
「ふうん」
パウラは、アルマークが大事そうに抱えている子供には不釣り合いな長さの長剣を見た。
「その剣を使うってことは、あなたは傭兵なの?」
傭兵、という言葉にアルマークはわずかに反応した。
パウラから目を逸らし、虚ろな目を天井に向けてしばらく考えたのち、アルマークは呟くように言った。
「傭兵、だった」
しばらくあれこれと話した後でパウラが去っていくと、アルマークは再び毛布にくるまった。
久しぶりに身体が温まり、そのせいで背中の傷がじんじんと疼いた。
浅い眠りの中だった。
アルマークは部屋の外のどこかで男たちが低い声でかわすやり取りを聞いた。
「また冬団子かよ。この村にはもっとまともな食い物はねえのか」
「この季節には、これだけでもやっとでして」
「隠したりしてねえだろうな」
「滅相もない」
片方は、エブロの声だ。
先ほど閉め出されかけたあの戸口で、エブロが誰かと話している。
アルマークに対するのとはまるで違う、へりくだった声だった。
だが、その短い会話でアルマークは村の状況を理解した。
誰かが、この家から食料を受け取っていった。
それはつまり、この村の近くに傭兵団崩れの連中が来ているということだ。
そう考えると、村人たちの怯えた態度にも合点がいった。
仕事にあぶれた傭兵団の来訪は、村人たちにとっては、村が戦場になることの次くらいに迷惑なことだった。
村人を殺して根こそぎ略奪していくような乱暴な傭兵団も中にはいたが、行く当てもないのに村を潰してしまっては、自分たちも干上がってしまう。だから、村を他の傭兵団から守ってやる、などともっともらしい理由を付けて、村から一定の食糧を貢がせるのが一般的な彼らのやり口だった。
アルマークのいた黒狼騎兵団のような一流の傭兵団は仕事に切れ目がなく、そういった行為に手を染めることはほとんどないが、弱小傭兵団では当たり前のことでもあった。
漏れ聞こえてくる二人のやり取りでは、いきなり村を襲うような緊迫感はなかった。
だが、いきなり豹変するのが傭兵という人種だ。そうでなければ、次から次へと雇い主を変えて、昨日の味方と命を懸けて戦うことなどできはしない。
何かが起きて巻き込まれる前に、早くここを出た方がよさそうだ。
ようやく静かになった戸口の方にもう一度耳を澄ましてから、アルマークは眠りについた。
目を覚ますと、また思い出したように背中の傷が痛んだ。
朝の寒さが毛布を突き抜けるように侵食してきたが、野宿を繰り返してきたアルマークの身体にはさほど堪えなかった。だが、傷の痛みは別物だった。
人間らしい場所で身体を休めることができたおかげで、麻痺していた感覚が戻ってきたようだった。
それでもごそごそと起き出したアルマークは、毛布をたたむと部屋を出た。
村人たちにとって、朝は最も忙しい時間だ。
立ち働く大人の中に、エブロがいた。
「おい、小僧」
エブロはアルマークを見付けると、声を荒げた。
「外に出るなって言っただろうが」
「よく眠れた」
アルマークは答えた。
「何か手伝うことは」
「ふん。殊勝なことを言って、金目のものでも探していたのか」
「心配なら、あんたの見えるところで働く」
「生意気なことを」
エブロは嫌そうな顔をして右手で顎をしごくと、中庭を指差した。
「それなら、あそこで薪でも割っていろ」
日当たりの良い中庭は、家のどこからでもよく見ることができた。
その隅の軒下に、割られる前の大小の薪が無造作に積まれていた。
「分かった」
「お前の姿がそこから見えなくなったら、盗みを働こうとしたとみなすぞ。どんな言い訳をしても追い出すからな」
「それでいい」
アルマークは中庭に出ると、斧を握った。