真似
バルテを先頭に、アルマークたちは闇に包まれる森を駆けた。
さほど深い場所ではない。
健康な男の足で必死に走れば、出るまでにそう時間はかからないはずだった。
だが、後方を走る男たちが悲鳴のような声を上げた。
「待ってくれよ、俺たちを見捨てないでくれ」
何を都合のいいことを。
アルマークはその声に振り向きもしなかったが、先頭のバルテはまた身を翻して後方に走った。
「バルテ!」
さすがにアルマークは苛立った声で叫んだ。
「もうそんな奴ら、放っておけよ」
だがバルテは恐怖でがくがくと足を震わせている男たちが担いでいた男を引き受け、彼らを先に行かせる。
「俺は最後から行く。アルマーク、お前が先頭を行け」
「あんたどこまで」
お人よしなんだ。
言っても詮ないこと、と思い直してアルマークは口をつぐむ。
ここに来るまでの道は、頭には入れていた。だが、所詮は初めての森だ。
夜の闇の中で道を誤ることも十分に考えられた。
「僕が先頭を走る間に、次の道をちゃんと教えろ」
アルマークは追いついてきた男たちに言った。
「なんなら、お前らが先頭を走ってもいいぞ」
だがアルマークを追い越した仲間がスナブジュレモに殺されたのを目の当たりにしていた男たちは、皆怯えたように首を振る。
くだらない連中だ。
アルマークはそれ以上話をすることも嫌だった。
死にたくないのなら、人の命に汚いその手を触れるな。
人の命を奪おうとする以上、自分も奪われる覚悟をしておくべきだ。
アルマークは走った。
「次の道は」
そう言うと、後ろを走る男が「右だ!」と喘ぎながら答えた。
分岐を右に曲がる時にちらりと振り返ると、最後方のバルテとの差が開き始めていた。
さすがにバルテと言えども、大の男一人を担いでアルマークたちと同じ速度で走ることはできなかったのだ。
「俺のことは気にするな!」
それでもバルテはアルマークが振り向いたことに素早く気付き、息も切らさずにそう言った。
「さっさと森を出ろ!」
アルマークとてそうしたいのはやまやまだった。だが、ここでバルテを見捨てて走る速度を上げるということは、自分もこの不愉快な連中の同類に堕するということだった。
それは、アルマークの傭兵としてのプライドが許さなかった。
「口ほどにもないじゃないか、バルテ」
だからアルマークは剣士にそう叫んだ。
「あんたを見捨てたみたいになると、こっちも夢見が悪いんだ。だめなら手伝うぞ」
「ははは」
バルテは快活に笑った。
闇に包まれた森の中で、その笑い声はあまりに場違いに響いた。
だがそんなことを気にしないのが、バルテという男だった。
「いいぞ、アルマーク。助けは要らないが、走るペースはお前に任せる」
「ふん」
アルマークは前に向き直ったが、それでもペースを格段に落とした。
ほどなくバルテが追い付いてきたが、周囲を取り巻くがさがさという音は近付いていた。
「お、おい」
後ろを走る男の一人がたまりかねたように声を上げた。
「もっとペースを上げろよ、化け物に追いつかれるじゃないか」
「行きたきゃ先に行け」
アルマークは振り向きもせずに乱暴に腕を振った。
「その方が助かる可能性があるかもしれないぞ」
ためらう気配の後、男の一人がアルマークを押しのけるようにして前に出た。
「どけっ」
そう叫ぶと、男は足を速めた。ぐんぐんとアルマークたちから遠ざかっていく。
アルマークの背後の男たちも、離れていく男の背中を見定めるように目で追っていたが、男の背中がずいぶんと小さくなって闇に溶け込んだのを見て、大丈夫だと判断したようだった。
男たちがアルマークを押しのけて前に出る。
「俺たちも行くぞ」
「好きにしろ」
その方がいい。どうせこんな連中、いたところで足手まといにしかならない。
アルマークが思った時だった。
「ぎゃあああっ」
それは、道の先の闇に溶け込んだ男の悲鳴だった。
「ひいっ」
アルマークの前に出た男たちは慌てて足を止める。
「邪魔だ」
アルマークは彼らの横を、速度を変えずに走り抜ける。
「行くなら行け。はっきりしろ」
少年の辛辣な言葉に、答えられる者は誰もいなかった。
アルマークの走っていく先に、先ほどの男が倒れているのが見えた。
覆いかぶさっていた泡状の人型が身体を起こす。
「アルマーク!」
後方からバルテの声がした。
「こっちにも来てる。手伝ってはやれないぞ」
「最初から頼んでない」
アルマークはそう答えると、長剣を構えてスナブジュレモに突っ込んだ。
突き出される泡の腕を、剣の一閃で斬り飛ばす。
確か、バルテは。
アルマークは、先ほど見たバルテの凄まじい剣さばきを思い返していた。
こんな感じでやっていたっけ。
泡状の身体が繋がってしまう前に、もう一閃。
さらにもう一振り。もう一振り。
森の闇の中に、長剣が何度も閃いた。
「す、すげえ」
背後で足を止めた男たちが呟く。
いや、まだ遅い。
アルマークはさらに剣速を速めた。
バルテの剣はもっと、こう。
闇の眷族の身体を切り刻みながら、斬る場所も重要なのだと気付く。
そうか。この辺りか。
目には見えないが、闇の核のようなものをアルマークは直感で感じ取っていた。
それを斬るようにして剣を振るう。
うん、近い。
ほどなくして、スナブジュレモは戦闘能力を失った。
「やるな、アルマーク」
背後からバルテの感心したような声がする。
「もう真似されちまったか」
アルマークはそれに答えず、無力化したスナブジュレモの脇を駆け抜けた。
ついてくる男たちはもう誰も彼の前に出ようとはしなかった。
やがて、森の出口が見えてきた。
アルマークの背後でバルテが新手のスナブジュレモを振り切ったようで、風を切るような剣の音が響いた。
出口が近付く。
よし。これで大丈夫。
一瞬の気の緩み。
次の瞬間、アルマークの足が真っ暗な地面の尖った石を踏んだ。
しまった。
アルマークの足首が、ぐにゃりと嫌な感じで曲がる。
普段ならば、アルマークの柔軟性をもってすれば何ということもない捻り方だった。
だが、そちらは先ほど矢傷を受けた足だった。
無意識にそれを庇うようにしたせいで、ぴりっとした痛みが背中まで走った。
「うぐっ」
思わずアルマークはうずくまる。
「どうした、アルマーク」
バルテの声。男たちが喘ぎながら、森の出口目がけて一目散にアルマークの脇を駆け抜けていく。
「大丈夫だ」
アルマークは答えて立ち上がろうとした。
しかし、激痛。
「くそっ」
ふらつきながらそれでも立ち上がったところで、後ろから肩を担がれた。
「バルテ、あんたさすがに二人は」
無理だ、と言おうとした。
だが、言葉を失う。
バルテではなかった。
アルマークの後からついてきた男たちのうちの一人が、アルマークを抱きかかえていた。
「軽いな」
男は驚いたように言った。
「こんなに軽い子供なのに、お前とんでもなく強いな」
「下ろせ」
アルマークは叫んだ。
「自分の足で走る」
「すぐそこまでだ」
男は答えた。
「森から出りゃ下ろすよ」
「ははは」
またバルテの快活な笑い声が響き、アルマークは顔をしかめる。
「好意は素直に受けておけ」
バルテは言った。
「お互い様だ」
「何がお互い様だ」
こっちは迷惑を掛けられただけだ。
そう言おうとしたが、アルマークを抱えたまま男が走り出したので、仕方なくアルマークは口をつぐんだ。
今は、生き延びることが先決だ。
森の出口はもうすぐそこだった。




