群生地
少女の話では、薬草の群生地はこの集落からほど近い山中にあるという。
「今から行けば、日没までには十分に帰ってこれると思います」
群生地までの行き方を簡単に説明された剣士バルテは、少女に凛々しい顔で頷いてみせた。
「そうか。君のお母さんのためにも、早いに越したことはないからな。よし、今すぐに出発するとしよう」
「今すぐだって?」
アルマークはバルテの腰のあたりを叩く。
「待てよ、バルテ。魔物がいるっていう山の中に、そんなに慌てて入る必要はないだろう、危険すぎる」
「何を言ってるんだ、アルマーク。のんびりしていたら、日が暮れるだろう。夜の森に入りたいのか」
バルテはそう言いながら、もう歩き出しかねない勢いだ。
夜の森の恐ろしさなど、バルテに言われるまでもなくアルマークは心にも身体にも刻み込んでいた。
人を殺し尽くすために生まれ出たような、闇の眷族。
デリュガン、ボラパ、エルデイン、マルムダン。
あんな連中を相手にして死ぬことには、何の意味もない。
「明日じゃだめなのか」
アルマークはそう提案した。
「初めての森だ。道に迷って夜になったら危険すぎる」
「俺は困っている人がいれば、それを見過ごさない主義だ。今できることを明日には延ばさない」
「僕は今できるかどうか分からないって言ってるんだ」
アルマークの言葉に、バルテは黙って首を振る。
アルマークはため息をついた。
このバルテという青年の、こうと決めたら決して曲げない頑固さを、アルマークは旅の中で思い知っていた。
バルテの目の前に救いを求めてきた少女がいる以上、アルマークが何を言おうと前言を翻すことはないだろう。
「おい。魔物って言っているけど」
アルマークはバルテの説得を諦めて少女に声をかけた。
「具体的に、何が出るんだ。どんな魔物が」
それは最低限の問いだった。戦うことになる魔物の情報くらいは知っておかなければ、生き残ることも覚束ない。
だがアルマークの言葉に、少女は困ったように顔を曇らせた。
「私が見たわけではないので、何が出るかまでは私には」
「分からないのか。じゃあ誰なら分かるんだ。お前のお母さんか」
「母はずっと寝ているから、何も知らないわ。ほかの大人なら……でも昼間は畑に行っていて、いないので……」
「アルマーク」
バルテがアルマークの肩を叩いた。
「困らせるんじゃない。お前が行かないなら、俺一人で行くぞ」
勝手にしろ、と言いたかったが、アルマークはここでバルテ一人を行かせるほど薄情にはなれなかった。
「ああ、くそ」
アルマークは、さっさと歩き出したバルテの背中を追う。
本当にこんなに鈍感で、よく今まで生き残ってきたな。
それはバルテと旅するようになってから何度となく感じてきたことだったが、それでもやはりまたそう思わざるを得ない。
剣の腕だけはすごい。だがバルテはきっと戦場に出たら真っ先に死んでしまう類の人間だ。
きっと自分でもそれが分かっているから、彼はそれだけの腕を持ちながら傭兵にはならないのだろう。
「待てよ、バルテ」
アルマークはバルテとともにしばらく歩いたところでふと振り返った。少女はまだこちらを見ていた。
ああ、嫌な予感がする。
アルマークはそう思った。
ざくざくと雪を踏みしめて、森へと続く道を歩く。
だが、バルテの記憶はいい加減だった。
少女から聞いたはずの道順をどう間違えたものか、向こうに見えている森がなかなか近付いてこない。
「本当にこっちだって言ったのか」
アルマークの言葉にバルテはまた首を捻る。
「そうだと思うんだがな」
「もういい、森に向かってまっすぐ歩こう」
アルマークが、道を逸れて茂みに踏み込むと、さすがにバルテが慌てた声を出した。
「待て、アルマーク。それは無茶だ。分かった、ちょっと思い出すから」
多分さっきの分かれ道だ、というバルテの言葉を信じて、アルマークは彼とともに元来た道を戻る。
ようやく森の入り口に着いた頃には、冬の太陽はすっかり傾きかけていた。
「急ごう」
バルテは言った。
「夜になったらまずいぞ、アルマーク」
誰のせいで遅くなったんだ、と言いたくなるのをぐっとこらえて、アルマークはバルテと並んで歩く。
森の中の道は、アルマークの予想と違っていた。
「人が歩いた跡がある」
アルマークは言った。
「雪が硬い」
「歩きやすくていいな」
隣を歩くバルテがのんきに答えるのを、アルマークは鋭い目で睨む。
「あの子の言葉を覚えてないのか?」
「ん?」
バルテの反応は鈍い。
「何のことだ?」
「冬を迎えたら群生地に魔物が出たって、あの子はそう言ったんだ」
「それがどうした」
「だから」
バルテの察しの悪さに、アルマークは苛立つ。
「雪の上を人が歩いていたらおかしいんだ。魔物が出た後の群生地に、雪が踏み固まるくらいに何度も何度も誰が行くっていうんだ」
「魔物がもういなくなったかどうか、見に行ってたんじゃないのか」
バルテの能天気な答えに、アルマークは首を振った。
「そんなに何回も行くわけないだろ。さっきもあの子は、大人はみんな畑に行ってるって言ってたじゃないか」
「そうだったかな」
バルテは首を傾げる。
本気なのかとぼけているのか。バルテのこういうところは、いまだにアルマークにもよく分からない。
「嫌な予感しかしない」
アルマークは言った。
「相手は魔物とは限らないぞ。気を抜くなよ、バルテ」
「俺を誰だと思ってるんだ、気なんか抜いてはいないさ」
バルテは自分の腰に提げた剣の柄を手で叩く。
「いつ、何が来ても大丈夫だ」
自信満々の笑顔。
悔しいが、バルテの剣の腕は確かだ。アルマークは口をつぐむ。
しばらく歩くと、その群生地はあった。
雪から顔を出す、鮮やかな緑。
根を煎じて飲む、リョウゼンアマシという草だった。
「あれだな」
バルテが周囲を見まわす。
「魔物の姿はないな。好都合だ」
アルマークは、群生地の地形の特徴に気付いていた。
周囲の土地が全てここよりも高い。ここは、窪地の底だ。
「よし。抜いてしまうか」
そう言って、バルテが草むらに屈みこんだ時だった。
「バルテ!」
アルマークは叫んだ。
バルテの反応は素早かった。
雪の上に身を投げ出しざまに剣を抜き放つ。
さっきまでバルテが腰を屈めていたところに突き刺さったのは、一本の矢だった。
「どこからだ」
バルテが叫ぶが、アルマークにも返事をする暇はなかった。
続けて二本の矢がアルマークを襲ったからだ。
一本をかわし、もう一本を長剣で弾く。
「全部だ」
アルマークは叫んだ。
窪地を囲むあらゆる方向から、弓を手にした男たちが顔を出していた。
「そうか」
バルテが頷く。
「全部か。やりがいがあるな」




