集落
北の冬は、その地に根差して生きる者全てに等しく厳しいが、旅をする者にもまた厳しい。
主要な街道といえども、雪の中にたびたび埋もれてしまう。
前回の旅では確かにあったはずの宿場町が、もう廃墟になっている。
それなのに戦も魔物も減りはしない。
北というのは、そういう場所だ。
父と別れ、南のノルク魔法学院を目指すアルマークは、わずか九歳の身で危険な旅を続けていた。
途中、身を寄せた傭兵団の一員として出た戦場で、アルマークは北にその名の轟く傭兵“双剣”のアーウィンに背中を切られ、負傷した。
敗戦の中で味方にも見捨てられ、どうにかただ一人戦場を離脱したアルマークは、川沿いの廃屋で数日間傷を癒し、旅を再開した。
まだ傷は痛んだが、いつまでも寝ているわけにはいかなかった。
動けるうちに動かなければ、待っているのは凍死か餓死の虚しい二択だった。
春から秋にかけては確かに旅人の道として機能するのであろう川沿いの道は、冬にはひどい有様だった。
通る人がいないせいだろう、道はのっぺりとした白い雪に埋もれてその痕跡をすっかり消してしまっていた。
幸い、積雪はそう多くはなかった。アルマークは方角だけを頼りに半日以上、その道とも呼べぬ道を歩き続け、張り出した尾根に出たところでようやく眼下に小さな集落を見付けて安堵の息を漏らした。
辿り着いた閑散とした集落には、人の気配がほとんどなかった。
だが、無人というわけではないことは、アルマークにも分かった。
村人は皆、家の中にいる。
ただ、いるだけではない。
息を殺して、侵入者の動向を窺っているのだ。
アルマークは集落の中央を突っ切るように通る道を歩き、最も大きな家を目指した。
何かに追われているときでなければ、集落の隅っこの小さな家などには目をくれず、一番でかい家を訪ねろ、とは父の教えだった。
貧しい集落の小さな家には、どうせ旅人を泊めてやるような余裕はない。よそ者にどう対処したらいいか決める権限もない。
結局は一番でかい家の人間にお伺いを立てるか、そうでなければ敵意剥き出しに大騒ぎされるかのどちらかだ。
それならば、最初からその一番でかい家を訪ねた方が、無駄がない。
村の中を歩きながら、アルマークは家々の窓から密かに自分を覗く人々の視線を感じていた。
ずいぶんと、僕に怯えているな。
アルマークは思った。
そのことが、奇妙だった。
村人たちがよそ者に警戒心を抱くのは当然のことだ。
だが、魔物やならず者が跋扈するこの地で、いくら帯剣しているとはいえ少年一人にここまで怯えることがあるだろうか。
警戒心の強い村であれば、むしろ村を囲う柵の内側から邪険に追い返され、村に入れてすらもらえないことのほうが普通だった。
そうでなくとも、斧や鎌で武装した大人たちにたちまち取り囲まれることは、いくらでもあった。
彼らも必死だが、アルマークとて必死だった。
そういう時に背中の剣を振るうか振るわないかは、結局は相手の出方次第だった。
振るうと決めれば躊躇はしない。それは、北で生きる上での鉄則であり、父レイズが口を酸っぱくしてアルマークに教えてきたことでもあった。
いいか、アルマーク。前に出る時を間違えるな。
だが、出ると決めたら躊躇うな。
やがてアルマークは、この集落で最も大きな家……といっても、他のみすぼらしい家と比べれば、という程度の大きさではあったが……の前にたどり着くと、扉を叩いた。
数度のノックの後、しばらくの間があって、ようやく内側で人の動く音がした。
がたがた、という建付けの悪い音とともに、扉が薄く開かれた。
顔を半分だけ覗かせた初老の男が、警戒心のこもった眼でアルマークの姿を頭からつま先まで見た後で、彼が背負う子供にしては不釣り合いな長さの長剣に目を留めた。
「リネガさまのお使いの方ですか」
男は微かに震える声で言った。
「約束のお時間よりも、少し早いようですが」
「リネガ?」
聞いたことのあるような、ないような名前だった。だが、少なくとも自分とは関係のある名前ではない。
アルマークは首を振る。
「違う。僕は旅の途中で通りかかった者だ。金は払うから、食事と寝る場所を提供してほしい」
その言葉に、男は怪訝そうに眉を寄せた。
「……旅人?」
低い声で、男は言った。それから、もう一度じろじろとアルマークの身なりを見る。
「その年で、一人で?」
アルマークは頷く。
「この家にこれから客が来るのなら、どこか他の家でもいい。金は出すから泊めてほしいんだ」
「本当に、旅人なのか」
男は確かめるように言った。
アルマークが頷くと、男はため息を吐く。
「なんてこった」
急にぞんざいな口調で、男は言った。
「こんな日に、紛らわしい小僧だ。泊めろだと? こっちはそれどころじゃねえ」
「金ならある」
「金の問題じゃねえ。うちは宿屋じゃねえぞ」
男はうるさそうに手を振った。
「さっさとこの村から出て行け」
「なら、どこか泊めてくれそうな家を教えてくれ」
「ねえよ、この村にお前みたいな小僧を泊める家は」
男はもう扉を閉めようとしていた。
「日が残ってるうちに、次の村へ行け」
扉が閉められる前に、アルマークは素早く靴の先を突っ込んだ。
「道が悪いんだ」
アルマークは言った。
「次の村は、まだ尾根から見えなかった。今日中には着かない」
「こいつ」
男はアルマークを閉め出そうと、がたがたと扉を揺らす。
「足をどけろ。面倒なガキめ」
「教えるくらいはしてくれてもいいだろう。泊めてくれる家だ」
「だからそんな家は」
「エブロ」
不意に男の背後から、別の声がした。
「泊めてあげればいいじゃない」
「お嬢様」
家の中を振り向いた男が、困惑した声を上げる。
「ですが、こんな素性の知れない小僧」
「ねえ、あなた」
扉が少し開き、男の肩の横から顔を見せたのは、アルマークよりも三つか四つくらい年上に見える少女だった。
「本当に一人で旅をしてきたの?」
「ああ」
アルマークが頷くと、少女はやはりエブロと呼ばれた男と同様、彼の背中の剣に目を留めた。
「その剣、あなたが自分で使うの」
「当たり前だろ」
アルマークの答えに少女は目を見張り、それからエブロの肩を叩いた。
「ねえ、泊めてあげましょうよ。リネガの使いがもしも乱暴なことをしたら、この子に助けてもらえばいいじゃない」
「お嬢様、滅多なことを言っちゃいけません」
エブロは慌てて険しい顔を作ってみせる。
「こんな小僧が下手にあいつらに跳ね返ったりしてみなせえ。うちだけでなくこの村全部、皆殺しにされちまいます」
「最初から、そんな人たちを村に入れるべきじゃなかったのよ」
「それはいまさら言っても詮のないことです、お嬢様」
エブロが苦々しい顔で言った。
「泊めてくれるのか、それともだめなのか」
アルマークは二人の会話に口を挟んだ。
「屋根のあるところならどこでもいいんだ。ただ、火だけは焚かせてくれ」
「うるせえ、黙ってろ」
男は厄介者を見る目でアルマークを睨みつけたが、背後の少女が言った。
「おじい様に聞いてくるわ。おじい様がいいとおっしゃったら、エブロだって文句はないでしょ」
「本気ですかい」
エブロは露骨に嫌そうな顔をする。
「それはまあ、大旦那様がいいとおっしゃれば」
そう言って渋々頷いたが、エブロはそれでも不満そうにアルマークを睨みつけた。
「まったく、よりによってこんな日に。おら、聞いてきてやるから足をどけろ」
ようやくアルマークが扉の隙間から靴を抜くと、彼の鼻先で乱暴に扉が閉められた。
しばらく戸口で佇んだアルマークは、再びしかめ面のエブロに迎えられた。
「入れ」
エブロは顎をぐい、としゃくって家の中を示した。
「いいか、余計なことをするんじゃねえぞ」
エブロの言葉に無言で頷き、アルマークは家に足を踏み入れた。