6.亀裂
「なんでよっ!」
朝からイライザは荒れていた。
使用人に暴力を振るい、近くにある物を手当たり次第に投げ飛ばして破壊していく。
「エーベルハルト様、奥様が」
なんとかしてくれと使用人が勝手に私の部屋に入って来る。
「いつから君たちは私に命令できるほど偉くなったの」
「命令だなんて、私たちはただ」
私の部屋に入ってきた使用人が戸惑ったように私の部屋に留まる。
「許可なんて出してませんよ」
「えっ」
「部屋。入室の許可なんて出していませんよ」
「あっ」
ようやく自分達の失態に気づいたようだ。
彼女たちの横を通り過ぎてイライザの元に行こうとした時、何を思ったのかメイドの一人が私の腕を掴んだ。
「触らないでください、気持ちが悪い」
「も、申し訳ありません。ただ、どちらに行かれるのかと」
イライザを止められるのは私だけ。なんとしてでも止めてもらおうと気が逸ったのだろう。その考え自体が使用人として間違っていることには気づきもしない。
「許可がいるんですか?どこへ行くのか、何をするのか。いちいち私はあなた方の許可をもらわないといけない立場なんですか」
「い、いいえ。そのようなことは。申し訳ありません」
私はイライザの元へ向かった。今度こそ誰も邪魔したりはしなかった。
イライザの部屋の前にはどうすることも出来ずに立ち尽くす使用人という名の野次馬がたむろしていた。
「どいてもらえますか」
「エーベルハルト様」
私の姿を見て集まっていた使用人たちはほっとした顔をする。本当に現金な奴らだよね。誰も顧みなかった時には同じように邪険にしていたくせに使えると分かった瞬間、大事に扱うんだから。
「イライザ」
声をかけると怒り狂ったイライザが私を睨みつけてきた。
「遅いじゃない。どうしてすぐに来なかったの。あんたも本当な私のことを軽んじてるんでしょ。面倒臭いって思ってるんでしょ」
「そんなことありませんよ」
私はイライザを抱きしめる。
「すみません、すぐに来れなかったのは使用人が大勢、許可もなく私の部屋に入ってきたり触ったりしてきたのでその対処に手間取ってしまって」
「なんですってっ!」
イライザの鋭い目が外にいる使用人たちに向けられた。彼らはまるで蛇に睨まれた蛙のように固まり、怯える。
「エーベルハルトは私のものよっ!勝手に私のものに触れるなんて」
「イライザ、落ち着いてください。私は大丈夫です。それよりもあまり怒ると体によくありません。体調が悪いんでしょう」
「エーベルハルト」
優しく声を掛ければイライザは縋るように私を見る。
子供に捨てられ、旦那には見向きもされない。さながら悲劇のヒロインを気取っているのだろう。全て、身から出た錆なのに。
「別室で休みましょう。ここを片付けて。それと食事は部屋で取ります」
私の指示をもらった使用人たちはすぐに動き始める。
「さぁ、行きましょう。イライザ」
「ええ。エーベルハルト、あなただけよ。私にはあなただけ」
ええ、そうでしょうね。
長い時間をかけて私がそういうふうに仕向けましたから。私に依存するように。私が世界の全てであるかのように。
◆◆◆
食事を摂ってある程度落ち着いたイライザは女の使用人を全て解雇した。
「私のエーベルハルトを誘惑する女なんてこの邸には必要ないのよ」
紹介状すら書いてもらえずに解雇されたら、次の仕事を見つけるのに苦労するだろう。
そのことはすぐに父の耳にも入り、鬼の形相で飛んで帰ってきた。
そしてすぐに父はイライザの頬を叩いた。
暴力を振るわれたことがないイライザは最初何をされたのかまるで分かってはいなかった。
「ローラントとアナベルが邸を出たそうだな。子供の躾もろくに出来ないくせに使用人を全員解雇して。仕事を増やすのだけは一丁前だな」
「旦那様、彼女たちを解雇したことにはちゃんとした理由があります」
「どうせ碌でもない理由だろ。この程度のことで私の手を煩わせるな。全く、少しはマリーを見習うのだな」
「マリー?」
そこで漸くイライザは父の後ろに女がいることに気づいた。自分と違って若く、美しい女性に。
「お前と違ってマリーは慎ましく、聡明だ。傲慢で、癇癪持ちのお前と違ってな」
「旦那様、私のような卑しい身分と奥様のような方を比べては、奥様に失礼ですわ」
そう言いながらそっと父の腕に触れるマリーはイライザを見て、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
マリーを父から引き剥がし、暴力を振るおうとしたイライザを私は抱き止める。
「ダメですよ、イライザ。今、感情的に動けばこちらに不利となります」
「でも」
不満そうなイライザの耳元で彼女を宥める意味も込めて囁く。
「見てください、あの傲慢な女の顔を。あなたが動くのを待っているんです。そしてあなたを悪女に仕立て上げて今度は彼女があなたに成り代わるつもりでしょう」
かつて、あなたが私の母にしたように。
「私はあなたと離れるのは嫌です。だから今は耐えてください」
そう言えば、イライザは潤んだ目で私を見つめてくる。
ああ、本当に気持ちが悪い。
「父上、新しい使用人の雇用は私に任せてもらっていいですか。父上も何かと忙しい身でしょう」
「ローラントやアナベルと違ってお前はしっかりしているようだな。さすがは私の息子だ」
そんなこと生まれて初めて言われたけど。
この人、私の名前とか知ってるのかな。まぁ、知っていても知らなくても結末は変わらないけど。
「お前に任せる。お前なら立派な伯爵家当主になれるだろう。この父のようなな」
「・・・・・・光栄です」
「では、行こうか。マリー、すまないね。些事で折角のデートを台無しにして」
「いいえ、図らずも伯爵様のご家族に会えて良かったですわ。私、仲良く出来そうです」
マリーは父に気づかれない程度に後ろを振り返り、私に流し目を向けてきた。
私は彼女に笑顔を返す。
気持ち悪い。