入港
入港をを告げる汽笛の音が港にこだますると、船内は途端に慌ただしくなった。
久しぶりの故郷に思いをはせ、迫ってくる港を見つめる者。新天地に心躍らせ、せわしなく荷物を準備する者。陸から吹く風を受け、ただはしゃぎまわる子供たち。それぞれの方法で、到着の喜びを味わっている。
(二か月の船旅だもの、無理もないわね)
フレイは喜びに浸る人々の姿をマストの上から見下ろして、小さく微笑んだ。
東の大陸と西の大陸を繋ぐこの海の航路は、旅慣れたフレイにとっても、何が起こるか分からない、緊張の連続だった。部屋一つもらえなかった彼女にとってはなおのことだ。
「このマストの上も、お別れと思うと寂しくなるものね」
マストの梁をゆっくりとなぞりながら、フレイはつぶやいた。
港に着く前に、会っておかなければならない人がいる。器用にマストの上から滑り降りると、人々の波に逆らって、船長室へと向かう。
船長室の前で見張りをしていた乗組員は、フレイの姿に気が付き、急いで船長室へ入っていった。
しばらくすると、体格の良いひげ面の男が現れた。先ほど駆けていった乗組員を両脇にしたがえている。
「よう!お嬢ちゃん、てっきり途中でのたれ死ぬものとばかり思っていたが、生きていたとは運が良いな」
「乗船する時に言わなかった?自分の身は自分で守れるって」
少女の表情で、大人のように振る舞う。
「でも、自然にだけはかなわないから、ここまで無事に送り届けてくれて、感謝しているわ。なかなかの腕だったわ」
フレイを見下ろしていた船長は天を仰ぎ、「がはは」と威勢の良い笑い声を上げた。鋭い瞳でフレイを見下ろすが、フレイは少しも動じる気配がない。
「チビのくせに、威勢の良い奴だ。フレイとか言ったな。答えたくなきゃ、答えなくてよいが、お前さん、いったい何者だ?」
フレイはしばらく考えてから、
「『渡り鳥』よ。訳あって、見た目よりずっと長く旅をしているけど」
「故郷を離れ、国から国へ渡り歩きながら生計を立てる旅人か。渡り鳥とはよく言ったものだな。どうりで肝が据わっている」
付き添いの乗組員が無邪気に笑った。これ以上深入りするつもりはないようだ。船長と乗組員の笑い声につられて、フレイもまるで本当の子供のように、けらけらと笑った。
再び、今度は港に船が到着したことを知らせる汽笛の音が響く。二度目の音は、前のものよりずっと長い。橋げたがおろされ、人々の動きに合わせて、船が一瞬大きく揺れた。
「これは乗せてもらったお礼よ」
フレイは船長に向かって、布袋を放り投げた。袋の中には、金貨がぎっしり詰まっていた。受け取った船長の顔に、驚きの色が浮かんだ。ただの子供ではないことは分かっていたが、信じられないといった様子だ。
「安心して。盗んだものじゃないから」
背を向けたフレイを呼び止め船長は
「礼にしては、多すぎやしないか?」
と苦笑いを浮かべた。
「全部、東の大陸のお金だから、こっちでは使えないわ」
「換金すれば使えるだろ」
乗組員の男がたずねる。
「この体でそんな大金換金したら、目をつけられるじゃない。目立つのはごめんよ。あっちの大陸のものは、こっちではいざという時、頼りにならないわ。それに・・・」
振り返ったフレイは、大人びた笑顔を浮かべていた。
「事情も聞かずに船に乗せてくれたこと、本当に感謝しているから。あの時、何も支払っていないでしょ?」
「まあ、すぐにのたれ死ぬと思ったからな」
「理由はどうであれ、私はこうしてバレンシアに到着できた。あなた達のおかげよ。この体だと、何をするにも不便なのよ。子供だと思われるから」
「思われるって、どう見ても子供じゃねぇか」
「でも、あなた達は子供の私の言うことを信じてくれた。ありがとう」
フレイの返答に、船長はまた威勢の良い笑い声を上げた。その声を背に、フレイは人の姿がまばらになった船内を、陸へと続く桟橋に向かってゆっくりと歩いていく。
「死ぬんじゃねぇぞ!」
「またな!」
乗組員達の声が、いつまでも響いていた。