じいちゃんちの夏の匂い
銘尾 友朗様主催『夏の匂い企画』参加作品です。
夏及び冬と言えば、盆と正月、じいちゃんの家。峠を幾つも超えた山の中、ど!田舎に向う季節。今では自分の車で遊びに、というより、仕事で忙しい親に代わって、様子を見に来くと言ったほうが正しい。
ぎ!ぎ、ぎ、ぎぎ………お、重い、木枠の玄関引き戸が、とてつもなく重い…………。年寄り、これ開てるの?嘘だろ。
「ふう…………こんにちわぁ、ばあちゃんいるー?」
ようやく人間が、一人通るだけ隙間を確保すると、中へと入る、土の土間がヒンヤリとしている。程よく湿度を持った、よそのお宅の香りがする。だけどそれは、何処か懐かしい匂い。
「畑かなぁ、じいちゃんは田んぼだろうな、あっついのに年寄り二人、大丈夫なのか?流石に標高が高いと、日差しはアッチイ!」
肩に下げていたカバンをドサッと、上がり口の板の間のスペースに置く、静かな家の中誰の気配もない。取り敢えず、お供えしておく様に、と渡されている紙袋の菓子折りを、仏壇へと供えるべく、ガラス障子を開けて座敷へと入った。
………ぐ、仏間と前座敷の間の板戸が、あ、あかん。縁側が開けっ放しなので、そっちから向かう。ふと外の靴脱石をみると、ばあちゃんとじいちゃんの履物が………もしや今の玄関はこっち?
そんな事をかんがえながら、仏間の、雪見障子をカラリと開けた。閉めている部屋の空気が向かってきた。畳が焼けるから閉めてんだよなぁ、と思いながら、座布団に座って、ガサっと袋をお供えをする。
そして、リィーンとおりんを鳴らして、なむなむなむ、む…………、リィーン。
湿っぽい仏間は、ヒンヤリとしていて………縁側を開け放していても薄暗い様な感覚。
ジィーちー、ミーンミンミン………みん、と、気だるそうな蝉の鳴き声が網戸の向こうから聞こえる。都会とは違い、シャンシャン一辺倒ではない。
仄かに鼻につくお線香の香り。仏間なので、染み付いているのか?立てていないけれど?だけど、お線香の香りが匂う。涼やかな香の匂い。
俺以外、誰もいない家の中は、し、んとしている。
…………じわじわじわ、ミーンみんみん…………、夏だ、夏だよ、な、つ………!
おお!?板戸を開けて!開けて!現世の空気を入れなければ!と、黄泉の国、一つの異世界を、リアルに背中に感じた俺は、板戸を開けるべく立ち上がる。
鴨居が下がって来てるのだろうな、雪降るとここは、動かない、ってお正月にじいちゃんがぼやいてたから、
「開けてくれるのは構わないが、壊したらお前の会社で、全面リフォームよろしくー。じいちゃんもばあちゃんも『ばりあふりい』の家に住んでみたいのぉ、孫に建ててもらえるとは、有り難いのお、金は出さんぞ。ふぉっ、ふぉ!ふぉっ!」
その一言を思い出し肝に銘じて、手に力を込める。ぐっ………、後で仏壇の蠟燭を一本貰って、敷居に塗っとこ。当然だが、今の建具と違って敷居にアルミのそれは、埋め込まれてないし、戸にコマも入ってない。
キシッ!ガラッ!ガラガラ!室内の戸とは思えぬ派手な音を立てて開いた。おし!片方開いたから、両方開けて、蠟燭だと、ゴソゴソとしていると。外の車庫に軽トラが止まる音、そして聞こえたじいちゃんの声。
「あれ、玄関開いてるし、誰や!ヘビ入って来るやないか、ばあさん!ばあさん戻ってるのか?あー?」
ガラリと?ガラリと玄関引き戸を開けて、じいちゃんが帰ってきた、はい?あの戸、簡単に開くのか?それとも俺が力がないだけ?俺はじいちゃんを迎えに出る。
「おかえりー。で、お邪魔してまーす」
「おお!孝之か!そういや来るって『らいん』が入っとった、見たけど忘れとったわ、道端のあの車、孝之のか?後でこっちに入れとけ、そじゃ、ばあさんに知らせるから、ちと待てや」
作業服のポケットから、携帯を取り出すじいちゃん。ポチポチと慣れた手付きで、ばあちゃんに送っている様子。ウンウン、使い込んでるな。お正月に3日間かけて、レクチャーしたかいがあったよ。
「…………ばあさん、最近『はんこ』でしか返事してくれん。ほれみてみろ」
はんこって、スタンプかよ、ばあちゃんそういや最近、やり取りしていて、そうだったけど、じいちゃんにもそれかよ。俺なんか家族には、了解の『り』、返信だけどな。
時々にしかやり取りしていないので、今どんなのを使ってるのか、興味をひかれて見てみれば、かわいい猫のキャラクターが、『了解です♡と投げキッス』をしていた………。動くタイプのスタンプか、ばあちゃん、流石だ、そのチョイス。
「で、じいちゃん、その玄関の戸、めちゃめちゃ重くね?」
後ろ手に閉めるのはやはり無理なのか、向かい合うじいちゃんに問いかけると、
「んあ?ちぃと持ち上げりゃ軽い軽い!それよりちゃんと閉めとかにゃ、蛇が涼みに入るぞ!まぁ見つけりゃ、そこの棒で叩き殺せや」
よっ!じいちゃんは少し戸を持ち上げると、ガラリと、戸を閉めた。そして蛇を見つけたら、設置してある棒で叩き殺せやって、じいちゃん、蛇殺しの任務は、街育ちには無理です。
ほっ!ガラガラ…………ばあちゃんの声、外でひと声上げると、それを持ち上げ軽々と開けた。顔を見なくても分かる、ばあちゃんも元気だな、良かったよ。
「ただいまあ。よー来たねえ、まっとたんよ」
ニコニコと俺の顔を見ながら入ってくる。レジ袋を両手に幾つも下げて、入ってきた。中身はもちろん畑の野菜。きゅうりに、トマトに、茄子に、ピーマンに、食べる分を収穫してきたらしい。
てか、それぞれ袋にパンパンなのだが?そんなに食べきれるのか?持つよ、と何気に、重いきゅうりの袋やらを台所へと運ぶ。じいちゃんが、ほっ!と戸を閉めていた。
「はぁ、暑いねえ、日が落ちれば涼しくなるのに、アイス食べよう、いや、ジュース飲もう、孝之も飲むかい?」
手を洗い、グラスを出したばあちゃんは、冷蔵庫からスポーツ飲料を出してきた。夏場はこれがえーのよ。保健婦さんから飲めって言われてねえ、慣れれば美味しいわ。
「ワシャ、ビールがいいなぁ、孝之もう大人じゃしー」
台所にタオルで顔を吹きながら、じいちゃんが入ってくる。残念だな、俺は昼間っからは飲まん、それよりさっきちらっと、覗いた冷蔵庫の中にあった、真っ赤なトマトやら、皿に入ったプリンスメロンが、気になったので、ばあちゃんに食べていいかと聞いた。
「昨日とってきたんやけど、切って出したのに、じいさん食べなんだんよ。何でも出して食べなさい」
ほほー!では、と完熟トマトに、皿のプリンスメロン、スイカも、ばあちゃんは一口に切って、ボールにいれてあるから、それも出す。
「なんじゃい、お子ちゃまか!」
「ビールは、何処でも飲めるし、風呂上がりに貰うから、ばあちゃんのトマト美味しいから、売ってるのこんなに甘く無いんだよな」
少し青臭さがあるトマトの匂い、身がしっかりと詰まっているそれを、かぶりついてたべる。あー幸せ。塩つけなくても美味しいんだよなぁ。
それを満喫していると、そうかい?沢山あるから食べたらいいよと、話ながらレジ袋から、ドサドサ………と、極太きゅうりをシンクに空けている。
「食べるか?」
さっと洗ったのを差し出された。さぁ、ここで悩むのだ、長さ、太さ、共に超メタボリックシンドロームのきゅうり………、アニメの女の子が囓ってるサイズなのだが、美味しいんだよ、お日様たっぷり浴びた露地栽培。皮を剥いたら、甘くて美味しい。
大きなきゅうり、その濃い緑皮は、それごとかじると、口の中、カメムシの匂いがするのだな。じいちゃんも、皮むかないと食べねーもん。案の定じいちゃん。
「カメムシ臭いから、皮剥いちゃれ」
夏の匂いだよなぁ、ここ限定だけど。売ってないもんね、カメムシの匂いする極太きゅうり。じいちゃんの言うことなど、気にもしないばあちゃんは、漬物にするから食べんのやったらええよ、と、シャッシャッと皮を剥き始めた。
ばあちゃんに聞かれるままに、あれこれ話して、つまんでいたら、いつの間にかじいちゃんが、台所から姿を消していた。なので俺も少し昼寝でもしようと、涼しい前座敷へと移動をした。
「車動かしとけ、わすれん内に」
マッサージチェアの上のじいちゃんが、敷地に入れとく様に言ってくる。空からゴロゴロと聞こえてきた。夕立来るな。どれ。布団を放り込んどくか。と縁側から外に出たじいちゃん。
んじゃ、と車を動かしに玄関から出る。よっ!とタイミングを合わせてガラリとあけた。燦々とした日差しは隠れている。
黒い崩れた入道雲、湿度が高いのか、じっとりとした暑さに代わっていた。急がないと降るな、と空を見上げた時、
ボタ!ダダダ!と大粒が落ちてきた。ザザァと風が吹く。ゴロゴロと響く空。おお!稲光見えたし!慌てて駆け出した。車の中へと転げこんだ。当然ながらアチいので、エンジンかけてエアコンを効かせ、止むのを待った。
夏の夕立、都会のゲリラ豪雨とは少し趣が違う。染み込む大地があるからなのか、それを、喜ぶ草木や、田畑があるからなのか、恵みの雨という言葉を思いだす。
空から明るくなり、パタパタと雨粒が落ちてくるだけになる。キラキラとした太陽の光、鳴き出す蝉や小鳥。車を動かし、敷地に入れる。ドアを開け外に出る。
もあぁっとした、土と緑の草木が混ざったような匂いが、漂っている。夏の夕立の後の匂いだ。吸うと引っかかるように感じる、大気に含まれている、水の粒子が体の中で塊になるような感覚。
チキチキ………と虫が草むらから飛び立つ声、山からカナカナカナひぐらしの鳴き声。そして玄関が、よっ!と開くと、じいちゃんが涼しくなったから、ちいっと草刈りしてくるわ!と笑顔で話して来た。
クリーナーを積み込んだ軽トラが、車庫から出ていった。それを見送り家の中に入る。ばあちゃんが前座敷で、洗濯物を畳んでいる。ここで寝なさいねぇ、と干してくれてた布団を指差した。
「うん、干してくれてたんだ。ありがとう」
三つ折りで重ね置かれている寝具の上に、ちょん、と置かれている枕を手に取ると、ゴロンと横になり、頭の下にそれを置いた。うん、するなぁ、夏にじいちゃんの家に来た事を実感するよ。
押入れにしまわれていた匂いがするなぁ、カバーは糊の香りがしているけど。
頭を置いている枕は、仄かにカビっぽい匂いが、漂っている。干してくれてたから、ガッツリではない。押入れの匂い、そういや、マンションと違い、走り回っても怒られないここで、かくれんぼして遊んだな。
押入れの中に隠れたよな、そしてそのまま寝落ちして、気がついたら夜とかで。天井を眺めながら、懐かしいあれやこれを思い出す。
ヒンヤリとした畳が気持ち良い、夕立上がりの冷えた風も、土の香り、草の匂い。
チリン、と下げられた風鈴の音に眠気を誘われる、ひぐらしの声、チキチキと虫の声、田舎の雨上がりの夕方。ばあちゃんが蚊取り線香に火をつけ、置いてくれた。
俺はうつうつと、心地の良い、晩御飯前の夕寝をする。遊び疲れて、何時もこの時間に寝た、と子供の時を思い出す。
夏のじいちゃんの家での一日の終り、今も昔も変わらない匂いに包まれ、小学生に戻った、晩御飯前のひととき。
完
ここに出てくるきゅうりは、我が家の畑に、収穫するのを、忘れてると出現いたします。緑の表皮はカメムシの匂いがいたします。なぜだろう………?