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続編 バブル時代へGO!  作者: 相場昇
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先物取引 勉強会 1

 バブルの最中、今では普通の言葉として使われている株式先物取引と言うものが東京ではなく大阪でスタートした。


 1988年9月3日

 大阪証券取引所にて日経225先物の取引が開始された。


 先物取引とは、


 1. 将来の予め定められた期日に

 2. 特定の商品(上場株式)を

 3. 現時点で取り決めた価格


 で売買する事を約束する取引である。


 要するに今株価が1000円してる企業の半年後、1年後の株価はいくらになるかをかけるバクチのことである。


 その株が「上がる」と思えば先物を買い、「下がる」と思えば先物を売ると言う単純な発想である。


 現在でこそ、株式やFXなどで一般の個人でも簡単に参入できる代物であるが、当時としては証券市場で初めてお目見えする「新商品」なのであった。


 ある日、大阪証券取引所から千里山(昔、大阪万博があった会場の近く)にある証券取引所会館でこの研修会をやると言う通達が来た。


 俺のいた支店では、代表者を1人この「新商品の勉強会」に参加するために人を募ったのである。


 俺は速攻で手を挙げた。

 他に誰もいなかったのでこの研修会に俺が行くこととなった。


 もちろん俺が代表として研修に行くわけであるから、帰ってきたときには支店の全員に俺が教える立場になる。


 なぜ手を挙げたかというと

 新入社員で入った俺たちは、どんなにあがいても俺が生まれた時から株の売買をしてる先輩たちを追い抜く事は100に1つの可能性もなかったからである。


 つまり知識量が全然違うのである。


 しかし、転換社債やワラント債、今回の日経平均先物などと言う新しい商品に対しては知識量は互角である。


 何が言いたいかと言うと、先輩たちに勝つためには「株の知識」ではなく「新しい金融商品の知識」をため込むことだけが彼らを凌駕する唯一の方法だと思ったからである。


 幸いにして俺が入社した頃の証券会社ではサイメックス・シンガポール先物市場などのいわゆる「フューチャー商品」が異常に活況を呈していた頃である。


 俺が手を挙げる事た理由がさらに5つある。


 1つ目

 新商品に当然詳しくなること。

 2つ目

 その商品の知識を持って支店に帰ると「先物の教師」となり俺の立場が上がる。

 3つ目

 顧客もまた「新しい商品」に対して非常に興味があるためその知識を求めたがっている。

 4つ目

 新商品の説明会は3泊4日で千里山にある大阪証券業協会の合宿所に行くから、ある意味毎日の業務を離れてプチ・リゾート感覚を味わえる。

 5つ目

 そこに行くと、俺と同じような考えを持った他の証券会社の連中が来ているので非常に確度の高い情報の交換ができたこと。


 今思うと、「なんでビジネスチャンスに誰も手をあげないのか?」と俺は理解に苦しんだ。


 それに参加するのが鬱陶しいと思うのか、チャンスと思うのかはその人間の判断次第である。


 いずれにしても、俺は先物取引の開設にあたり大阪証券業界が用意した3泊4日のレクチャーに参加した。

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