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07 入道雲に誓え


 熱が離れていく。

 触れただけのくせに、やけに心地よかったと、ひとみは思った。付き合ってもいないのに、してはだめなことをされた。そんな自覚はあったけれど、不思議と嫌悪感の類はない。

 さっきよりは覚醒した頭で、それでもまだぼんやりとした思考のまま、ひとみはうっすらと目を開ける。それに前後して、我に返るように添えられた手が慌てた様子で離れていった。「何してんだ、俺」と吐き捨てるような小さな声が聞こえた。目の前にいると思った萩本は、ひとみの横で胡坐をかくようにして俯いている。

「………萩本くん」

 ひとみのその声に、ばっと顔をあげた萩本。飴を蕩かしたような眼のひとみに見つめられ、さっと顔を青褪めさせる。ひとみは、伸ばしていた足を自分のほうへ寄せて座りなおした。

「………………起き、てた?」

「………うん」

 小さく頷いたひとみに、萩本がどうともとれる呻き声を漏らした。一拍置いて、勢いのある謝罪。

「いきなりごめん! 身勝手なことした、ほんとごめん。足りないと思うけど、好きなだけ殴ってくれていい」

「………どうして?」

 冷房のおかげで、だんだんと汗は引いていったけれど、体中に走る熱は引かなかった。見当はずれなタイミングで見当はずれなことを聞いたな、とあとから思う。萩本は、ひとみの質問の意図をはかりかねて複雑そうな表情を晒していた。ひとみが電気をつけなかったせいで薄暗い美術室に、ひとみの声が響く。

「なんで、…………キス、したんですか」

 キスのところは言い淀んだ。緊張して敬語になった。鼓動がどんどん加速して、うるさくて痛い。いつのまにか、さっきまであったとげのような痛みはひいているけれど、ひとみはそれに気が付かなかった。ただ、萩本の答えをじっと待っていた。中途半端に汗が冷やされて少し寒いくらいの気温のはずなのに、萩本のせいで熱が引く気配はない。

「…………無防備、に、寝てた……ので」

「………それだけ?」

 たったそれだけで、ひとはキスをするのだろうか。ひとみは、自分の言葉がはっきりと憂いの色を含んでいることに気が付いていなかった。萩本は、まるで自分の罪をひとつひとつ自供させられているような気持ちで、俯きながら一語一語、ひとみに伝える。

「……………あまりにも、可愛かったから。………抑えられなかったんだよ」

 可愛い、という単語に肩が跳ねた。萩本の言葉ひとことひとことが、ゆっくりとひとみに渡される。ひとつひとつ大切に飲み込んで、ひとみは考えた。

 ふわり、と萩本の頬に手を伸ばす。殴られると思ったのか、すっと目を瞑った萩本に、都合がいいとひとみは背伸びした。萩本はひとみより十センチほど背が高いけど、半分俯いている今ならそんなこと関係なかった。ひとみは、何かに酔ったかのように萩本に顔を寄せた。



「………平成最後の夏だから。全部、そのせいだから」



 囁いたひとみは、驚いて目を見開いた彼に自分からくちづけた。触れるだけの一瞬のキス。らしくない、と思ったし、いけないことだとも思った。家族以外に話す異性なんて萩本だけで、同性の友達にも積極的に話しかけることなどできやしなくて、いつだって絵を描くこと以外は平々凡々、またはそれ以下。普段の自分だったならこんなことはしなかった、絶対に。萩本は抵抗しなかった。ゆったりと離れていくひとみの手に、細めたまなこで少しだけ視線を投げかける。

 夏の暑さと、眠気と、萩本からのキス。林の言葉もあいまって、こうなったのだろうか。わからないけど、とひとみは少しだけ微笑んだ。萩本は、未だ驚いて目を白黒とさせていた。

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