10-21 重力の峠を越えて
間も無く夜明けという暗い宇宙に、オーロラの様な光が灯る。緑やピンク、そして赤が混ざった様な仄かな光。部屋の中が明るいので、扉の外に出ないと分からない程度だ。
「この美しい光が、命を刈り取る光……」
「大丈夫だ。この特製防護服は、荷電粒子をかなり防ぐ」
「さらに、コレを追加するわね」
玄関でマリから渡されたレインコートみたいな防護服を着ると、その上からアリサが竹の葉を貼り付けていく。
「何これ? 木の葉隠れの術?」
「ベータ線が当たると、X線が出てしまうの。植物の葉ならベータ線が当たってもX線が少ししか出ない。だから竹の葉でベータ線を受け止めて、そこで出た僅かなX線を防護服で吸収する」
「本当は、プラスチックと金属の2層構造が良いのだがな。プラスチックは入手出来なくなったから、竹の葉で代用なわけだ。ハダノ様の竹の葉だから、きっと御利益があるぞ」
アポロ計画の様な有人宇宙探査だと、宇宙服が壁となって宇宙線を防いでくれるが、今回はそんな重装備は無い。今使える素材で出来る事を考えた、工夫の賜物だ。
ハダノさんのパワーが宿ってるのなら、放射線から僕を守ってくれるだろう。きっと、メイビー。
「エルフが作る宇宙服は、植物に覆われる。そう考えたら面白いだろう?」
作業をしている間に、オーロラの光は消えてしまった。夜明けと共にオーロラは見えなくなってしまうからだ。それ程に、宇宙での太陽光は強い。
「出発!」
オーロラの有無にかかわらず、放射線に晒される事は変わらない。ちゃんと防護は必要だ。3回飛ぶと、真空中で脱水された葉が干からびるので、新しいのと交換。自分では貼り付け出来ない背中など、手伝いが必要なのだけど、その作業はハコネとサガミハラさんにやって貰う。宇宙帰りの服は放射能を帯びるからね。服を触っても酷い被爆はしないけど、アリサとマリは念のために近付かない。
「コレなんだけど、ただの氷じゃないよね?」
飛行中にぶつかって来た、氷の粒らしき物。大きさは1mm前後で、地上で言うなら霰という事になる。でも高度1000kmを越える地点に、水は無いはず。
身体に当たる分は防護服が弾いてくれるも、顔に当たる分が問題。飛んでくる速度が速いので、結構痛い。
飛んで来た氷を幾つかアリサに渡して、次に戻った時には調べた結果が出ていた。氷は溶かすとスライムの様に粘性で、さらに魔力が蓄積したエーテル同様な物だった。大昔に宇宙に飛び出たスライムが、エーテルを吸収したのでは無いかとの仮説。そう言えばリンがスライムで宇宙を目指して失敗って話があったし、その痕跡かも。
さらに調べるという事で、夜間はスライム霰を集める仕掛けを扉の外に置くことになった。どれだけ集まるだろう。
「今日はここまで、っと」
扉を呼び出して、その上に立って地球を見る。何日もの繰り返しで、地球はもうかなり遠ざかった。指で作ったL字で、地球までの距離を測る。ここから見える地球直径に対して、人差し指の長さは3割位。証拠の写真撮影をして、部屋へ戻る。
防護服を脱いで僕の部屋に戻ると、アリサとマリがパソコンで調べ物をしている。ハコネの扉を秦野に置いてあるこの数日、2人は毎日の様に来てはネット情報を漁っている。彼女達も転生前の世界で得た知識を使っているけど、それぞれ異なる歴史を歩んだ世界の人だから、知らない情報も多い。
スライム霰は、マリの実験によって使い道が見つかりそうだ。暖めて溶かすと自由に整形出来て、凍らせて固めればとても頑丈。地上ではすぐに溶けてしまうが、宇宙空間では凍った状態が維持される。先へ進むとスライム霰の飛ぶ量が多くなり、より多く集められる様になって来た。コレを集めて何かに使おうというのが、アリサとマリの計画に追加された。
それはともかく、パソコンの前を交代して貰い、今日の最終到達点についての情報を表計算ソフトに打ち込む。地表からの到達距離は、13,000kmを越えた。
「これまでの航法が使えてるって事は、まだサクラの扉は地球座標系に固定されている訳だな」
僕の扉は、地表であれば何時間なっても同じ位置にある。これを言い換えれば、地球の自転に合わせて回転しており、地球と一緒に宇宙空間を移動している事になる。これを地球座標系と呼んでいる。
高さ1万kmまで来た今でも、その座標系で扉の位置は停止している。扉は地球の重力を無視して、宇宙空間に浮いている事になる。その扉から僕が飛び出すと、地球の重力によって地球に落下するので、魔法によって地球から離れる様に飛ぼうとしているのだ。
これがそのまま10万km、20万kmと続くと、様子が変わってくる。まあそれは、そこに到達する時に考えたら良い。
「ここまで苦労して月を目指すって、長尾リンは本当に月まで行けてるのかな?」
「そもそも生身での宇宙飛行はあり得ない。スライムに包まれるなどして、保護された状態で移動しているだろう」
そういうのが僕にもあれば、アリサとマリにも宇宙から見た地球の美しさを見せられるんだけどね。写真で見せては居るけど、自分の目で見た感動は言い表せない程だ。紫外線対策のゴーグルは必要だろうけど。
月を目指す活動は日中に行い、夜は他の活動、寝るまでの時間を外交に当てている。
みさきちはシスターズ(?)が出した扉の先を探検しており、今は1つ目の扉がどこにあるのか調べている。外に出た所で、自分の居場所がすぐ分かる訳ではないから。気候と時差から、アメリカ南部からメキシコのどこかと推測しているそうだ。
魔王は飛べる者による探索を続けると共に、スライムを必要としない帆船の建造を始めた。基本が拡張主義であることは変わりないが、長尾の支配地域以外を手にするべく、南方とアメリカ大陸への進出を目論む様だ。
そして、九州へ行ったジョージBと長尾は、リンの拠点を発見し調査している。長尾はしばらくは留まって、リンを連れ戻す方策を考えるそうだ。
ジョージBはリン不在の九州を併合するべく、東から軍を呼び寄せている。ゴーラと同じく、九州のスライムもどこかに行ってしまったのか、まだ発見していない。おかげでジョージBは九州で易々と支配地域を広げている。リンが帰って来たら、どう言うだろうか……
リンにも外交を試みるも、応答は無い。どういう状態でいるのだろうか。かわりに長尾リンが出るのでも良いので、応答してくれたら良いのだけど。
放射線の飛び交う領域2つを抜け、さらに5日。ついにそこへ到達した。
「ニートホイホイ」
呼び出した扉に対して、僕の身体はゆっくりと遠ざかって行く。これまでは地球の方へ、今は地球と反対側へ。ついに、高度36,000kmの静止軌道を越えたのだ。
これまでは、地球が僕を引く重力が地球と一緒に宇宙を回る僕の遠心力よりも大きかったので、何もしなければ地球に落ちて行った。しかし今は、地球から遠ざかって重力は弱まり、逆に遠心力は大きくなったため、何もしないと地球から離れて行く。
この先は、進むのが一気に容易になる。扉からの風で得た初速で、どこまでも行けるのだ。失敗すれば宇宙の放浪者になるが。
扉の中に入ると、僕の報告を待っていた人達。
「どうだった? 逆転した?」
真っ先に聞くのは、サガミハラさん。
僕は、頷く。
「地球脱出か…… 長かったね」
「ここからは、速度計算をしっかりやらないとな」
宇宙の放浪者にならず、月への訪問者になるため。
誤字報告機能、どこに有るのか見つけました!
せっせと反映し、他の部分でも同じミスを修正。




