高架で風が吹いて
真夏の夕日は物凄く濃い橙色をしていた。少々不気味なその色は大都会桜花の建物を同じ角度からじりじりと照らしていた。ビルの側面に数えきれない程のホログラムが投影され、人工的な青白い光が夕日の橙色と喧嘩している。情報の氾濫はインターネットが発達してからずっと起こってきたが、それを現実に表したのは今見えている大量のホログラムではないかと思うと背中がぞっとする気分になる。あまりにスケールの大きな桜花の街に飲み込まれそうになった。
鉄筋コンクリートで組まれた電車のホームで一人の男がベンチで頭をだらりと下げて座っていた。渋滞解消の目的で高架されたホームから見える景色はガラス張りのビル群だ。男はホームから見える風景に目もくれずにただずっとうつむき続けている。ホームを行き交う人はその男に気に留める様子もなく、過ぎ去っていく。
気が付けば一段とまた夕日の角度が下がっていた。地平線など見えるはずがない桜花の街はビルとビルの合間に夕日が落ちていくのを見るのが精一杯である。
「電車が通過します。黄色い線の内側でお待ちください」
自動アナウンスが電車の通過を知らせる。気が付けばホームにいるのはこの男一人だった。夏だというのに冷たい風がホームを突き抜ける。遠くから電車が近づいてくる音がした。段々と地鳴りのような振動がホーム全体に伝わる。相変わらず男は動かない。
「電車が通過します。黄色い線の……」
自動アナウンスが同じ内容をリピートして何回目だろうか。突然男は俯いたまま立ち上がり、ゆっくり前へ、前へと歩き出した。それはまるで奇怪な妖怪が歩き出すような様で少し不気味さを伴っていた。
「──黄色い線の内側で……」
だが、男の体は止まるということを覚えていないのか、ただ真っすぐに歩き続けていた。アナウンスで散々注意されていた黄色い線を越え、残るは目の前に砂利を敷かれたレールのみとなった。だが、それでも男は歩みを止めなかった。
「電車が通過します……」
もう電車はすぐそこまで来ていた。通過する電車の速度は凄まじく早く、遠くから突風を巻き起こしながら近づいていた。レールがぎしりと軋んだ音と同時にけたたましい警笛が鳴った。──だが、男は止まらなかった。もう、片足がホームの地面から離れ、砂利の敷かれたレールへ落ちようとした時、男は腕を何者かによって強く引っ張られ、そしてホームの壁に体ごと押し付けられた。
「危ない! お前、何やってるんだ……」
そこにいたのはすごい形相で睨みつける若い女だった。男は何も言えないまま圧倒され表情が強張る。間もなくその横を電車が猛スピードで突っ走った。けたたましい風切り音と地響きのような騒音が主役になったかと思うとすっと電車は遠ざかり、静寂なホームに戻った。
「何してくれたんだよ……。やっと楽になれると思ったのによ……」
男はその場でうなだれるようにして地面に座り込んだ。女は「全く……」と言いながら壁に寄りかかって遠くの景色を見た。目を合わせないようにするためか、ずっと遠くを見ている。年は若いはずなのにかなり大人びで見える。いや、長めの黒いワンピースに対象的な白いインナーを着ているせいかもしれない。
「死ぬには若すぎるだろ。少なくとも私よりは若そうだ」
「お前の方が数十倍若く見えるぞ。俺はもう今年で30になる。それに比べてお前の風貌なんて誰がどう見ても20代前半だろ。全く、若造が余計なところに手を出してきて」
男が立ち上がり際に唾を吐き捨てるかのように言った。だが、女は動じない。心の中に太い芯でも貫いているかのようにびくともしない。
「まぁ。そう見られても仕方がないか。どうだ、今から食べに行かないか」
「そんな金あったら死んでない」
「なら私が全部奢る。これでどうだ。断る理由無くなっただろ?」
「今日初めてあったような人間と、何で食べに行かなきゃなんないんだよ」
「愚か者がすべこべ言う権利なんかない。さっさとついてこい」