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桐の祠  作者: するめいか英明
第2章 私とあいつ
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第18話

 代志子さんは、私のことを覚えていなかった。それどころか、あいつのことを、伊那倭様と呼んでいた。伊那倭って誰なんだろう。「桐の祠」では亀の神様。「伊那倭の伝」では人間の男性で、八千代という女性の兄。そして、代志子さんが前に話していたのは、代志子さんの旦那さんも伊那倭という名前であること。


 あいつもさすがに動揺したようで、しどろもどろになりながらも、私のことを、狐に憑かれた旅人として紹介した。何とか狐は祓われたけど、後遺症として記憶が飛んでしまったらしい、と説明した。ちょっと腑に落ちなかったけど、ここで正直に恋人と言ったら、また代志子さんが豹変するかもしれないと思った。単に知り合いと言っても、お互いに名前を知らないのでは怪しまれてしまう。結局、狐憑きっていうのは無難な答えだな、と思った。


 あいつは先程の代志子さんを真似て、「何かの手掛かりがあるかもしれない」ということで文の間に私を通すと言った。何とかこの場は凌いだけれど、これで、私達は自分の名前を知る術を、失ったことになる。


「参ったな」


 あいつはヘラヘラとしているように見えたけど、内心の困惑が表情に滲み出ていた。私が力なく「うん」と返事をすると、あいつがじっと私の口元を見つめてきた。


「お前、そんなところに、ほくろ、あったっけ?」


 えっ、と驚いて先程整理した持ち物から手鏡を取り出すと、確かに、私の口元には、ほくろが浮かび上がっていた。こんなところに前までほくろは絶対になかったし、日頃から日に当たる前に日焼け止めを塗ったりしていたし、自分の体の急な変化をにわかには信じられなかった。


「嘘……何これ……嘘、やだ、やだ」


 ただ単に肌のトラブルとしてほくろが出来たことに嫌悪感を覚えたわけではなかった。問題は、そのほくろの位置と、見た目だった。それは、まるで――


「まるで、代志子みたいだな……」


 ゾッとした。あいつも、私と同じことを想像していた。嘘だと信じたかった。手鏡に映るそれは、まさに、代志子さんのほくろと同じ位置で、そっくりそのままにさえ見えた。それは、恐らく偶然じゃないんだと、私は直感的に判断した。


「君が伊那倭って人になって、私が、まさか、代志子さんに変わっていってるの……?」


 私が私でなくなる。私達が、私達でなくなる。それは、想像するだけで、恐ろしかった。ある意味で、死ぬよりも、悲しいことだと思った。ずっと、あいつと一緒だと信じていた。この永遠の世界は、確かに私達に永遠をくれるのかもしれない。だけどそれは、まがい物の永遠だと思った。今まで生きてきた足跡を全て失い、全く別の人間として、全く別の夫婦として、永遠の道を歩み続ける。そんなことを、私は、これっぽっちも望んでいなかった。


「嫌だよ、私、誰にもなりたくない! 君のこと、本当の君のこと、忘れたくない! 何も、失いたくない! お願い、お願いだから! ……ねえ、君は、変わらないよね? 私のこと、忘れない、よね? 元の私達のこと、ちゃんと、取り戻せる、よね?」


 私は涙を流しながら、ひざまずいてあいつにしがみつき、懇願した。あいつに訴えても、仕方ないことは分かっていた。だけど、どうしても、我慢できなかった。するとあいつは、そんな私を優しい目で見て、頭を撫でてくれて、ただ一言、「ああ」と言ってくれた。それだけで、私は、嬉しかった。根拠がなくても、道が見えなくても、私を見捨てずに、一緒に帰る方法を探してくれる。あいつがいるから、私は、まだ諦めないでいいんだ。




「あれ?」


 それは、しばらくしてからのことだった。ビチャビチャとみぞれのような音を立てていた雨も弱まり、しとしとと小雨に変わった頃、私達は外に出て桐の祠をもう一度調べることにしたのだった。玄関まで行くと、あいつは扉に手をかけながらガチャガチャと音を立てていた。私はあいつに続いて靴を履き直して、あいつの横に並んで立った。


「……どしたの?」


 聞くまでもないことだった。その様子を見れば、何が起きているか分かった。扉が、開かないのだ。入った時は、自動で開いて、自動で閉まった。お化けか何かに閉じ込められたと思った私は、ちゃんと扉が手動でも開くことを確認した。でも、今は、どうやっても開かなかった。


「まじかよ……」


 もしかしたら本当に、閉じ込められたのかもしれない。でもこの家には代志子さんがいるから、尋ねてみればちゃんと開け方を知っている筈。八千代ちゃんも知っているだろうけど、何となく彼女には聞きたくなかった。彼女は、少し、怖かった。そんなことを考えていると、後ろから不意に声を掛けられて、私は背中をビクンと跳ねさせてしまった。


「うふふ、どうしたの? 出れないの?」


 私達の背後には、いつの間にか、音もなく、八千代ちゃんが立っていた。満面の笑みを浮かべて、目を見開き、私達をじっと見ていた。私は、ゾゾゾと首筋から悪寒が湧き上がるのを感じた。あいつが私の前に立ち、八千代ちゃんを威嚇するように問い質した。


「八千代の仕業か?」


 すると八千代ちゃんはとぼけたような顔をし、斜め上の方を眺めて言った。


「どうかしらねえ」


 それに対しあいつはムッとした表情を見せ、更に強い語気で八千代ちゃんを詰問した。


「全部、八千代が仕組んだことなのか?」


 全部。それは、私達が桐の祠でおまじないをしたこと、この世界に飛ばされたこと、記憶を失ったこと、知らない筈の文字をいつの間にか知っていること、そしてここから出られないこと。この1日で起きた、怪異の全てを指しているのだと思った。何故なら私もまた、八千代ちゃんが何かを握っていると思っていたからだ。


「全部ではないわ」


 あっけらかんと白状する八千代ちゃんに、私は拍子抜けするのを感じた。全部ではないということは、部分的に八千代ちゃんが絡んでいることを認めたようなものだからだ。


「嘘をつけ。お前は昔からすぐ人を……」


 そこまで言って、あいつは息を呑んだ。私も、驚いてあいつの顔を見やった。今、あいつは、何と、言った?


「心外ねえ。血が繋がった、たった1人の家族を疑うなんて」


 そう茶化しながら「ふふふ」と笑う八千代ちゃんの声も、あいつの耳には届いていなかった。あいつはわなわなと震え、両手を顔に押し当て、絶望に表情を歪めていた。そして、自らに問い掛けるように、ボソリと呟いた。


「俺の記憶の中に、何で、当たり前のように、八千代がいるんだ?」

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