捻くれた本気
紫依の頭が状況の展開に理解できず固まっていると、ドアが開く音が響いた。
「データを……」
何も知らない朱羅が部屋に入ってきたが、顔を上げたところで、そのまま動きを止めた。目の前では蘭雪が紫依に口づけをするのではないかというほど顔を近づけているのだ。
蘭雪は朱羅が部屋に入ってきたことに気が付いていたが、華麗に無視をして、うっとりと紫依に話しかけた。
「紫依、それは私の嫁になるということかしら?あなたが待っていてくれるなら、私は喜んであなたを嫁として迎えるわ」
同性でも惚れてしまいそうな美笑に、紫依が顔どころか全身を赤くする。
「なにをしているんだ!」
朱羅の叫び声にも紫依の金縛りは解けない。
一方の蘭雪はあっさりと紫依から離れて朱羅を見た。
「お帰り。遅かったじゃない」
平然としている蘭雪に朱羅が頭を抱える。
「頼むから紫依で遊ぶな」
「あら、私は本気よ」
紫依は嘘が通じないがために蘭雪の本気を感じ取り、ここまで固まってしまったのである。
そのことを理解している朱羅はため息混じりに言った。
「余計悪い。紫依、意識はあるか?」
朱羅に肩を叩かれて紫依が深紅の瞳を朱羅に向ける。
「あ、あの、私、そんなつもりじゃ……」
呆然としながらも、なんとか話そうとする紫依の両肩に手を乗せて、朱羅は正面から説得するように言った。
「落ち着け。わかっている。君はなにも悪くない」
「でも、私が……いえ、私は……」
そこにオーブがお茶を持って部屋に入ってきた。
「あれ?なにかあった?」
異様な雰囲気の中、オーブの明るい声が響く。
朱羅が紫依をオーブの前に差し出して言った。
「蘭雪の毒牙にかかった」
「人を毒蛇みたいに言わないでよ」
蘭雪の軽口を無視して朱羅がオーブに紫依を押し付ける。
「責任もってどうにかしろ」
オーブはお茶を持ってきただけなのに、変なお鉢が回ってきたことに微妙な顔をした。
「オレ?」
「仕方ないだろ。俺はまだ最終調整がある」
オーブは紫依を見て慣れたように頷いた。
「へい、へい。とりあえず、話を聞くから上にあがろうか」
「……はい」
紫依は言われるままオーブの後ろについて部屋から出て行く。その後ろ姿は何故か市場に売られる仔牛の歌(ド〇ドナ)を連想させたが、朱羅は見なかったことにした。
ため息を吐きながら朱羅が蘭雪に訊ねる。
「どうして、あんなことになったんだ?」
「だって、顔も性格もモロ好みなんだから。プロポーズぐらいしてもいいでしょ?」
普通の人なら一生に一度の大イベントを、それぐらい扱いで済ましていることも問題だが、それよりも先に問題であることを朱羅は言った。
「感情が希薄な紫依にプロポーズするな。混乱させるだけだ」
「あら、可愛いんだからしょうがないでしょ」
まったく悪びれていない蘭雪の態度に朱羅は再びため息を吐いた。
「オーブも大変だな」
「あら、オーブも可愛いわよ。あんなに可愛い姿に生まれ変わってくれて本当に嬉しいもの」
「……まさか、可愛いってだけでオーブの成長を止めたりしてないよな?」
「そんなことしないわよ」
考えすぎかと思った朱羅にとどめの言葉が降ってきた。
「成長を遅らせているだけよ。本人には内緒でね」
それをオーブは成長が止まったと思っている。
朱羅は額を押さえながら首を横に振った。
「この外見に生まれて良かったと初めて思ったよ」
「そう言うと思ったわ。で、データは?」
これ以上の会話は不毛と判断した朱羅は、持ってきたデータを何も言わず蘭雪に渡した。
リビングで一通りの説明を紫依から聞いたオーブは納得したように頷いた。
「そういうこと」
「このようなことになってしまったのは、私の言い方が悪かったからでしょうか?」
動揺が収まらない紫依にオーブは笑顔を見せた。
「蘭雪は嬉しかったんだよ」
予想外の答えに紫依が首を傾げる。
「嬉しかった?」
「ああ。紫依の言葉が嬉しくて、でも、それを素直に表現するのが恥ずかしいから、そんなことを言ったんだ。ああ見えて恥ずかしがり屋なところがあるからな」
「ですが、まわりの風を見ても本気でしたよ」
「だから、それぐらい本気で嬉しかったんだ」
オーブの説明に紫依は少し落ち着いてきた。
「そういうことですか」
紫依は大きく息を吐くとテーブルに伏せた。
「大丈夫か?」
「はい。一気に力が抜けました」
紫依の姿にオーブが苦笑いをする。紫依は顔を起こすと深紅の瞳だけをオーブに向けて言った。
「オーブはすごいですね。蘭雪の気持ちがこんなに分かるなんて」
「ま、長い付き合いだからな」
「生まれる前からの、ですか?」
紫依の言葉にムーンライトブルーの瞳が丸くなる。
「珍しいな。そんなこと言うなんて」
「先ほど蘭雪にみなさんが生まれる前にされていたお仕事のことを聞きました。みなさん、すごい方達でそれを話している蘭雪もどこか誇らしげで、羨ましい……というのでしょうか?そんな感じがしました」
オーブはにこやかに言った。
「そういうラファエルだって、かなり凄かったぞ」
「どのようなことをされていたのですか?」
「ラファエルはプログラムの研究をしていたんだ。ロボットの精神プログラムも作っていたぞ」
紫依が体を起こしてオーブに質問をする。
「ロボットとは、どのようなものですか?」
「そうだな。分かりやすく言うと、自分の意思を持った機械人形ってところだな」
「からくり人形のようなものですか?」
「そう、そう。それをもっと複雑にしたもの。その人形に精神プログラムを作って命を吹き込んでいたからな」
「命と言いますが、生きている動物の命とは違いますよね?」
「確かに。けどラファエルが作った精神プログラムは芸術作品と称される程、繊細で優れていたんだ」
「そうですか……私は知らないことが多いですね」
どこか寂しそうな紫依にオーブは笑顔で言った。
「知らないってことは、これから知っていく楽しみがあるってことだ。悪いことじゃないぞ」
「オーブは前向きなんですね」
「それがオレの長所だからな。何が知りたい?なんでも答えるから遠慮なく聞いてくれ」
「そうですね。では……あ、蘭雪の好きな食べ物は何ですか?」
前世のことを質問してくるだろうと考えていたオーブは、予想の斜め上をいった質問と内容に笑顔のまま固まった。
「なんで?」
「先ほどは失礼な態度をしてしまいましたので、そのお詫びに蘭雪の好きな物を作ろうと思いまして」
「あ、そういうこと。好きなもの……アレを作るのかぁ……」
そう呟くとオーブは両手を胸の前で組んで悩んだ。紫依が声をかけようとしたところで、オーブは決心したように顔を上げて頷いた。
「わかった!じゃあ今日の夕食は一緒に作ろう。今から仕込みをしないと間に合わないからな」
オーブが立ち上がってキッチンへ行く。
「そんなに大変な料理なのですか?」
紫依の質問にオーブは振り返って爽やかに答えた。
「オレでも相当なことがないと作ろうとは思わないぐらい面倒だな」
その言葉に紫依は迷惑をかけるので止めると言いかけたが、オーブが先に続きを話した。
「紫依が言いだしたんだから、責任もって最後まで作ろうな。紫依が作ったって聞いたら蘭雪も喜ぶぞ」
有無を言わさない笑顔に紫依は黙ってキッチンに入るしかなかった。




