ランチ
洋服店を出た紫依は斜め後ろを見て軽く会釈をした。
「どうした?」
「オーブに服を着替えた報告をしました」
「あそこにオーブがいるって、いつから気がついていた?」
そう言って朱羅が見たのは直線距離にして五百メートルは離れた先にあるホテルの最上階だった。窓がゴマ粒ぐらいの大きさで、人影など確認のしようがない。
だが紫依は朱羅が何故そんなことを聞いてくるのか不思議そうに首を傾げながら答えた。
「オーブがあの店に入って、こちらを見たときからですけど」
「そうか」
朱羅が平然と納得して頷くと、時計を見て紫依に訊ねた。
「ところで昼食は何か食べたいものがあるか?」
「特に食べたいものはありませんので、朱羅にお任せします」
「なら、あの店にするか」
少し歩いた先にオープンテラスのあるカフェがある。二人は通行人の視線を浴びながら赤い屋根のカフェへと入っていった。
「いらっしゃいま……」
にこやかに出迎えたウェイターが二人の姿を見て呆然と動きを止めるが、朱羅は気にせずに訊ねた。
「奥の席は空いているか?」
客の要望にウェイターが条件反射のように返事をする。
「は、はい。こちらへどうぞ」
昼食時間は過ぎていたが、カフェの中は通りに面した席を中心に賑わっている。
二人はウェイターに案内されて表からは見えにくい位置にある奥の席に座った。
「ご注文が決まりましたら、お呼び下さい」
ぎこちない動きでウェイターが去ると、紫依はメニュー表を見ながら言った。
「ここはパスタやピザのお店なんですね」
足元に荷物を置いて朱羅もメニュー表に目を通す。
「そうだな。なにがいい?」
「どれも美味しそうですね。できればピザもパスタも食べてみたいのですが、そうなると量が多いですし……」
「なら、このセットにすればいい。これならピザとパスタの量が半分で、種類もこの中から選べる」
「それはいいですね。私はこれと、これにします」
思ったより早い紫依の決断に朱羅が意外そうな顔をした。
「もう少し悩むかと思ったが、早く決めたな」
「実はこのパスタと、このピザのどちらを食べようか迷っていました。でも両方食べられるなら良かったです」
朱羅は店員を呼んで料理を注文した。
「あの、少し席を外しますね」
そう言って紫依は店のさらに奥にあるトイレへ行った。
少しして三十歳後半ぐらいの女性が席を立って歩いてきた。トイレに行こうとしているようで、まっすぐそちらを見ている。
朱羅が座っている席は店の中で一番奥にあるため、トイレに行くためには必然的にこの席の隣を通らないといけない。
その女性が席の横を通り過ぎようとした時、朱羅が座ったまま声をかけた。
「ずっと俺たちの後をつけていたが、何か用か?」
無表情で冷めた声だったが、女性は嬉しそうに笑って朱羅を見た。
「その声、迫力、そして顔。満点すぎるわ。ぜひ、うちのプロダクションに来て。あなたたちなら、すぐに芸能界デビューできるわよ」
女性はそう言いながら名刺を取り出した。
この女性は朱羅と紫依をスカウトしようと、午前中ずっと二人の後をつけていた。そして話しかけやすそうな紫依が一人になったところで、声をかけるためにトイレに行こうとした女性を朱羅が止めたのだ。
朱羅は名刺を一瞥するとアイスブルーの瞳を向けた。
「去れ」
その一言で女性の顔から笑顔が消える。
「……はい。失礼しました」
それまでの熱意が嘘のように女性が自分の席に戻り、荷物をまとめると店から出て行った。女性の姿が見えなくなったところで朱羅が持っていた名刺を一瞬で燃やす。
炎の残像が翡翠の瞳から消えたところで、ウェイターが料理を運んできた。
「お待たせ致しました」
テーブルの上にサラダとピザとパスタが並ぶ。ウェイターが頭を下げて立ち去ると紫依が戻ってきた。
「何かありましたか?」
異変を察した紫依が周囲を見ながら席に座る。
「いや、たいしたことではない。早く食べよう。料理が冷める」
「はい」
パスタを食べながら紫依は一つの席に視線を向けた。
「あの方は、いなくなったのですね」
朱羅もパスタを食べながら話す。
「あの方?」
「はい。ずっと私たちの後を歩いていた人です」
「いつから気づいていた?」
「最初からです。雑貨店を出てから、ずっと私たちの後ろを歩いていましたよね?」
ほとんど肯定に近いが一応、疑問形で朱羅に聞いている。
「ああ。オーブのことといい、よくわかったな」
あの女性の尾行については素人がしたことなので気付く可能性は考えていたが、あの離れた距離にいるオーブに気付くとは思わなかった。
「あの方はとても熱心に私たちを見ていましたから。オーブの場合も、あれぐらいの距離でしたら見られたら分かります。オーブの視線は特徴的ですし。あ、朱羅の視線も鋭くて特徴的ですけど」
そう言うと紫依は朱羅の足元に置いてある荷物を見た。
「そういえば、服は一度にこれぐらい買うのが普通ですか?」
「普通ではないかもな。俺は買い物をする時間があまりないから、買えるときにまとめて買っているだけだ。こういうことはオーブのほうが詳しいだろうから聞いてみたらいい」
「わかりました。今度、聞いてみます」
紫依が納得したところで朱羅が思い出したように訊ねた。
「そういえば、この前オーブから組手の時以外は君に触れないように言われたんだが、何故だ?」
突然の質問にパスタを食べていた紫依の手が止まり咳込んだ。




