2−2 童話作家の娘
キフェが写真を撮りたいと言った。
何ということもない。修理から返ってきたモノクルの調子がいいのだと、機嫌よく言うのだ。だから撮りたい、と。
そんなにあからさまに違いなんてわかるものかとオギは思う。それでもキフェのことだから完全に気のせいということは無いのだろう。彼女は案外敏感だ。
「で、何を撮りたいの」
「オギとリネン」
キフェはにへら、と笑った。
オギは少し瞼を上げる。不意打ちだった。
「わかった、リネンを呼んでくる」
「あ、いいんだ? やったー」
リネンを仕事に連れて行くと言ったことに対し、キフェは何も言わなかった。
あの騒動以後、キフェとは少し距離があるように感じる。馴れ馴れしく──関係からしてそれが当然なのだが──わけもなく明るく振る舞っているという点では変わりない。変わりないのだが、根拠も無くそう感じるだけのこと。
オギ自身が未だに引きずっているのだろうか。だからそう感じる、という可能性が高かった。
被写体になるのは好きじゃない。承諾したのは何かしらの後ろめたさが働いたのかもしれなかった。
それにしても。
姿の変わらない人形を、写真という形にして残すというのもどこか不思議な話である。
◇
列車から降りた時の景色は、目を見張るものだった。
手紙に記された土地の最寄り駅は町の高台にあったらしい。小さく古びた壁の向こう側に、眼下一面赤い屋根が連なっていた。どこもかしこも、屋根は赤かった。夕焼けが白い壁までも暖色に染め上げている。ぼんやりと燃えているようだった。
「童話の町だね」
「これを"壮観な眺め"と言うのでしょうか」
「おそらくは」
まるで子供の絵を元に起こしたみたいだ。
車は一台も走っておらず、生活音の種類も違う。穏やかな慌ただしさが夕方の町にあった。
「こうして違う場所に行くと、僕の住んでいる街がどれだけごちゃついているか分かるよ」
そう都会ではない筈なのだが、けして田舎町とは言えない。所狭しと建物は並んでいるし人通りもなかなかのものだ。
それなりに発展していると言える。
「研修で行ったところは凄かったな。なんというか、周りの流れが速かった」
「体感速度ですか?」
「うん、全員が三割増で速く動いてる感じ」
赤屋根の町の速度はオギにとって好ましいものだった。ただ、心無しか周りから向けられる視線の量が普段よりずっと多いように思える。少し考えて理解した。視線の先はオギではなくリネンなのだ。リネンはオギの街の速さには紛れられても、この場所ではそうも行かないらしい。
リネンがぱちりと一つ瞬きをした。陽に染まった眼球が数ミリの昇降移動を経てオギを見つめる。瞬きはもう癖か習慣か。あまりにさりげなくてオギはその動作に気付きもしなかった。気付いたとしても目くじらを立てることはないだろう。
「リネンが綺麗だってこと、忘れてた」
「相槌の打ちにくい言葉ですね」
綺麗、だなんてさらりといえるのはきっとリネンが人形だから。
意識を離した隙に陽はもう見えなくなっていた。
翌日の空は快晴で、窓から見る景色は涼やかだ。寒々とした鮮やかさ、というべきか。夕日の色調補正が消えた後の屋根達は色褪せて見える。
リネンのモーニングコールは味気ない。それが良かった。
昨晩初めて見つけた宿はやっぱり赤い屋根で、どこもかしこも古びてはいるけれど掃除は行き届いているようだ。
寝床が変わった一日目だから眠りは浅かった。おかげでいつも初日は体内時計が狂う。まだ少し頭はぼんやりとしている。当然のように出された二人前の朝食を見て表情をこわばらせる頃には、オギの目は残念なことに冴えてしまっていたのだが。
「頑張ってください」
「ちょっと次からどうにかしないといけないな……」
リネンを人として勘定する弊害を忘れていた。
ソフィーネ=ディグの家は町の外れにあったようで、教えてもらった道を進めば進むほど閑散としていく。
畑すらも少なくなってきて、道は段々と細くなっていた。
坂道に差し掛かり周りに木々が増えてきた頃、オギは疑問を口にした。
「道、間違えたかな」
「教わったとおりに歩いている筈ですが」
恐らく合っている筈だ。ただ、道があっているとして、そこに家があるとして、それでも人が住んでいるかどうかはわからない。
「今更になって悪戯だと分かったらどうしよう……」
出発して一時間も歩かないうちに家らしきものは見えた。
「マトが九割方本物だと言っていたのでは?」
「心配性なんだよ僕は」
そこに集約される。不満はない、が目の前の建物を見て愚痴の一つ二つ吐きたくなってもおかしくないだろう。オギの憂鬱は正当だ。
廃屋にしか見えなかった。庭、と言えるのだろうか。柵で仕切られた空間は草が生い茂っており、植木の枝も節操なく曲がり広がっている。葉はもう殆ど落ちていた。
家の大きさは、町中で見た物よりは少し大きいぐらいか。屋根はかろうじて赤色だったのだろうと思われる。色が剥がれていた。大体の窓は雨戸まで閉めてあり、打ち付けて開かないようにされているものもある。
此処まで来たのだから、行くしかない。雑草に侵食されていない敷石の上を進む。錆び付いたノッカーを鳴らした。反応が返ってくるのを待つものの、一向に来る気配がなかった。二回三回と鳴らして、この家じゃなかったと考えるのが一番前向きだ、と思い直す。
一旦戻ろうとリネンに伝えようとした時。
「誰だ」
低く芯の通った声が聞こえた。住人が出先から帰ってきたのだろうか。
はっとして振り返る。そこには険しい顔をした老人がいた。初老といえるかいえないか、そのくらいの外見をした男だった。
老木を思わせる男だった。灰色の短髪。背筋は真っ直ぐで、下向きに弧を描く眉が視線に険しさを加えていた。
オギは一瞬たじろいだ。
リネンが一歩前に出て、オギよりも早く言葉を発する。
「こちらにソフィーネさまはおられますか」
老人の表情は更に不機嫌になった。
「誰だ、と聞いているんだ」
オギが慌てて口を挟む。
「友人、です。ソフィーネさんの」
一瞬でばれそうな無理のある嘘に目眩がしてくる。オギの性分は呼吸をするように嘘を吐けるようにはできていない。
「そんなもの、私の娘にいる筈がなかろう」
声色は更に剣呑になる。
その台詞にどこか悲しい気持ちになる暇もない。
諦めて手紙を見せ、正直に話してしまなければ問答無用で追い出されそうだ。
そもそもの話、ソフィーネにそこまで義理立てする必要はないではないか。店と縁があったのはおそらく彼の方なのだから。
内ポケットにしまっていた手紙を取り出した時、扉が大袈裟な音を立てて開いた。振り返っても扉の奥は薄暗くてよく見えないままだ。扉を開けたことにより玄関口には光が当たっている。が、人の姿は無い。
「おとうさま、本当よ。その二人はソフィのお友達」
甘ったるく幼げな声。どうやら扉の裏からしているようだ。背が低いのだろうか。内開きのドアの向こうに身体が収まってしまっているらしい。オギの位置からは死角だった。
おそるおそる老人の方に向き直る。彼は険しい顔を僅かに緩めてはいたが、未だに渋い表情だ。
「ソフィの言うこと、信じてくれないの?」
「ああ、お前の言うことだ。信じているよ」
老人があからさまに相好を崩した。
「ありがとう、おとうさま! 大好き!」
す、と手が伸び、声の主がオギの袖をつかんだ。
「え、うわっ」
「ついてきて」
奥へと引っ張られる。オギの眼鏡がずれた。「お邪魔します」そう言ってリネンも静かに後を追う。
ぼやけた視界に映るのは幼い少女の後ろ姿だった。背丈からはおそらく十にも満たない童女であることが窺える。明かりの少ない中でも、長い二本の三つ編みが揺れているのが分かった。
老人が入ってきて扉を閉めたのだろう。廊下が更に薄暗くなった。ほとんどの窓が閉まっている。
そこで初めて、オギは気付く。ソフィーネは老人を父親と呼んだ。しかし彼はどう若く見積もっても五十半ばで、オギには六十程に見えた。あり得なくはないのだが、孫と言われた方がしっくりとくるだろう。
ソフィーネがドアを開け部屋の中へとオギを引く。入った後リネンが閉める。老人は入ってこない。
「お手紙、ちゃんと届いたのね。初めてだったから不安だったの」
薄暗い部屋の中で、ソフィーネはころころと愛らしく笑い声を立てた。
「このままじゃソフィはただの嘘つきね。おとうさまはお怒りになるかしら? 秘密はたくさんあるほど楽しいけれど、嘘は本物に変えなくちゃ」
飴玉のような声だった。ころころと言葉が飛び出しては溶けていく。
「だから、まずはソフィとお友達になりましょ?」
ソフィーネがオギの袖を離した。
年下の扱いなんて心得ていない。突然の提案にオギは戸惑ったけれど、幸い急な要求には慣れている。
「うん、いいよ」
オギが笑い返す。
ソフィーネの顔も笑った筈だ。
「後ろのあなたも、ソフィの友達になってくれる?」
「あなたがそう望むのならば」
リネンの返事は冷淡だ。
けれどソフィーネは楽しそうに言い返す。
「ソフィがお願いしなくっちゃ、あなたはきっとお友達になんてなってくれないのね。それって結構かなしいことよね。さみしいことよね」
ソフィーネは窓際へと歩いていく。分厚い黒のカーテンを引き、踵を浮かして閉じられていた窓を開いた。
光と風が吹き込んでいく。童女は二人と、初めて対峙した。
「そうでしょ、かわいいお人形さん?」
飴のように転がり落ちる、声だった。
◇
店の奥。倉庫代わりになっている部屋で、マトは数年前の名簿を開く。
前髪を耳に掛けて、両目で文字を追う。薄紅の瞳がするすると動いた。
ぎゅっと寄せた眉を元に戻して一息、扉の向こうへと声を張る。
「ベネットー。これの次年度分知らない?」
「え、無いのか? 誰も持ち出していない筈だけど」
ベネットがこちらへと歩いて来る。マトはげんなりとした顔をした。
「この店の中にはあるのよね」
「急ぎか?」
「まあそこそこに」
少し、調べごとがしたい。
白衣のポケットに突っ込んであった安物のメモ帳と、赤い軸の万年筆、それから眼鏡を取り出した。
オギの物とは違い、両方のレンズが薄緑だ。
普段に比べれば雑だが十分に整った字で走り書きをする。インクは彼女の好みの問題で、赤茶色だった。
小さなメモはマトの指によって紙飛行機へと姿を変えた。両手に包めてしまうほどの大きさだ。
マトの唇から、ぼそりと一言分の音が漏れだす。と同時、はっきり言ってまともに飛びそうにないそれをふわりと投げた。
紙飛行機は本来ならあり得ない機動でしばらく天井付近をくるくると逡巡し、一番上の棚の段に飛び込んだ。
「だーれよこんなところにしまったのは」
「俺じゃないってば」
マトは口を閉ざした。忘れているだけで犯人は自分かもしれない。
箱を踏み台にして手を伸ばす。しかし、目当てのものはなかなか見当たらなくて視線を彷徨わせる。
「あった!」
しかし引き抜かれた名簿は勢い余ってマトの手をすり抜け、床に落ちる。「気をつけろよ」ばさりと広がったそれをベネットが拾い上げた。
「これがどうかしたのか?」
何気なくぺらぺらと捲っていくベネットの指が、あるページで止まった。
「……どういうことだよ、これ」
箱から降りて、記録を覗き込んだ。
「なぁに、どうしたの」
その記録は何年も前の物。少々癖のある筆記体で書かれた、当時の依頼の記録だ。
ベネットの開いたページには見覚えのある人名がある。彼女の生年月日はマトよりも古く、年齢は未だにオギよりも少ないままだった。
依頼人はコルチ=ディグ。依頼内容は、娘について。
何度見返しても変わらない。
娘、ソフィーネ=ディグ。
享年十五歳。回路不全症により死後処置。
部屋の空気はやけに冷える。
「やぁね、やっぱり詐欺かしら」
マトは憂鬱気に言葉を呟いて、固まったままのベネットから記録を取り上げた。
ぱらぱらと紙を捲って行く。
「オギに連絡いれないと、ね」
さて目当てのページは、どこだろう。