2−1 魔法店への依頼
少女は笑う。
「今からあなたにとびっきりのわがままを言うわ」
煤けた紅色のリボンが地に落ちた。おのれの長い三つ編みを解きながら、少女はわらう。
「ねえお友達。ソフィはきっと酷い子ね。あなたがソフィのお願いを、聞いてくれないわけが無いのにね」
少女の声は湿り気を帯び、眼球は冷然と乾いていく。震える指だけが、少女の視界を縁取り彩る何かを嘆くように──瞳の真ん中に映る『お友達』へ泣くように。
耐えきれなくなったように少女は抱きしめた。解かれた髪は空をのたうって、赤のスカートがふわりひととき宙を舞う。その細い両腕に一体どれほどの想いを込めて。
ぎゅっと抱きしめた腕の中。陽にとろけた飴玉のごとく。
吐き出した。
「お願い、ソフィを──よろしくね」
願ってしまったその日から。全ては正しくあらねばならなかった。
◇
左手に空っぽの籠。右手には大きめの文字が書かれたメモ用紙。場面に適切と言えるぐらいの微笑みを浮かべて、リネンは声を張り上げた。
伝える数量は四。籠の中に林檎が収まっていく。そのままするりと立ち去って、もう誰も少女人形を注視しない。
真新しい紺のコートの袖が揺れる。
どこか浮いてはいるものの、リネンは街並みに紛れるようになっていた。
「ただいま戻りました」
オギに対するよりも柔らかく、よそ行きの顔を剥がしきらないままにリネンは言う。
机の上で何かと睨めっこをしていたキフェが顔を上げた。
「おかえり、ありがとね」
「買ってきた物を確認してもらえますか? 全部揃っているとは思うのですが、念のため」
キフェは籠の中身を一瞥する。明日のパンと野菜類に焼き菓子が少々、それからベーコン。
「まあ大丈夫なんじゃない?」
緩く笑いながら、適当な返事を返された。
いつものことだから、それでいいのだ。形式的なやりとりだった。
「では、いつものところに置いておきますね。お釣りはどうしましょう?」
「ん、小銭がちょっとだけだよね。リネンにあげるー」
リネンはおとなしく受け取る。使い道は思い浮かばないが、受け取ることを望まれたから。
「ありがとうございます」
こういうことが何度かあって貯金箱代わりのガラス瓶の中には、子供のお小遣い程度の小銭が溜まっていた。
お金は使うものだと思う。貯める一方では、いけないのかもしれない。
ほんの少し真面目に、使い道について考える。退室しようとリネンが背を向けたところで、呼びかけられた。
「ねえリネン。帰ってきたばかりで悪いんだけど、もうひとつ頼まれてくれないかな」
◇
風が冷たくなって来た。
オギは引いて来た自転車を店の前に止め、荷台からそっと箱を下ろす。入っているのは術式の透過液だ。小さめの紙箱とはいえ瓶の重みも合わさって、ずっしりと腕に来る。
肩で店の扉を押して、足で閉まらないように支え、身体を中に滑り込ませた。
「おはようございます」
書面と睨めっこしていたマトが顔を上げ、長い前髪をかきあげた。
「おはよう。おかえり。おつかれさま」
にっと微笑む先輩にどの返事をすべきか迷い、オギは笑い返す。
「はい、ただいま」
良く言えば落ち着いた、悪く言えば地味な配色の店内に鮮やかな薄紅色が映える。薔薇や口紅のように主張する色は、木材の茶色やくすんだ白などの中で明らかに異色だった。
マトの前髪の話だ。前髪以外はごく一般的な黒である。曰く、全て染める勇気がないとか。
「帰ってきてたんですね」
オギは何と無しに声をかける。
陽の当たらないところに置かれた棚、そのガラス戸を引いて今朝受け取ってきた瓶をしまって行く。紺色の瓶のひやりとした感触が手のひらに残っていた。
「そう、実家の方のごたごたも落ち着いたから」
切れ長の目をオギに向けて、マトが言う。落ち着いた声だった。前髪に加えて白衣の下に黒一色、といった前衛的な外見に反して取っ付きやすい。
「大変そうですね」
「仕事止めろとか家継げとかやれお見合いだとかっ、もーやだ」
白衣の裾を捲りながら言った。
マトを最後に見たのはリネンを街に連れ出した日だ。もう大分前になる。
「凄く面倒くさいわ」
はぁ、なんて声を出して溜め息の動作。
いつの間にかベネットまで出てきていた。
「俺はその話を聞くたびにぞっとするな」
「あ、おはようございます」オギが言う。ベネットが挨拶を返した後に、マトが口を開いた。
「それにしても他人事みたいに言うのね」
事実他人事なのだが。
マトの家はオカルトとはなんの関係もない家で、彼女は自ら望んでこちらに来た人間である。稀なタイプだ。
「長女だからってさ、別にいいじゃないのよ。何歳だと思っているのかしら。仕事にどうこう言われる年でもなければ婚期を焦る年でもないわ」
げんなりとした顔でマトは愚痴を言い、ベネットは頬を引きつらせる。こうなると長い。
マトがはっと表情を変えた。
「あ、ごめんね。思いっきり愚痴っちゃった……」
「ここで発散してもらっても構いませんよ」
「オギ、あのな、聞くのは俺だからな。素面で悪酔いみたいな絡み方をするからな」
「だってそれは、ベネットが『聞く』って言ったからでしょ」
ベネットの両手がぱんぱんと気の抜けた音を立てた。
「あーはい、やめだやめ。各自業務に戻れー」
賢い逃げの姿勢である。
それでも結局、後で愚痴に付き合うのだろう。ベネットはそういう人だった。
「今日はまず何を」
オギが口を開いたのと同時。どさどさ、と裏からものが落ちる音がした。音のした方、向こうの部屋を覗き込めば判明する。発生源はマトの机だった。
何かのバランスが悪かったのだろう。倒れたノートの束が他の私物も巻き添えにして床に散乱させていた。
「なあマト」
「言わないで。すごく恥ずかしいわ……」
彼女は顔を覆った。
「ついでに掃除だな」
「掃除ですね」
「あーもー、今日はなんて日よっ」
マトの区域は酷い有様だった。
崩れた文庫本の塔が主犯である。
ミニチュアの天球儀も雨蛙のメモ立てもその犠牲となった。
どことなくノスタルジックな小物の数々をマトはしゃがみ込んではすくい上げていく。じぐざぐと黒地が織り成す長いスカートは蝙蝠羽のようだった。
オギは少し考え込んだ。
ガラス製品、燻んだ金属色、童話的な動植物のモチーフ。どことなく引っかかる。
「あ……魔法っぽさだ」
姉がこよなく愛するものだ。
「魔法っぽいってつまり魔法じゃないよな」
「う、うるさいっ。空想魔術だってロマンじゃない!」
いらない口出しをしたベネットは、マトの裏返った声に軽く肩をすくめた。
作業と並列してぼそりとベネットが呟いた。
「マトって割と几帳面なイメージあるのにな」
聞こえたのはオギにだけである。
ああなるほど、と頷いた後で首を捻る。はたしてそうだろうか。第一印象はとっくに塗り潰されている。
「キフェちゃんとかどうなんだろうな」
「キフェの机は汚いですよ」
「まじかー」
「でもどこに何があるか正確に把握しています」
「まじか……」
「その労力、大人しく片付けることに使った方がいいと思うんです」
「それな」
流れで本格的な掃除になったのだが、その流れ自体が既におかしいと思った時には遅かった。
近日稀に見る暇な日である。いきなり大掃除を始めるなど、血迷っている。
オカルト自体は廃れ気味とはいえ、需要と供給のバランスはそれなりに安定していた。大抵は店に修理品が持ち込まれていたりするのだ。珍しく今日は何も無いが、出張依頼もそれなりにある。
「そういえば、三人揃うのは久しぶりですよね」
「あー、そうね。同期みたいなものだものね」
「同期、というには僕は明らかに後輩ですけどね」
「幼馴染というべき?」
「俺とマトはあのとき既に幼くなかったじゃないか。昔馴染?」
「そっちの方が近いかと」
弟子とその師の息子のち後輩、である。
「もっとこう、アットホームな感じでいいんだぜ!」
「十分馴れ合ってるわよ、ねえ?」
「その言葉選びはなんだかなって思いますけどね」
閑話休題。
一番酷い惨状だったのはマトだったが、一番早く事を終えたのもマトだった。始めるまでが長いたちらしい。いつの間にか涼しい顔で受付に座っていた。
時刻は正午前。
ぎ、とオギの後ろで扉が音を立てる。思い出したかのようにベルがかろん、と低く鳴った。
「いらっしゃいませ」
普段よりも幾らか丸いマトの声は余所行き用。入ってきた少女はぺこりと頭を下げる。オギが振り返った。
少女は、
「オギ、姉様からの言伝を持って参りました」
リネンは、くっと帽子のつばを持ち上げた。
後ろからベネットが顔を出す。暫く不可思議そうな顔をした後に、ああ、と声を漏らした。
「あの子が例の自動人形かー。もっとビスクドールみたいな感じだと思っていたんだけどな」
興味深そうにリネンを見つめたまま言った。
リネンは顔を少し傾けて、ちらりとベネットを見やる。
「それじゃあ昼だし休憩といこうか」
「そうね」
マトは受付の真ん中に目立つよう呼び鈴を置いた。
「リネン、おいで」
「はい」
古びたソファは人が座れる状態だったし、飾り気の無いローテーブルの上には何も乗っていない。
リネンは鞄から茶色い紙袋を取り出しオギに渡した。
「姉様──キフェからの差し入れです。皆さんでどうぞと」
「ありがとう、って伝えといて」
中身はジャムの乗せられたクッキーだった。
「キフェちゃんの手作り?」
「市販品です」
「そっか」
ベネットは積極的に話しかけていた。
一方、マトの片目はじっとリネンを眺めているものの、彼女自身は動かず静かにコーヒーを飲んでいる。
ひそりとオギの耳元でベネットが呟いた。
「何か、ちょっと味気ないな」
リネンのことだろう。
「ご所望とあらばそのように振る舞いますが、いかがいたしましょう?」
コトンと落ちるように首を傾げた。ベネットの声はしっかりとリネンに届いていたらしい。
ぎくりと頬を引きつらすベネットに対し、リネンは涼しい顔を斜めにしたままオギを見つめていた。
おそらく指示待ちだ。"所望"などしていないがベネットの前だというのもあり、逃げの姿勢に出る。
「……首を傾げる時間が長い」
「失礼しました」
音も無く、かくりとした動作でやっとリネンの視線は水平に戻る。
未だ、時々妙に機械くさかった。綺麗に"それらしく"装えるようになっただけにかえって際立つ。
どこか言い知れない空気だった。
「そういえば用件って何?」
話題を変えた。実際、まさか差し入れだけというわけではないだろう。
「修理の依頼です」
見覚えのあるケースが出てきた。キフェのモノクルだ。
オギは右目を瞑る。眼鏡の右側は普通に度が入っただけのレンズだ。少しずつ角度を変えて見ていく。
「やっぱり回路が切れてる」
「オギ、直せるか?」
「重複箇所なので完全に分解しないといけませんし、ちょっと自信は無いですね」
未だに見習いの身には荷が重い。
ベネットに手渡す。彼は折りたたみのルーペを片手で開いた。当然嵌まっているのは薄緑のレンズだ。
「ああ、これは俺がやった方がいいな」
そう言ってメモに何かを書き込んでいく。
「無いと困るだろ、これ」
「予備があるので急がなくても大丈夫だと」
「今、丁度良く立て込んでないから。 明日か明後日には直るって伝えてくれるか?」
リネンが頷いた。
「代金は後日払いに伺います、とのことです」
「ん、了解。まあ時間ある時でいいよ」
その後もベネットは、リネンをしげしげと眺めては質問攻めにしていた。
リネンは嫌そうな顔一つせず、淡々と答えていく。愛想も振りまかなかったが、「わかりません」と「知りません」の割合は心なしか少なかったように思った。
マトは一人早々に持参していた昼食を嚥下する。最後の一口だった。
そして初めて口をきいた。
「ねえ、ベネット。 あの手紙の件、オギに任せたらいいんじゃないかしら。 その人形を連れて」
◇
マトは席を立ち、件の手紙を持ってくる。
「オギが来たら話すつもりだったのに、すっかり忘れていたわ……」
今日はほんとダメね、とマトがぼやいた。
受け取った封筒には種類の違う切手が二枚。便箋の文字は筆記体ではなくひとつひとつ切り離して書かれていて、文字の大きさと線の不格好さが子どもの字だと訴えていた。
差出人名、ソフィーネ=ディグ。珍しい家名だ。
「まあ、ここまではいいのよ。別にね、子どもの依頼だから受けないとかそんなことは言わないわ」
問題は中身そのものだ。端的に言えば唯の出張依頼なのだが、肝心の"何をどうして欲しいのか"が書かれていない。
「お願いだから保護者の監督下で書いてよ……用件何一つ伝わって無いじゃないのよぉ……」
ごもっともである。電話番号すら書かれていない。
流石のオギも困惑だ。
「え、これ受けるんですか。仕事としてまかり通るんですか」
「いや無理。なん、だけど」
同封されていた小さなカードを手渡された。フォントくさい文字も全て手書きである。器用といえばいいのか暇を持て余していると言えばいいのだろうか。表にでかでかと書かれた文字は『紹介状』。
「なんですかこれ」
「先代の遊び心よ」
要するにただの優待券である。
裏面に細々と注意事項が(途中で飽きたのか草書体で)書かれていた。おそらく大した意味は無い。
「何やってるんだ父さん……」
「なんでだ、かっこいいだろ! 秘密結社みたいじゃないか」
人聞きが悪かった。
「ええ、うん。わりと当時は好評だったみたいね。内輪ネタだったし」
「内輪……?」
「そ。つまりお得意様の可能性。正確にはお得意様の娘、あるいは縁者」
それは蔑ろにはできなかった。お得意様なら、縁があったのなら仕方がない。そんな風潮がオカルト界隈には強い。
なるほど、とオギは言う。
「それで僕とリネンが行くというのは」
異論があるわけではない、が理由は聞きたい。主にリネンのくだりだ。
「だって娘が年上の軽そうな男を『友達』とか言って連れてきたら、親は泣かない? あたしでもちょっと違和感あるでしょ。リネンぐらいが無理ない範囲じゃないかしら。オギはおまけ」
「おまけ」
「おまけに見せかけた本命よ。喜びなさいな」
いつもの軽口に曖昧に笑った。
"年上の軽そうな男"はなぜかリネンに慰められていた。背をさする、なんて技能あったのか。
「僕が行ったとしても、嘘、すぐにバレそうですけどね」
「しかし隠してるってことは保護者の許可得てないってことだろ? さっさとばらしてしまう他ないな」
「そりゃそうよね」
さて、オギの方に問題がないとすれば。
二人の視線はリネンに向かう。
「話、聞いてたかしら。もう一度説明する?」
「はい。お願いします」
マトはゆっくりと、簡潔に要約した内容を繰り返す。最初からこっちでいいのではないか。
リネンはしばし黙り込んだのちに、答えた。
「労働、ですか。興味があります」
「やったあ。彼女、乗り気じゃない」
「……でも人形っていうのがばれたら面倒なんじゃ」
「あら、ばれないわよ」
さらりと断言した。
「だってあたし、騙されてたもの」
昨日マトがキフェの元を訪れたとき、側にリネンも居たのだという。
オギは今初めて聞いた。
「あたしのこと覚えてる?」
「はい」
マトが軽く息を漏らす。
「この子、オギの前とそれ以外では全然態度が違うのね」
核心を突かれて、オギは頬を引きつらせるが、マトはそれ以上は追求してこなかった。
そうして、オギの予定は済し崩しに決まっていった。
◇
日が落ちた。
今年は冬の訪れが早いように思われる。秋が短かったのではなく、夏が短かったのだ。
マトは片付いた書類の山に安堵の表情を浮かべて、深く椅子にもたれ掛かった。色々と準備もあるだろうからと、オギは先程帰したところだ。
「お疲れ」
「ありがと。そっちはどう?」
「あと二、三工程ってところかな。上手くいけば」
何も考えずに電灯を眺めていた所為で、ベネットの顔がちかちかして見える。
そのまま目を伏せてマトは黙り込んだ。
「リネン、凄かったな。本当に人と見分けがつかない」
ぽつりとベネットが言う。
「キフェの前ではもっと人みたいだったの」
マト自身、人だと思って接していた。オギの前ではあまり喋らず、動かないからだろうか。人形と知って奇妙な納得感はあった。
だが表情も声も動作もキフェの前では、特に気にならなかった。確かに綺麗な子だなとは思ったけれどそれだけだ。気にならないほどに自然だったのだろう。
「てっきりマトはああいうの、好きだと思っていたんだ」
その言葉は、昼間のマトの平静さから来ている。一番騒ぎ立てるのはマトだと思っていた。
「……そうね、大好き。その筈なんだけど」
一瞬、口をつぐむ。
「あたしには、気味が悪かったわ」
否定とも肯定とも取れない相槌をベネットが挟む。
「まるで『シトーシア』ね」
目を細めた。あんな人形は知らない。
ベネットはマトの挙げた単語に心当たりがないようで、不思議そうな様子だ。マトは一冊の文庫本を手に取り、軽く振ってみせる。それを見て合点がいったようだ。
「また懐かしい本を読んでるのな」
昔、仲間内で流行った小説だ。
「片付けてたら見つけて」
結局ちゃんと追っていたのはマトだけではなかっただろうか。ベネットはこの話が何巻まであるのか知らない。
「完結したのか?」
マトは首を振る。
「そっか」
案外そんなものなのだろう。
何気なく表紙に目を落とす。
「ん?」
「あっ」
題名の下に書かれた文字。作者名、コルチ=ディグ。
「そういやなんで、これ読んだことあるんだっけな」
ベネットはあまり文芸には手を出さない。
「なんでってほら、先生がサイン本持って……て」
顔を見合わせる。
繋がった、かもしれない。
「あたし、行っちゃ駄目?」
「お前が行けない理由はさっきお前が言ってたぞ」
マトは無言で潰れた蛙のような顔をした。