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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第二部- redefinition - 1章「キフェ=ミアノの肖像」
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2部:1−10 過去視の魔女

 


 ミアノ姉弟とアルミラ=コスタが同じ学院に通っていたのは大した理由ではない。


 そこは半端な小金持ちや半端な名家の出が多い学院だった。

 ミアノ家も一見生活は慎ましいが、魔術師の家としては古く、店を二つ持ち、母は写真家としてその筋に名高く、父は研究者として大成している。


 由緒はないが資産はあるコスタ家と、同じ学院に放り込まれるのはあり得た。


 という背景はともかく、結局のところ、オギと共に学校に通いたがったアルミラの我儘、で片付く話だった。


 アルミラだけが世話係をつけての寮生活で、キフェとオギは通いの生徒。四六時中の交流とはいかないが、それでも。


 アルミラと同じ学年であったキフェは、中等学校時代において、けして少なくない時間を共に過ごしたのだった。





 放課後の教室に現れたアルミラは後ろにオギを引き連れており、キフェは渋々といけすかない同級生に付いてく羽目になった。

 教室を出て、外廊を進む三人。


 黙っていれば可憐で清楚な白金髪の少女は、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて言う。


「なんだかんだと言っておいてキフェは付き合いがいいよね。そういうところがやっぱり姉らしいな」


 アルミラ=コスタは学院の変わり者だ。


 ろくに授業にも出ず、『そんな無駄なことをしている暇はない』なんて豪語して、日中はひとりで難しい本ばかり読んでいる。

 成績はべらぼうにいいから教師も何も言わない。代わりに、友達らしい友達もミアノ姉弟以外にはいなかった。

 少女の美貌は、触れれば壊れてしまいそうな危うさがあり、人を寄せつけ堅いものだったから。


 もちろん、『黙ってさえいれば』の話だが。

 興味のない相手とはまったく会話をしないので、本性を知っているのは姉弟くらいである。


 機嫌よさげに細まる翡翠色の猫目に、キフェは噛み付いた。


「付き合いがいい? 冗談はよしてくれよ。ぼくは波風立たずに生きたいのさ。おまえなんかに巻き込まれたかねぇや」


 学院におけるキフェはというと、割合、凡庸な生徒だった。

 魔術師というお家事情と気性の激しさが友人の数を削りに削っていたが、それでも最高学年となった頃は周りの空気を読んでそれなりに器用にやっていけるようになったし、そういう自分を良しとした。


 心を開けるような相手はいないが、それがなんだというのだろう。

『少し変わっている』程度の印象に収まる普通の生徒になるために、キフェは努力して、穏やかな学院生活を維持している。


 だというのにこの女は!


「……まったく、人の気も知らないで自由に自由に振る舞いやがる」


 そして後ろを付いてくるオギはといえば昔から子供らしかぬ子供で、何を考えているのか姉の目をもってしても、いまいちわからない。

 今日もぼんやりと、何も考えていないような顔で、性格の悪い女に延々と付き合っているのである。


 キフェはわざと聞こえるように大きく溜息を吐いた。


「いくら付き合いたくなくっても、おまえがオギを巻き込むから。しょーがなくぼくも首を突っ込む羽目になるんだよ」

「ふふふ。苦労性の姉だね。心中お察しするよ」

「察してんならその口を閉じて回れ右をしてうちの弟を返せ。ぼくは姉の役割に誇りを持っているけどね、君のようなろくでなしを妹に持った覚えはないんだよ」


 妹。キフェが口走ったその単語に、アルミラは驚いたように目をまん丸にした。


「なんだよ」


「ああ、いや。──安心してくれ。


 私は冗談でも、君を義姉とは呼ぶまいよ」


 誰かの妹になんてなれなさそうな、あんまりにも大人びた笑み。


 その雰囲気に、一瞬、キフェは飲まれて。


「呼んだらぶん殴る」


 負け惜しみのように吐き捨てて、ずんずんと前を行く。

 どうせ付き合う以外にないのだ。

 さっさと要件を終わらせて、オギと家に帰るとしよう。


 後ろでようやくオギが、口を開く。

 姉たちの喧嘩には割って入らないのが弟の処世術だった。

 声変わり前の高い声。


「そういや、今日はどこに行くの」


 アルミラは、先程の大人びた表情とは似ても似つかない、邪気と幼気(いたいけ)が両立した表情で言う。


「ふふ。温室だよ」

「……なるほど? どうせろくなことしない、ってことはわかったよ」

「あ、ひどい。オギもそう言うのか」

「ん、別に。僕はキフェと違って、文句はないよ。


 ろくでもないこと、って楽しいよね」


 ……そう、あろうことがこのいけすかない女と愛する弟は、純粋に友達として仲がいいのだった。

 姉は弟の将来を憂い、外廊の天井を見上げて、また溜息を吐いた。





 ──これは過去視の夢だ。


 だから、過去だと分かっていても、キフェはまったく同じ行動を繰り返す。

 そしてなぞるうちに、これが過去の夢であることを忘れるのだ。



 ──今ならわかる。『義姉とは呼ばない』、アルミラが、そう言った意味を。


 アルミラは、決して、オギとの関係の進展を望まなかったから。





 三人はオレンジがかったガラス張りの温室に辿り付く。

 中等学院ではなく隣接した高等学院の敷地にあるもので、つまりはほぼ不法侵入。

 こっそり忍び込んだのである。

 鍵こそかかっていなかったが、かかっていたとしても、アルミラはオギに魔術で開けさせただろう。

 品のいい大人しい生徒が多い学院だ。

 冒険も悪戯も実験も、やるやつなんていない。

 ──本当に、こんなことさえするのはアルミラくらいの、つまらない学校だった。


 温室の中央には異国の木が植えてあり、そこには赤々を熟したなんらかの果実が実っていた。


「あの木になってる実を食べてみたいんだよ」


 それがどうやらアルミラの今日の目的らしい。


「なんだ、そんなことか」


 オギはぼんやりと感想を言い、


「は。くだらな」


 呆れたキフェに、アルミラは食ってかかる。


「じゃあキフェは、あの実が毎年どうなっているか知ってるか? そのまま腐って落ちるんだぞ! もったいないじゃないか!」

「いや知るかよ……てかなんでぼくを連れてきたのさ。二人で肩車でもしたら届く高さだろ」

「毒見役だが?」

「頭沸いてんのか」


 そしてオギはというと温室の虫に気を取られて、ふらふらとそちらの方へと歩いていく。

 年相応(十一歳)の一面だ。

 アルミラとオギの仲がいい理由は単純で、この二人は知的好奇心で動くことで一致しているからだった。


 キフェとて好奇心は豊かな方だと自覚がある。

 ひと目はばからず興味に没頭できるならそれに越したことはない。

 けれど、学院にいるキフェは自制を課しており、良識の担い手であり、そして何より、アルミラのブレーキとならねばならなかった。


 だから例えば、学院内に突然謎の自動人形(オートマタ)が現れ二人きりの部屋に閉じ込められたとしても、十四歳のキフェは「分解しよう」だなんて発想すらしないのである。


 ──こんな風に時系列を無視した連想が浮かぶと、これが過去の夢だって思い出すんだけど。それも一瞬。



 アルミラが、オギの目と耳を忍ぶように、キフェに囁く。


「……本当は、キフェを誘ったのには別の理由があるんだ」

「ほう」


 何やら今度は真面目そうだ。


「私の方が背が高いから、オギを肩車することになるだろ」

「そうだね、三歳差だからね」


 アルミラはそして数秒、黙り込み、



「……いたいけな少年を肩車って、破廉恥じゃない?」



「は?」


 ふざけてるのか?

 だが、やはり目の前のアルミラは大真面目な目で、ひそひその弁明を始める。


「いや、だから。私とオギは清く健全な友人なので、必要のない肉体的接触はしたくないんだ。なぜなら私がどきどきしてしまうから。肩車なんてしたら、心臓が破裂するだろ。危ない」

「わかんねえよ。肩車が破廉恥って感覚。でもぼくの弟に破廉恥を感じてるのが最悪だわマジできっしょ。もういっぺん死ねよおまえ」


 ゴミを見る目で見た。

 アルミラはまったくへこたれない。

 なぜなら彼女にとっては真面目な話であり、世界の中心は自分だというように振る舞うのが彼女の常だ。



「…………はあ。まあつまり、要はぼくは肩車要員ってことね」

「話が早くて助かるな」


 そんなわけで。

 キフェが上、アルミラが下。

 さっさと終わらせる意思のもと、肩車がなる。

 ぐらぐらと揺れる不安定なものだったが、アルミラが貧弱なのは今に始まったことではない。


 アルミラの肩に乗ったキフェは木の高くになる実に、手を伸ばす。

 だが、すんでのところで届かない。


「アルミラ、棒とかもってやり直しだ。一回降ろして」


 キフェは眼下の頭をぺちぺちと叩く。

 しかし、アルミラは動く気配がなく、ぐらぐらと揺れているだけだった。


「どうした?」

「……なあキフェ」

「なんだよ」

「……背は私の方が高いけどさ」

「マウントか?」

「……いや、ええと、体重は……」



「キフェの方が、ある、のでは?」

「………………いっぺん死ね」



 呪詛はともかくとして。


「つまり、なにが言いたいの?」

「すまない。限界だ。崩れる」


 言うが否や、視界がぶれた。


「うげっ」


 そして、べしゃりとキフェは地面に落ちた。






 下は柔らかい土だから、あまり痛くはなかった。

 けれど、なんだか湿っているし、制服は確実に汚れた。


「さいあくだよ」


 すまなさそうな顔でへたり込んでいるアルミラを、土に寝転がったキフェが下からじろりと睨む。


「ばか」

「ごめん」

「ばかばか!」

「ごめんね」


 珍しい殊勝ささえなんだか腹が立つ。

 起き上がる気力もないまま、キフェは唸る。


「くそ! 意味がわからない! なんでおまえみたいなばかが頭いいんだ!!」

「なんでと言われてもなあ」

「そういうとこだよ!」

「ごめん。キフェは努力家でえらい」

「うるさい、努力した上でそこそこなんだよ! ぼくは!」


 絶対にこれは貸しにしてやる。

 あとで取り立ててやる。

 そう心に決めて起き上がり、キフェは気付く。


「あれ、オギがいない」

「ああ、なんか。肩車する前からいなかったよ」

「…………うそぉ」


 キフェは頭を抱える。

 弟が居なくなったことが問題なのではない。

 弟が居なくなったことに、気付かなかったのが問題だった。

 だってそれは、姉としてあるまじき行いだ。




 だが、探しにいく必要もなく、オギが帰ってくる。

 その両手には梯子を抱えていた。


「あれ、キフェ。その様子……失敗したんだ? 無茶するからだよ。ちょっと待っててって声かけたのに……って、聞こえてなかった?」

「聞いてない」

「覚えがない」

「あれ? じゃあ言ってなかったかも。まあいいか」


 どいつもこいつも社会性がクソだ、とキフェは思う。

 自分も含めて、だけど。


「その梯子……どうやって持ってきたの?」


 オギは平然と答える。


「どうって、『実を観察したい』って普通に許可とってきたけど」


 正攻法中の正攻法だった。


「『学術的興味』っていう魔法の呪文を、父さんから教わったからね。日頃の素行がいいと信用されるんだよ」


 そしてオギは、平然とした優等生の表情を、にやりと崩す。


「これで、つまみ食いができるね」


 その笑みは、アルミラとキフェ、その両方に似ていた。


 キフェとアルミラは顔を見合わせた。


「私の親友はいいやつだな」

「ばか。ぼくの弟がいいやつなんだよ」




 ◇





 そうして手に入れた果実は渋くて不味くて最悪で、舌に色が付いて戻らなかった。

 結局教師にはバレてしまったけれど、アルミラがひとりで罪を被って、キフェとオギだけは早々に帰ることができた。

 いつものことだ。

 問題児は自分ひとりの方が、オギを動かしやすくていいというアルミラの都合だ。

 別に何も特別じゃない、なんでもない一日の記憶である。


 家業を継ぐと決めたキフェとオギが通ったのは中等学校までだが、アルミラは隣接した高等学院まで出ている。

 相変わらずのサボり魔だったそうだから、勉学に興味があったのではなく、オギが十四になるまで共に通うためだったのだろう。


 家にアルミラが訪れることも、一度や二度ではなかった。


 そして卒業後、十九歳まで。

 アルミラは姉弟と同じ街で、共に暮らしていた。



 その過去に、決して特別なことはひとつもない。

 忘れて困るような思い出など、ひとつも。

 なのに、それらはキフェの中で、まだ、色褪せてくれなかった。



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