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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第二部- redefinition - 1章「キフェ=ミアノの肖像」
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2部:1ー9 過去の色濃い古屋敷にて

 

 元オリバー邸へと写真を撮りに行くまでの数日。

 師としてできる限りの力を貸す、その約束通りワイナはキフェに時間の合間を縫って写真を教えていた。


「私は口下手なので」


 とキフェの撮った写真への評価を原稿用紙で寄越したり、とまるで家庭内で文通しているかのようだったが、ワイナとキフェの師弟にとっては日常茶飯事だ。


 そしてそれも、今日が最後。

 明日の朝に、キフェたちは元オリバー邸に向かう。


「ありがとう、すごく助かる」

「師ですから。役に立ててよかった」


 あれから一度も、キフェの見合写真を撮ることについては、ワイナは何も言っていない。

 キフェが『考えておく』と言ったからだ。

 ワイナはキフェの答えが出るまで、聞き返すつもりはないのだろう。

 そういう人だった。


 返事を未だに保留していることに、キフェは少し後ろめたい気持ちになる。

 だから、『見合写真について考えてはいる』と仄めかすようにひとつ、前から気になっていた質問をする。


「ねぇ、母さんは。どんな気持ちで父さんと結婚して、母親になったの?」


 ミアノ家の両親は、親の顔よりも師の顔、家族という枠よりも個としての印象が強い。

 婚姻も、親になることも、この時代では『ごく当たり前のこと』だ。

 しかし、世間の当たり前とは少し遠いのが魔術師で、魔術を差し引いても当たり前から遠いのが、ディシ=ミアノで。

 その父に惚れ込んで、縁もゆかりもない生まれから魔術の世界に飛び込んだワイナは、キフェが思うに、ディシよりも普通ではなかった。


(……同じ一般人から魔術師になったマトは、すごく常識的なんだけど)



 キフェの質問に、ワイナは顎に指を当てて考え込む。


「どんな、なんて言われても困るわ。うまく答えられない。それに、もう昔のことだから」


「ま、そうだよね」


 その答えにキフェは納得する。

 ワイナはそういう人だ。

 己の感情を言葉にすることに長けていない。

 そして、いちいちと自分の感情を反芻したりはしない。

 キフェのように。


「でも覚悟はしていたつもり」


 だが、母はそれでも答えた。


「覚悟しても、どうにもならないことが起こるのはなんだってそうでしょう?」


 その答えは、キフェの質問に隠れた意図を明確に捉えていた。

 ワイナの思慮か直感か、あるいは母として見透かしたのか。


 ──どうして、ワイナは母になったのだろう。どんな思いで、ワイナは母をしていたのだろう。


 自分の歳が若かりし頃の母に近付いたからこそ、そんなことを考えた。


 ワイナは過去を思う穏やかな目をして、言う。


「あの頃に戻りたいとは思わないけれど。それでも、大切な時間よ」


「……そっか」


 あの頃が、キフェが幼かった頃を指しているということはわかる。

 それはキフェが病弱で、『家族』をするのも困難だった頃のこと。


『戻りたいとは思わない』と率直に言うワイナだ。

 だから『あの頃が大切だ』という言葉もまた、曇りないものに聞こえた。


 愛されてるなぁ、と思う。

 普通には遠く、不器用ではあったけれど。

 ミアノ家はそういう、家族だった。





 ただ。


「大切な時間だけど、あの頃に戻りたいとは思わない、か……」



 もしも。

 大切な時間が二度と失われたとして。

 あの頃に戻りたいという願いを抱いたとして。


 その思いを、写真は、救えるのか。


 キフェにはそう、思えなかった。




 ◇




 そして当日。


 オリバー邸に向かう車に乗り込む、サイモンとキフェ、そしてリネン。



「しかしなんで、来れないと行ったはずのリネンがここにいるんだ?」


 休日だというのにかっちりとスリーピースを身に付けたサイモンが、後部座席にちょこんと座るリネンに疑問を発した。


「やっぱりサイモンだけじゃ心配だからついていけと、オギが」

「俺の意味よ」

「こうも言っていました。『リネンだけでも怪しいからサイモンがいるのは正直助かる』と」

「俺の意味あった」

「お互い信用されてませんね」


「いや、一番信用されてないの、ぼくだからな」


 キフェは助手席からむすっとして言った。


「それにしてもオギも意外と心配性なのだな」


 サイモンが何か共感したように肯いていた。


「そうですね」


 リネンはオギの言葉を思い出す。


『キフェは古い建物とすこぶる相性が悪いからね』


 わざわざオギがそう言ったのだ。

 リネンは後部座席でひとり、気を引き締める。

 決して魔法店の方に向かわずに済んだことを喜んでいるわけではない。決して。

 ちなみにリネンは昨日まで、魔法店の方でディシたちの弟子に混じり、ディシの『研究』を手伝わされていた。

 あまり思い出したくない。



「どうせぼくは頼りないですよ……」


 助手席でキフェは呟く。

 自虐的な気持ちだった。

 とっくに大人になったはずなのに、そのようにはあれない。

 キフェはキフェの生活を、得意なことだけで回している。

 不得意を避けて、失敗を避ける。

 キフェは大抵のことはそこそこ器用にこなせるが、時々、こうしてあからさまに欠陥が生まれる。


 遠出については、あからさまなキフェの苦手で、自覚する欠陥だった。



 車が走り出す。

 キフェは窓の向こうを見る。

 流れる景色、空は青い。

 春の終わりが近付き、夏の気配が見え始める青だ。

 いっそ恨めしいくらいの天気だった。


 なんの憂いもない晴天の日に、長く人の住んでいない家の写真を撮りにいく。


 それが写真屋として、大人としてのキフェに頼まれた仕事だ。

 子供じみた私情は、この先にはいらない。

 気持ちを切り替える。





 ◇






 古風な様式の色褪せたオリバー邸。

 預かっていた鍵を開けて中へと入る。


 邸宅の中は、薄暗く埃っぽいが、さほど廃墟らしさはない。

 定期的に人の手が入り、今の持ち主によって維持されてきたのだろう。

 住むには頼りないが、足元の床が抜ける心配をする必要はなさそうだった。


 家具についても、小物こそ置かれていないが、キャビネットや机など、ある程度大きさのあるものはそのままに配置されていた。

 生活感の欠けたサイモンの別宅よりもよっぽど景色に幅がある。


 取り壊されることが決まるまで、この屋敷は再び誰かを迎え入れる日を待っていたのかもしれない。


 ただ、廃墟と形容することはできずとも、建物の様式が古く、色調が全体的に暗いため、ホラー小説の舞台のモデルにできそうな趣は拭えなかった。


 キフェたちは写真を撮りながら進む。

 ワイナも愛用している持ち運びのできる箱型の写真機を使い、時に三脚で固定しながら、時間をかけて一枚一枚を撮り納めていく。


「なんだか、しっくりこないな」


 伽藍とした部屋でキフェはひとりごちた。

 キフェの魔術は現像時にかけるものだが、それも実際に撮る時点で上手く撮れていないと意味がない。


 この古屋敷には、廃墟めいた冷たく突き放す空気はなかった。

 だが、その空気に『寂しさ』がないかと言えば否だ。

 家具をそのままに手入れをされ、人を待ち続けたかのような古屋敷は、寂寥そのものだ。

 かつてはここを住まいにしていた家族がいるのだと思うと、尚更に。


 だからと言って、別にどうにかできるわけではないのだが。

 キフェは淡々と自分の持つ技術を発揮して写真を撮る以外にないのだが。


「この部屋はもう終わり。次に行こうか」

「はい、次は中庭ですね」


「そういやこっちに来てから、やけにサイモンが静かだけど」


 後ろを振り返る。サイモンは部屋の入り口で、偉そうに腕を組んで待っているが。


「……む。終わったか」


 心なしか、いつもより硬い顔をしているような気がした。


「ははーん? さてはサイモン、こういう場所、苦手だな?」

「な、な、何を言ってる」

「えっ。かまかけただけなのに、マジか」


 ニヤニヤ笑いを引っ込めて驚くキフェと、苦虫を噛み潰すサイモン。


「フン……子供じゃあるまいし、何を怖がる必要がある。まさかキフェともあろうものが、知らないのか?」


 頬を引きつらせながら、サイモンはキフェを見下ろす。


「お化けなんて、いないんだぞ」


 キフェはサイモンの足元に目を向けた。

 よくよく目を凝らせば、小刻みに震えているような、気がしないでもない。

 お化けなんていない。

 大の大人の発言にあるまじき幼稚性だが。


「ふぅん、サイモンこそ、知らないんだ。──亡霊理論のこと」

「なんだそれは」

「んーとね。色々な条件を満たせば、魂の残留は可能、っていうのが魔術界では通説なんだ。そのことを亡霊理論って呼ぶんだけど」


 そしてキフェは、前髪の隙間からサイモンを見上げ、ニタリと笑った。


「つまり、お化けなんていないとは言い切れないってことさぁ」


 サイモンは、沈痛に目を瞑り、



「…………除霊師の資格ってどこで取れるか知っているか?」

「いや、努力で克服しようとするのかよ」


 オギといいサイモンといい、妙な方向に真面目か。


 サイモンは咳払いで誤魔化した。


「それはともかく。キフェ、お前こそ顔色悪くないか? 皆まで言わずともいいさ、亡霊の存在を信じているのなら、恐れるのは自然なことだからな。そう、存在するというのなら恐れてもなんの問題もあるまい!」


 今度は妙な方向に開き直ったな、と呆れる。


「ご心配どうも。でもまさかだよ。ぼくはホラー小説いけるクチだぜ」

「なっ……! ではリネン、お前はどうだ!?」


「はあ、話を振られましても。私は喜怒哀楽が薄いので」

「いや、リネンはどちらかというとこの手の話題は『喜』だろ。この前ぼくのホラー小説、読破してご機嫌だったの知ってるんだぞ」

「ばれてしまいましたか。実のところ、お化けの類がいるならばお会いしたいと思っていました」


 サイモンがありえないものを見る目でリネンを見た。


「……リネン、なぜ隠そうとした?」

「サイモンさんが仲間外れで寂しがるかと思い。どちらの味方もせずに場を濁そうと思ったのですが」


 ばれてしまったので仕方ありませんね、とリネンは肩を竦める。

 嘘の吐き方も覚えてきた今日この頃だ。


「気遣いの解説が痛いな!」





 階段を下り、中庭に向かう途中。

 廊下を歩きながら、キフェは手帳を開き、気付く。


「……ない」


 手帳に挟んでいたはずの、写真がない。


 少し前まではいつも通りに収まっていた覚えがある。

 さっきの部屋で手帳を開いた時に落としたのかもしれない。


「ごめん、忘れ物ちょっと取りに行ってくる」


 前を進むサイモンとキフェにそう言って、キフェは駆け出す。


「姉様?」

「そこで待ってて!」


 待っていてとは言ったが、あまり遅いと二人は追いかけてくるだろう。

 特にリネンは、オギからキフェのことを頼まれている。

 リネンはキフェよりもオギの命令を優先する。


 一人よりも、三人で探した方がいいのは頭では分かっているのだが。


(あれを……見られたくはない)



 時間の猶予はあまりない。

 息を切らして階段を駆け上がる。



 先の部屋に戻る。

 残念なことに、一通り探しても見つからない。

 どこかの隙間に入ったか、あるいは別の場所か。


「こういう場所で、あまり魔法を使いたくないんだけど」


 古い建物は苦手だ。

 特に、知らない場所の、古い建物は。

 そういう場所には、『過去』が染み付いている。


 人が猫の毛や花粉をむずがるようなものだ。

 キフェにとって、『過去の残滓』は少々肌にひりつく。


 でも、背に腹は変えられない。


 キフェは魔法を使う。

 写真を媒介に、声や音を聞くことができる魔法だ。

 頭の中で写真の像を強く思い浮かべる。

 手元にないと難度が上がるが、ある程度近くにあるなら成功するはずだ。


 耳を澄ませる。


『……マ……、ベネッ……、そっち……僕がや……から……』



 魔法店で何かをしているらしい、オギの声が微かに聞こえる。


 この部屋にあるのは間違いないらしい。

 よかった、と安堵の息を吐きながら、魔法を強めていく。


「あった……!」


 カーテンの下に滑り込んだ写真を、見つけた。


 そして部屋の扉が開く。

 少しの時間の猶予の後、キフェを追いかけてきたリネンとサイモンだ。


「見つかりましたか」

「うん、無事に」


 キフェは後ろ手に写真を隠す。


「悪いね。それじゃあ続きに、……」


 大したことじゃなかったんだ、と明るい笑顔を取り繕い、




『いい加減にしなよ──』


 魔法は、切ったはずなのに。

 声が、聞こえた。

 どきりとする。


『──キフェ、アルミラ』


 幼さの残る、呆れた声。

 それは紛れもなくオギの声で。

 だが、今の(・・)オギの声ではない。


(これは、昔のオギの声だ)


 ──魔法が暴走している。



 ずきり、と頭が痛む。


「……つぅっ」


 耳鳴りと目眩が襲った。

 ぐらっと身体が傾く。


(あ……まず)


 キフェの体内で魔術回路が異様に作動する。


 魔術回路不全症の、発作だ。




「……姉様!?」

「キフェ、おい!」



 二人の声が遠い。



 ──ああ、まずったな。


 久々の発作の感覚と、遠退く意識。


 ──やっぱり、ぼくはこの手の、古い建物と……過去の情念が染み付いた場所と、すこぶる相性が悪かった。



 視界が暗転する。




 ◇






 そして、キフェ=ミアノは、夢の中で目を覚ました。


 腕を組んで机に伏せっていた体勢から身体を起こす。

 目の前に広がる景色は、懐かしい学び舎だった。



 中等学院(ギムナジウム)

 九歳から十四歳までの子女が通う学校だ。


 時刻は夕刻。誰もいない教室で居眠りをしていたらしい。

 キフェは制服を纏っている。

 制服はスカートだが、髪は少年のように短い。


 教室の扉が、勢いよく開いた。


「やあキフェ、約束通り、教室で待っていてくれたんだね」


 亜麻糸のようなプラチナブロンドを揺らして。

 痩せぎすの長身に、翡翠色の瞳を猫のように輝かせて。

 十四歳のアルミラが、教室に入ってくる。

 後ろに十一歳のオギを引き連れて。



 儚げな影のある顔立ちに、悪童のようなあどけない笑みを浮かべた、十四歳のアルミラ=コスタは言う。


「それじゃあ、お楽しみの放課後といこうじゃないか」






(……ああ、またこの夢か)


 十四歳の身体で、八年後のキフェが嘆息する。


 キフェの魔法は、写真という過去を表すものを媒介に、現在の声を聞くものだ。

 だが、それは本来の魔法を、制御可能に調整した場合の話である。


 キフェの魔法の本質は、こちらの方。




 ──キフェ=ミアノは、過去を見る魔女である。



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