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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第二部- redefinition - 1章「キフェ=ミアノの肖像」
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2部:1-7 アルミラの兄

 オリバー夫人から『屋敷の写真を撮ってほしい』と依頼を受けた、その日の午後。


「──で、何でうちに来た?」


 キフェはリネンを連れ立って、サイモン=コスタの家に来ていた。


「そりゃ勿論、写真の練習台として、きみの家が一番丁度よかったからだよ」



 遠方にあるコスタ家の本邸とは違い、サイモンの個人宅だ。

 この街の高級住宅街にある。

 仕事の都合でこちらに越してきたのだとか。

 本邸よりはよっぽど小さな家だが、それでも庭付きの立派なものだ。


 ミアノ家の建物も店を兼ねている分、それなりに大きくはあるが、ごみごみとした商業地区に所狭しと建てられたものだった。

 比べ物にはならない。


「突然押しかけてすみません。こちら、つまらないものですが」


 茶菓子を渡すリネン。

 サイモンは仏頂面のまま、菓子を受け取る。

 焼き立てを注文したそれはまだ温かい。


「む……まあ、いいだろう。俺は仕事が残っているから、書斎には入ってくるなよ。あとは好きにしろ。迷うことはないよな?」

「はい、間取りは記憶しています。感謝します」

「融通が効くようになったじゃん」


 キフェはにんまりと笑う。


「まあ、おまえの弟には世話になってるからな」


 三年で世相が変わった影響で、サイモンは最近魔術関連の品を取り扱う仕事をしている。魔術嫌いのコスタ家の商会が、今では隣国トルカナ製の人形を取引するようになった。

 そのため、知識面でオギを頼る機会が増えていた。




『仕事に戻るから』と、サイモンが廊下を戻っていくのを見ながら、キフェはリネンに耳打ちする。


「……サイモンさぁ、最近オギと仲良すぎない?」

「そうですね。私から見ても友人と言って差し支えないかと。趣味の品々をお下がりでくださいますし」

「あいつがオギの友達面してんの、さぁ……生意気じゃない?」

「サイモンさんに嫉妬するのは見苦しいと思います」


 ふしゃーっとサイモンの後ろ姿にキフェは威嚇する。

 淑女もへったくれもない、とリネンが白い目で見ていると、サイモンが廊下でキフェの方を振り向いた。


 キフェはふしゃーっするのを止めた。

 サイモンは「ハッ」と小馬鹿にしたように笑った。


「あいつまじ調子に乗ってるだろ、なあおいリネン」

「今のはどう考えても姉様が悪いのでは?」





 オギとサイモンの仲が良好であることに、キフェはそう文句があるわけではない。

 アルミラの兄というだけで不愉快だし、サァラに手玉にとられてリネンを連れ去ったことなど禍根はあるが、

 オギと仲の良い相手を邪険にする理由はない。


 今じゃアルミラの墓参りくらいには、いく仲だ。


 三年もあれば人間は馴れ合うものである。


 そう、理屈ではわかっているのだが。


「すかした顔面しやがって腹立つな」

「サイモンさん、いつも仏頂面ですが笑うとよく似てらっしゃいますね」


 彼の妹に。


「あ、だからムカつくのか」


 サイモンに責任はなかった。

 とばっちりである。

 大体全部アルミラが悪い。


 などなどと、たわいもない話をしながら廊下や階段、応接間、と写真を撮り進めていく。

 帰るまで出来は確認できないし、予算の都合で枚数制限も厳しい。一枚一枚を慎重に収めていく、が。


「殺風景で生活みがなくて、なんというか、撮りがいがない家だな」


 生活が雑なのも兄妹同じらしい。


「サイモンさんが被写体としていらしたら、せめて華になるでしょうか」

「あいつは写真写りがいいタイプの坊々だからね」


 アルミラも非常に撮りやすい女ではあった。

 そう思って舌打ちをする。

 サイモンに会うとあの女の影が嫌にちらついて仕方ない。


 正直兄妹で似ているとか羨ましい。キフェとオギはあまり似なかったのに。

 などと、脱線した思考をキフェはゆるゆると戻す。


「でもまあ、今回は人を写してもしょうがない」

「そうですね。今回の依頼は長年人の住んでいない家です。この家よりも、きっともっと寂しい」

「うん。それを……」


『本当は、あの頃のあの家の写真が欲しいの』


「どれだけ寂しくなく撮れるか、だ」


 無茶な依頼が来たものだ。

 依頼内容は抽象的で、評価は主観。

 依頼相手も無茶を言っていると自覚している。


 写真に収めることこそが目的のようなものだ。


 ──写真を通すことで、生々しい喪失の質感を、抑えること。


 要はそういう注文であって、どんな写真を出しても、間違いにはならないだろう。


「あーあ、物語のような、安い奇跡みたいな魔法が使えたらよかったんだけどな」


 そうしたら、きっと正解を探り当てることなど難しくないのに。


「安い奇跡、ですか?」


 ふと口にした言葉に、リネンは引っ掛かりを覚えたようだ。

 レトリックとしては理解していても、奇跡という言葉と安いという表現が、現実の言葉として、リネンの中でうまく噛み合っていなかった。


「どんなにその内容が陳腐だとしても、奇跡は手に入らないものだからね。安いって貶めるのは、せめてもの負け惜しみさ」


「なるほど、興味深い考えです」

「いや、今考えた。真に受けないで」

「…………姉様は時々適当すぎます」

「時々、なんだ。リネンは結構ぼくに甘いな」




 それからしばらく。

 予定の枚数を撮り終え、夕方になった。

 今日は父が夕飯を作ると言っていたので、キフェは急いで帰る必要はない。


 書斎のサイモンに終わった旨を伝えに行こうとしたが、ノックの返事が返ってこない。


「便所か?」

「姉様」


 リネンの白い目を無視し、ふらふらと家の中を歩く。


「あれ、ここどこだっけ」

「姉様、そこの扉を開けると居間です」


 言われるがまま扉を開くと、中でサイモンがコーヒーを片手にくつろいでいた。


「終わったか。おまえもコーヒー飲むか?」

「高そう」

「高いぞ。最近流行のインスタントコーヒーだ」

「うちにサイフォン寄越したのはそっちに乗り換えたからか。一杯貰おうかな」

「いいだろう」


 キフェとリネンはソファに腰掛ける。

 キフェの分のコーヒーを入れてとても早く戻ってきたサイモンは、瓶を片手に戻ってきた。


「土産だ。仕事でトルカナに行ってきたんでな。向こうのチョコレートだ。リネンには代わりにこれをやろう」


 そう言って、テーブルの側に既に置いてあった包みを指す。

 包みを開けると、中は分厚い図鑑だった。

 外国の図鑑。未知の塊に、リネンはキラキラと目を輝かせた。


「いいのですか。ありがとうございます」


 キフェはチョコレートを受け取りながら、微妙な心持ちになる。


「釣り合ってなくない? ぼくらの手土産と」

「気にするな。俺は稼いでいる」

「事実だし自慢してるわけでもないのが一周回って腹立つな。……ありがたく受け取るよ」


 キフェはコーヒーを啜る。

 最近流行だというインスタントなるコーヒーは、確かに普段飲んでいるものとは違うような気がしないでもない。

 ミルクと砂糖をたっぷり入れている時点で違いなどよくわからない。


 正面に座るサイモンをキフェはちらりと見やる。


「きみ、やっぱり飲み方が綺麗だよね」


 コーヒーカップを持つだけで様になっているのは、成金といえど上流の端くれということか。


「急になんだ?」

「マナーが気になる今日この頃なのさ。そろそろ見合い話を考えなきゃだからね」


 サイモンがむせた。


「げほっごほっ……は、見合い? 誰が? おまえか」


 すごく複雑な顔した。


「…………おまえ、そんな歳なのか?」


 背が低く童顔の、未だ十代と言った方がしっくりと来るキフェの姿を、訝しむようにサイモンは見る。


「そうだよ。君の妹も、生きていれば今頃そんな歳さ」


 そう、キフェとアルミラは同い年だ。サイモンの動揺の理由はそこにあるのだろう、とシスコンの思考回路を見通したキフェは、性悪の笑顔を浮かべる。


「人の傷をえぐる物言いが趣味とは、相変わらず性格が悪いな」

「きみだって性格がいい人間ってわけじゃないだろ。……ま、ぼくはこんなだから、見合いは難航するだろうけどね」


 図鑑に夢中のリネンは、彼らの悪態の応酬を咎めない。


「しかし、ミラが、見合い…………駄目だな……絶対にめちゃくちゃにする未来しか見えん……やはりオギに貰ってもらうしか……いや、だが、だが…………!!」


 頭を抱えて自分の世界に入ってしまったサイモンを、キフェは冷ややかな目で見ていた。

 サイモンは、こうしてアルミラが生きている仮定の話をする。平然と。


 キフェは、そういう話が、あまり好きではない。

 コーヒーを飲み切った。


「ま、ぼくの結婚式には呼んでやるよ」


 弟の友人としてそのくらいの義理は尽くしてもいい。

 しかしサイモンは、何を言っているんだ、という顔で、


「いや、行かんぞ?」

「ん……?」

「なんでおまえの結婚式に参列しなくちゃいけないんだ?」

「は? ご祝儀寄越せよ」

「ははは。ミラの友達だったおまえが見合いをぶち壊しにせずに済む人間であるものか」


 三年の月日が経ち、サイモンはアルミラについて多少客観的な評価を下すことができるようになっていた。




「いや同列にするなよ」


 最近のサイモンは本当に舐めていると思った。

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