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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第一部 1章 the doll ≠ a girl
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1−4 つつがない日々

 職場の受付のその奥には、大きな本棚がある。

 父親が現役だった頃から既に古書の部類であったそれらは丁重に扱われ、並べられていた。そのうちの一冊をオギはそっと抜き取る。辞書のように分厚くて文体も古めかしい。


 この職業は未だにオカルトの恩恵が失われてはいない。絶滅危惧種認定に届くか届かないか程度の頭数の中で、オギはまだ一人前にはほど遠かった。

 古い紙の匂いを吸い込んで、鼻を擦る。文字を追おうとするが、どうにも頭の中に入ってこない。

 オギは天井を見上げた。体重が後ろに掛かり、椅子が軋んだ。


 ◇ 


「ねえ、オギ。あのね」


 いつだってキフェは奔放で、時々姉であることを忘れそうにすらなる。けれどこんな風に落ち着いて諭されるように囁かれてしまったらもうオギには逆らえない。そういう風にできていた。自然と背筋が伸びて、視線はかちりと彼女に向く。


「いつかは魔法なんて、意味が無くなって消えてしまうんだと思う。

 どんどん普通の人が出来ることとの敷居が無くなっていって、面倒くさくて多くの場合はたいして役に立たないものにしかならないおまじないなんて、忘れられていくんだ」


 まるで確定事項のようにキフェは言う。

 それは冷静で、今、否定にも近い言及をしている対象を好いているとは思えないぐらいだ。


「忘れちゃって、過去の人間が感じた魔法の脅威も、それは事実としてあったことも、誇張表現だって、おとぎ話や創世記の神話のように変えられちゃうんだ」


 それは妄想などではなくて、実際に行われてきたから。その認識に沿うようにまた、人の扱える魔法も小さくなってきたから。

 オギは思い出す。いつか姉は、『もっと昔に生まれたかった』と零したことを。


「いや、それでも……さ」


 オギは口を開いたものの、上手く言葉が出なかった。


「多分、忘れない人はいて、覚えていると思う」


 あまりにも抽象的で稚拙な音の断片を、キフェは丁寧に汲み取る。


「そだね、痛い目を見ちゃった人とか、危機感を忘れてない賢い人とか、まだ可能性を信じていてくれてる人とか、数えるほどであろうとも居るのだろうね」


 少なくなって、最後の一人になって、だれもその人の声を聞かなくなったとしても。

 否定はさせない、とでも言うように笑顔のままではあるけれど彼女の眼光は鋭くて、オギは黙り込む。


「もしかしたらこんなものは、無くなってしかるべきなのかもしれない。役に立たないどころか、害すらあるんだから」


 魔法を愛した筈の彼女はいとも簡単に言ってのける。

 つい先ほど、愛を語った筈なのに。手のひらを返すように、別人になったように。

 悲しげな雰囲気も惜しむような声音もなくて、淡々と、昨日の新聞でも読み上げるようだった。


「だけど、知りたいと望む物好きが現れた時に、錆び付いた断片しか残っていないのは悲しいだろう?」


 トーンが上昇する。


「そのためだけにでも残す価値はあるなぁ、ってぼくは思うんだよねー」


 その豹変は何処かわざとらしく、


「何よりも、ぼくが好きだから」


 取り繕うようような匂いがした。


「ああ、もう、また本題からずれた……」


 そうぼやいて、額を押さえる。嘘くさいことこの上ない。


「とにかく、だよ! オギが魔法を継ぐのには、家系とか血筋じゃなくてオギだけの理由があってほしいの」


 キフェはまくしたてて立ち上がった。相変わらず支離滅裂で何が言いたかったのかよく分からない。一体どこが本題でどこまでが脱線だったのだろう。

 曖昧な返事をしたのは、何となく聞くことを許されていないように感じたからだ。


 ただこれだけは確実に。この場にリネンが居ない本当の理由は察した。


 キフェは、あの人形に何を感じて何を伝えようとしたのか。

 いつものようなたわいも無い雑談だと思うことはしなかった。


 ◇


 玄関の扉に取り付けられた、黒く小さなベルがちりんと鳴る。


「お帰りなさい」


 開いたままの本はそのままに、天井に向けていた視線だけを前に向けた。

 長身の、大人しそうな表情をした青年がひらりと手を振った。

 彼はベネットといい、立場上はこの場で一番偉いということになる。


「おー。相変わらず早いな」


 オギは小さく会釈した。


「あー、えーっと、大丈夫か」


 ベネットは言葉を選ぶように、迷いながら問いかける。


「何がですか?」

「いや、あんまり集中できてないように見えたからさ」

「あれ、いつから見てたんですか」

「ん? 結構前から玄関口の方にはいた。ほら、この辺に野良猫がいるだろ。灰色のやつ」

「ああそう言えば」


 彼は猫好きだった。おそらくは構い倒していたのだろう。窓からはその様子がばっちりと見えた筈だ。それに気がつかないほどにオギは考え込んでいた。


「僕の方は大丈夫です」


 事実、寝不足というわけでもないし体調には問題が無い。


「よかったよかった」

「ただ、ちょっと今朝キフェがおかしなことを言い出して」

「日常茶飯事じゃなかったけ?」

「……そういやそうでした」


 ベネットが苦笑する。

 彼はまだ二十そこそこと若く、上司である以前に昔馴染みでもある。師はオギの父親だ。


「あれ何だっけ、オカルト人形」

「リネンのことですか」

「そうそうそれそれ。今度見に行ってもいいかな」

「いつでもどうぞ」


 軽く、さして意味のない雑談を広げる。

 ベネットの方も興味津々というわけではなく、折角だから、といったニュアンスが強い。

 期待値の低さなんだろうな、とオギは思う。彼は以前、自動人形(オートマタ)を見たことがあると言っていた。微妙だったらしい。一体どれだけ期待値を上げたというのだろう。リネンほどの出来ではなかった、というのは確かか。

 そのうち会話は自然に切り上げられて、ベネットは店の奥へと入っていった。オギもしっかりと椅子に座り直して、本に目を戻した。万年人不足につき、店番もかねて、だ。


 この職種で一番大きな意味合いを締めているのは、魔法関連の道具や品物の修復だろう。

 勿論、オカルト全盛期に比べれば限界のラインは大分低い。キフェの写真とは違いオカルトの専売特許ではあるが、そもそも廃れつつあるこのご時世では意味をなさなくなっていた。それでもまだ絶えてはいないのは、ある程度保護されているからだ。


 友人の依頼が、オギの初めての大仕事だった。

 もしかしたらベネットの言葉はそれを気遣ってのものだったのかもしれない、と今になって思う。けれど、わざわざ確かめるものでもなかった。


 いつの間にか時計を確認している自分に気付いて、集中が切れたことを悟る。まだ時計の針は半周しかしていない。意識を後ろの方に向けた。

 ベネットの話し声が聞こえる。電話だろうか。今日はまだ、自分たち以外は来ていないはずだ。距離の所為で内容は聞き取れない。


 ぐっと身体を伸ばす。少し気を紛らわそうと思った。

 そういえばここ数ヶ月はいまいち気力が持たなかったような気がする。原因を考えようとして、考えてはいけないように思って、欠伸をした。

 眼鏡を外して、涙の滲んだ目を擦った。片方のレンズにはきつめの度が入っており、もう片方にはキフェのモノクルと同じように、気がつくかどうかすら微妙な薄緑色のレンズが嵌まっている。

 折角外したのだから拭こう、と思いたって布を忘れてきたことを知る。確か向こうの部屋に予備が置いてあった筈だ。

 椅子を軋ませ立ち上がり、ベネットと鉢合わせした。


「おわ、っと」

「あ、すみません」


 いつからそこに居たのだろうか。今日はやたらと、注意力が散漫している。得体の知れない不快感がオギの中で蓄積された。

 ベネットはそんなこともつゆ知らず、軽い調子で声を発する。唐突なタイミングの提案だった。


「来週の研修さ、オギは行けるか?」

「いいんですか」


 少し声が弾んだ。


「今、マトから連絡があって。あいつ用事入っちゃったってさ」


 同僚の一人である。


「もちろん行くよな?」

「行かせて下さい」


 歪みそうになる頬を手で押さえた。あくまで声は冷静というより、単にリネンにも負けず劣らず会話が上手くないだけである。

 自分が参加する機会なんてもっと先だと思っていた。多少無理してでも行きたいという思いがある。

 満足そうに頷き、了解了解、とベネットはさらりと述べてメモを取る。

 キフェとは違う種類の軽薄さが彼にはあった。キフェは例えるならば色紙のような鮮やかに宙を舞う軽さで、ベネットはよれた茶封筒のような素朴でありふれた軽さだ。違いは落ち着きの有無であろう。


「ところで場所は」

「国内」

「広過ぎます」


 というか当然だ。


「えーと、南部。割と国境側の地域」


 ちょっと待ってろ、と残して、ベネットは奥へと戻っていく。今度は一枚の紙を手に持っていて、それをオギに渡した。


「イスチアの人まで参加するんですか?」

「豪華だろ」


 隣国から来るとはなかなか豪華なのではないだろうか。比較基準をオギは持ち合わせていないが。

 反応が薄いオギに、ベネットが少し残念そうな顔をした。


「でも、こっちでやるんですね」

「ほら、向こうの方が旅行とかには寛大、というかこっちの手続きがめんどくさ過ぎるだけなんだけどな」


 ベネットが溜め息を吐く。オカルト職の弊害だ。名残というものはどうにも煩わしい。


「あれ……言語はどっちを使うんですか」


 ふと、かなり重要な問題に気がついて、オギは冷や汗をかいた。嫌な予感がする。


「ん? そういや知らないな」


 そして予想通り、適当な返事が返ってくる。ひょろ長い彼の姿がいつもにまして頼りなく見えた。


「まあ、なんとかなるだろ!」


 ベネットは出来るから、そう言えるのだ。

 文字媒体ならともかく、音声ならば危機的に怪しいとしか形容しようがないオギは、必死で出発までの予定を組み立てにかかる。ルーツが近いのもあって系統は大分似ているのだが、学生時代の成績上ですら"可もなく不可もなく”。

 こういう時ばかりは幼い頃から要領の良かった姉を羨ましく思うのだ。


 日が暮れた後、家に戻ればキフェの姿しかなくて、リネンはどうしたのかと話を聞けば「もう休ませたよ」と返ってくる。

 つまり、今日一日はリネンを見なかったことになる。


「また明日お越し下さい、ってね」


 少し意地悪な顔で、キフェは言ったのだった。



 翌日。

 ここ数日めっきりと冷え込んできた。朝の廊下は格別だ。

 夜更かしには強い上に体内時計で決まった時間に身体が起きるようにはなっているが、今日は明らかに意識の覚醒が遅かった。判断基準はすり減った石鹸。

 かつかつの予定に気分が憂鬱になる。リネンほどではないにしろオギも大概要領が悪かった。


 そういえばキフェを今日まだ見ていない。そこそこの頻度で起こる事態だ。寝坊はさほど珍しくなかった。

 オギとしては問題ないのだけど、雑なようで自らの拘りには厳しいキフェは嘆きそうだ。


 泡を流し終えて、洗面台から背を向ける。途端にタオルが差し出された。反射的にお礼を言って、違和感にオギは硬直する。


「おはようございます」


 そこに居るのはリネンだった。

 どこから引っ張りだしたのか数年前のキフェの服を身に着けて、牛乳を入れすぎた紅茶のような淡い色の髪を、後ろで束ねている。


「え、あ、うん、おはよう?」


 しどろもどろに言葉を返した。


「朝食は私が作ります」


 そんなオギには構わずに、すたすたとリネンは歩き去る。初期に比べて足取りは大分安定しては来たものの、未だに何処か妙な歯痒さの残る後ろ姿だった。

 朝の風物詩である姉の寝癖は、どうやら今日は見れないらしい。



 リネンの要領が悪い、というのは撤回しなければならない。

 正直オギはまともな朝食なんて期待していなかった。リネンに出来るのはただ突っ立って言うことを聞くだけなのだと思っていた。

 甘かった。

 側で指示する人も居ないというのに、リネンの手際はまともであった。

 動きに嘘くささがつきまとうのは変わらなかったけれど、歩く時とはまた別種のものだ。

 お約束のように卵の黄身は潰れていたけれど。何事も無かったかのようにかき混ぜて、焦がすことも無く焼き上げた。

 オギはその様子をそっと後ろで見ていた。

 出来たものは、色合いこそ少々違っていて形も少し歪ではあったものの、キフェも作る物とさして変わらないように見える。

 少なくともオギよりは手際がいい。


「飲み物はどうされますか」


 非日常的な風景に惚けていたオギに、リネンは申し訳程度に首を傾げて問いかける。その動作に少しだけ消化不良を起こしながら、手に持ったマグカップを持ち上げた。


「自分で淹れたから」


 流石に掛かる時間ばかりは、キフェには遠く及ばずだった。


 椅子に座れば、当たり前のようにリネンも向かい側へと腰掛ける。姉の位置だ。少し高めの椅子だから踵までは床についていなかった。


「これってさ、どういう意図なのかな」

「姉様の指示です」

「あ、そう……その呼び方で確定なのか……」


 得体の知れない喉のつっかえ。

 オギの中でリネンへの評価がぶれる。原因はきっと既視感にあって、それがやたらとオギに期待と失望を強要する。はっきり言って馬鹿馬鹿しくて、自分自身に振り回されている感じだ。

 リネンに、何を求めているのだろう。

 何も無かった。


 いつもとは違って静かなものだ。どれだけキフェが普段喋り倒しているのかがよく分かる。

 一口かじった料理の味にちょっとだけ目を泳がせて、オギはテーブルの真ん中に置かれた塩の瓶に手を伸ばす。手が目的の物をつかんだのと同時。


「オギ、お話ししましょう」


 リネンが突然音を立てる。


「は?」

「朝のお話です」

「いや意味がちょっと分からない」

「そうするように言われましたから」


 一体キフェは何を考えているんだ、と気だるげな息を吐く。


「とは言っても私は話題も会話の作法も知りません。よって聞くのみの形になるかと思います」

「実のところ僕だって、話すのは苦手なんだけど」


 オギの周りはよく話す人間が多かった。結果、オギは聞く側にばかり回ることになる。例の友人のみは人を極端に選んでいたようだが。

 リネンにあの友人特有の物言いが移っていないことに安堵しながらも、何処か残念に思っている自分が居た。


「何でもいいのです。お聞かせください」

「……キフェの話でもすればいいのかな?」

「ええ」


 本当にうちの姉は何をさせるのだろうか、と内心で文句を言いながらオギは語り始めた。ぎこちなさはあるもののリネンは時々相槌をいれて、ゆっくりと朝の時間は過ぎていく。

 たった数日前までは、彼女は本当に本当の置物でしかなかったのに。


 嬉しくなかったと言えば嘘になる。オギの、リネンを欲しがった部分は紛れも無くそれを喜んでいる。けれども根本に、形容し難い疲労感があったのも事実だった。


 ◇


「どうだった?」


 夕方、にこにこと笑いながらキフェが今朝のことを聞いてきた。


「どうって言われても……なんであんなことしたのか、という方が気になるな」

「んー」


 キフェがこてんと首を傾げる。

 なるほど、リネンのあの動作はキフェの真似だ。


「実験、かな」

「結果は」

「上々っ!」


 輝かしい笑顔で言い退けた。

 理由に興味だとか好奇心だとかを使われてしまったらオギには反対のしようがない。元々、反対する気もないのだけど。


「あっでも当分やりたくないなー。おかげで今日一日オギ成分が足りてなかったし」

「意味が分からないよそれ。というか僕が家を離れた時はどうなんだよ」

「ほら、目の前にお菓子があると食べたくなるだろう? 無ければどうしようもないから平気なのだよ」

「ああ、うーん……分かる気がするけど」 

「つまりそういうことさ!」


 今日はやたらとキフェのテンションが高い。

 だから、『そういうこと』にしておいた。


 そして宣言通りオギが数日後に出発するまで、一度も同じような日は無かった。


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