2部:1−6 写真屋のキフェ
朝、二階裏の扉。
「いってらっしゃいませ」
ミアノ家の玄関口でリネンは魔法店に向かうオギと父ディシを見送る。
「うん、いってきます」
「できるだけ早く帰ってくるからな。今日の夕飯は、この父が久々に腕を振るおうじゃないか」
朝から声量の多い父に対し、朝に弱いキフェは「はいはい、いってら」と気怠げに手を振る。
扉が閉まった後、リネンはキフェの様子をそっと伺った。
少し寝不足気味なくらいで、これといった不調の様子は見られない。
昨日の夜のことは、まるでなかったかのように。
リネンの隣で欠伸と伸びをしている。
「ん〜……さて、と。ぼくもお仕事始めますかぁ」
「はい、姉様。今日の私は写真館のお手伝いをする約束でしたね」
「うん。お客さんが来る予定が入っていてね。多分今日のお相手は、リネンがいた方が上手くいくんじゃないかと思うんだ」
普段のリネンは家の雑事に取り掛かるか、魔法店にお邪魔するかの二択だ。
あまりキフェを手伝うということはない。
写真館は忙しいわけではないにしろ、それを普段はキフェひとりで切り盛りしているというのは、中々すごいことだとリネンは最近になって気付いた。
この細い身体のどこにそんな力があるのだろう、と不思議に思いながら、廊下を歩くキフェの後ろを付いていく。
ちなみに母ワイナは居間のソファで二度寝をしていた。
キフェが朝に弱いのは、母譲りらしい。
屋内の階段を下って一階へ。
一軒家の裏手であったミアノ家の居住区から、表の写真館へ。
表通りに面した真正面の戸を、二人で開く。
扉の外から差し込む光。
気持ちのいい晴れの日だ。
キフェは目が焼けるだのなんだのと喚きながら、目をしぱしぱと瞬いて。
とびっきりにいい笑顔で、リネンに笑いかける。
「今日も一日、頑張るとしましょう」
「はい」
今日もまた、いつも通りのいい一日になるように。
「本日はお越し頂きありがとうございます、ミセス・オリバー。当館の撮影技師を務めます、キフェ=ミアノです」
長いプリーツスカートの下で足を引き、お辞儀をするキフェ。
その横でリネンもまた寸分違わない礼をしながら、仕事時にしか見られないキフェの姿に見惚れていた。
落ち着いた微笑に気品のある仕草、今のキフェはどこからどう見ても立派な淑女だ。
「あらあらまあ、こんなにかわいらしいお嬢さんたちに迎えられるなんて」
白髪に菫色のドレスを纏った老婦人ミセス・オリバー。今日の約束の客人は目を細めた。
キフェはほんの少し、微笑みの上に緊張を浮かべた。
その理由をリネンは既に知っている。
若さや可愛さは 、仕事の上で第一印象に良く作用しない。
数年前まで、キフェが男装をしていた理由は半分がそれだ。
残り半分は純然たる趣味だったらしいが。
最近はむしろ女装の方が大人びて見えるようになったから、と髪を伸ばしてスカートを履くようになった。
どうやらそんなにこだわりはなかったらしい。
オリバー夫人は柔らかに言う。
「楽しみだわ」
「どうぞこちらへお掛けください」
キフェに依頼される写真は家族写真が多い。
写真館というだけあってもちろん中にはスタジオがある。
けれど、依頼人の家に出向いて写真を撮るということも偶にはある。
今回は、出向の依頼だ。
「リネン、お茶をお願い」
「はい」
キフェは夫人の対面に腰掛ける。
ローテーブルの上に並べたのは参考用のアルバムだ。
夫人がアルバムを手に取り、リネンが紅茶を運んでくるのを待って、話を切り出す。
「この度はどのようなお写真をご所望ですか?」
緊張を隠しながら問いかける。
今日、キフェがリネンを連れたのは、オリバー夫人が本物の上流階級の人間だからだった。
コスタ家のような成金とは違う。
本来ならばこんな小さな写真館になど用はない相手だ。
粗相はしたくないが、正直に言って、キフェの礼節は付け焼き刃だ。
言葉遣いもどこまで合っているのか怪しい。
反面、自動人形の記憶力と再現力で、リネンのマナーは完璧だ。
といっても、十四程度の娘に相応しい程度のマナーだが。
リネンを隣に置いておく方が、キフェひとりよりも好印象を抱かせられると判断したのだ。
要は、年の割にはしっかりしているように見えるリネンを、自分の目眩しにした形だ。
あとでお礼に何か買ってあげよう、と心に決める。
オリバー夫人はそっと紅茶をテーブルに置き、キフェの問いに答える。
「家の写真を撮って欲しいの」
「家族のお写真ではなく、お家のですか?」
「ええ、そう」
「ずっと昔に、家族で住んでいた家があってね。今はもう手放してしまったのだけど。それが、もうすぐ取り壊されることになって。その前に、いくつか写真を欲しいのよ」
「屋内風景のお写真のご依頼、ということで?」
「そう、なるわね」
キフェは少し、考え込む。
キフェが撮ってきたのは人物ばかりだ。
「今の持ち主に許可は貰ってあるわ。……本当は、私自身があの家に行くべきなのでしょうね」
「でも、耐えられないの。いざ訪れても、足が竦んでしまって。私はあの家に入れない」
心理的な障壁。
キフェは顔色を変えず、理解する。
家を手放した、その理由には何か『不幸』があったのだろう。
「本当は、私…………あの頃の、あの家での、家族の写真が欲しいの」
遠い過去を見る目をした夫人は、眉を下げた。
「ふふ、いくらあなたが魔術師だからって無理を言ってはいけないわね」
「ご存知でしたか」
「ええ、それでこちらにお願いしようと思ったの」
「それは……ありがとうございます」
キフェの写真に魔術が絡んでいることは表沙汰にはしていない。しかし母ワイナはその筋には有名人だし、隠し事という訳でもない。
だが、魔術を理由に依頼をするような客は、この時代には珍しい。
正確にはキフェは魔術師ではないが、指摘はしなかった。
魔術師であることと、魔術を使えること。その違いは、オカルトに関わらない人間にとっては瑣末なことだ。
家で一番上等なはずの、味のよくわからない紅茶に口をつける。
キフェはあまり、人に対するのが、得意ではない。
しかし伸ばした背筋と真っ直ぐな瞳と丁度いい愛想で武装したキフェが、それを悟られたことはない。
「ひとつ……聞いてもよろしいかしら」
夫人は、手元のアルバムに目を落とし、細い声で問う。
「──写真に、幽霊を写すことは、できる?」
『不幸』の正体を察した。
息を飲む代わりに喉に熱いものを流す。
よくある話だ。詮索はしない。
「いいえ奥様。わたしのカメラは、写り得ないものを写すことはできません」
それは突き放すようにも聞こえたかもしれない。
「……ええ、そうね。そうであるべきです」
オリバー夫人は手元のアルバムの、知らない家族の写真を愛おしそうに眺める。
「ねえ。あなたは、素敵な時の切り取り方をするのね」
「恐縮です」
「あの家の写真。是非、あなたにお願いしたいわ。受けてくださる?」
◇
オリバー夫人との話を終えて、いくつかの業務を片付け、午後になった。
世間でいうところの昼食の時間を少し過ぎている。
「リネン、それじゃあぼくは休憩とってくるから」
「はい、店番ですね。任せてください」
「……まあ、もう今日は誰も来ないと思うけどね」
キフェは二階に戻る。
台所から漂う焦げ臭、もとい、香ばしい匂いを嗅いで、そういや母が帰ってきていたということを思い出す。
ワイナはあまり料理が上手くない。
「おかえり」
「ただいま? ではない気がするな」
「そうだね」
あまり会話にならない母娘だった。
ワイナの作った見た目は悲惨だが味は悪くない昼食を、数年ぶりに堪能しながら、キフェは聞く。
「そういうや、今回はいつまでうちにいる予定なの」
「二週間くらい」
「そっか」
ワイナと話すとキフェは、無口に見えるオギがまだ喋る方だということを思い知る。
別に、家族だからと言って話さなければいけないものでもない。
食べ終えた食器を片付けながら、ふと思う。
風景写真は、ワイナの十八番だ。
オリバー夫人にはワイナを紹介した方がいいんじゃないか?
「あのさ、相談があるんだけど」
一部始終の話をキフェから聞いたワイナは、ぴしゃりと言った。
「それはあなたの仕事ね 」
感情の読みにくいワイナの表情に、一抹の厳しさが浮かんでいた。
「あなたも、ワイナ=ミアノの方がいいのではないかと思いながら、あなたがやりたいと思っているのでしょ」
図星を指されて、キフェは言葉を詰まらせる。
「師ですからね。技術ならばいくらでも、分け与えます。でも、あなたのお客様だもの。母はただ力を貸すだけ」
「…………わかった」
一階に戻ると、数十分前と変わらない場所にリネンがいた。
「おかえりなさい、姉様」
「ただいま……ってやっぱ家の中でそれは違くない?」
「そうでしょうか」
まあいいか。
この後に入れていた予定は、後から片付けることにして。
キフェは機材の用意を始める。
「リネン、ちょっと今から予行演習しに行くから。付き合ってくれる?」




