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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第二部- redefinition - 1章「キフェ=ミアノの肖像」
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2部:1-5 魔女である姉

 深夜。

 リネンはひとり、キフェを待っていた。


 リネンはキフェと寝室を共有している。

 それぞれのベッドが部屋の端にあるのは、眠る時間や寝相の違いなどが理由だ。


 部屋には寝るとき以外、キフェは帰ってこない。

 そんなときは大体、キフェは仕事場を兼ねた自室のソファの上で眠りに落ちてしまっている。


 リネンはベッドから降り、素足にスリッパを通す。

 キフェの様子を見に行こうと思う。




 深夜の廊下は静かだ。けれど、いつもよりも人の気配が漂っている。

 いや、実際に気配があるのではなく、リネンの緊張がそう感じさせているのだろう。

 リネンにとってずっと、ミアノ家の日常は三人で回るものだったから。

 家の本来の主人たちの帰還は、リネンにとっては異物の来訪のように思えた。


「そのうち慣れるのでしょうけど」


 オギやキフェを真似て、独り言を呟く。

 独り言は意外と思考の整理に役立つ。


 そういえば、キフェがリネンのことを妹と扱うのには慣れっこだったけれど。

 ワイナまでこの先、リネンのことを娘と扱うのだろうか。


「……リネン=ミアノ」


 リネンの名前は、対外的には、そういうことになるのだろうか。

 というか今も、ご近所さんにはそう思われている気がする。

 口にするとなんだかとても、不思議な感じがした。




 物思いにふけりながら廊下を進み、キフェの部屋の前にたどり着く。

 扉を控えめにノックする。


「はーい」と、返事は聞こえたような気がする。

 だが声は微かで、遠い。


 キフェは自分が中に居るとき、部屋に鍵をかけない。

 リネンはそのまま扉を開け、中へ入る。


「姉様?」


 部屋に明かりはついていなかった。


 雑多に物の収められた棚を通り抜け、古っぽい家具の合間を進む。


 部屋の魔法使いらしさは本物の魔術師としてのそれではなく、『らしさ』を求めて出来上がったものだと今のリネンは知っている。



 キフェは窓際にいた。


 声が遠かったのは、窓が開いていたせいだ。

 深緑のカーテンは開け放たれ、窓際には花を落としたシクラメン。


 その前で月明かりに照らされたキフェは、背まで伸びた髪を下ろしていた。

 ネグリジェが曲線的で柔らかなシルエットを作り出し、裾から細い手足が覗いている。


 その手には琥珀色の液体が注がれたグラスがあって、振り向いた頬はほんのりと赤く染まっていた。

 夜風に運ばれ、ふわりと酒精の匂いがした。


「やはりですか」

「見つかっちゃった」


「オギには黙っててね」と悪戯っぽく人差し指を口元に当てる。

 リネンが来ても堂々としていて、お酒を飲んでいたことなど隠す気もないくせに。


「無茶な飲み方をしない限り私は止めません。オギほど割りを食っていないので」

「いやまったく。オギはぼくのこと、酒癖悪いって誤解してるよね、ほんと」

「誤解ではないのですが」


 実際、キフェは酔うと面倒臭い。

 そしてその面倒くささを一辺に浴びるのはオギだ。

 その結果、オギは自衛のために警戒せざるを得なくなっている。


 しかし実際は、キフェはいつも酒癖が悪いというわけではない。

 オギさえいなければ、キフェは大体自制心の塊だ。

 理性の人だ。

 オギさえいなければ。


 キフェがこんなふうに静かな表情をすることを。

 オギが意外とそれを知らないということを。

 リネンは知っている。


 だからリネンは、キフェのお酒の隠し場所をオギに告げ口はしたことがない。





「リネン、寝なくていいの?」


 人形の休止時間は人間の睡眠時間よりも長い。


「昼間に仮眠をいただきましたから。それにオギにこまめにメンテナンスをしてもらっているので。稼働初期よりも調子がいいような気がするんです」


 深夜まで起きているのも最近はそう苦ではないのだ。


「そっか、それは……よかった」


 キフェは窓から離れ、ソファに腰を下ろす。

 グラスを両手に抱えてソファの上に小さく蹲るキフェは、本来の年齢よりもずっと幼く見える。


「あのさ」


 ぽつり、と。


「機械の寿命って、どのくらいなの」


 キフェが、リネンに問う。


『君はさ、死ぬってどういうことか分かる?』


 いつかオギにそう問われたことがあった。

 あの頃のリネンは、わからないなりに、ただ知っていることを答えた。


 どこか似ているキフェの質問の意味を今のリネンは考えて、正解を探るように答えを返す。


「停止するだけですよ、私たちは。死ではありません」


 リネンは、キフェの質問を、あの日のオギと同じものだと解釈した。

 表情や声、考え込む瞳。

 姉弟のそれは、よく似ていたから。


 あの日のオギに答えを言い直すなら、


『私に、自動人形(オートマタ)に死はわかりません。

 きっと私たちは、人形(私たち)の死を、理解できないように作られているから』


 ソフィーネのことを思い出す。

 リネンもまた、停止を恐れない。恐れるのは、自分の役割を全うできないことだけだ。


 その理から外れるのは、きっと、自らを他者に委ねることなく稼働する最高傑作の不良妹だけ。



 キフェはリネンの答えにぱちぱちと目を瞬いて、リネンの性質をようやく思い出したかのように、諦め混じりの納得顔をした。


「ごめん、余計なこと言った。忘れて」


「いいえ、姉様。それは少し難しいお願いです。姉様は『余計なこと』はお好きですが、『無意味なこと』は言いません。……今のも、意味が、あるのでしょう?」


 キフェは苦虫を噛み潰した。


 リネンは思う。

 やはり、今日のキフェは調子が狂っている。

 未だに人間の機微に聡いわけではない。

 少なくともそう自認している。


 だが、それでもキフェがおかしいのは明らかだった。


 きっかけは、やはり。




 リネンはキフェの隣に腰を下ろす。


「私でよければ聞きますが」

「何を?」

「私以外に、話せる人はいないでしょう」

「リネンこそ、ぼくに何か聞きに来たんじゃないの」


 お見通しだったらしい。リネンは少し、癪な気持ちになる。

 リネンは考えを表に出していないつもりだ。表情は全て制御下にある。


「どうしてわかったのですか?」

「なんとなくだよ。強いて言えばほら、リネンだって無意味なことはしないでしょ」


 キフェは目を細める。

 隣に座るキフェを見上げる。小柄といえどリネンよりも視線は高い。


「気を使わせた詫びといってはなんだけど、なんでも答えるよ」


 優しい姉の眼差しだ。


 リネンは頷いて、抱えた疑問を提示する。


「オギに、昔のアルバムを見せてもらいました」


「小さな姉様は全然映っていませんでした。どうしてですか?」


 キフェは少し驚いて、恥ずかしそうに笑う。


「ああ、ね。ほら。写真ってさ、魂を閉じ込められるっていうじゃん?」

「子供の頃はそれを信じていた、とかですか?」


 リネンはわざと眉をひそめて、不当を主張する。


 だってそれは、理由として納得し難い。

 ミアノは魔術師の家だからこそ、迷信とそうでないものの区分がしっかりとしている。


 オギがそう言っていた。

 普段のキフェだって、魔法を浪漫として愛していながら、「ないものはない」ときっぱりと言うのだから。


「それに、その理由はなんだか、姉様らしくない気がします」


 たとえ小さな頃は「写真を撮られると魂を抜かれる」なんて迷信を真に受けていたとしても。

 キフェはそれを恐れるより、嬉々とするはずだ。

 いたずらっ子の顔で嫌がる弟をカメラの前に引きずり出し、二人で写る、そんな気がする。


 だが、


「ぼくらしい? リネンの思うキフェ=ミアノはどんなやつなんだい」


 キフェの上気した顔が覗き込む。

 月明かりしかない夜。

 瞳の色は、暗い。

 いたずらっ子のような星の輝きは、見えない。


「それは……」


 リネンは口ごもる。


 なんて答えればいいのだろう。

 わかりきったことを聞くキフェは、一体リネンにどんな答えを求めているのだろう。


 リネンはキフェ=ミアノの輪郭を、彼女を縁取る言葉を脳裏に並べ立てる。


 人懐っこく奔放で、気分屋で、浪漫主義者。

 中性的な振る舞いと女性的な振る舞いをその時々で使い分ける自由人。

 弟を愛し、リネンを妹として扱い、自らの役割を『姉』と定義する者。


 魔法を愛していて、けれど魔術師にはならなかった写真家。

 写真に望むものを写し出し、写真に写った者の今現在を聞き取る魔法を使う、魔女。



 ──魔女?



 リネンの直感が、違和感を弾き出した。


 魔女とは何か。


 魔術回路に異常を持つ先天性の病。

 それが魔女を魔女たらしめる。

 魔術回路の異常は、それぞれに固有の特別な『魔法』をある時に発現させるからだ。



 ──そうだ。姉様もまた、あの人と同じ。



 はっとした。

 けれどそれを悟られないよう、表情を固めて俯く。


 葬式帰りのオギの顔色がいつも悪かった理由に気付く。

 アルミラを思い出すから、だけではなかったのだろう。

 オギが仕事に呼ばれる葬式は、いつも魔女の葬式だ。

 道理と論理とすっ飛ばす魔法の使い手は、その昔、長く生きるのが難しかったという。

 魔術回路の暴走のリスクと、それと関連する虚弱体質によって。


 リネンの中で、キフェと儚く消える魔女(アルミラ)のイメージがずっと結びついていなかった。


 月明かりに照らされた手足は、細くて、青白い。


「今のアルバムには、ちゃんと姉様の写真があります。でも、ありませんでした。今のアルバムにも、姉様がひとりで写っている写真は」


 キフェはグラスを傾ける。琥珀色が喉に消えていく。


「姉様、あなたはもしかして。


 ――写真に撮られるのが、嫌い、なのですか」


 グラスの中身が、空になった。


「はい、正解」


 それは嫌いなものを語るにはまったく相応しくない、華やかな笑みで。

 リネンは目と耳を疑う。


 グラスをソファ横のチェストに置いて、キフェは立ち上がる。

 白いネグリジェの裾が光に透ける。

 波打つ長い髪に隠れて、表情はもう見えない。


「もう昔の話だよ。ぼくは引っ込み思案で病弱で陰気で。オギが小さい頃はずっとそうだった」


 普通の家族をしようとしたミアノ家は、うまくいかなかった。

 どううまくいかなかったのか、リネンは知らない。

 父母の気質が世間の普通に合っていないにも関わらず、それをしようとした結果のずれをオギは言ったのだと解釈する。

 キフェが三人に増えたみたいなあの状態の家族こそを、オギは「正しい」としているのだ。


 だが。

 アルバムに映るミアノ家の皆の写真は、物語の中の普通の家族に見えた。

 それぞれが強く結びついた、それなりの困難と、それなりの幸福に囲まれた、普通の。


 それは、もしかして。

 病弱な娘を守るために形作られた『家』だったのではないか。


「その理由を求めるなら、それはわたしが、魔女だったせいだろうね」


 その横顔を知っている。

 その目を、知っている。

 リネンはそれを、見たことがある。

 もうずっと昔に思える頃に、最上位の命令をリネンに刻んだあの人がしていた目だ。表情だ。


「でもあいつは。わたしと同じ魔女であるはずのあいつは、そうじゃなかった」


 二人が思い浮かべた相手の名は同じだった。

 アルミラ。

 今は亡きオギの親友。

 そして、彼女は。

 キフェにとって、一体何だったのだろう。


「あいつは写真が好きでさ。ぼくは、あいつの写真を撮るのが、嫌で仕方なかった」


 ――ならば何故、そんなふうに、綺麗に笑っているのですか。


「オギにはね、秘密だよ」




 リネンは立ち上がる。


「わかりません。姉様。何も答えになっていません。

 どうして小さい頃写真が嫌いだったのかも、

 どうして今日、お母様に撮られるのを嫌がったのかも、

 どうしてそんな、寂しそうな顔をしているのかも。

 ……私にはわかりません」


 けれど、教えてくださいと続けられない。

 それ以上の心を暴くことに躊躇する。

 だって、教わったとしても。

 人形である自分には果たして、理解できるのだろうか?


 キフェは戸惑うリネンの前へとやってくる。


「別に、わからなくていいんだよ。

 これは全部深夜の戯言で、お酒のせいの言葉で、価値なんてないんだから。ごめんね、ちょっと喋りすぎたかも」


  眉を下げて、微笑んだ。


「ほらもうこんな時間。リネン、きみはもう寝なくっちゃ。ぼくはまだ夜遊びが残っているから」


 額にキスが落とされる。

 感触は柔らかく、大人びた匂いがした。


「おやすみリネン。とびっきりのいい夢を」




 その夜はそれっきりだ。


 次の朝にはもう、キフェはいつも通りに戻っていた。





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