2部:1−4 アルバムの中の過去
「じゃあぼく、仕事が残っているから」
キフェがひらひらと手を振って出て行った後。
オギもまた自室に戻ろうと両親を残して居間を出る。
その後ろを、リネンが控えめについてきていた。
「どうしたの」
廊下を歩きながら、オギはリネンを顧みる。
リネンは、オギの問いかけに少し驚いているようだった。
「いや、何か言いたそうだったから」
「お見通しなのですね」
「もう長い付き合いだからね、リネンとも」
立ち止まったリネンは居間の方に視線を向ける。
「仲の良い家族だったのですね」
「意外だった?」
「はい」
三年帰ってこない父母。
その情報からくる印象は、冷えた家族仲を思わせる。
姉弟に両親を疎む素振りがなかったことから、不仲とまではリネンも思わなかったが。
まさかあれほどとは想像がつかなかった。
オギはそれを汲み取って頷いた。
「まあ、仲が良すぎてね、近すぎるとちょっと息が詰まるところもあるから。今ぐらいが丁度良いよ。母さんも父さんもキフェも、自分のやりたいことが最優先にしているくらいで丁度良い」
「そうなのですか」
「昔は普通の家族ってやつをやってたんだよ。けどそれは、正直うまくいってなかった」
今でも、自分たちは親子や家族としての距離感を探っている。
あえて師弟として距離をとったり、逆に不自然なくらいに馴れ合ったりだ。
「あの。勘違いかもしれないのですが」
リネンは小さな声で、自信なさげにオギに問う。
「お母様が写真を撮らせてほしいと言った時、姉様の様子がおかしかったように思うのです」
いつもと変わりなく明るく笑うキフェ。
振り回す側のキフェが振り回される側に転じていたのと、姉ではなく娘としての振る舞いをする姿は、リネンには見慣れないものだった。
リネンの感じた違和感は、そのせいかもしれないけれど。
曇ったように、見えたのだ。
「ああ、そうだね」
オギはリネンの疑念をあっさりと肯定した。
心当たりがあるらしい。
何かを納得したような表情で、続ける。
「そういやリネンは、昔のアルバムを見たことがなかったか」
リネンはオギと共に一階に降りる。
向かったのは資料部屋だ。
魔術書やら父の集めたガラクタやら母の撮った写真やらが押し込まれている倉庫ともいう。
姉弟の探し物を手伝ったりとリネンも時々足を踏み入れたことはあったが、自発的に立ち寄ることはなかった。
魔術師の家は勝手に弄るといけないものが沢山ある、とリネンは小説で読んだ。
リネンの知識は順調に偏りつつある。
ミアノ家のアルバムは奥の本棚に並んでいた。
リネンはまず一番新しいアルバムを手に取る。
「姉様が撮った写真が一杯です」
この三年間の写真だ。
その中でも特に、去年の夏の小旅行の写真がリネンには印象的だった。
雑談の流れで行くことになった旅行は日帰りでさほど遠出ではなかったが、車を出してくれることになったサイモンも交えた、楽しいものだった。
リネンは懐かしい気持ちになり、もう『懐かしい』という感情を呼び起こすほど昔なのかと驚く。
しかしアルバムに収められている写真は家やスタジオ、オギの務める魔法店など、この町での日常風景ばかりだ。
リネンはそれなりに遠出をした覚えがあったが、思えばオギの出張について行くという形ばかりで、キフェと列車や車に乗ることは数えるほどに少なかった。
そのうちにオギが昔のアルバムを見つけ出す。
「あったあった」
古びたアルバムに刻まれた月日は、十五年も前。
「この時期のがわかりやすいかと思って。僕が四つで、キフェが七つくらいの頃か。流石に僕に当時の記憶はないけど」
「拝見します」
「そんなに畏まらなくても」
「いえ、緊張しています。私たち人形とは違って、オギたちには子供の頃があったのだと思うと、なんだか……なんでしょう? 不思議? 感慨深い? オギ……大きくなりましたね……」
「なんだよ。まあ確かに背は伸びたけどさ」
サイモンには届かないが会うと嫌がられるくらいには伸びた。
アルミラの背はとうに越してしまった。
リネンは自分の感情に思い至る。多分、慈しみというものだ。
年上が年下に感じるものらしいから、合っているかはわからないが。
自分には経験し得ない成長を尊ぶ気持ちを「慈しみ」と表するのは間違っていない気がした。
アルバムを開く。
古びた白黒写真ばかりだと思っていたリネンは驚いた。
「オギ、色のついた写真があります」
彩色は魔術によるものだ。
「母さんの得意分野なんだよ、これ」
ワイナが多忙な理由の一端だ。
リネンはアルバムを捲る。
写真に写っているミアノ家の面々は、意外にもごく普通の家族に見えた。
「…………?」
過剰に仲のいい家族にも、変わり者の魔術師一家にも見えない。
普通の、それなりに大変で、それなりに幸せな家族。
現在の像とは結びつかない。
「あの、オギ……」
だが、それ以上の違和感がそこにはあった。
写真館を営む家だ。
アルバムは厚い。
撮影者である母ワイナの姿こそ少ないが、オギと思しき少年や若かりし父ディシの姿が沢山残っている。
だがキフェの写真は。
そこに映る幼い少女の姿は、
異様に少なくて。
「この子は……姉様なのですか?」
写る少女は、キフェとは似ても似つかない仏頂面ばかりだった。
「小さい頃のキフェって写真が嫌いだったらしいよ。僕も小さかったから記憶は曖昧だけど、撮ろう、っていうと逃げ隠れしてたんだ。意外だろ?」
そう言って五年ほど前のアルバムを今度は開く。
「この辺はほら、沢山あるんだけど」
オギと映るキフェ
リネンと映るキフェ
誰かと共に映る、表情豊かなキフェ。
いろんな写真に、キフェはちゃんと写っている。
リネンの知るキフェは、自らを「写真写りがいい女だ」と公言している。
撮る方としても撮られる方としても、写真好きだと思っている。
「もしかしてキフェ、母さんに撮られるのが苦手だったのかもね」
「……そう、ですね」
リネンは古いアルバムを閉じる。
アルバムは開く前よりも何故だか重たく感じた。




