2部:1−3 ミアノ家の団欒
両親が帰ってくる、とわかったオギはまず職場に連絡を入れた。
ミアノ魔法店は名前の通り、ミアノ家が始めたもので、父ディシ=ミアノは一線を退いたものの、事実上の店長だった。
代理店長は兄弟子ベネット=イステだ。
知らせを受けてベネットは
「先生はいつでも急だなぁ」
とのんびりと言った。
もしかして師が帰ってきそうなことを知っていたのかもしれない。
姉弟子マト=イステはビビッドなピンクと黒の髪を振り乱して、
「絶対ろくな要件じゃないわよあのセンセー!」
と叫んでいた。
オギはとりあえず腹だけは括った。
諦めの早さはオギの短所であり長所でもある。
両親の到着は早ければ今日中。
キフェの予想通り、夜中に呼び鈴が鳴った。
連打だった。
夕食後の台所。
皿洗い当番のリネンは、びくりと肩を震わせる。
泡だらけのマグカップを手にしたまま、食堂でお茶を淹れていたオギの元へと駆けてくる。
「な、なんですか。警報ですか。敵襲ですか」
「どこで覚えるのそういうこと」
小説の読みすぎだろうか。
まあ、警報という解釈も敵襲という表現もある意味では間違っていない気がするが。
ちなみにお茶にも最近懲りだした。
やたらと品のいいティーポットはやはりサイモンからのお下がりである。
いらないものの押し付け先だと思われている今日この頃だった。
「ああー! もう! うるさいなぁ!」
隣の居間でソファに埋もれていたキフェの声が開けっ放しの扉越しに聞こえる。
弟が帰ってきたときは全速力で出迎えに行くキフェが普通に苛立っていた。
二人は部屋を隔てたまま、大声を張り上げる。
「このままガン無視きめて根比べといこうか、オギ!」
「不毛だよ! 勝てるわけがない!」
「ちくしょう!!」
呼び鈴はこの間も鳴り続けている。
リネンはハッと我に返ってマグカップを流しに置きに行く。
オギとキフェが諦めて立ち上がったのは同時だった。
先鋒はキフェ。
後ろにオギが控え、その背にリネンが警戒気味に隠れている。
行くぞ、と目で示し合わせ、キフェが扉を勢いよく開ける。
そして、リネンは初めて扉の向こう、二人の姿を直に目にする。
大柄、赤毛、顎髭、の壮年。
その隣に、小柄、黒髪、童顔、年齢不詳の印象を与える女性。
写真で見たことがある通りの二人が、写真とは比べものにならない存在感をもってそこにいた。
「…………おかえり」
「…………おかえりなさい」
「おう、ただいまだ!」
「ただいまかえりました」
父が大口を開けて白い歯を見せながら笑う。
「元気だったか! 飯食ったか! キフェ、おまえ縮んでないか?」
「元気だったわ。お腹いっぱいだわ。ねえわ。ヒール履いてるわ」
スカートを持ち上げヒールを見せて、そのまま親父の脛を蹴るキフェ。
四、五年振りの父と娘の愛情表現だ。
黙っていればダンディなのだが口を開けば貫禄のない父だった。
後ろであからさまにリネンが困惑しながらオギを見上げていた。
オギも正直意味がわからない。
幾つだ?
「見ての通り、ぴんしゃんしてるよ」
「心配しなくてもぼくらもう一人前だぜ? で、ハネムーンはどうだったわけ」
『最高』
父と母は二人揃ってぱんぱんの鞄を見せびらかす。中身は聞くまでもない。写真と資料のコレクションだろう。
オギとキフェは肩を竦めた。
後ろで警戒を露わにしていたリネンは、覚悟を決めたのかオギの背の影に隠れるのをやめて、前へ出る。
父母の視線はリネンに集中した。
「お初にお目にかかります、お父様。お母様。私がオギの自動人形、リネンです」
淡い色のスカートを持ち上げて綺麗なお辞儀をするリネン。
だからどこで覚えるんだそういうこと、とオギは思った。
「そう、あなたが……」
背の低いキフェよりも更に背の低い母ワイナは、すっとリネンに近付いて。
抱きしめた。
「母ね、娘が欲しかったの」
「ぼくは!?」
一人娘が抗議の声を上げた。
それを、キフェも抱きしめて欲しいのかと解釈した母が無表情のままキフェに詰め寄る。
「違う、そうじゃない」
母は聞く耳を持たなかった。
キフェは逃げた。
「一気にやかましくなった……」
自分以上に無口なのに何故だか挙動がやかましい母親のことをオギは正直、異星人か何かだと思っている。
「リネン、キフェを守ってきてくれる?」
「仕方ないですね、わかりました。姉様を助けてきます」
早くも順応しつつあるらしいリネンは苦笑して、ぱたぱたとキフェたちの後を追う。
玄関にはオギと父と大量の荷物だけが残された。
「おかえり先生」
「父さんと呼べ」
「マトが大層、『先生』の帰還にびびってたよ、父さん」
「ははは、元気そうで何よりだ」
オギは流れるように告げ口をした。
そして告げ口をしたことを父からマトに告げ口をされて、怒られることになるだろう。
わかっていてやった。
さっきまでリネンの後ろ姿を見ていた父が、オギに耳打ちをする。
「ただの自動人形ではないな」
「うん」
「あれはなんだ?」
「僕も知らない」
「知りたいとは思わないのか」
「思うよ。でも、多分今の僕には身に余る」
「僕はまだ魔術師としては半人前だからさ」
「そうか? 好奇心はいつでも最優先にすべきだと思うが。……まあ、焦らないのはお前の美点なのかもな」
「誰かさんと違って落ち着きしか取り柄がないからね」
ディシはにやりと笑い芝居かかった動作で、オギに手紙を渡す。
「魔術研究院からの合格通知だ。おめでとうオギ」
魔術研究院。
一定以上の経験を経た魔術師が論文を送ることによって入学の是非を問われる。
研究院を出て、ようやく一人前の魔術師だと見做される。
魔術師として当然の進路であり、オギもまた以前より論文を提出していた。
確かに、そろそろ結果が来る頃だったが。
「まさかそのために帰ってきたの?」
「まあ、半分はな」
もう半分の理由の理由はなんだろう。
そう思いながら玄関に溢れる荷物を持って居間に行く。
居間ではキフェがワイナに捕まっていた。
「私の力不足です。姉様、オギ、申し訳ありません……」
リネンは救助失敗に静かに打ちひしがれていた。
「パパもママも静かな生活の価値ってものを考えた方がいいと思うよ、ぼくは……」
完全に疲弊したキフェが小さく抗議する。
キフェは普段の三人暮らしをどうやら『静かな生活』だと認識していたことを、オギは初めて知った。
実のところミアノ家はそれなりに広い。
古い家だが、半分を丸々写真館にしておいて尚、五人の居住に十分なスペースがある。
だから居間に五人が入った時、狭いというよりもこれが本来のうちの居間の姿だとオギは感じた。
そんなわけで、団欒である。
春先の夜はまだ薄ら寒く、暖炉には火が入れられている。
時刻は既に九時、長旅の帰りだが両親に疲れた様子はなく、ローテーブルを囲んで話に花を咲かせていた。
「お見合い? えっ誰がするの? ぼく?」
それじゃあ場も温まったところで、とワイナが投げ込んできた本題。
『長女の見合い話』、それが母が帰ってきた理由だった。
オギはお茶を吹きそうになって、テーブルの下でキフェに足を踏まれていた。
寝耳に水、といった反応のキフェに、淡々とワイナは続ける。
「したくなかったらしなくていいけど。方々から話が来ていたから、一応持って帰ってきた」
写真はまだ送らないで、って言っておいたけど。と前おいてリストを取り出す。
ミアノ家は魔術師としてはそこそこ由緒だけはある。由緒だけだ。
「あー、そうか。そっかー。そんな歳かー。まじか」
年を重ねた自覚はある。
髪を伸ばしてみたり、スカートを履いてみたり、と外見上の変化は確かにこなしてきた。
どちらかというと嗜好の移り変わりではあったけど、年相応の淑女というものを対外的に演じ始めたのが、昨今のキフェ=ミアノだった。
外向きの一人称は「わたし」になってもう長い。
「二十二か……二十二!?」
キフェは自分で自分の歳を数えて衝撃を受けていた。
「嫌?」
そのまま立ち上がって暖炉に見合いリストをぶちこもうとする母。
「いやいや、嫌じゃない。興味はある。好奇心の方で」
「そう」
母は着席した。
ちなみに父は見合いの話が始まった途端、母の隣で寝落ちしている。
興味がない話をされると寝る人種である。
対面の長椅子の席順はオギ、キフェ、リネンだ。
キフェは手持ち無沙汰にリネンの髪を三つ編みにしながら、溜息を吐いた。
「ただなー。魔術師の坊は苦手でさ。どいつもこいつもなんか暗いし」
「確かにね」
オギが頷く。
「ごめんて」
「何が?」
オギが自分のことを暗いと思っていないのか、それとも暗いと思っている上で気にしていないのか、あるいはただの皮肉なのか、キフェにはちょっとよくわからなかったので追求をやめた。
「ていうかぼんぼんが苦手」
本質である。
脳裏にはサイモンがいた。
さて、見合い話だが。
断る理由もなければしかし、やる理由もないというのがキフェの正直なところだった。
魔術師の家だと世間の一般的な婚期など関係なくなってしまう。
世間の婚期には大抵、魔術師は研究院に入っているからだ。
キフェは職業魔術師ではなかったが、感覚はそちら寄りで行き遅れを気にしたことがない。
ふと隣の弟に問いかける。
「オギさ、結婚するの?」
「さあ。したくなったらするんじゃないの」
「あっそう。そんな感じなのね」
「五分五分」
「把握」
姉として忌憚なく述べれば、弟の結婚式は全く想像できなかった。
多分しないと思う。
何故だか知らないがとても憂鬱な気持ちになる。
キフェはリネンの髪をいじるのをやめた。
「ま、何事も経験か」
されるがままになっていたリネンは、キフェが手を離したことにより解ける自分の三つ編みを眺めていた。
「見合い、飽きたらやめるからね」
「いいよ。母は恋愛結婚だし」
「知ってる」
「ほとんど駆け落ちみたいなものだし」
「あっはい。惚気はもういいです」
手紙と先程の談笑でたらふくご馳走になりました。
それで、なんとなく話も終わりといった空気になる。
寝る前に明日の仕事の用意がしたいキフェは立ち上がり、それを、ワイナが引き止めた。
「キフェ。お見合い写真は母に撮らせて」
キフェは、ゆっくりと母を見る。
「母はそのために帰ってきました」
キフェはへらりと笑って断りを入れる。
「いや、いいよ。自分で撮れるし」
「キフェを一番上手く撮れるのは、母だよ?」
真っ直ぐな母の視線から、キフェは目を逸らし。
だが、ワイナは更に言葉を注ぐ。
「一度くらいは、ちゃんとあなたを撮らせて欲しい」
「……考えておくよ」
曖昧な返事を残して、キフェは今度こそ席を立った。




