2部:1−1 つまるところの再起動
続編です。
つまるところ、弟の初恋とやらは呪いだった。
「はじめまして、キフェ。私はアルミラ=コスタ。君の弟の十年を貰いに来た、いずれ彼の最愛の友人となる者だよ」
白い髪に品のあるコートを纏い、赤い傘を手に持って。
齢一桁の同い年の少女は、その見た目の幼さに似合わない暗い翡翠色の瞳で、人を喰ったような笑みを浮かべた。
恐ろしかった。わけがわからなかった。
突然、弟の運命なんかを自称して現れた小さな魔女は、キフェの世界の侵略者だった。
だって、三つ下の弟は彼女――アルミラに出会って以来、どんどん変わっていってしまったのだから。
その頃のキフェは知らなかった。
アルミラが未来を見通す魔女で、自分の寿命が残り十年しかないことなんて。
それを知らされたのは十年後、もうとっくに何もかもが終わった後だった。
さて。
キフェは、オギ=ミアノの姉は、アルミラの秘密なんて知ったことではなかった。
けれどそれでも、キフェは直感で理解していた。
アルミラという少女が身に纏う、深い死の気配。
絶望なんて最初から知りもしないような達観を読み取ってしまった。
だから、十年という幼い少年には途方もない時間の価値を、それが運命の少女アルミラに許された時間のすべてであると弟が理解してしまったこと。
オギがその日から、『アルミラ=コスタの親友』であることを、自分の価値にしてしまったのだと。
二人が出会った十年後に、アルミラがオギの前から姿を消した後に、ようやく理解した時も。
「ああ、なんだ。やっぱりか」
と頷くしかなくて。
幼い頃に抱いたあの感情が正しかったことが、今更になって腹立たしかった。
◇
列車を降りると、冷たさを残す春風が吹き付けた。
オギは薄手のコートをたぐり寄せる。
コートの中身はまたしても不景気な喪服だ。
職業柄人よりも着る機会は多いが、それも年に数回あるかないかだ。
慣れることはないが、それでも黒装束は昔よりも重くはなかった。
オギの住む町の小さな駅に人は少ない。
だから直ぐに見つかった。
淡い色のワンピースを身に纏う、亜麻糸のような白い髪を持つ少女の姿を。
そして少女もまた、オギを見つける。
「お疲れ様です、オギ。お迎えに参りました」
「驚いた。まさかリネンがいるなんて」
「本日帰って来ると伺っていたので。買い物のついでに駅に寄ったのです」
控えめなフリルの春服に、日除けの帽子。
高級な品ではないけれど、リネンの上品な立ち居振る舞いが良家の娘のように思わせる。
買い物かごが似合っていないくらいだった。
――アルミラは本物のお嬢様だったけど、結構なじゃじゃ馬だったし、リネンの方がよっぽどそれらしいな。
なんて思ったりもする。
「そういやお礼がまだだった。出迎え、ありがとう」
「嬉しいですか?」
「うん」
当たり前のように頷く。
「なるほど。では私も、お迎えを受ける側というものを経験してみたいですね」
「さては動機は好奇心か。リネンらしいや」
「はい。そして行う価値はありました。待っている間とそれからオギと無事に会えたことで、お迎えをする側の心理というものを深く考えることができましたから」
目を細めるだけの僅かな微笑。
きっと当人も笑っていると自覚のない、リネンの自然体だ。
自然体だから、その笑顔に何か意味があるわけではない。
それが人形らしさなのか、人間らしさなのか、なんて些細なことだ。
リネンは、リネンなのだから。
二人は駅を出て、帰路につく。
リネンと出会ってから、三年が過ぎた。
オギは最後に出会った時のアルミラと同じ十九歳になった。
伸びたのは身長ばかりで、あの頃のアルミラに追いついてわかったのは、十九歳というのは意外と遠い存在ではなかったということだ。
いや、それは姉のキフェを見ていてもわかっていたことなのだけど。
三年経った今もキフェは相変わらずだし、自分もきっと、何も変われていない。
「リネンは、変わったね」
「急になんですか?」
「ん。成長ってやつに思いを馳せてた。僕らの中で一番、成長したのはリネンだろうなぁって」
「なんですかそれは。私は人形ですよ」
オギはトランクを持たない方の手でリネンの持つかごを引き受ける。
リネンはしぶしぶといったふうに渡し、手持ちぶさたそうに隣を歩く。
「でも確かに、大人っぽくなったとご近所さんにはよく言われます。不思議ですね」
「まあ……リネンは元々、大人びていたかもね」
「そうですね。振る舞い方、言葉の使い方や思考の仕方を、稼働したばかりの私は知りませんでした」
今のリネンの軽やかで自然な足取りは慣れのおかげ。
出会った時から変わらないガラスの瞳は、静かに物思いに耽っている。
「何かが変わったと言うよりは、おそらく。本来の私は、こうであったのではないかと。最近、少し思うのです」
「そうかもね」
「さては聞いておいてあまり興味がありませんね、オギ」
淡々とした口調だが、非難の色が滲み出る。
「もしかして照れているのか? 自分語りに」
ぴしり、とリネンの表情が固まった。
どちらにせよ無表情なのだが。
「なるほど。私は自我の主張が激しい思春期に突入したと」
「単純に、好奇心の矛先が自分自身に向いただけに見えるけどね」
「……それを分かっていて言いましたね、オギ。意地悪です」
三年が経って、世間は変化の中にある。
この三年で、自動人形への認識は随分と変わった。
大陸随一の魔術国家イスチア、リミニス商会の人形が流入したのだ。
喋って動くお人形。小さな子供たちのための新しいお友達。
玩具としての触れ込みである。
この国セントロノの、魔術に対しての風当たりは西のトルカナよりは強くはない。
それでも、魔術師は日陰寄りの立ち位置。のはずなのだが。
この国の人間は俗っぽいので、流行には弱かった。
そんなわけで、自動人形は今では少し大きな町の玩具屋で普通に見かけるようになった。
最近ではオギの店にも人形修理の依頼が入ってくるようになっている。
しかし、リネンたちのような人と見紛うほどの人形はやはり出回っていない。
見た目だけでなく、中身まで精巧なものは、まだ。
リネンやコルチ・ディグの娘、ソフィーネ──シトーシアに刻まれたS.Sのイニシャル。
おそらくサァラにも刻まれているそれは、リミニス社の人形にはない。
未だリネンたちの出自は不明。
リミニス商会の新製品である人形との関連もわからない。
リネンに、自分の製作者について気にならないのか、と聞いたことももちろんある。
『知りたいといえば知りたいですが。オギはオギのしたいことを優先してください』
と、まあ。そんな具合だったので、進展はしていなかった。
そのうちに時代の方が変わり始めていたので、ぼんやりともしていられないな、と思うんだが。
「三年は早いようで長いんだな……」
溜息を吐いたが、その溜息は軽いもので、春の陽気の中にあっさりと溶ける。
リネンはオギの呟きを聞き、労いを口にする。
「いつもより顔色が悪くなくて安心しました」
葬式帰りだった。
亡くなった魔女の、魔術回路の解体。
年に何件かは舞い込む魔術師の仕事だ。
神経が太いとは言われがちだが、気が滅入らないということはない。
顔色くらいには出るのだ。
「そうだね。長生きされた方の葬送だったからかな。悲しい空気だったけど、立ち会うだけでつらいようなものではなかったから」
でも、
「亡くなった人の魔術回路に触れるのはやっぱり気が重い。機械の回路弄ってるほうが性に合うよ」
オギはリネンの腕を見やる。
「帰ったらちょっと、調整しようか」
「はい、お願いします」
昔、列車から飛び降りた弾みに外れたリネンの左手。
それを修理したのはオギだが、未だに安定はしていなかった。
正直、製作者に直接聞き出したい。
だけど自分には無理だと認めるのは、なんだか負けた気がする。
だいたいそんな意地でリネンの左手は実験台になっていたが。
リネン当人としてもオギが喜ぶなら別に構わなかった。
ただ、初対面で『分解したい』と宣った姉様と本質は変わらないんですね、とか思っただけである。
「オギの調整の後、むしろ元より器用になったりすることもあるんですけどね」
ぐーぱー、と両手を動かすリネン。
「ちょっと思いついたことがあるからまた弄らせて」
「はい、次は機関銃の搭載ですか」
ずだだ、とリネンは手を銃の形にして擬音を棒読みする。
偶然だが銃口を向けた先の鳩たちがいいタイミングで空に飛び上がった。
「どこで覚えるの、そういうこと」
「殿方はそういうのがお好きだと伺いました」
「いや嫌いじゃないけど……」
「冗談です」
「リネン、今の真顔はわざとだろ」
「はい」
少しだけ目を細めるリネンに、オギは苦笑いした。
たわいもない雑談にささやかな花を咲かせながら道を行く。
見慣れた煉瓦造りの写真館に辿り着く。
裏手の階段を上がり、呼び鈴を鳴らせば、どたばたといつもの音が聞こえて。
勢いよく扉が開く。
「おかえり!」
華やいだ笑顔のキフェが出迎える。
「ただいま、キフェ」
「ただいまです。姉様」
いつも通りの日常が、今日も続いていく。




