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空白のリネン  作者: さちはら一紗
外伝『暗幕のメリー』
33/44

外伝12 夜明け、がらくたの船出


 最後の公演は万雷の拍手と共に終わった。

 観客はひとり残らず思い出を手土産に帰路につく。

 会場には余韻の残る中、サーカスの面々は休息も程々に、撤収の準備を始める。

 テントの解体、荷造り、掃除、地道な仕事は交代で夜通し行われる。

 成功を祝うのはずっと後、町を抜け出してからだ。


『ゴンドラの斜陽座』は夕暮れと共に町へとやって来て、夜明けとともに忽然と消える魔術師の一座だ。

 始まりから終わりまで、一貫して非現実を演出する彼らの、その仕掛けの裏側はなんとも泥臭い。


 ケイスもまた機材を運び出す手伝いをしている。

 夜は深まり始める時刻だ。今頃、酒場などは盛況だろう。一座にも酒好きが多いが今夜ばかりは別なようで、皆黙々と作業を続けている。

 身体の中に冷めやらぬ熱が残っているかのように。


「ああケイス、こんなところにいたのか。あの演奏、とてもよかった。忘れないうちにちゃんと言っておかなきゃと思ってな。勿論、ちゃんと聞けていたわけじゃないんだが」


 見知った顔がすれ違いざまに、ケイスへと声をかける。化粧を落とした道化の青年だ。照明のないところでは可笑しくなるくらいに生真面目なやつだった。

 お世辞などいう人間ではないことは十分に知っていて、どうにも気恥ずかしい。


「わざわざありがとう。必死だったからよくわからなくてさ。そう言ってくれると、救われる」

「いいや。できることなら客席で聞きたかったくらいだ。俺たちが最後まで()り通せたのは、君たちのおかげだよ」

「言い過ぎだ」

「いいんだよ。人生は大袈裟なくらいで丁度いい」


 彼は化粧っ気のない顔に最後だけ絵に描いたような笑みを浮かべ、立ち去った。


 その先も、誰かと顔を合わせる度に、労りとささやかな褒め言葉を貰う。

 成功は彼らのものだ。その認識は劣等感に由来する薄暗い謙遜や自己否定ではなく、純然たる事実。

 意外なことにすんなりと、彼らの言葉を受け取ることができた。自分ひとりの演目ではなかったから。至らないことは骨の髄まで理解していても、自分の自信のなさなんかで、サァラの顔にまで泥を塗るような真似はできないのだし。

 自分が彼らの一助になれていたのなら、それは光栄なことだと思う。



 荷物を運びながら、探していた人の姿を見つける。


「座長」


 ケイスのけして大きくはない呼び声に、座長はすぐに気付き、振り返る。


「俺たちの楽器を、どうやって取り戻したんですか」


 それをまだ聞いていない。聞かなければならない。

 ケイスの脳裏にミランダの姿がちらつく。


「なんだ、そんなことか。舞台にいたお前とメリーは知らなかったな、そういえば」


 座長の返答はしかし、ケイスの予想に反し軽々しいものだった。


「なんということはない。きっかけはケイス、お前の楽器だった」


 心臓が跳ねる。だって、それがミランダの影だ。

 ケイスの険しくなる表情を座長は気に止めず、言葉を続ける。


「あれはリミニス商会の一級品。単にモノに盗難防止の魔法をかけるのとはわけが違う。作り上げる過程の時点で刻まれた契約が、主人以外には従わないように定めている。……魔術に近しき奇蹟を欲する神殿音楽以外、この国では使われることもないような代物だな」


 最初からケイスの出自を知られていたらしい。苦い思いだが、ここまで触れずにいてくれたことをありがたく思うべきか。

 魔術師であれ、大抵は一目で魔術を看破できるものではないと聞いたことがあるのだが、並大抵ではなかったというだけの話だ。


「そんな融通の効かん楽器だ。結果的にお前の手元に戻ったとはいえ、そもそも最初に盗むことができたというのが不可解でな」


 だから、ケイスは、ミランダなら盗めると考えた。


「だから、盗めないものを盗むより、最初から盗んでいなかったと考える方がよっぽどあり得る話だろう?」

「え?」

「私は『明日には返す』という言葉を信じたのだよ。明日には見つかるというのなら、明日まで隠されているだけだと。それを見つけ出したにすぎない。誰かやったかはわからんが」


 それはケイスが辿りついた結論とは違った答えだった。


「犯人探し、しないんですか」


 おそるおそるケイスは聞く。真実を知りたいような、知りたくないような複雑な心境と、盗んだわけじゃなかったにしろやったことが悪質なことには変わりないという、純粋な非難の感情だ。

 しかし座長は、ゆっくりと首を振って否定する。


「できまいよ。こんなことのために、この国の正しき者たちは誰も動きやしないさ。人々は『芸事』には寛容だとしても、それをなくせば日陰者にすぎん。我らも、そして犯人とやらもな」

「犯人も……」

「そうだ。楽器は魔術で隠蔽されていた。まあ当然だな。魔術師を騙せるやつなど、魔術師しかおらん。……いや、あれは魔術というよりも、『魔法』か」


 座長の独り言めいた言葉に、ケイスは疑問を抱く。

 魔術と魔法に何か違いでもあるというのだろうか?

 同じ意味合いの言葉としてなんの違和感もなく使っているが。

 ケイスは少し考えてみる。魔術というと『技術』の意味合いが強く聞こえる。

 では、魔法というと……なるほど、その印象は『奇蹟』に近い。魔法と奇蹟が未分化であった時代、という言い回しに馴染んでいるからだろうか。

 ケイスには考えても仕様のないことだが。


 座長は静かに言葉を続ける。


「犯人なんぞは分からんとはいえ、確かに分かっていることはある。仕掛けたのは一座の誰かでは、ない。ならば、それでいい」


 そこにあるのは深い確信。世に抗うのは己の役目ではないというように。それでいいという言葉には、諦めではなく安堵の色が込められいる。


「そう、ですね。そうかもしれない。そうか……」


 ケイスは噛み締めるように頷く。

 やはり、ミランダではなかったのだろう。 

 魔術嫌いのあいつが魔術なんて使えるわけがない

 肩の力がようやく、少しだけ脱けた。



 二人目の探し人も、程なくして見つかった。

 座長よりもよっぽど見つけやすいものだった。

 なんせサァラは両手一杯に色とりどりの包みを抱えて、途方に暮れたように立っていたのだから。

 選別に贈られたものだろう。

 ひとつひとつは嵩張らないようにと選ばれて、ささやかなものばかりだけど塵も積もればなんとやら。

 食べ物やら何やらの消え物が、サァラにはあげられないのが効いていた。

 サァラの髪には一輪の真っ赤なアネモネが挿してある。花束の代わりだろう。


「ほんと、困っちゃうよね。荷造りは終えてるっていうのに、増えちゃったじゃない」


 ケイスを見つけたサァラは、この惨状に文句をつける。けれどそういう顔はどこからどう見ても嬉しそうだ。

 素直じゃないやらわかりやすいやら。


「ケイスの方は、別れは済んでるの?」

「ああ、とっくに」


 舞台から降りたあと、ケイスも一座から抜け、町を去るつもりだとサァラに話した。最初に吐いた嘘の告白もだ。

『その嘘、吐かせたのは私だもん。怒らないよ』と、サァラはあっさりと受け入れた。

 それも当然か、彼女は既に半生以上を過ごした場所に別れを告げているのだ。


 町の皆に別れは済ませてある。ケイスが湿っぽいのは苦手なのを理解されているのか、それとも人が去ることに慣れているのか。

 誰も彼もさっぱりとケイスを送り出してくれた。


 世話になった酒場の店主には耳を揃えてツケを払い、礼を言った。日々を凌ぐのにも困っていた頃から、何度世話になったかわからない。彼のおかげでサァラに出会えた。

『いいってことよ。おまえさん、殊勝だとなんだか気味が……いや、悪くねえな。そういやそっちが地だったか。まったく、すっかりこの町に染まりやがって』

 彼は呆れたように懐かしむようにそう言った。

 音楽家仲間は珍しく酒を奢ってくれたけれど、どうせ奴らは何かにかこつけて騒ぎたいだけだ。そういうあけすけなところが嫌いではない。


「ああでも、一人だけちゃんと別れを言えなかったな」


 思い浮かべるのはミランダのことだ。出会った時から変わらない、薄暗い微笑だ。

 彼女とは、もう少し話しておくべきだったと思う。

 深い仲でなくなった頃から、ケイスからはろくに会えたことがなかった。最後に会ったのも、随分と久しぶりだったのだ。

 今日の真相がなんだったにしろ、分かり合っていたつもりで、何も分かっていなかったことには変わりがなく。

 聞きたいことも言いたいことも山程あって、だがこれっきりだと思えた。

 そんな感傷を、一言に込めて呟いて。


「なら、手紙でも出せばいいんじゃない?」


 なんでもないことのように、あっけらかんとサァラは言った。


「いや、そんな簡単な話じゃ……簡単な話、なのか……?」


 思ってもみなかった言葉に動揺し、ケイスはもごもごと自問する。声は小さくなり、サァラの耳には届かない。


「え、何? よく聞こえなかったんだけど、もしかしてケイス、手紙とか出したことないの? 絵葉書ならいくつか私のが余ってるけど。あげようか?」


 サァラは『簡単な話ではない』という意味を何か勘違いしている。しかも心なしか楽しげだ。ケイスよりも経験があるという状況が、人生に慣れてない人形には嬉しいのだろう。

 残念ながら、手紙を書いた量でケイスがサァラに負けることはないのだが。

 サァラの勘違いをわざわざ正すこともない。

 それよりも。


「意外だな、君が絵葉書なんて持ってるとは」

「あちこちを旅するとね、集まるものだよ。なんかちょっとコレクションみたいになってきてるの」


 サァラは得意げにそう言うが、ケイスが意外に思うのは、サァラに手紙を出す先があるということだ。

 いや、そういえば確かにひとつだけある。


「ああ、姉に送っているのか」


 図星を指され、ぎくりとするサァラ。


「絵葉書なら気軽に送れるし、旅暮らしなら居場所をそれとなく伝えながらも捕まらない、って感じか。なるほどな」


 言い終わると、サァラは何故かむくれていた。当てられたことが不愉快らしい。

 何故だろう。姉に手紙を出す、普通のことじゃないか。

 昔の縁など全部放り出しているケイスが言えることではないが、いいことだとも思う。


「ケイス、きらい。無神経」

「わるかったよ。何がわるかったのか全然わからないけど。絵葉書、一枚貰ってもいいか?」

「いいよべつに。二枚でも三枚でも持っていきなさいよ」


 いつか送ろう。書くべきことがわかったら。


「ありがとな」


 ケイスの何気ない礼に、何故かサァラは面食らったようだ。


「……後で、渡すね」


 小さく、そう言って。

 サァラが俯く。

 消えかける蝋燭の火のように、髪に飾られた赤い花弁が風に揺れる。


「その……ケイス。いろいろ、ありがとう」


 意を決したように、サァラは口を開く。


「ケイスが一緒に舞台に立ってくれたから。これが最後でよかったって、本当に思える。私、怖かったの。もしも踊ることをやめられなかったらどうしようって。そんな心配していたのは、もう十分やったって納得していたはずなのに、全然ちっとも満足してないからだったのかも。

 ──でも、もう。怖くなんてない。今日を演じきれたから。理想には程遠いのは、わかっているけど。満ち足りるってきっとこんな気持ちだったんだね。私は、納得して、満足して、やめるんだ。それはケイスのおかげ」


 踊りなんて終わりにするのだと何の陰りもなく豪語して、実際きっとあっさりとやめてしまえるだろう人形の少女。終わることも終わらせることも、変わることも恐れず、身の程を知りながら演じきることだけを考えた。

 最初から生きてなどいない少女は、踊らなくても生きていける。


 それは、音楽に別れを告げることすらできないまま無様に息をし続けたケイス=フラットとは決して相容れない在り方だ。

 似ても似つかず、本来出会うはずのない二人。

 その出会いは奇跡でもなんでもない、ただの陳腐な偶然。


 ただ、少女には少女の道があり。

 青年には青年の道がある。

 交差点の夜が明ければ、違う朝がやってくる。

 たったそれだけの、当たり前のこと。


 顔を上げたサァラは、もう真っ直ぐにケイスを見つめていた。


「さよなら。またいつか会いましょう」


 名残など惜しまないと、いうように。サァラは力強く、確かな別れを口にする。


「……そうだな、また」


 ケイスはだから、深く頷いて、


「今日の夜明けに、港で会おうか」


 同じ朝を、語り始める。


「……え?」


 その言葉の意味を一拍遅れて飲み込むサァラ。


「いやいやいや、なんで?」


 喉に何かが詰まったような表情で、一体何事かと問い詰める。


「だから、俺もこの町を出るって話をしただろ? けど行き先が決まらなくてさ。まーー、折角ならサァラについていくのも悪くないなぁ、と考えたわけなんだけど」

「なんで!? おかしくない!?」

「つれないこと言うなよ。旅は道連れ世は情けってな。俺は便利だぜ? なんせ旅慣れてる。……あー、なんだ。嫌、なら、ごめん、無かったことに」


 途中まではいつもの調子、得意になって言っていたが、ごく単純に嫌がられているのではないかとやっと想像が及ぶ。

 客観的に見るとなんというか、危うい。

 だって、どう高く見積もっても外見年齢十四もない、実年齢三つの少女に対して、つきまとう宣言だ。誰がどう考えてもおかしい。おかしいという表現すら、生易しいくらいだ。入水したほうがいい。

 そこまで一気に考えて、しくしくと胃が痛くなってきた。


  これ以上墓穴を掘る前に立ち去ろうと、なおざりに「それじゃあ」なんて定型句で結んで、ケイスは踵を返す。

 まだ話は終わってない、と慌てるサァラが引き止めようとするが、あいにく両手は塞がっている。「待って、」とその声だけがケイスの袖を引く。


「ちがう、ちがうの。嫌、なんかじゃないの。わからないの。だってケイス。私と一緒に行く理由がない。私を舞台に立たせてくれたケイスが、私なんかと一緒に来る理由がないよ」


 真剣な面持ちで、そんなことを。

 サァラの反論は、卑下でも自虐でもなくて。ただそれが、明らかな事実であるとして語られる。

 一切の悲観をなくしても、それが事実であるとしか思えないのだと、ケイスにはよくわかってしまう。

 その卑屈さを、ケイスはよく知っている。


「はは、なんだよそれ」


 似ていないはずなのに、相容れないはずなのに。

 どうしてそんな、どうしようもないところだけ同じだったんだろう。

 笑えない話だ。


 ──だから、笑い話をしよう。


「なぁ、サァラ。『本物』ってなんなのか。君は君の答えを言ってくれた。正直、俺にはわからない答えだったよ。でも、どうしてだろうな。響いちまったんだ」


 ケイスはとびっきりに、馬鹿げたことを口にする。

 サァラの知らないケイスの話を。話すことなどないと思っていた、薄暗い感情を。


「俺はもう二度と本物になれない。だからすべてのことに意味はないって、そう思っていたんだ」


 薄暗い感情に、もう一度火を灯す。


「でも。偽物だとしても、自分だけは偽物だということを知っていても。誰も彼もを騙しきることができたなら。それはもう、『本物』と同義だって……言い張ることくらいはきっと、許されるんじゃないかって」


 もう二度と届かないとしても、まだ手を伸ばせることに気付いてしまった。


「なんて、ばかげてるよな」


 気付いてしまったらもう、見て見ぬふりはできなかった。幻覚でもなんでも、縋ってしまう。


「だけど、これでも本気なんだ。俺を連れて行ってくれないか。いや、サァラ。

 ──道連れになってくれ」


 恥も外聞もない、一世一代の、告白に似て非なる、情けない口説き文句だ。


 サァラは目を、見開いて。

 呆れたようにふっと、零す。


「ほんと、ばかだねケイス」


 そして応えるのは、意地と諦めの悪い、とびっきりの笑顔。


「仕方ないから、一緒に夢見てあげる!」





 夜明けの港にて、一隻の船が汽笛の音を上げる。

 明日はどこまでも深い霧の中。旅の終わりに辿り着く場所も得るものも分かりはしない。

 空っぽの拳を握りしめて、その中に『何かがある』のだと、ただ永遠に嘘を吐き続けるだけかもしれない。


 それでも。

 どこへ辿り着いたとしても。

 がらくたばかりを抱えるとしても。


『悪くない』ときっと笑える。

 そう信じていられる限りは、暗い夜から逃げ出せる。

 だから。



 二人を乗せて。

 船は、進む。




 ◇




 朝の港に冷たい潮風が吹き付ける。

 夜明けの紫を残す空の下で、一人の女が汽笛を鳴らして遠ざかる船を眺めていた。


「行っちゃった、かぁ」


 暗く沈んだ喪服の女だ。長い黒髪の隙間から覗く顔は幽鬼のよう。例えるならば煙水晶。くすみながらに透き通る、相反した印象の。かつては美しかったのだろうと思わせる、不思議な女だった。


 煩雑する朝の港にて、棒のように立ち尽くす女を道行く人は気に留めない。黒い幽鬼の女を、いないものであるかのように。透明人間のように。


「ねぇ。ケイス……私はさ、魔法を否定するために生きていたんだよ」


 風にかすみ、声は届かない。


 女は、ミランダは魔女だ。

 この時代『魔女』というものは、病の名を冠する呪いを背負った人間を指す。

 この国で魔術に対して悪感情を抱かないのは、ケイスのように、ある意味魔術の真実に近しい立場に生まれた者ばかり。

 昔々に呪いに侵された歴史を持つ国で生まれ育ったミランダは、当然のように魔術を避けて生きてきた。

 己が、『魔女』であることも知らずに。


 ミランダが侵されていたのは知識すらなく意思も無関係に肉体の限界を超えて魔法を行使してしまう、不治の病。

 しかしミランダにも、望まず手にした魔法にも何か理由はあると、無邪気に信じていた時期がある。信じてくれた、大切な人がいる。

  『魔法だって、誰かの幸せのために使えるのならば悪じゃないさ』と、そんな甘い気休めを愛と共に注いでくれた人がいる。

 いたのだ、かつては。


 ミランダの魔法は、ヒトやモノの姿を無作為に消してしまうだけの魔法は、誰も幸せにすることができなかった。

 魔女であるミランダは不当に迫害され、薬が足りずに制御できなくなった魔法はある時大きな事故を引き起こし、そのうち彼女は何もかもを失った。家族も恋人も友人も、細やかな幸福も。ミランダが消してしまった。


 結局のところ魔法とは、そういうものだ。

 どうしようもないだけの、災厄だ。


「魔法では人を幸せになどできはしないのなら。どうしてこの時代に、存在しているんだろう。なんの因果もなく、どうして私は魔女に生まれてしまったんだろう」


 ──なくなってしまえば、なくなってしまえば、なくなってしまえばいいのに。


 消えてなくなれ。自分も魔法も何もかも。

 そう呪って生きる道しか残されていなかった。


 それが魔法であると知りながらサーカスに向かう人間が憎かった。魔法の本質を知らず、無邪気に娯楽として消費してしまうような低俗な人間が嫌いだった。

 低俗だからこそ、そんな彼らはほんの些細な幻滅で離れていく。台無しにしてしまえばいい。


 ──魔術が憎い。魔女が憎い。

 ──魔法を愛せる彼らが憎い。


 けれどミランダに世界を変える力などありはしない。

 どこまでも凡庸で。

 だから、どこまでも凡庸なまま、気付けば地を這う蛞蝓にも劣る悪意の行使者になっていた。


「くだらないよね。熱なんてもう、残ってなかったんだよ。私の憎悪は枯れ果てていた。ケイス、君の無念を吸い上げて、我が物にして、そしてようやく……はた迷惑な駄々を捏ねることができるだけ」


 そんな無様な生き物に成り果てて。

 どうしようもないまま虚ろに生きて。

 枯れ果てるのを待つだけの日々だったのに。


 ミランダは目を閉じる。

 今になって思い出すのは彼のことばかり。

 まだ目蓋の裏に輝きが、焼き付いている。

 最後の最後に。ほんの少しだけ、綺麗なものを見せられた。


「忘れられるわけがない。許せるはずがない。でも……君が愛すると決めたものを否定することは、もっとできそうにないや……」


 もはや魔女ですらなくなった女は、そうして長らく港に立ち尽くしていた。

 彼女に声をかける者はなく、空の紫がすっかりと消え去る頃。雑踏の中へと消えていく。

 それからその町で、彼女の姿を見た者はいない。


 郵便受けの中の絵葉書が、陽の目を見ることはない。

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