外伝3 踊り子の人形少女
「案内するからついてきなさい、新入り」
人形少女は仏頂面でケイスに言った。
さいわい、採用は演奏後すぐに言い渡され、首の皮は一枚で繋がった。問題はどうにも嬉しくないことくらいだ。
仕事の条件についてはそれなりに満足している。
座長は強面に似合わず話のわかる人だ。
ここを紹介してくれた酒場の店主にも礼を言わねばならない。
「まったく案内なんて、私に押しつけなくってもいいのに。一番暇だろうって言われても私だってメンテナンスとかあるのに……」
不平を口にしながら彼女は早足で進む。
十代前半ほどの見た目をした彼女との身長差はそれなりで、ケイスは苦も無くついていく。
その調子だとまた誰かにぶつかるぞ、とでも言いたいところだったが流石にわかってて神経を逆撫でする趣味はない。神経、ないだろうが。
ふと気が付けば、曲がり角で彼女はこちらを待っていた。見失われては困る、と気を遣われたらしい。
「そういや君、名前はメリーでいいんだっけ?」
「サァラ。メリーは芸名。本名はサァラって言うの。呼び方は……半々かな。好きな方でいいよ」
「じゃあ、本名にしようかな」
サァラは特に無反応だった。
澄ました横顔のまま何かを考えているようなのだが。
「サァラ?」
「いや、ごめん。呼ばれてなんかむかついた」
「なんだよそれ。わかったよ。メリーがいいんだな?」
「あ、だめだ。もっとむかつく」
どうしろと。
名前を呼ぶなと。
打つ手なしである。
道で急停止したのは自分だがぶつかってきたのはサァラの方だし、そもそも電球が切れて視界が悪くなったのが原因だ。
紛れもなく事故なのだが。
随分と嫌われたものだ。
ペースを落としたサァラと並んで歩く。彼女の流し目が突き刺さる。
はて、最初の衝突事故以外に失点はあっただろうか。
そんな疑問を視線に込めて曖昧に笑いかけてみると、サァラは諦めたように口を開いた。
「座長が気に入るくらいだから腕は認めるけど。あなたみたいな軽薄そうな男、嫌いなんだよね」
「個人的な好みじゃないか」
「うじうじして優柔不断のどっかの眼鏡よりはましだけども」
「更に個人的な好みの話だな。俺はそういう、素っ気ない態度の女の子も嫌いじゃあないけど」
「誰も君の個人的な好みの話とか聞いてないし聞きたくないし、結構です」
テントは敷地に所狭しと立てられている。
その隙間を縫うように、サァラとケイスは歩いて行く。
今日の公演は終わりだというのに、あたりは随分と賑やかだった。
サァラが通りがかったことに気が付いた、若い男が呼びかける。
浅黒い肌に派手な道化服を着ている。
白化粧を落とした後のピエロだ。
「おうおう誰だその男。メリー、お前も色気付いてきたか?」
「馬鹿言わないで。私、まだ二歳だから、そういうのはわからないの」
小突いてくる道化にサァラはおどけて口元に手を当てる。
ケイスは新入りだと紹介に預かる。
素顔の道化はケイスが楽師だと聞くと少し興味を失ったようだった。
サーカスに限らず仕事のある楽師はすぐにいなくなる。
「あーあ。生意気なメリーをからかう材料が出来たと思ったのになぁ」
「人間相手に恋愛なんて死んでもごめんだよ。心臓がときめかないもの」
「心臓ねぇだろお前」
違いないや、と笑って手を振りまた狭い道を進んでいく。
「ちょいと待ちなよメリー、一杯飲んでかない?」
今度は綺麗な赤毛のブランコ乗りだった。
すっかり出来上がっているようで、髪に負けじと顔を赤く染めている。
赤毛が揺らす琥珀色のグラスを見つめながら、サァラは勝ち気に腕を組んだ。
「ふぅん、私に毒を盛る気?」
「言葉の綾さ。酌み交わすのは酒じゃなくって空気さね。あんたもうすぐいなくなるんだろ? あたしゃ名残を惜しみたいのさ」
「冗談だよ。ありがと。ご相伴にあずかりたいとこだけど、座長に面倒ごとを押し付けられちゃって。また今度誘ってね」
別れて程なく。
お次は「あっ」と高い声がいくつか上がり、小さな足音が連なって聞こえてくる。
「サァラ姉だ!」
「遊んで遊んで!」
年端もいかない子供たちがぐるぐるとサァラを取り囲み、腕やドレスを引っ張る。
サァラは溜息交じりに返事をする。
「子供もおもちゃも寝る時間。もちろん人形もね。今夜はもう店じまい!」
「けーち」
「あんたたちに付き合ってたら身体がいくつあっても持ちません!」
「サァラ姉と遊んであげようって言ってんのになー」
「遊んでほしいのはサァラ姉のくせにー」
「素直じゃないのー」
「な、なまいきな!」
だがあの子供たちとて、本当はサァラよりもずっと年上なのだ。
その光景を遠巻きに眺めながら、ケイスはそんなことを思う。
「なぁに、変な顔して」
子供たちの嵐が去って、サァラは振り返ってこちらを見る。
「いいや、なんでもないさ」
サァラは随分とこの場所に慣れ親しんでいるようだ。
サァラに声をかける誰もが人形であるということを気にした風はなく、彼女もそれを開けっぴろげに示している。
随分と奇妙な光景だ。少なくともケイスにとっては。
自動人形というものが異国にはあると、噂には聞いたことがあるけれど。
サァラのような人形は噂にも聞いたことがない。
ケイスの感性は多少だらしがないことを除けばトルカナの人間として十分に一般的だ。
生まれてこの方国外には出たことはなく、分野に偏りはあるもののそれなりの教養を身につけている。
だからこそ、ごく一般的なケイスの感性は訴える。
やはりこの場所は、異界だ。
異界の空気は肌にこそばゆい。あまり長くはいられそうにない。
祭りの余韻を色濃く残すテント群を通り抜ければ、すぐさま空気は寂れた。
サァラが足をようやく止めたのは、今にも崩れそうなぼろい建物の前だった。
貧民街の一歩手前の地区に立つそれは、一座が貸し切りにした宿だという。
幽霊の出そうな建物だ。しかし中に入った途端、先程味わったのと同じ熱っぽい空気に出迎えられる。
「いつもこうなのか?」
「んーん。流石に連日は勘弁だよ。ま、久々の公演だったからみんな浮かれてるんだろうけど」
サァラは肩を竦めて、彼らに気付かれないよう階段の方へと連れ立った。
さて、辿り着いたは突き当りの一室。屋根裏部屋もかくやという有様の、狭くて古い部屋だった。
壁は薄い。隣からはいびきの音が、床下からは心なしか階下の酒盛りの気配まで伝わりそうだ。
冬とはいえ温暖な気候であるから、大きな問題はないのだが。
「ケイスはこの部屋使って。うち、そんなに団員が多いわけじゃないから余るんだよね。まぁ、私らがいると他のお客さんが来ないから貸し切るしかないんだけど」
「いや、俺は普通にこの町の住人だから。家、あるけど」
「私、なんのためにここまで案内してきたの!?」
「だってどこに行くとは聞かなかったし」
言い返せずにサァラは苦虫を噛んだ。
「まあでも、折角だし泊まっていこうかな」
狭くて古い部屋だとはいえ、ケイスの間借りしている部屋も似たようなものだ。
最近はあまり戻っていないけれども。
「そ、じゃあ私の仕事はここで終わり。また明日ね。朝、迎えに来るから。はぁ、寝よ寝よ」
「えっ寝るのか、君」
「寝るよ? 人形をなんだと思ってるの」
「なんだと思うも何も、すべての理解が追いついていない現状だよ」
「魔術慣れしてない人間らしい言い分だけど、魔術慣れしてない人間のとる態度じゃないね」
「あまり物事に動じない性分なんだ」
「嘘。私が人形だって知って見事に狼狽えていたくせに」
「あれはだって、度を超えている」
それもそうだねとサァラは笑って、出て行こうと扉に手を掛ける。
「もう少し残っていかないか」
なんとなく、その後ろ姿を引き留める。
「君のことが気になって夜も眠れそうにないんだ」
「口説き文句っぽく言ってるけどそれ……」
「ああ、まったく言葉通りの意味しかない」
振り返ったサァラはすっかり呆れ顔だ。
「しょうがない。付き合ってあげる」
そのまま無防備にベッドへ腰掛ける。
「言っときますけど、楽しいことはなにもできないからね。こういう夜更かしに、君たちはお酒とか食べ物とかを楽しむって聞いてるけど。……私、話しかできないからね?」
そういや彼女は二歳児だった、なんてことを思い出してケイスは少し笑う。
年端もいかない少女とただお喋りを消費するだけの夜になるとは思わなかった。




