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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第一部 1章 the doll ≠ a girl
2/44

1−2 帰宅

 窓からは光が漏れている。

 オギはゆっくりと階段を上った。暗くなった中、足取りの危なっかしいリネンを気にかけながら。

 いつもなら足音に反応し、ばたばたと音を立てて扉が勢いよく開くのだ。『お帰りなさい!』と。


「ただいま」


 小さく呟く。玄関先の電灯にスイッチをいれた。静まり返った暗闇が晴れてもシンとした空気は晴れない。

 部屋の明かりは付いていたから誰もいないということはあり得ないのだが。オギは少し訝しげに思いながら、リネンを誘導する。小さな歩幅が、オギの進路をなぞっていく。


 光の漏れる先へ。扉も開け放たれたままの部屋へ。

 テーブルの上に突っ伏して眠る姉の姿を確認。何かを確かめるようにこそりと、もう一度ただいまを呟いた。

 テーブルに突っ伏したあどけなさを残す顔を、緩くウェーブのかかった、長くはない髪が覆っていた。

 調子が狂っているのは彼女も同じか、なんて考えて。時刻は八時前。姉を起こすべきかしばしの間迷う。

 迷っている間に意味をなさない声が姉から零れた。


「おはようキフェ」


 姉──キフェは眉間にしわを寄せて目をこする。


「おかえりぃ」


 にへら、となんとも締まらない寝ぼけ顔だった。


 二十秒。その後キフェが覚醒までに要した時間である。テーブルの上に残っていた水を飲み干して、シャツの曲がった襟を直して、オギをぱちぱちと瞬きを挟んで見つめ、後ろにそっと控えるリネンに視線をやった。

 オギとは違い彼女は目が良い。にもかかわらず、ぎゅっと目を凝らしてリネンを見つめていた。


「オギさぁ、年下趣味だっけ?」

「なんでそうなるのさ」


 オギは頬を引きつらせた。

 ここにいるのは少し寝ぼけているだけのいつもの姉だ。そのことにうんざりしつつも安心を覚える。

 慣れない人間関係の中に放り込まれ、さらには人間以外への対応をしていたオギには沁みる、キフェのペースだ。普段より格段に落ち着きを得ているけれど、むしろ今ぐらいで丁度良い。


「何か、さ。軽くでもいいから食べれる物ある?」


 オギの問いに、彼女は意味有りげな笑顔で答えた。


「ふっふっふ、こんなこともあろうかと、今晩は多めに作っておいたのだよ」

「どうせレパートリー増やそうとして材料の配分間違えたんでしょ」

「うっ」


 目を逸らした。


「ひどいっ。オギがお姉ちゃんをいじめるっ」


 声を一トーン高くして、わざとらしく目元を拭う。

 そして何事もなかったかのように切り出した。


「待ってて。温め直すから」

「ありがとう。じゃあ荷物を置いてくる」


 椅子を引いて立ち上がろうとしたとき、キフェがはたと気付いたように声を張った。


「オギ! 人の質問には答えるべしだよ。この子誰?」


 はて、質問されただろうか。されたようなそんな気はする。

 どう言うべきだろう。振り返って、じっと佇むままのリネンを見る。話を聞く限り置物歴はかなり長かったらしいが、それでも意識を向けた途端彼女の存在は異様にしか見えない。目があった。

 オギは答える。


「人形」

「そっか人形……はぁ?!」


 素っ頓狂な声を背後に遠ざかりながら、オギはいきさつを頭の中で組み立てた。



 普段食事用のテーブルには椅子が二つしか用意されていないが、戻って来た時そこにはしっかりと三つ目が置いてあった。

 ちょこんと、今まで見たのと寸分変わらず整った形でリネンは腰掛けている。少しばかり背が足りないようでテーブルの位置がまだ高い。

 戻って来たオギを確認し、唐突にリネンが言葉を発する。


「人はあんな風に動くものなのですね」


 目線の先はちょこまかと動くキフェにあった。


「え? ああ、うん。あれはだいぶ特殊だと思うけど」


 リネンから話しかけてきたのはこれが初めてかもしれない。

 その平坦な声には、何らかの感慨が含まれているような気がした。


 キフェは効率がいいのか悪いのか──多分悪いと思われるが──よくわからない動線を描きつつ、さして動きもしない癖に慌ただしそうな雰囲気を醸す。

 いちいち動作や言葉が余計なのだ。本当に余計な時は控えているけれど、無意味な動作そのものを楽しんでいる気がある。

 子供っぽい言動が多いとはいえ、オギよりも要領は格段によいのがまた、たちが悪い。


 カタン、とオギの席に皿が置かれた。


「ありがとう」

「うん。飲み物は……」

「自分で入れた」


 そっか、キフェはそう言って自分の椅子を引く。


「じゃあオギが連れ込んだいたいけな少女について洗いざらい吐いてもらおうか」


 スープが気管支に迷い込みかける。すんでのところで助かったものの、思い切り咳き込んだ。

 オギが息を整える様子を、初めて見たその動作を、リネンは食い入るように見つめている。

 にやにやと笑うキフェに、オギは恨みがましく言った。


「そういう言い方、やめない?」


 ◇


「リネンは軽いね」


 事情を説明した後にキフェが発した言葉だ。

 彼女の行動は素早かった。リネンが人形だと知るや否や、早々に近づいてひょいと持ち上げ、そのまま膝に乗せてしまった。


「やめてください」


 リネンは当然のように抵抗した。足も手も動かしはせず、言葉のみではあるけれどそれは確かに拒絶だ。


「それでいいのかな?」


 だがキフェはこれといった変化を示すことなく、彼女の調子のままに続ける。


「だってほら、君の持ち主はオギなわけでしょ」

「はい」

「ぼくは、そのオギのお姉ちゃんなのだよ」

「把握しております」

「つまり、ぼくはリネンの主の姉であり、オギよりも偉い」

「……はい」


 キフェはふふん、と笑って人差し指を立てた。


「だからリネンは、ぼくに従わなければならない!」

「それは受け入れられません」


 リネンは即座に答える。


「私はオギの物です。持ち主以外に従うことは許されていません」


 オギが口を挟んだ。


「いや、僕それ初耳なんだけど」


 契約条件、いや彼女の場合は"設定"だろうか。そのようなものは聞いた覚えが無い。


「じゃあいいよね?」


 キフェが眼を輝かせ、上半身のみでオギに詰め寄る。姉の熱意にオギはこくこくと頷くしか出来なかった。逆らってもいいことが無いと刷り込まれている。そして逆らうほどのことでもない。


「ほらぁ、オギもいいって言ってるじゃん」


 そのままキフェはリネンのほっぺたをつつき始めた。リネンはもう抗わない。けれど心無しか、オギの眼には不本意そうに見えた。もっとも表情なんてありもしないのだが。


「んー、結構柔らかいんだね。何製?」

「申し訳ありません。私には分かりません」

「キフェ、分解しちゃだめだから」


 キフェは頬を膨らませる。


「そんなことしないよっ!オギはお姉ちゃんを何だと思っているのっ?」


 熱烈なキフェの主張に対しオギはあくまで冷静に、意識はマグカップの中身に向けたままだ。


「十数年見続けた僕の姉」


 ことん、と静かに置く。


「分解しちゃ、だめだ」


 レンズの奥の眼光は真っ直ぐで、キフェは少しばかりたじろいだ。


「分別の無い子供の頃とは違うんだもん……」


 リネンを大事そうにかかえながら不平を漏らす。人形はすっぽりと姉の膝に収まったままだった。


 オギだって口ではそう言うが、実のところ姉への信頼値はなかなかのものである。

 両親は腕のいい魔法技術者で、いつも仕事に追われていた。二人と関わった記憶は家族としてよりも師弟としてのもののほうが多い。姉弟が無事に仕事を引き継いで、余裕ができ始めたと判断した途端、二十年越しの新婚旅行に出かけてしまった。

 定期的に送金はされているので経済的な負担は大きくはないし、送られてくるやたらと小洒落た葉書でだいたいの居場所は特定できるので深刻ではないが。第一に国外に出ることはまず無い。

 自由人っぷりは昔から変わらなかったため、必然的にオギの面倒をまともに見てくれたのはキフェである。趣味と仕事に浸かりすぎた両親の育児は、まともというには個性的すぎた。師でもあった父親はキフェの成れの果てと形容出来るような人物だ。少ない思い出が胃にもたれる。


「しかしオギはお姉ちゃんへの敬意が足りないと思うのだよ」


 人差し指を執拗にリネンの頬へと食い込ませながら拗ねる。

 リネンが嫌そうな顔一つしないのは、友人がそのような表情を滅多に見せなかったからだろう。もっとも、笑顔だって同じぐらいに希少だったと聞くのだが。オギら姉弟には価値が暴落するぐらいに見せていたから、実感は薄い。


「だいたいさあ、なんで"キフェ"なの。"お姉ちゃん"って呼んでくれないの」


 ねえ、そう思わない?なんてリネンに勝手な同意を求めた。リネンは理解できないとでも言いたげに無視を貫き通す。


「リネン、お返事」

「はい」

「ん、よろしい」

「……それでいいんだ」


 形式的なやり取りだったが満足らしい。よしよしとリネンの頭を撫でている。リネンはまんざらでもなさそう──ではなくて、完全にキフェの言いなりだ。抵抗の仕方ぐらい教えた方がいいのだろうか。


「で、なんでさ」


 キフェの問いかけに、曖昧に笑って返す。


「姉の威厳の所在を問うよ」


 ぐ、と息を詰まらせた。どうやら自覚はあるらしい。


「難しい言葉を使いやがってぇ……こんにゃろう」


 だれの影響だよ全く、とキフェは呻く。


「ほんとかわいげがないな、君は」

「男がかわいくても誰も得しないだろ」

「わかってないなあ。かわいげとかわいさは別物だよ」

「わけがわからない」


 誰だ調子が狂っているとか思ったやつ。思い切りいつものキフェじゃないか。オギは内心で安堵の愚痴をこぼした。

 その、わけのわからない言葉の意味を、今一度噛み砕く。


「かわいげって愛想のことじゃなくて?」

「惜しい」


 キフェはリネンの髪をさらりと掬った。


「リネンは……うん、かわいさもかわいげも見込めるね」


 リネンは顔を上げて、ぶつからないように下からキフェを見る。


「それは褒められているのでしょうか。であればお礼を言うべきですね」


 平坦な「ありがとうございます」を満足げにキフェは受け取る。


「えへへ、リネンみたいな妹がいたら、よかった……のに?」


 沈黙。

 キフェは視線でオギに問いかけた。オギは諦めたように肩をすくめる。

 その数秒後、二人の視線が同時にリネンへと向く。言葉が向けられることを察したのか、リネンは二人の顔を交互に見やった。しかし続く言葉への確証は持てなかったらしい。


「ねえ、リネン。ぼくを姉と呼んでくれますか」

「あね」

「そうじゃない」


 綺麗なオウム返しだった。反射的に口に出したリネンは、合点がいったようにやり直す。


「お姉ちゃん」


 キフェが声を噛み殺した。

 オギは白い眼で見ていた。

 リネンはきょとんとしたままだった。


「も、もう一回……いや、姉様でお願いします」


 リネンは何の疑問も無く反復する。キフェが幸せそうに表情を溶かした。


「あーもう、リネンは可愛いなあ!」


 胸に押しつけ、少々乱暴ではないかと思うほどに頭をなでる。さすがに許容できなかったのだろう、リネンの口から抵抗の言葉が出た。


「姉様やめてください」


 しかしそれは火に油を注いだだけだった。

 オギは素知らぬ顔で食器を片付け始める。家事は基本分担だ。

 目の端で二人を捉えながら、リネンの髪が抜けたらどうするつもりなんだろう、なんてどうでもいいことに考えを巡らせた。



 ひとしきりリネンをもみくちゃにした後、キフェは満足そうな顔で彼女を手放した。

 途端、リネンはオギの元へとどこか不自然な歩みで逃げる。じっとオギの後ろに立つ様子は、全身で姉への拒否感を示しているようだった。無言だからこそなおさらに。

 オギはため息を吐く。


「キフェ、ほどほどにしなよ」


 これから先リネンはキフェといる時間が長くなるだろうし、元々彼女の助けになれば、と連れてきた節がある。初日から嫌われてしまうのはよろしくない。そもそもリネンに好き嫌いは無いだろうとしても。


「う、ごめんね」

「構いません」


 しかしリネンは否定の言葉を吐かない。ぱっと顔を輝かせたキフェに呆れながら言った。


「いや、構うだろ。明らかに」


 いいかいリネン、と前置きを。


「この人の我が儘には付き合わなくていいから。無茶苦茶な理論を振りかざしたら逃げなよ」

「私には判断の基準が分かりません」


 無表情の数割に、どこか困惑が滲み出ている気がした。


「……慣れたら分かってくるんじゃない、多分だけど。まあリネンが嫌だと感じることは断ったらいいよ。どうせキフェだし」

「酷くない? お姉ちゃんの扱い酷くない?!」


 離れたまま、声を上げる。明らかにクレッシェンド付きの台詞だった。


「夜だから大きな声出すなって」

「はい、すみませんでした。でもオギもアレなんだからね、アレ」


 指示語にあたる言葉は結局見つからなかったようで、補足は入らなかった。

 リネンとキフェを組み合わせて大丈夫だろうか。今更ながらに不安を覚える。


「だけどちょっと驚いた。ちゃんとリネンも快、不快は感じるんだ」


 引き取ってから一切そんな素振りを見せたことは無かった。態度を表に出す人ばかりと関わってきたせいか、無反応というのはなかなかに苦しかったのだ。普段は感情表現の乏しかったらしい友人もオギの前では饒舌であった。


「身の危険を感じることは可能なようです」


 自分自身のことすらも把握しきれていないとでも言いたげにリネンは答え、またオギの指示を待つ。


「これから君は、キフェに色々教わることになると思うんだ。キフェがリネンの先生だね。でも結構強引なところがあるから、逃げなきゃいけないときはちゃんと逃げるんだよ」


 リネンはこくり、と固定された神妙な顔で頷いた。

 キフェが慌てたように口を挟む。


「待って、聞いてない」

「うあ、ごめん。言ったつもりになってた。えーっとだめだった?」

「いや、いいけど。全然いいけど。自動人形(オートマタ)扱わせてもらえるとか、魔法使いとしては願ったり叶ったりだけどね? ただ……」


 言葉の途中で、彼女はきゅっと唇を結んだ。


「いいのかい? あいつの形見だろ」


 オギは頷く。


「物は使われるためにあるんだよ。リネンは僕には手に余る」


 何か言おうとしてやめたのだろう。キフェの開いた口が一瞬動きを止め、形を変える。


「そっか、わかった」

「お手数お掛けします」

「うん、お手数掛けさせて頂きます」


 正直オギにはリネンの扱い方が分からない。挙動の一つ一つが大げさなキフェの方が、きっとリネンには分かりやすい。


「ああ、でも──」


 皆まで言うなとキフェが遮った。


「大丈夫だって。分解も組み立てもぼくの分野じゃないんだから。そんなことしないって」


 オギよりもよっぽど少年的な笑みを浮かべ、そう言った。


 ◇


 人形に痛覚は無い。ブレーキの代わりとしてあるのが、壊れることへの忌避感だ。

 おそらくは根底に存在しているのだろう。先ほどまでリネンは気付かなかった。


「ふふ、へへ……」


 そして今、リネンは分解(ていそう)の危機を学び始めている。


 たった数分前のことだった。


「じゃあリネンに家のこととか、さらっと教えてくるねー」


 キフェはするりとリネンの腕を取り、そう言った。

 オギが慌てたように振り返る。


「いいよ、それぐらいは僕がやっておくから」

「だーめ。お姉ちゃんにも任された側の立場というものがあるのです」


 にっとキフェが笑う。


「オギは教えるの、苦手でしょ」

「あー、うん。ありがとう」


 弟はぎこちなく同意の苦笑を返し、姉は「いーのいーの」と手を振った。


「それに流石にお姉ちゃんも、可愛い弟が無機物愛に目覚めるのは忍びないしねー……」

「その一言で全て台無しだよ」


 悲壮感漂う横顔を、オギは容赦なく切り捨てた。

 正確に言うとリネンは完全に無機物ではない、おそらくは。だがそれを口にすることは無かった。

 話題が自身のことであるなど、リネンにはまだわかるはずもない。初体験の目紛しい会話には、すぐには慣れそうになかった。



「はい、リネン。所持物出してー」


 オギのいない場ではまるでキフェは人が変わったようだった。家の内部を本当にさらりと叩き込み、あっという間にリネンを部屋へと連れ込んだ。

 終始朗らかなのは変わりない。ただ全体的に行動がてきぱきとしていた。

 リネンもこれならば理解が追いつく。キフェはそれを見越しているのだろう。


「うわぁ、さっすがお金持ちのおもちゃだわ……」


 前の持ち主の家から持ってきた服を手に取って、キフェは嘆息した。


「どれもこれも型は古いけど絶対高いじゃん……あうぅ、目眩がする」


 数着しか持ち出すことは許されなかったが、それでも十分に上等なものだった。最初に身につけていた一着さえ、与えられたそれらに見劣りしない。

 額に手を当てて眩しいものを見るように眺めるキフェに対し、リネンは今までまともに見たことが無かった服を記憶するように凝視する。金銭価値の概念は、オギを見ていたせいか把握すべきなのだろうと判断し始めていた。


「あ、今着てるやつは、割と新しいんだね」


 そう言われてリネンは自らの身なりに目を向ける。生地の厚い、黒いワンピース。


「これは前の主様が最初に下さったものです」


 キフェは顔を引きつらせた。


「最初の贈り物が喪服とか……やっぱりあいつ悪趣味なままだったかー」

「それはどのような意……」

「あー気にしないで。うん、こっちの話」


 笑いながら手を振って、はぐらかす。リネンの方も追求する意味を見いだせず、言葉を途中で飲み込んだ。


「しかしあれだよね。見事に余所行き用にしかならないよね」


 明らかに装飾過多であり、生地からして普段着には到底向かない。

 夜更けであることも構わずに、キフェは箪笥の中身を漁りだす。


「あんまり可愛いの、もってないんだよ」


 服の傾向以前にサイズが合わない。リネンとキフェでは外見年齢が大分違う。

 リネンは彼女の言葉に疑問を返す。


「女性はこのようなものが好きだと聞きました」


 そう言って自分の服を指した。ふんわりとしたスカートに、控えめながらも主張するレース。小さなボタン一つまでもが衣装を構成する要素である。

 キフェは飾り気のない服装を好みがちだ。リネンのものに近い傾向の服もあるといえばあるのだが。


「それ、あいつが言ったの?」


 リネンは頷く。代名詞の推測に細心の注意を払った。

 ふうん、とキフェは気に食わなそうに目を細めた。


「こういうの着せたかったのかー……いや、着たかったのかな? いや、無いか。それは引く」


 ぶつぶつと呟き、一人で納得した。


「ぼくは着るよりも見るほうが多かったから、しっくり来ないんだよね。なんか、気恥ずかしくて」


 言いながら、リネンに一枚のシャツを投げてよこす。そのまま足元にぱさりと落ちた。一瞬受け取るべきが迷ったが、付け足された「とって」の一言に従った。


「腕、捲るのは面倒だろうから半袖だけどいい?」

「問題ありません」


 もう一度、ちらりと渡されたものを見る。


「これを着ろ、ということで間違いありませんか」

「うん、当たり」


 合っていた。そのことに、きっとリネンは安堵した。



 リネンはぎこちなく不器用に、脱ぎ始める。片手がつっかえたあたりで見かねたのだろう。


「手伝おうか?」


 とキフェが申し出た。


「お願いします」

「あ、結構ガード緩い」

「どういう意……」

「あーあー聞こえないー」


 疑惑の種は育たなかった。

 そして惨劇が始まる。

 残念なことに未だリネンの危機感は希薄だった。


「………」

「えへへ、関節、えへへへへ……」


 思考停止機能停止無視無関心、こういう時にどうすればいいなんてリネンは知らない。ただひたすらに固まった。人で言うならば"腰が抜けた"に相当するのだろう。動けない。

 キフェは延々とリネンの右腕を弄び続けた。力加減も動き方も、壊れないように配慮はされている。だが単純に恐ろしい。

 身体の強度なんて、リネンは知らない。絶妙な力加減で押したり引っ張ったりを繰り返されるというのは、未知そのものだった。

 ぱっちりと目を見開いて、だらしなく口元を緩ませるキフェを視界に入れないように虚空を見つめ続ける。

 彼女の魔の手が指の関節に差し掛かったあたりで、リネンの意識は戻り始めた。

 こういうときはどうするべきなのだろう。情報量の未だ少ない頭がくるくると回る。やっと浮かんできた選択肢は「睨む」ということだった。が、表情の作り方もまともに知らないリネンは残念ながら、瞼を少し下ろすだけで精一杯である。


「姉様やめてください」

「つるつる……綺麗……」

「姉様やめてください」

「動きも滑らか……素敵……」

「姉様」

「中身見たい……」

「やめてください」

「オーバーホールしたい……」


 振り払った。

 キフェの目に光が戻り始める。

 リネンは彼女を無言で見つめた。抗議は許されているかどうか分からなかったから。


「ごめんなさい」

「はい」


 謝罪の後は、許すこと。刻まれた通りに返事をする。


「まあ、しないよ。素人のやる分解なんてただ壊しているだけだもの。そのくらいはわきまえているさ」


 先程の言動を全てなかったことにするように、澄ました顔で言った。

 流石にリネンにも、これは逃げる算段を立てた方がいい状況かもしれないということが分かってくる。キフェという天敵の出現がリネンの思考能力を急激に押し上げていた。

 床に手をつきバランスを取りながら立ち上がろうとして、不意にキフェが腕をつかむ。びくりとする代わりにリネンは停止した。


「いや、服着てないから。出て行くのはどうかと思う」


 座り直した。


 キフェが軽く息を吐く。先程よりは幾分真面目に見える表情を作った。


「ちょっと羽目を外し過ぎたね。外から解る分だけでいいんだ。勿論、触って欲しくないところは言ってもらって構わない。壊れるのはぼくだって困るもの」


 リネンの素体を見るとやはり、はっとさせられる。

 きめ細やかな肌に浮かぶ、継ぎ目、継ぎ目、継ぎ目。

 人目に触れやすいからだろうか。手の指ばかりは本物と見紛うほどに整っている。顔と指。あまりに精巧なその部分が、一層、身体の作り物らしさを引き立てていた。

 キフェの口元がとろける。リネンのぱっちりと見開かれた目がそこに固定されていることに気付き、慌てて口元を引き締めた。


 しばらくの間、キフェは真顔でリネンの肌に指をはしらせる。目当てのものは背の方にあった。

 鏡のように装飾された枠の中、意図的に崩された文字が刻まれている。銘だ。製作年月も特徴的な意匠も何もなく、ただイニシャルだけがある。

 キフェにはある程度、自動人形(オートマタ)の知識はある。少なくともオギよりは、といった具合だが。こんなに精巧なモノが出回っているだなんて聞いたこともなかった。

 そしてそのイニシャルは、キフェの記憶している自動人形の技術者の名と噛み合わない。


「S.S……思い浮かばないなぁ」


 記憶し、そのまま保留。

 本命はこの先である。リネンの正面から対峙した。


「姉様終わりましたか」

「ん、これで最後」


 キフェの手が、リネンの平坦な胸部に伸びた。それは丁度、人にとって肺の位置。その中央。

 今度は何故かリネンの拒否感は湧かない。それは絶対に壊れない、という確信からくるものだった。

 軽くノックをした。こん、と小気味いい音が小さく響く。

 硬い音を発するのはリネンの身体の中でここだけだ。


「まるで金庫みたいだね」


 キフェは柔らかく笑って言うのだ。


「仕組みも術の残り香も全部中に閉じ込めてあるんだろうね。きっとここが心臓だ」


 また少し距離を詰めて。問いかける。


「ねえ、自動人形(オートマタ)ってなんなのかな?」


 軽薄な笑顔とは裏腹に、しっかりとした声音。

 リネンは質問に、答えられない。


「まずこの服を長袖に変えてもらえますか」


 だから答えられない質問よりも、重大な条件を口にした。半袖は危険だ。というよりキフェに肌を晒すことが危険だ。

 知らないものは知らないのだから。危機感と同様に必要性も興味すらも湧かなくて、今のリネンにはオギの助言に従う方が優先すべきことだった。


 オギの言葉に従うことが、望まれたことだから。


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