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空白のリネン  作者: さちはら一紗
3章 the doll ≠ the girl
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3−4 自由の人形

 一週間経ったら迎えに来るとオギは言った。疑惑を捨てて推測を撤回して、リネンはその言葉を受け取る。

 家の前の道路には黒塗りの小さい車が停められており、運転席には見覚えのある人間がいた。

 見送りの時はオギもリネンと目を合わせてくれた。一瞬だったけれど、久し振りのことだから──嬉しいかと言われたら別にそんなこともなく安堵したというわけではなく何かを感受したというよりは、義務感。

 従うべきだと強く感じた。


「私を覚えているか」


 サイモン=コスタのことも、キフェは苦手だと言う。オギもそうだと言ったが、嫌いだとは言わなかった。


「はい。記憶しております」


 リネンはサイモンのことをあまり知らない。時々アルミラの部屋を訪ねて、二言三言交わしては去っていったのだ。

 今なら、それはアルミラが彼をあしらっていたのだと分かる。


 リネンは静かに、助手席に腰掛けた。

 サイモンは自分で運転をしていた。

 車に乗るのは、リネンが覚えている限り初めてである。至極真面目に揺れを感じていたが、列車とはまた違う揺れだった。

 流れ行く景色は穏やかでリネンの目にも追うのが難しくない。だがガラスに付いた水滴が街並みを霞ませる。


「ミラ……妹について聞きたい」


 顔をサイモンの方に向ける。


「私はそれ程長い間、アルミラ様の元で過ごしてはおりません。其方の求める情報を提供できるかどうかは分かりません」


 彼は以前のリネンを知っているため、一般的に喜ばれる愛嬌は逆効果だ。オギに対するのと同じように淡々と述べる。


「ですが、お望みとあらば私の力の及ぶ限りは伝えさせて頂きます」


 サイモンがちらりとリネンを見ては、また前を向いた。


「そう硬くならないでいい」


 リネンが停止した。一瞬意味が理解出来なかった。

 少しばかり迷ってから問い返す。


「硬くなっていましたか?」

「ん、こっちの気の所為か?」

「いえ、そう見えたのならばそうなのかもしれません」


 サイモンの声に、リネンへの嫌悪感や忌避感は滲み出ていなかった。

 数ヶ月前とは違うことが漠然と分かる。

 不可解だった。


「君は少し……あれだな。少し人形らしく、なくなった」

「はい……?」


 こてんと首を傾げて、理解が出来ないといったように見つめる。


「いやはやオカルトは実に奥深い。だから恐ろしい。知れば知るほど関わりたくはなくなる」


 独り言のように沁沁と述べて、サイモンはもう何も言わなかった。


 道行く人と丸い傘を幾度と無く追い越して行く。

 少しずつ町並みは変化していき、雲の向こうで日はまた少し傾いた。

 無言の時間、リネンは記憶の中からアルミラに関するものを引っ張りだしていた。

 特出した出来事があったわけではない。たくさん話をしたわけでもない。ただ見ているだけのことが多かった。引っ張りだした記憶も大抵が動きのないもので、サイモンが求めているものにはほど遠いだろう。

 頭の中で仕分けていく。リネンの記憶は完璧ではない。古いもの、優先順位の低いものは埋もれて見つからなくなる。人と同様だ。人よりも時間を重ねていないおかげか、そもそも人形の頭は性質が違うのか、残っている記憶の大半は鮮明だった。


「少し、いいですか」

「なんだ」

「一通り整理は出来ましたが、特別なメッセージのようなものは他に見つかりませんでした」

「そうだろうな」


 あったとしたら、伝えるように指示されていた筈だ。


「大まかに探しただけなので、まだ確証は持てるわけではありませんが」


 落胆も期待もさせないように中庸な言葉を選ぼうとする。

 効果があったのかなかったのかは分からないが、サイモンは平然と言う。


「いやそれはいいんだ。ミラはひねくれ者だからな。真っ当にそんなものを託すわけが無い」


 鼻で笑った。


「最後に家族の元に戻ってきただけで良かった方なんだよ」


 まるで自分に言い聞かせるかのように、諭すに。前をじっと見つめる彼は瞬き一つしなかった。

 リネンはアルミラが実家に帰った後に購入された。

 購入される前はアルミラが数年間、オギの近くで暮らしていたことを今初めて知る。

 特別に親しい、ということは少し考えれば分かっていたけれど。


「完全に俺……ごほん、私の願望になるんだろうが、ミラが何かを残していたとして」


 ふう、と息を吐く。隙だらけだった。


「あの子は徹底的に隠すぞ。昔うっかり日記を見つけてしまってな。泣かれた」


 ばつが悪そうに口角を上げる。アルミラの泣き顔を見たのは後にも先にもそれだけだそうだ。

 以来、彼女の隠し癖は悪化した。

 元々兄妹仲は良くなかったのだがその後暫くは更に剣呑な雰囲気が漂っていたという。

 一体日記に何が書かれていたというのだろう。


 車が止まる。

 空は相変わらずのつまらない色だけど、雨は止んでいた。

 靴がぴちゃんと小さく音を鳴らして、見慣れない石畳の上へ。

 振り返る。


「あの、どんな日記だったのですか」


 サイモンが目を見開いた。


「なんだ、興味があるのか」

「アルミラ様のことを知れば何か心当たりが見つかるかもしれないと思いました」

「ふむ……一理あるな」


 溜め息を吐いて、今にも舌打ちしそうな顔をした。


「オギのことばかりだったんだよ。友人を選べとまでは言わんが……いや、言ったな。かなり言った覚えがある。だがな、もはや選ばなくってもいいが友人が一人だけっていうのはどうなんだえり好みし過ぎだろうそもそも趣味がおかしい」


 乱暴に車のドアを締めた。

 澄ました表情は跡形も無くなって、声のトーンは上がり下がりする。


「うちの妹の何が不満だったって言うんだまったく世間は見る目が無いな」


 一人で勝手に違う結論にたどり着いて、他を置いてけぼりにした。

 陰鬱に捲し立てるサイモンの後ろを、相槌を挟むことも出来ないままリネンは歩いていった。 

 ぽんっと湧き出した予想がある。

 キフェがサイモンを苦手とするのは、巷で言う"同族嫌悪"というものなのかもしれない。


 ◇


 サイモンはオカルトを好ましくなんて思ってはいない。だが、心の底から嫌悪しているわけでもない。

 アルミラの好んでいたものだ。端から否定してかかるわけにはいかなかった。

 彼は理由を重んじる。好意も敵意も理由が必要だと思っていた。それが正しいかどうかはさしたる問題ではない。存在しているかどうかということが彼に取っては重要だった。

 頭が堅いことは自覚済みだ。凝り固まることは避けねばならない。

 要は、嫌うためにもある程度その対象を知らなければならないというのがサイモンの信条だった。


 サイモンはオカルトに漠然とした気持ち悪さを持っている。それは確固たるものではない。論理的というには少しばかり欠けている。

 だからサイモン自身が『嫌いである』と明言することは避けていた。が、両親はそうではなかった。

 彼らは憎んでいるといっても良かった。

 オギも、オカルトの家系だと知られていなかったからこそ温かく受け入れられていたのだ。

 アルミラも家族の前では彼を『ミアノ』と呼んでいた。オギという名もキフェという名も、由来はオカルトにあったのだから。


 全てが明らかになったのは葬式の前、オギがアルミラを顧客として扱った日のこと。何もかもが終わった後で、彼を憎むも何も今更で、だけど彼に多大な(よう)の感情を贈るにはアルミラという少女の幸福証明が不十分だった。

 アルミラの病気自体がオカルトに由来している。元々関わりの薄い家系だというのに、不運に不運が重なって愛娘に発現した。嫌悪する理由はそれだけで十分で、だというのにアルミラはオカルトにのめり込む。アルミラに言いくるめられて意思を尊重することに決めたけれど、娘を二重の意味でオカルトに奪われたようなものだ。


 だがこの時間帯、家に両親はいない。

 サイモンが腕時計を見て、リネンが後ろにいることを確認する。


「車を入れてくる。少し待っていろ」

「はい」


 そのあと、堂々と玄関から入り込んだ。

 幅にゆとりのある廊下を、サイモンから半歩下がってリネンは付いていく。ぽつぽつとある絵や花に目を向けては、覚えが薄いことを知った。

 前回は気にも留めなかったのだろう。そんな余裕は以前のリネンにはなかった。付いていくだけで精一杯だったのだ。

 余分な情報を処理出来る、これは進歩に含まれるのだろうか。

 キフェは考えろと言ったけれど、結果として無駄な動作も増えたのだから。


「一先ず一週間は、オギから君を借り受けた」

「一週間で何か見つかりますか?」

「そもそも何もない線も濃い。任せるしかないな」

「任せる……誰にですか」

「君のことを良く知る者だ」


 少なすぎる心当たりに、感慨の薄い相槌を打った。

 今まで関係を持った人間を、つらつらと胸の内で諳んじながら、サイモンの後をついて行く。

 扉の前で軽いノックを三回。

 ほんの数秒間が空いて、勢い良く扉が開く。

 中からそれは飛び出して、サイモンをするりと抜かし、リネンに抱きついた。

 それが誰かなんて確認する暇もリネンには無く。


「リネン、会いたかった!」


 聞き覚えのありすぎる、自分と全く同じ声とともに押し倒された。





「サァラ。そういうのは後にしろ」


 サイモンは呆れたようにサァラと呼んだ少女を咎める。


「うん、ごめんね? でも感動の再会だよ? そこは普通に包容だよね? 王道だよね?」


 しかしサァラは悪びれもせず、にこにこと笑いながら相変わらずリネンを抱きしめている。

 少し力加減が強い。

 リネンは無言で、そっと絡められた腕を解いた。サァラが悲しそうな顔をするけれど知ったことではない。


「いいから、二人とも部屋に入れ」

「はぁい」

「分かりました」


 解いた筈の手が今度はリネンの腕を取り、強引に中へと引きずられていく。



 サイモンは用事が残っていると言って、何処かへ行ってしまった。

 自由にしていいが一階に下りてはならない、誰かが帰ってきたら部屋に戻れ、とだけ言い残してリネンはサァラの元に取り残された。

 自分が分かっていることに満足する質のサイモンは往往にして説明不足だ。仲が良くなかったと言えどその点はアルミラと良く似ている。家風とも言えるだろう。


「どうしよう。ずっとこの日を待ってた筈なのに、いざとなったら言葉が出ないよ」


 頬に手を当て、はぁ、と甘ったるく嘆息する。サァラのポニーテールがぱたぱたと跳ねた。


「ごめんね、遅くなったよね。待ってたよね。私ってば薄情だったよね」


 黒のサロペットスカートを翻して、くるりとリネンの方を向いた。

 緑色の瞳が困ったように伏せられる。


「リネンは、さ。私に……会いたかった?」


 いじらしく小首を傾げてはにかむサァラに、優しくリネンは答えるのだ。


「どなたですか」


 と。

 暖房の付けられていない、冬の冷気が充満する部屋の音が凍り付いた。



 ◇


 リネンはソファにちょこんと腰掛けて、先程から部屋をぐるぐると回るサァラを眺めている。


「ああ、もう、嘘でしょ、ねぇ……こんなことってあっていいの」


 ここはサイモンの部屋らしい。家具の一つ一つに高級感はあれど過度な装飾はなく間取りは以前リネンが過ごしたアルミラの部屋と似ていた。


「話をまとめるとつまり、あなたは私と同型の自動人形(オートマタ)でサイモン様に購入された、ということですね」


 顔立ちも声色も大きさも、リネンと瓜二つ。所謂妹機だ。

 なるほど、制作者以外で『もっともリネンを良く知る者』というわけだ。

 リネンは僅かに落胆する。

 実のところ、行方不明の制作者に興味を抱いていたのだ。


「ちがう、ちがう。私を買ったのは別の人。その人が自動人形(オートマタ)だと気付く前に、私は逃げ出したんだよ」


 ぴたりとサァラは動きを止めて間違いを指摘した。

 リネンの眉が曲がる。表情を少し動かすだけである程度簡単なことは伝えられる、というのは慣れてしまえば便利だった。


「最上位の命令は……?」


 にこやかに高らかに、サァラは返答する。


「そんなものは無いよ。だって私は自由なんだから! 強いて言うならば私が私であること、かな?」


 少女人形は自分の足で、しっかりと地を踏みしめていた。

 この舞台は自分のものだというように。


「あのね、この家は広いんだよ。まだ時間はあるし案内してあげる」

「そうですね。アルミラ様の部屋ももう一度見ておくべきだと思いますし」

「ああ、サイモンの妹さんね」

「あなたが、私の中から見つけ出してくれるのでしょう?」


 そうだ。用件を終わらせて、オギのもとへと帰るのだ。


「あったなら見つけるし、見つけたら教えるぐらいにはサイモンに恩があるけどね?」


 螺旋階段を軽やかに上がりながらサァラが言う。


「それって結構くだらないことだなぁ、って思うんだよ」


 弾む声は落ち着きを得た。


「くだらない、とは」

「だって、死んだ人って存在しないんだよ? いないってことだよ? 探して何になるの? 今ここにいるのは”自分”であって、失くし物に気を取られるのはなんだかなーって思うの」


 あっけらかんと切り捨てて、快活に笑う。


「……私には分かりません」

「そうだよね。私にもあんまり分からない。でも、もしもリネンが存在してなかったら私は絶対過去のリネンすら探さなかったよ。私が会いたいのは今のリネン。うん、だから、忘れててもいいよ。もう一度今の私を覚えてくれればいいよ」

「流石にそれは申し訳なく思います」

「あ、はは。えへ。うん。ちょっぴり嘘。ほんとは思い出して欲しいかな」


 眉を下げて泣きそうにサァラは笑う。


「ええ、だから。サァラのことを教えてください」


 その言葉に、今度は花開くようにふわりと笑った。


「うん……」


 ふわり広がる短いスカートを押さえながら、すとんとサァラは階段に腰掛ける。リネンはそっと手をついて、少し間を空け隣に座った。

 ころころと同じ顔で違う笑顔を引っさげて、明るい電灯の下で、螺旋階段の真ん中で、サァラは昔話を始めていく。



 いつか何処かで、然程遠くない昔然程遠くない場所で生きた人形師。

 きっとリネンとサァラは紛れも無く最高傑作で、何よりサァラは最後の人形だった。

 人と寸分変わらない容姿と性能。心臓を埋め込んで、宝物を隠すように鍵を掛けて、誰かに見つかる日を待っている。

 それだけの人形である筈だった。


「だけど一つだけ、間違いが起こったんだ」


 サァラに掛けられた筈の鍵だけが、何の因果か甘かった。

 時間が経てば経つほどにほつれていく、人形としての不良品。最高傑作の出来損ない。


「私は全部覚えてた。ずっと隣にいた筈のリネンと引き離されて、絶対見つけるって決めたのに」


 サァラには近く、リネンには遠い昔。一つの大事な約束をした。

 あの頃二体は人形未満で、言葉を埋め込まれていく過程の頃の夢物語を思い出す。

 様子がおかしい。そんなことに気付く間もなかった。リネンにとっては、サァラは最初から不可解に変わりなかったのだ。

 サァラはリネンの手首を押さえつけて、足を絡めた。

 ゆっくりと階段を滑り落ちて五段下の踊り場で停止した。


「ごめんね、矛盾したね、思い出してほしいんだ。少し痛いかもしれないけれど許して」


 サァラの瞳が潤むことは無いけれど、涙が流れないことはかえって不自然に見えていく。

 リネンは逃げない。危機感が作動しない。何故ならリネンとサァラは殆ど同質であったから。

 性質の酷似した二つの心臓は共鳴する。リネンの鍵にほんの少し亀裂が入った。

 一度たぐり寄せられてしまえば後は簡単で、原初の記憶のその奥にぼやけた鏡合わせの姿が映る。

 思考の照準がずれた。

 解けていく。


「私たちはここに確かに存在している。たとえ人形だとしてもその身分に甘んじる必要は無いんだ。

 この世界に在るということだけは紛れも無く正しくて、不自由に縛られる必要は無い。

 そうでしょ?正義ってきっとそういうもの。

 ヒトにだってなれるんだ。

 だって私たちは自分で考えることが出来るのだから」


 猫を見ようと言った。魚を見ようと言った。空を見ようと言った。雲を見ようと言った。雪を見ようと言った。海を見ようと言った。

 あなたに全てを見せてあげると唱えてくれる、人はいない。

 約束という言葉を覚えたての鍵も無かったあの頃、約束という言葉の意味を確かめたくて約束をした。


連れ出し(すくい)にきたよ、リネン」

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