3−3 残された者たち
オカルト嫌いと親馬鹿は両立する。
オギが毎週末にアルミラの元へと通う生活は一年も続かず、彼女は越してきた。オギの家の近くにあるアパートの一室だ。
曲がりなりにも彼女は良家の娘である。築何十年の埃の積もった狭い部屋で耐えられるのだろうかと周囲には疑問に思われたものの、結果的にやたらと楽しんでいた。
勝手気ままに街を出歩いて、図書館に引きこもって、オギのもとへと毎日のように通い、誰に咎められることも無くオカルトに没入する。
古くて狭い家を秘密基地みたいだと笑っていたのはアルミラの本心だ。他にも候補はあったのにわざわざそこを選んだのは彼女自身だったのだから。
「君さ、家事は出来るの?」
キフェはふと聞いた。別にどうでもいいのだが何となく気になっただけだ。
「出来るわけが無いだろう」
しれっと笑いながら、さも当然というように。
「だよねぇ」
アルミラが家事なんて似合わない。
背はあまり伸びていないけれど健康的な肢体はすらりとしていて、飾り気の無い服装がどこか大人っぽく見せていた。ぴったりとした布地の下の脚は長い。
同い年なのに、とキフェはむっとする。
「家政婦さんは?」
「いない」
「じゃあどうするんだよ。ゴミ屋敷?」
「掃除ぐらいは出来るし。私を何だと思っているんだ」
掃除も立派な家事である。質問を正確に汲み取れないアルミラが悪いのだ、と脳内でひとりごちたが、そもそもキフェだって人のことは言えない。完璧な会話など存在しなかった。
「でだ、頼みがあるんだよ」
「内容によるけど、ぼくが君の言うことをそうそう聞くとは思わないでよね」
「夕飯、私の分も用意してくれないかな?」
「……はぁあ?」
顔面に『嫌です』と表示して、間延びした声を上げた。
「お金は出すし、手伝いもしてもいい」
後者に関しては悲惨な景色が思い浮かんで、キフェはげんなりとする。皿の一枚二枚、割りそうだ。いっそ箱入りらしく黙って椅子に座っていて欲しい。
「君、あれでしょ。オギと食卓を囲みたいだけでしょ」
アルミラの笑みの意味は『正解』だろう。
その頃オギとキフェの両親は仕事が立て込んでいて、帰ってこない日の方がずっと多かった。
キフェもまだ働いてはおらず、写真と魔法の勉強と家事に追われる日々だった。要領の良さのおかげで多忙すぎるという自体ではなかったのだが。
小遣い稼ぎには悪くないかなー、なんて思ってアルミラをちらりと見る。二人前作るも三人前作るも同じである。お金だ。お金は良いものだ。アルミラは良くなくてもお金に罪は無い。
「で、いくら出してくれるの?」
その夜から、椅子と品数が一つ増えた。
キフェの性質の一つに、姉という立ち位置らしく、世話焼きというものがある。
アルミラの部屋を訪れたのはほんの気まぐれだ。けしてアルミラの一人暮らしが心配になったわけではない。
学校が終わればオギは直接ここに来るだろう。『おかえり』をアルミラが言うのがちょっぴり気に食わなくて、オギを驚かすのも悪くないと考えた。
外観から歴史の匂い漂うアパートを睨みつける。
くすんだ石の色と年月を漂わせるひび、縦長の小さめの窓が並ぶちんまりとした建物だ。
軋む階段は情緒にあふれていて、塗装のはげた廊下も趣き深い。
「ぼろっ……」
アルミラの部屋に乗り込んで生活能力の無さを笑ってやるのだ。
軽やかに音を立てながら一段飛ばしで上がっていく。
「あ、キフェキフェ。こっちだ」
抑えめの声でアルミラが手を振っていた。
真新しい表札の掲げられた扉の向こうへと。
部屋が汚かったら笑ってやろうと思ったのに、物が少な過ぎて汚れるも何も無い。当てが外れてキフェは鼻を鳴らした。
例えば本が積み上がって足の踏み場もないだとか、ぬいぐるみとピンク色で溢れ返った少女趣味の塊だとか、そういうネタになるものを期待していたのだ。
整いすぎた部屋だから、異物らしさのあるテーブルの上の袋が目につく。
「薬、また飲んでない」
父の店を経由しているものだからよく分かる。何よりキフェが服用しているものと同じだ。
「ああ。忘れてた」
「馬鹿なの」
「うん、そうかもしれない」
「魔女と言えど、この時代じゃそうそうくたばらないじゃないか」
昔だって、死因は大体魔女狩りだ。
回路不全という病気は、完治しない一生ものと言えど対処を間違えなければそうそう死ぬようなものではない。
魔法使いの家系にぽつぽつと表れる病気なのだが、アルミラのようにどこで繋がっているのか分からないような人でもふっと現れることがあった。
危険な魔法も強大な魔法も葬って、魔法自体が廃れかけている今では大概が軽度で収まっている。キフェだってそうだ。ちょっと持病があるくらい、珍しくもなんとも無い。
キフェは勝手に台所に入り込んで、勝手に水を注いだ。
目の端でシンクにフライパンと皿が幾つかあるのを確認した。料理しようとは思っていたみたいだ。ほんのりと焦げ臭いので結果は芳しくないようだが。
頼まれたら教えるのに。勿論授業料はぼったくるが。
「オギには秘密にしてるんでしょ。さっさと飲んで片付けちゃいなよ」
「……キフェが優しいとか雨が降るなぁ。傘を持ってオギを迎えにいかないと」
「やめろ取るな。それはぼくの役目ですぅー」
ちょっと親切にしただけでこうだ。
「まあ、ほら。ぼくもオギに明言してないクチだからね」
隠すつもりはなかったのだ。
別にわざわざ言うことでもないし、知られないままいつの間にか大きくなっていた。もしかしたら知っていて単に指摘されていないだけかもしれないが、それはそれで構わない。十中八九そうだろう。一緒に暮らしているのだから。
どちらにしろ、オギはもうすぐ店で働くことになるのだからばれるのだ。アルミラはそれでも隠すつもりでいるようだが。
「なんで隠すのさ」
「いや、だって……」
アルミラが狼狽える。
「って聞くのも野暮か。分かるよ、うん」
いらない心配はかけたくないだとか、魔女への風評だとか。
けれど一番は。
「強い手札は隠しておかないと、だもんねぇ」
キフェは、にっと笑う。
アルミラが苦笑した。
「全くキフェは魔法使いらしいよ」
「最高の褒め言葉をありがと」
淡い緑のカーテンを引いて、縦長の小さい窓から外を眺めるアルミラの横顔。オギが通るのを今か今かと待ち受けて、楽しげに微笑を浮かべている。意図的に笑うのはへたくそなのに、ふと浮かべる微笑みは年相応で可愛らしいのだ。
残念なことに。
アルミラは最初から可愛かった。危ない可愛さだと思った。
キフェはアルミラの写真を持っている。盗聴用とはいえ、オギと並んでいる姿を形に留めることは腹立たしかった。
いつの間にか大人びていた横顔は写真と重なり、彼女の言葉を呼び起こした。
『十年だけだ』と言った。
十年である必要がどこにあったのだ。
彼女はその理由を、『十代の終わり。子供時代の終わりだから』と述べた。
しかしそれは理由として不十分である。何故なら十年が過ぎてもアルミラは十九で、冬生まれのオギは十六だ。モラトリアムはまだ終わらない。
「別にいいんだよ。十年二十年追加でいてくれたって」
アルミラが振り返り、きょとんとする。
唐突だったな、とキフェは内省した。
暫くすれば理解が追いついたようで、彼女はふっと笑い出す。
「あはは、そうだな。たった一人の友人と縁を切るのは惜しいもんなぁ」
飛んでいきそうなほど軽やかに、笑うのだ。
気に食わなかった。大切な弟を誑かしておいて、アルミラはオギの気持ちに答える気がさらさらない。気付いてすらいないのだろう。気付く気すらないのだろう。
仮にオギが告白したとして、アルミラが受け取ろうが断ろうがどちらにしろキフェが怒り狂うのは決定事項である。怒り狂う大義名分ぐらいが唯一の成果となる。
「じゃあ、お言葉に甘えて。そうさせてもらおうかな」
彼女は至って健康で、何の問題も無くて、自由気ままに生きていて。
欲しいものを手に入れて、楽しそうに笑いながら日々を過ごしている。
キフェはアルミラが嫌いだった。彼女の目が嫌いだった。空っぽの、今にも死にそうで既に死んでいるような、常緑の針葉樹のような色が嫌いだった。
勝手にふわっと消えてしまいそうな目が嫌だった。
そんなことは当たり前なのに、いつかこの世からいなくなってしまいそうに思ったから。
「ぼくは君が嫌いだ。気安く死んだらもっと嫌いになる」
「何故? 望むところだろう」
「オギが悲しむじゃないか。責任とって長生きして、最終的にオギとの関係を更地に戻してからさっさと死ねよ」
「やっぱり私はキフェが好きだな」
「はあ?」
「だけどあんまり鋭い言葉を使われると傷付くぞ。私だって人間だ」
「ぼくが君を人扱いしてると思ってんの」
「当然」
「嫌い」
「はは」
「帰る」
「オギは置いていけよ」
「断る!」
物心ついたときから両親の存在感は強くはなくて、キフェの時間も感情もオギに費やされてきた。最初はただ、ぽっと出の猫なんかに役割を取られるのが心外だったのだ。
目の上の瘤だったから見続けた。彼女が出会い頭から制限時間を設けた理由を察するには十分だった。
アルミラが何らかの形でオギの前から消えるであろうことは前提で。その形はいくつも無い。
キフェは為すべきことも為したいこともわからない。
アルミラのように我が道を行くことなんて出来ない。
可能か不可か、好きか嫌いか、そして多大な”なんとなく”を加えて動いている。
だけどキフェはオギの姉だということだけは確かだった。
故に、弟を誑かした魔女なんて許すわけにはいかないのだ。
「君の葬式には行かないから。覚えておきなよ。弔いもしなければ、冥福を祈りだってしない」
これはキフェとアルミラの最後の会話で、”なんとなく”薄まってしまった彼女に向けた負け惜しみだ。
「この、馬鹿ミラ。君なんて大嫌いだ」
いつもと同じような文句に、彼女は困ったように笑い返す。
「うん」
「許さない」
「うん」
「おやすみ」
「うん」
オギがアルミラを忘れない限り、キフェは彼女を許すことは無いだろう。
キフェを規定しているのは、オギなのだから。
◇
自動人形の情報は、一度取っ掛かりさえ掴んでしまえば呆気なく引き抜かれた。
ただの人形として流通していた。 枠は中古品。元の持ち主は全て同じで、小さいものから大きいものまで二桁に満たないほどの数があったそうだ。残念ながら少し前に亡くなっているので、その者が製作したのかどうかを確かめる術はない。
大方家族かなにかの縁者が、何も知らずに売り払ったのだろうとマトは言う。
「これがそうなの?」
マトが手に入れたというその内の一つはリネンに比べると随分と小さかった。赤子ほどだ。
くるくるとした髪は焦げ茶色で、布切れのようなワンピースから機械的に付けられた手足が投げ出されている。
型にはまったというか、古典的というか。アンティークドールめいている。
人形として普通に可愛らしいが好みではなかった。
「随分と違うんだね」
疑わしげにキフェが呟く。
全く動かない。
「コルチ=ディグの人形だって、リネンとは全く違ったそうだから」
「ああ、そっか。でもこれが動いたらちょっと怖いかもなぁ」
普通の人形サイズで、人間に見間違えることはあり得ない。
キフェからすれば人形が人に紛れ込むよりも、人形が人形のまま動くほうが薄気味悪いのだ。
オギいわく、ソフィもまた人形らしい外見をしていたそうだからもしかしたらキフェはそっちの方も苦手かもしれない。
「どうやらリネンと同じ型の人形もあったそうなんだけど。売れちゃったみたい」
「あれだけ出来が良かったらそりゃねー」
相当お値段も張りそうだ。
今回マトが購入したものは質も要因だが、キフェと半額ずつ出しあったのもあってそれほどお財布に痛いとは感じなかった。
普通に店で人形を買うより安い。
「でもね、これ。動かし方がわからないのよ」
「偽物つかまされたんじゃないの」
「そんなわけないわよ。多分ね」
マトが人形の服を脱がして見せる。胸元に四角い線を描く溝と留め金がある。蓋だ。留め金を少し動かせば呆気なく開いた。
そこには複雑な紋様が記された四角い箱が収まっている。幾何学模様は芸術品のように整った華やかさがあるがれっきとした魔術回路である。どうやら古い様式が多分に使われているようで雰囲気すらも埃っぽい。ソフィのものと同様だろうが一回りも小さく、色は薄茶だった。
「ほら心臓、でしょ?」
「わぁ不用心。リネンのは開かなかったのに」
ソフィのすらオギが解体するまで取り出すことができなかった。
小さな人形の箱も露わになっているが取り出すことは出来ない。厚みのある蓋にはよく見れば鍵らしきものが隠れていた。
偶々外れていただけなのか。
キフェは小首を傾げる。
「どうやらその心臓が起動装置みたいなんだけどね。ロックが解けないの」
「そんなに複雑かなぁ?」
見た所回路が絡み合っているという印象はない。
「複雑というよりは洗練され過ぎているから、どこから手をつけていいか分からないというか……ボトルシップの口すら無い、っていう。ごめんなさい。すごく分かりにくい例えよね」
マトの目の下には薄っすらと隈があった。
キフェは苦笑する。
どれだけ意固地になって考えていたというのか。いつもに増してマトの発言がふわふわとしていた。
「まぁ、ニュアンスは伝わったけどさ。出来そうで出来なさそうで気持ち悪い、って感じ?」
「そうそれ、ありがと」
キフェの部屋でぐったりとソファにもたれかかるマトを横目に、モノクルを掛けて道具を探り出す。
オギにも解体出来なかったのだから相当なのだろうな、とか考えながらも試さずにはいられない。
パズルの類は苦手な癖に手を出すたちなのだ。大体最後はオギに投げ出すオチである。弟はその手のものがやたらと得意だった。辛抱強いというか繊細というか。
「でもなんか、本当にいけそうな……え?」
指を動かす。
端と端を繋げてひっくり返して重ねて並べて回転させて組み立てて。つまみ出しては箱の中に箱が現れ、幾度と無く同じようで微細に違いのある手順を繰り返す。
"なんとなく"で走らせた指はふっと止まった。
回路はほんのりと熱を持って色づいていた。
ばちり、と作り物の瞼が瞬く。
『こんにちは わたしのなまえは まりあ です 』
ぱくぱくと人形の口が開閉する。
オルゴールのように甲高く規則的な声は金属的だ。
だらしなくソファに身を預けていたマトが、唖然として顔を上げた。
「え、えーとね。ぼくはキフェだよ」
予想以上にこれは気味が悪い。鳥肌を立てながらもぎこちなく笑みを浮かべた。
『きふぇ おぼえました これからよろしくおねがいします』
人形の手が胸元の蓋を閉じる。
がちゃりと音がした後はもう、開くことはなかった。
「ねえキフェ、何やったのあんた……すごいけど」
「わわわわかんない。 なんか、びびびってきたからうん、そうなの」
「いやどうなのよ」
人形に何ができるのかと問えば、歌うことだと言う。それ以外のことは出来ないと。
歌声とはかけ離れた明らかにただのオルゴールとしか思えない音楽の中で、キフェはただ狼狽えるばかりだった。
◇
マトは考える。
自動人形の共通点を、起動条件を、表に出ることのなかった理由を。
「アルミラ=コスタとソフィーネ=ディグとキフェ=ミアノ」
共通点は魔女。
類型が少ない上に何の証拠もない推測だ。
しかし魔女自体が鍵なのだとすれば、自動人形が公にならない理由が少し埋まる。
そもそも見つけられない、動かせないという根本的なハードルだ。オカルト従事者は馬鹿にできない数ほどいるが魔女はそういうわけではない。
「あまり魔女魔女言うのもわるい、か」
短くて分かりやすいからついつい使いがちだが、あまり良い意味は含まれていなかった。
キフェはそれなりに満更でもなくその名称を使うけれど回路不全症はただの病気である。
オカルトとメルヘンを内包したたちの悪い病だ。
「ねーえー、ベネット。どう思う? 」
「は? 何の話だ」
腑抜けた顔で問い返すベネットにゆるりと推測を垂れ流す。
ベネットは話半分に聞いていたし、マトも投げやりに話していた。
意図的にふわふわした作り話は好きだが、現実的なのにめりはりの付いていない話は好まない。気力の問題によりふわふわせざるを得ないので当然態度もメレンゲのごとく不定形だ。
「なんで、普通に売らなかったかな」
ぽそり、とベネットは零す。
鍵なんか掛けないで、自分が作ったのだと声高に主張して、しかるべき場所に売り込んで。
「世界は確実に変わったし、魔法だって地位を取り戻したろうに」
「うーん、それが気に食わなかったんじゃないかしら」
前髪を弄る。くるりと明るい一房を指に巻き付けては解いた。
「変わり過ぎるのを望まなかったんじゃない?」
「先送りにしただけだろう。どうせいつか誰かが同じことをする。 だったらいっそ、作らなければよかったんだ」
間抜けな話だ、と言うのだ。
あはは、とマトの薄ら笑い。
「それは多分魔法使いの性というもので、作らずにはいられなかったんじゃないかしら」
理由はただ、"それが可能だったから"だと彼女は言う。
けれど魔法は唯の手段で、使うのが当たり前のものであったベネットにはあまりよくわからない話だった。
よっぽど魔法が好きでなければマトのようにわざわざ外からこの業界に飛び込んできたりなどしない。
気質としてはベネットよりよっぽどマトの方が魔法使いらしいのだろう。
とんとん、とベネットは書類の端を合わせた。
「ああでも、自分の技術を試したいというのはわかってしまうなあ」
特に理由もなく初めてしまったベネットでさえ、きっとオカルトを好いている。新しいものも古いものも、初めて触れるときには体温が上がるような感覚がある。
愛してしまえば、案外人はとんでもないことをやらかすのだ。
「そうね、ただ」
ソファに身を委ねたまま、前髪の隙間からマトの目は天井を見つめ、ぽつりと零す。
「自動人形を作った人間は人形を作りたかったのかヒトを作りたかったのか、どっちなんでしょうね」
◇
『ごめん』
リネンにはオギの意図するところが分からない。
『少しの間、離れててほしいんだ』
拒絶はあまりにも突然のことで、考えても考えても推測にすら届かなかった。
キフェが「気にすることは無いよ」と言った。オギも「リネンの所為じゃ無い」と言った。
リネンは信じたけれど考えることはやめなかった。
原因への対処は求められることが多いのだと学んだ。場数を踏まなければどうにもならない。
オギの役に立たないというのは許されざることだ。
すれ違う子供がくるくると傘を回す。リネンは横目で追って、通り過ぎた後にくるくると真似をした。
赤の色素が飛び散る。全く持って無意味な上に、回す方に気を取られて片足が水溜りに入り込む。ぱっちゃんと音がして靴下に水が染みた。
表情は変えない。
家に帰ったら脱ぐのを覚えておかなければ。そう心にメモ書きして顔を上げた。
重くくぐもった景色はここ数日間長引いて、活動時間の終わり頃に見るオギもどこか疲れているようだった。
リネンの推測はオギの疲れには自分が関係しているのだとはじき出した。だから距離を取って欲しいという願いに出来るだけ沿った。
「まあオギも結構面倒くさいんだよ。あと寒いと人って弱るしね」
だから放っておけ。キフェの意図するところだ。
「そうなのですか」
「うん。気分なんてそんなものだよー? ぼくだって前後でころころ上がり下がりするもの。……いや、ぜんっぜん褒められた話じゃないけど。普通に悪癖だけど。というかオギの憂鬱は全部アルミラが悪くない……? 墓から這い出て謝るべきじゃない? あーなんか腹立ってきたー!」
本当だ。ころころ変わる。
オギが笑えばキフェに似て、キフェが真面目くさった顔をすればオギの面影を漂わせる。似てないようでちゃんと似ているのだ。
オギだってキフェのように不安定になることぐらいあるだろう。
「なんか、墓穴掘った気がする……」
部屋を歩き回りながら呟き続けるキフェを眺めながらリネンは結論を出す。
『然程重大な問題ではない』
けれど、残念なことにそれは甘い認識だったのだ。
その日、久々にオギの言葉を聞いた。
「暫く君を、アルのお兄さんに預けるよ」
リネンは考える。オギの意図を考えて、その意味を考えて、とにかく必死で考えた。
それは返却、それは追放、それは拒絶。
『不要』の二文字が寒々しく宙を舞う。
「わかりました」
リネンの行動原理はぐらついて、加速した思考は凍結した。
責任を何かに問うならば、それはきっと"冬"が悪かった。




