2−4 至上の命題
「君の依頼は、自分を直してもらうことか」
声を荒らげることが無いように息を小出しにしながらオギは問う。
見つけた時のソフィーネは自失呆然といった様子で座り込んでいた。まるで、唯の人形のように存在感を空っぽにして。
オギが呼びかけて、軽く揺すって、リネンがソフィーネの指をあらぬ方向に曲げようとしても彼女は反応を示さなかった。
困り果てた頃、唐突にソフィーネは何事も無かったかのように首を傾げて「あれ、なんで二人ともここにいるの?」なんて軽く呟いたのだが。
オギの問いかけに、ソフィーネは人差し指を丸い顎に当てて微笑む。
「その答えは、ちょっとだけ正解ね」
「じゃあ残りは何だよ」
「待って。そろそろおとうさまがお昼ご飯に呼びにくるわ。後でね?」
ソフィーネはゆっくりと通り過ぎていこうとする。オギは咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
「食べるんだろう」
「そうよ」
「本気で壊れるよ」
「そうね」
ふわふわとした表情を童女は浮かべたままだ。オギの目が回る。
「リネン、ドアを塞いで」
「承知しました」
「やだ……二人とも友達にいじわるするなんて、だめなんだから」
ソフィーネが笑顔を消す。しかしその顔は怒りも不満も表明しない。おそらくそんな表情は実装されていない。リネンと比べて彼女は明らかに旧式で、その肌はけして柔らかいとは言えないのだ。
「友達って言うならね、止めるのも役目じゃないかな」
オギはソフィーネを依頼人のカテゴリから投げ捨てた。
勿論、彼女を友人だなんて思っていない。数時間でそんなものに成れるものか。ましてや相手は人ですらない。
だがソフィーネの行動は個人的に受け入れ難い。私情を挟むことが出来るというのなら、いくらでも友人を騙ろう。
「直して欲しいんだろう。だったら食べないで」
「なんでソフィに命令するの?」
「僕は今、人で言うところの君の医者にあたる立場にあると思っている。友人である前に」
ふぅん、とソフィーネは冷たく微笑んだ。
「オギは勘違いしてたのね、ソフィは今わかったわ」
そして、オギを突き飛ばした。体躯に合わず、咄嗟のことにオギがよろめく程の力で。
みしりと音が、小さな腕から聞こえた気がした。
「だってソフィは、多分もう直らないもの」
進むソフィーネの前にリネンは立ちはだかり続ける。
「どいて」
「オギの命令ですので」
「ソフィだって命令よ」
「仕方ありませんね。相反してしまっただけのことです。それでも私は命令を全うします」
声色は柔らかく温かいというのに、リネンの台詞は無機質だ。
「ソフィは命令以上、何もかもを通り越して『コルチ=ディグの娘』よ。そのためならば、"心臓"だって惜しくない。分からないとは言わせないわ。同じ人間に作られた自動人形として!」
リネンよりもずっと人らしかぬ人形は、まるで人のように、自分よりもずっと背の高い少女人形へと言葉を叩き付ける。
何故かはオギには分からない。リネンが怯んだように見えた。
ソフィーネはリネンを押しのけて行く。
みしりと軋む、音がした。
「三時半。約束通りその時まで待ってて? ソフィの、『お願い』」
何事も無かったかのような笑みを浮かべ直して、彼女はそっと去って行く。
とうにソフィーネはいない部屋で、オギは眉間に皺を寄せ、床に座り込んだまま立ち上がろうとしない。
「何を怒っているのですか」
「怒っていない。怒る筋合いも無い」
「その通りだと思います。でもオギは怒っていますよね」
「……まあ、うん。少しだけ」
リネンはすっとしゃがみ込んでオギと目を合わせた。スカートの裾が床に垂れる。
「申し訳ありません。扉を塞ぐという指示を全う出来ませんでした」
「いや、それは別に……いいんだけど」
オギが一瞬口を濁す。
「別にそこまでソフィの力が強かったわけじゃないよね?」
止めようと思えばリネンはソフィーネを止められた筈だ。
「はい」
リネンも頷く。
「ただ、物事には優先順位というものがあります。きっとソフィーネは与えられた最上位の命令に忠実に動いているのでしょう」
「だから止めるのは無駄だって言うのか」
「私とソフィーネの制作者が本当に同じだと言うのなら、そういうことになります」
「でも、リネンは僕の指示に十割忠実ってわけじゃないよね」
「最上位ではありませんから」
オギが緩慢に立ち上がる。
「まるで意思があるかのように言うんだな、リネンは」
リネンの首はオギの動きに沿って、僅かに上を向いていく。
「私は姉様に『考えること』を命じられました。その結果、質がどうであろうと『私の考え』ぐらい作られるのは当たり前のことではないでしょうか」
「そう、だね」
ぎこちない同意を返す。
「じゃあリネンは今、何を考えているんだ」
「ソフィーネのことです。オギは他に何か考えて欲しいことがありますか?」
「……いやない。それでいいよ。僕もソフィのことを考えなくちゃ」
約束の時間が来るまでまだ大分ある。ソフィーネが黙っている限り出来ることは少ないが。
オギは思う。──何故、僕は怒っていたのだろう。
ソフィーネの何が気に食わなかったのだろう。
おそらく全部だ。出会ったその時から、オギはあの人形のことを好ましくなんて思っていなかった。
「あのさ、リネン」
「何でしょうか」
「君の最上位の命令って、何だ?」
リネンの硬直は、僅かな逡巡。
それでも返答の声に迷いは無い。
「私にそれを、オギは与えましたか?」
オギはただ苦笑した。
◇
三時間を費やした。仕事道具を確認しながら、ソフィーネのことを思いながら、リネンと時折話しながら。
リネンはその間あまり動かなかった。身体を休めているのだろう。
人形だから疲れを感じないと思いきや、その実、一日の適切な活動時間は人よりも短かった。
「リネンで何時間だったっけ」
「およそ半日ほどです」
それに比べるとソフィーネは明らかに動き過ぎではないだろうか。リネンの性能がいい分休むべき時間が長いとも考えられるし、丸一日ソフィーネを見ているわけでもないが。
扉が勢いよく開かれる。
「ソフィは、約束は守るわ」
「わかってるから早く言って欲しい」
「ソフィの魔法を解いて」
何の気負いも無く、ソフィーネが口にする。
オギは長い瞬きをした。
「やっぱり、か」
あれだけ渋っていたのが馬鹿みたいに呆気ない。
ソフィーネの連れてきた空気は、微かにトマトとブイヨンの匂いがした。
例えモノが壊れてもそれに掛けられていた魔法まで解けるわけではない。埋め込まれた回路は掠れて薄くなることはあれど自然にほどかれることはない。 そうしてずっと、正しく働こうとし続ける。
その結果壊れたものは変質を遂げることがあった。過去にも何度か大きな問題を引き起こしたこともあり、歴史上の不可解な事件も幾つかはこれが関係しているのではないかと言われている。魔法が衰退した原因の内の一つだ。
しかしオカルトが勢力を衰えさせても魔法道具が消えることはなく、それに関わる人間もいなくなることはない。
オギの得意分野は、後処理として最後に絡み合った回路を断つことだった。
「そんなことはありえないって思ってるけれど、もし直せるようだったらソフィを直して。でもそれはきっと、絶対に無理なのよ」
ソフィーネの身体はマネキンそのもののようだった。
固く嘘くさい肌色。関節部は球体をベースとし、複雑にパーツを組み合わせて作られていたがリネンとは違い、完全に露出している。どの継ぎ目も明らかで、普通の人形と然程相違ないのではないだろうか。
それでも単体としての動きには問題は見られない。
そして、胴にはリネンと同じイニシャル付きの印が刻まれている。ソフィーネの予想は外れていなかった。
「僕なんかじゃなくて、制作者本人に頼むべきじゃないか?」
「どこにいるのか分からないわ」
「誰かは、知っているのか」
「……秘密」
そこで引き下がるオギではない。リネンのルーツにも関わっているのだから。繰り返し追求し、ソフィはようやっと口に出す。
「おとうさまは、知っていたはずよ」
それは、コルチに『人形』の制作者を問うことはオギには出来やしないだろう。
ソフィーネは制作者の名を覚えてはいなかった。
そもそもの話をしてしまえば、これほどに精緻な機械の作り手が全くの無名というのがおかしいのだが。
「直る見込みがある内は食事は控えてよ。直るものも直らない」
「いやよ」
「なんでだよ」
「ソフィは『娘』だから」
「知らないよ」
「『娘』じゃなくなるのは壊れるよりも、いや」
背を見ていたオギにはソフィーネの表情がわからない。
「何故、あなたは壊れることを恐れないのですか」
リネンがあり得ない、とでも言うようにソフィーネに問う。
「知らないわ。怖くないものは怖くないもの。ソフィはあなたより古いから、いつのまにか壊れていたとしてもおかしくないわ」
この家にはカレンダーも時計も無い。ソフィーネがいつからここに居るのかは分からない。
加えて彼女は家から出たことも、ここ数年は無いと言うから季節感も分からない。
オギの店への手紙は、時折コルチが街へと出しにいく手紙の束の中に紛れ込ませたそうだ。よくばれなかったものだと思う。
そのまま一時間ほど、リネンの助けを借りながらソフィーネを診続けた。
「……電話、借してくれないかな」
オギの声には疲れが滲んでいた。
「無いわよ?」
「うわ」
さも当たり前のようにソフィーネが答える。
目眩が酷くなるようだ。
こういう聞き方は不本意だけど、と前置き。
「君は自分が、後どれぐらい持つと思っている?」
「一週間ぐらいは余裕があるんじゃないかしら」
その短さに顔をしかめた。
もっと早く連絡すれば良かったのに、と内心で毒づく。もっとも、壊れることへの危機感自体に異常をきたしているのだから、このタイミングでもまだ早い方なのかもしれないが。
「悪いけど泊まるという話、今夜は無しでいいかな」
コルチの部屋を訪れて、帰る旨を伝える。
曇りない電球が中を照らしていた。
綺麗に積み上げられた本と紙に囲まれたコルチは、眼鏡を外し椅子を回してオギを見る。
「また、来るのか」
「はい、明日も」
「そうか」
席を立ち、素っ気なくオギに言った。
「付いてこい」
草をかき分けてたどり着いた裏の納屋からコルチが自転車を引いてくる。
「たまにしか使ってはおらんが、普通に動く筈だ」
サドルを軽く叩いた。
「使うといい。ただ、スピードを出すとどうなるかは保証せん。せいぜい落ちんようにな」
「あ、ありがとうございます」
少々古びているものの、がらくたには到底分類されないだろう現役ものだ。
町からは遠いので助かる。
荷台にリネンを乗せて陽を追うように漕いで行く。オギの腰に回したリネンの腕は柔らかく、滑らかだった。
徒歩ではなくなったことで浮いた時間は公衆電話を探すことに費やされた。
◇
ミアノ魔法回路調整店の掠れた看板の前を灰色の猫が通り過ぎていく。
『以上が今日分かったことの全てです』
「そうか。お疲れさま。図面は受け取ったから、その道の者に連絡を入れてみる。また連絡してくれ」
『はい、ありがとうごさいます』
受話器を置いた。
至近距離で受話器から漏れる音を拾っていたマトが眉をひそめる。
「やだ面倒くさい……」
「同感だな」
ベネットが頭を掻いた。
これは自分たちが行った方が良かったのではないだろうか。一瞬そう思ったものの、何をすればいいのかはベネットにも分からなかったかもしれない。マトだって、オギより経験も技量も上ではあるが、単純な"オカルト慣れ"でいえば怪しいところだ。
「ねえ、自動人形って何なの」
「俺に聞くな」
マトは心無しかむっとして、くるくると前髪を弄る。
「じゃあさ、ベネットは何か絡んでると思う? 魔女、とか」
少しばかり不機嫌そうに、ベネットは目を細めた。
「お前は相変わらず夢の見すぎだ。そんな仰々しいものじゃないことぐらい、もう知ってるだろう」
未だに魔法を幻想か何かだと思いたい同僚へ、不満を送る。
二日後になんとか連絡のついた人間は、送られてきた図面を見て、呆気なく匙を投げた。自動人形とは系列が違うものの、近い系統の魔法機械に詳しい彼によれば、結果はこうだ。
何処か特定の部位に異常をきたしていたわけではなく、全面的に劣化している。いわゆる寿命というものだ。ベネットらの下した結論と何ら変わりはしない。
それでもまだ他のモノだったのなら修理の見込みはあっただろう。代替の部品を用意すると言う手もある。しかし、自動人形の構造は彼等にとって未知に分類されるものだった。
そしてオギにできるのは、ソフィーネが動かなくなるのをただ待つことだけになった。




