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空白のリネン  作者: さちはら一紗
第一部 1章 the doll ≠ a girl
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1−1 自動人形

 つまるところ、彼の初恋とは後々にまで甚大な影響を及ぼすものだったのだ。


 ◇


 風は乾いていた。白い絵の具を滲ませたかのような雲はまだらに浮かんでいる。薄青のキャンバスの端はほんのりと淡く暖色を含み始めていた。

 オギはまだ数回しか経験していない葬式を終え、周りから一歩離れて人々の様子を眺めていた。一度目と二度目はもう顔もぼんやりとしか思い出せない祖父母、あとは仕事の都合上で遠目に窺ったことがあるだけだ。

 特に目を引くものは見つからず、レンズ越しの景色は概ね平穏。神妙で厳かで肩が凝る。真新しさはないが慣れもせず、そして友人の葬儀であるという意味では特別なのかもしれない。

 ただ一つ変わったことがあるとすれば、久々に雨が止んでいたことだろう。よかった、と思った。友人は雨が似合うひとだったけど、わざわざ最後までそんな天気でなくていい。空まで灰色になってしまえば、景色はモノクロ写真と変わらなくなってしまう。


 参列者の中の見知った顔を戯れに数える。

 友人の兄と目が不意に合う。どちらからともなく目を逸らし、言葉一つ交わすことは無い。

 逸らしたオギの視線は一人の少女へと向かう。身につけた装飾過多な黒のワンピース。それは秋らしく袖もスカートの丈も長い。そのうえ生地も厚かった。仕立てたのは夏なのにまるでこの日のために用意されていたように。

 少女はオギの側で静かに佇んでいた。近しい関係であるかのように二人の距離はとても狭い。だが、双方ともに声を発することは無かった。オギはそれが無駄な行為だと知っているから、少女は声を発するべき状況というものを知らないからだ。

 身じろぎせずにただそこにいる。

 人形なのだから当然だった。


 友人が亡くなってから、まだ数日しか立っていない頃。オギが呼び出された翌日のことだ。

 "これを引き取ってくれないか"と半ば強制的に、友人の兄に押し付けられた。

 その人形は友人が最後に買ったものだという。それなりに裕福な家であったから無駄遣いも許されたのだろう。家族も、友人の生がもう残り少ないことを悟っていたからかもしれない。

 だが、その買い物には問題しかなかった。

 人形の外見は齢十二から十四程度。ぱっちりとした大きな瞳もふっくらとした唇も白い肌も生々しくて、だと言うのに纏う雰囲気はそれらを全て覆すまでに無機質だ。

 それだけで言えばただの人形。精巧に出来た単なる作り物で最後の道楽だ。

 その人形が動くものでさえなければ。


 自動人形(オートマタ)。オカルトの領域にどっぷりと浸かった品物。友人の趣味は家族にとってはただの悪趣味でしかなかった。


「君はそういうものに詳しいだろう」


 確かにオギはオカルトに携わる人間だ。一般人よりは詳しいという自負はある。しかし人には人の専門分野というものがあり、加えてオギは未だに半人前だ。最近流通し始めたばかりの動く人形の話は噂程度にしか知らなかった。

 実情は体のいい押しつけ先、といったところか。まだしっかりと回りきらない頭でオギは考えた。

 吐き出される生返事と薄っぺらい謝意。友人の所持物が赤の他人に売られたり、がらくたのように捨てられるよりはよっぽどいい。


 初めて入った友人の家は何度も外から見た通り、広かった。

 しっかりと対面した家族らは穏やかで柔らかく、どこか寂しげに、欠けた月のような瞳はオギを冷たく刺していく。無理もない。

 兄の自分より大きな背中の後を付いて行く。毛の短い絨毯にかき消された足音は、重ならない。


 オギは、友人の部屋から出ようとしない人形を連れ出す必要があった。

 オーク材の扉。この扉は知っている。反対側からなら何度も見た。窓から友人の脱走を何度手伝ったことか。おかげで昔は身体を動かすことが苦手だったはずのオギも脚だけは速くなってしまった。

 目を細める。オギの感傷を無下にするようにドアは呆気なく、ノックの一つも無く兄の手によって開かれた。


「どうぞ」

「ありがとう、ございます」


 灯りが付いたままの部屋の中。ほんのりと、嗅ぎ慣れないポプリの香りがした。

 人形はすぐに見つかった。物の少ない、本棚だけが存在感を放つ広い部屋の中。ベッドの隣にある椅子に腰掛けたまま、後ろを向いていてオギが入ってきたことに対し何の反応も示さない。

 オギ達の気配は声で気付いているはずなのにぴくりとも動かず、ただじっと座っている。視線はカーテンの閉められた窓へと固定されたままだ。

 どくん、と心臓がいやに鳴った。見えない誰かに押されるようにオギは少女の形の隣へと回る。

 背に掛かる、ミルクティーを溶かし込んだような髪。しっとりとした柔らかさを感じさせる白い肌。長い睫毛に縁取られた緑色の瞳。白い部分にはご丁寧に毛細血管すら浮いていた。

 生きている人間に酷く似通った外見に、生物特有の熱を感じさせない雰囲気。しかし本物と見紛うほどの大きく潤んだ瞳には、何も浮かんでいない。

 それは生者でも死者でもなく、なるほど確かに得体の知れない寒気を感じさせる。不自然さだ。小綺麗な造形ではある。だが人間離れしたほどの美貌というわけではない。それが返って動揺に拍車を掛けた。

 そして何よりも──。

 脳味噌を引っ掻くような既視感を、唾と一緒に飲み下す。


「僕は君を、なんと呼べばいい?」


 人形はそこで、やっとオギを認識する。


「リネン」


 柔らかそうに見える唇が震え、軽やかに音を吐き出した。


「そうお呼び下さい」


 流行遅れの型の錆色のスカートが、立ち上がった際に広がる。

 亜麻糸のような細い髪がふわりと揺れた。


 ああ、まったく。不謹慎極まりない。自嘲気味にオギは口角を上げた。


 ──僕はいま、この人形に何を思ったのだろう。


 それはあまりにも、言葉にするには忍びなかった。



 彼女の持ち主であったオギの友人は亡くなったこと、今度は自分が持ち主となることを説明する。

 言葉を迷って、結局オギは飾り気のない説明しかできなかった。

 リネンは早々に理解を示し、オギの話に従うようになった。

 呆気なくて拍子抜けする。今まで彼らはこの人形と対話を試みようともしなかったのだろうか。しかし友人の両親ならともかく、あの兄が不干渉を貫くというのは少々違和感を感じる。

 後ろを振り返り、扉にもたれる彼を見たものの目は合わず、オギは質問を諦めた。

 仮にそうだとしても気持ちは分からないことも無い。オギですらここまで話が通じるとは思っていなかったのだから。


 オカルトが全盛期であった頃、世の中に魔法使いが溢れていた時代には、こうしたものもありふれていたのかもしれないと思うと、高揚感と同時に寒気がする。

 一度は失われ、ひっそりと再興にこぎ着けた技術だ。姿を現した"風の噂"は初見でオギの想像を軽く超えてしまった。何かを期待しない方が、無理な話である。


 しかし最初の感動は失望に変わりゆく。期待値が大きくなりすぎた結果。

 リネンはあくまで人形でしかなかった。

 指示が無ければ延々と停止し続け、発する言葉は最低限の受け答え。教えたことの理解は早いし、与えられた仕事はこなす。無駄な動きも言葉も意思も、何も無い。リネンへの評価は、『道具としては非常に優秀』としか言えなかった。

 もともと何かと関わるということには面倒臭さを感じる方の人間だ。オギの手にはあまる。

 たった数日。それだけでリネンはそっとオギの日常の小道具候補に組み込まれ、執着心は霞んでいく。


 ◇


 建前だけのお悔やみの言葉や世間話を求められていない立場は気楽だった。

 友人の交友関係はオギよりも更に狭かったため、見知った顔はもう見当たらない。人の数自体が減り始めていたというのも一因だ。

 漠然と感じていた、オギが場違いだという感覚から逃げ出したかった。

 そもそも普通ならば顧客の葬儀にまで出ない。友人という立場である以上、オギの出席は正当なものであるけれど。今はもう、自分を請負人と友人の、どちらに定義すべきかわからなかった。


 友人の家族と軽く言葉を交わし、オギは喪服の人々から背を向けて歩き始める。その後ろを数歩間隔を開けて何も言わずリネンが付いていく。この数日で決まった定位置だ。


「どこへ行くのとか、聞かないの?」


 足を止めてリネンへ問いかけた。


「どちらへ向かうのですか」


 それを彼女は"要求"と受け取ったらしい。そのまま質問を返され、オギは引きつった笑いを見せた。


「僕の家に帰るんだよ」


 今、自分が相手にしているのは人間ではない。そう肝に銘じ直す。

 分かりやすく簡潔に。必要なのは会話による互いの意思疎通では無く、一方通行の説明だ。話が通じない人種なんて飽きるほど見てきただろう。それらよりはずっと楽だ。


 腕時計を確認する。列車の時刻にはまだ余裕があるが、駅は墓地から大分離れていた。


「列車の切符、二人分とっておいたけど大丈夫だよね?」

「私には分かりません。人形は人の料金扱いなのですか」

「僕だって知らないよ。荷物扱いの方が正確なんだろうけど、実物大の人形を持ち歩くなんてどんな不審者だ。どうせ人と見分けがつかないんだし」


 荷物は既にまとめてある。服装も問題は無いだろう。持ち合わせている中ではそこそこ仕立てのいい服に、使い古した鞄が合わないというぐらいで。

 ずれた眼鏡を直す。


「ああ、そうだ。安い席だから気をつけて」

「何にでしょうか」


 オギはリネンの質問には答えず、歩を進める。


「……さあ、何だろうね」


 質問には答えなくてもいい、なんてリネンに覚えられてしまってはいけないと思い立って、取ってつけたように適当な返事を返した。

 特に考えずに言った言葉のせいでオギすら、はて何に気をつけるのだっただろう、なんて考える始末だ。


 リネンの表情は相変わらず、理解出来たのか出来ていないのかも読み取れない。

 この数日で伝えることの面倒臭さを思い出したオギは、それでもリネンの性能に後を任せた。



 駅が見えたとき列車はもう既に止まっていて、二人は走る羽目になった。

 道中、道を間違えたのが良くなかったらしい。結果的に間に合ったので良しとする。早めに動いたのは正解だった。

 リネンは走り慣れていないようで、どこか動きはぎこちなかった。あの部屋から出たことが無かったのだから当たり前かもしれない。

 息があがるわけでも頬が紅潮するわけでもなく、何事も無かったかのように平然とすました顔で乗り込むその姿には違和感しかなかった。

 食い入るように、リネンを見つめる。挙動の一つ一つも見逃さないように。あの部屋にいた頃と同じ姿勢で、リネンは列車に揺られていた。残念ながら、真新しい物は何もなかった。


「乗り心地とか大丈夫かい。あまりいい席を選ばなかったから」


 沈黙には平気であっても、こちらを凝視されるのには耐えられなかった。黙りこくったままというのが更に悪い。

 リネンはそのまま、数秒間停止する。


「そう言われましても私はこのようなものに乗ったことは初めてですので比較のしようがありません」

「……それもそうだった」


 呆れるほど流暢だが抑揚も感慨も内容もない返答は、質問自体の悪さで相殺された。

 定型文らしさはあるがリネンの一言は時折とても長い。必要な情報を出来る限り詰め込もうとする。息継ぎの必要がないということも一因なのだろう。

 語彙はさほど多くない。音量、声質、ともに落ち着いているため聞いていて楽ではあった。


「着く前になっても僕が寝ていたら、起こしてほしい」

「分かりました」


 リネンはこの手の約束事に対しては確実だ。愚直なまでにこなそうとするから。

 到着する頃には、あたりは薄暗くなっているだろう。オギは瞼を下ろす。

 安いなんて言っても単に高級ではないというぐらいで、オギにとっては標準である。多少身体が痛くなるぐらいは許容範囲だった。



 着いたのは予定の時刻よりも遅かった。

 そうそう時間がぴったりと合うものでもないし、誤差の範囲だ。

 気がかりなのは夕食だった。


「リネンは……食べるわけないよな」

「不可能です」


 ひとりごとにまで律儀に返事が返ってきた。

 オギは首をひねる。どうにもおかしい。

 見てくれはおそろしく整っている上に、初見の時に感じた雰囲気はオギの心をつかんだのは確かである。高揚した気分も、感動も、しっかりと覚えている。だが今は少しも魅力を感じないのだ。

 最短にして最小限の動作は、まるであの友人から無駄を削ぎ落としたようで。あの人は無駄を有意義なものに変えることを何よりの楽しみにしていたから。それは可愛げなんてある筈も無い。


「なんであいつは君を買ったんだろうね」


 ふと、疑問を口に出す。


「"あいつ"とは誰を差すのでしょうか」

「君は馬鹿か」


 つい口から出た。


「あ、いやごめん」

 

 どうにも気が立っているのか、疲れが溜まっているのだろうか。さらりと飛び出た暴言に、我ながら驚いた。

 リネンもその後理解が追いついたようだった。


「こちらこそ失礼いたしました」


 会話に空白が生まれる。

 リネンを買ったことがあるのはオギの友人だけではないはずだった。業者、とでも言うべきものがいるのかは分からないが売り渡した人間はいるのが道理で、それが制作者本人であるというのは考えがたい。リネンはそのことを、"あいつ"の勘定に入れたのだろう。


 そういえばリネンの製作者を知らない。今まで全くと言っていいほど自動人形(オートマタ)に興味がなかったこともあって、聞いても分かりはしないのだろうけど。

 本人に聞くのが一番だろう、と問おうとした時、


「先ほどの質問の答えとして正しいかは分かりませんが」


 リネンが口を開いた。


「あの方が私に命じたのは以下のことです」


『この部屋から、出ないこと』

『私の側を離れないこと』


「それだけ?」

「上位のものは」


 ますます分からない。

 二つの命令が矛盾を作り出した場合は最初の命令が優先であったそうだ。でなければ、リネンは友人とともに土の中に埋まっていただろう。

 日の暮れた後の道を、リネンとはぐれることが無いように並んで進む。いつもの位置では話しにくいというのもあった。


「持ち主が死んだらその命令はどうなるんだ」

「無効化され、次の持ち主が現れるまで待機するよう設定されます」


 だからリネンはあの部屋に留まり続けたのだ。持ち主がオギに変わるまで。

 リネンと目が合ったまま、視線を離せない。瞳だけは死者と同義の空虚な色を映しているというのに。

 彼女は空っぽの部屋で何日も、ただそこに在ったのだ。何も見ず何も聞かず、何も考えず。無表情のその裏側には、文字通り"無"しかないのだろう。

 そのことが、オギの意識を引っ掻いた。


「君はさ、死ぬってどういうことか分かる?」


 また、リネンは一瞬停止した。考えている際の印なのだろう。


「生命活動の停止。私たち人形に置き換えれば修復不可能な破損。といった答えでよろしいですか」


「ああ、なんだろう……そうじゃなくて、ごめん質問が悪かったね」


 さらに言えば選んだ質問対象も悪い。

 観念の話だよ、と言葉を付け足した。リネンの空っぽの顔が、不可解そうに見えたのは気のせいだろう。


「私には分かりません」


 オギは薄く、苦い笑みを浮かべる。


「実は僕もあまりよく分からない」


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